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6件
名探偵に薔薇を
著者 城平京 (著)
始まりは、各種メディアに届いた『メルヘン小人地獄』だった。それは、途方もない毒薬をつくった博士と毒薬の材料にされた小人たちの因果を綴る童話であり、ハンナ、ニコラス、フローラの三人が弔い合戦の仇となって、めでたしめでたし、と終わる。やがて童話をなぞるような惨事が出来し、世間の耳目を集めることに。第一の被害者は廃工場の天井から逆さに吊るされ、床に「ハンナはつるそう」という血文字、さらなる犠牲者……。膠着する捜査を後目に、招請に応じた名探偵の推理は? 名探偵史に独自の足跡を印す、斬新な二部構成による本格ミステリ。
名探偵に薔薇を
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名探偵に薔薇を
2015/10/14 20:15
かわいそうすぎる世捨て人系美人探偵の名作ミステリー
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:K - この投稿者のレビュー一覧を見る
※なるべくぼかしたつもりですが一部ネタバレです
2部構成のミステリーで、世捨て人系美人探偵が主人公の暗いお話です。
1部はレトロ風の文体で描写されたエログロナンセンス怪奇(風)事件。
2部は探偵視点メインの「本番」です。
初めて読んだ時は普通に騙され、普通に真相に驚きました。
複数の前例のあるトリックということでミステリーの賞の選外になった作品ですが、個人的にはそれらの前例と比べてもこの作品が一番面白いです。
本作のメインの謎は「誰が何のために罪を犯したか」というフーダニット・ホワイダニットですが、この作品の特色は謎そのものよりも一人の女性が絶望するまでの過程を描き切ったことです。
容赦無い幕の引き方にもやられました。そこで締めるの!?もっとこう救いはないの!?ってなります。
逆にここまでされると狂った爽快感すら感じます。
ネタバレになるので詳しくは言えませんが、この作品は正しくアンハッピーエンドです。
城平京作品の主人公やメイン級の登場人物はだいたい酷い目に遭っている気がするのですが、ほかの作品の主人公は酷い中でも何らかの救いはあるのです。
目的を成し遂げた、大切な人が助かった、誰かの救いにはなれた、自分なりに納得できたなど。
でもこの作品には、そういう「不幸の中の救い」すらもありません。
この作品よりも大きな不幸を描いた作品はもちろんほかにもたくさんありますが、この作品の特筆すべき所はそういう不幸のデカさではなく、ラストで「彼女」が絶望する理由がよく分かる所にあります。
彼女にはこんな過去があって、そういう生き方になって、こういう子と出会ってしまい、謎を解いたらあんな結末になった。
これは絶望するしかない。
第1部から丁寧に張られた伏線が第2部で回収されていく様が非常にスマートで、同時に彼女が絶望に辿り着く流れも納得させられてしまうのです。
名探偵は世捨て人となり、第2部では好きだったミルクティを飲むことすら止めているほどに徹底的に人間らしい幸せをそぎ落としていました。
そんな彼女を迎えるのは、それまでの苦しみが報われるようなハッピーエンドではなく更なる絶望です。
容赦のないラストまで読み終えた後、個人的に最後に残った一番の謎は「この後、彼女はどうなってしまうんだろう?」ということです。
私は歴代の城平作品でこの暗い作品が一番好きです。
無責任ないちファンとしては、いつかスパイラルコンビでコミカライズしないかなあとか思ってしまいました。
名探偵に薔薇を
2006/05/23 21:47
知ることの不幸
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くまくま - この投稿者のレビュー一覧を見る
小人地獄。無味無臭にして、一度体内に入れば何の痕跡も残さず速やかに死に至らしめる毒薬の名。著者はこの毒薬を道具として、名探偵の苦悩を描いた。
本書は二部構成になっており、第一部では小人地獄の由来と威力が示され、読者にとっての”現実”として小人地獄の存在を印象付ける。第二部では、第一部で得た知識が謎解きの前提として活用されている。
本来ならば起こるはずもない殺人。一つの事件の動機が明らかにされるとき、また一つの不幸が訪れる…
謎はすっきりと解き明かされるかもしれませんが、読者の心に爽快感が訪れるかは自明ではありません。
名探偵に薔薇を
2001/05/29 04:03
罠
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:春都 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「探偵は神たり得るのか」、エラリィ・クイーンや法月綸太郎など「名探偵」と呼ばれる者たちが、悩み葛藤し続けた問いである。
推理などしょせんは想像の域を脱しない、それが導きだす真相など「真実」と言えるのだろうか。いや、そもそも真実など存在するのか。
数多の探偵たち、つまりはミステリ作家が必ずぶちあたる大きな壁であり、袋小路である。器用な連中は巧みに抜け出し、あるいは見えないフリをすることで呪縛から逃れることが出来るのであるが、城平京は違った。自らその罠に飛び込んだのである。
構成の妙と言えるだろう。
第1部「メルヘン小人地獄」において、名探偵・瀬川みゆきの土台を確固たるものとし、その揺るぎない才能を読者の意識に植えつける。視点人物(語り手)を探偵にしないことで、まさに「神」のような人物であることを印象づけるのだ。
とてつもなく蠱惑的な魅力をもつ「完璧に近い毒薬」の来歴、それが引き起こした連続見立て殺人事件という、ミステリ好きにはたまらない物語を、あっけなく後の伏線に利用してしまうのである。
そして第2部で行われること。今度は視点人物を瀬川みゆきにすることで「名探偵の崩壊」を描いてみせる。当然彼女が導きだす「真実」もまた拠りどころを失い、虚構の霧の中に溶けていってしまう。
再びあらわれたそれは、探偵自身の存在基盤をも破壊してしまう「メルヘン(小人)地獄」へと変貌している。探偵が活躍する「メルヘン」が、一瞬にして「地獄」へと姿を変えるのだ。
瀬川みゆきが最終的にどう受け止めたのかは読者の楽しみにとっておくことにするが、そのラストはあまりにも哀しく切ない。
賞の選考時、作品のラストに前例が2,3あることが問題にされたという。たしかに僕にも思い至る作品がいくつかあった。もちろんそれが決定的な欠点であったとは言わないだろうし、1つの賞を与えるという行為がかかえる「過剰な危険回避」の頭があったのかもしれないが、やはりテーマを見誤ったと言わざるを得ない。その深遠さを。
構成、トリック、どんでん返し、その他『名探偵に薔薇を』に使われている手法は、すべて「名探偵」と呼ばれる者の抱える葛藤や苦悩、弱さから人間性に至るまで描き出すための、一道具にしか過ぎないのだ。舞台とまるで合わない大げさで古風な文章も頻繁に使われるが、それも「探偵小説」を表現するために利用されているだけである。ただ下手なだけだろう、などとうがった見方をしてはいけない。そう、いけないのである。
残念ながら、おそらくシリーズものにはしないだろう。いくら名探偵とはいえ、また作中で多くの「解決した事件」を匂わせているとはいえ、この作品の性質から続編・番外編は生まれようがない。というよりも、書いてしまったらこれが台無しになる。作者がよほど「器用な人間」でない限り……。