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16件
エーレンデュル捜査官シリーズ
著者 アーナルデュル・インドリダソン(著) , 柳沢由実子(訳)
雨交じりの風が吹く、10月のレイキャヴィク。北の湿地にあるアパートで、老人の死体が発見された。被害者によって招き入れられた何者かが、突発的に殺害し、そのまま逃走したものと思われた。ずさんで不器用、典型的なアイスランドの殺人。だが、現場に残された3つの単語からなるメッセージが事件の様相を変えた。計画的な殺人なのか?しだいに明らかになる被害者の老人の隠された過去。レイキャヴィク警察犯罪捜査官エーレンデュルがたどり着いた衝撃の犯人、そして肺腑をえぐる真相とは。世界40ヵ国で紹介され、シリーズ全体で700万部突破。ガラスの鍵賞を2年連続受賞、CWAゴールドダガー賞を受賞した、いま世界のミステリ読者が最も注目する北欧の巨人、ついに登場。
悪い男
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湿地
2012/10/22 14:31
読みやすい文体の奥に、深い広がりが感じられる。犯罪捜査官の生活と仕事を通し、アイスランドの地理的条件、歴史、結婚と葬式、社会の病理、科学技術の受容等が書かれた警察ミステリ。
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ - この投稿者のレビュー一覧を見る
帯の文句に堂場瞬一氏が「警察小説」、大森望氏が「警察ミステリ」という言葉を使っている。
そういや、犯罪捜査の立場で書かれていたと思い、ふっと「函館水上警察」が浮かんだ。と言っても、読んだのは『墓標なき墓場』だけ。だが、「ああ、インドリダソンと高城高の世界は似ている」と、何やら陶然とした。
寒さ厳しい北の荒涼の中、叩き上げの犯罪捜査官が身を粉にし動き回る。はじめは、どこかであったような事件にしか思えないものが、小さな糸口からこつこつ調べ上げられていく。捜査官独特の勘がよりどころ。忘れてならないのは、その勘が生得のものではなく、不断の姿勢で積み上げてきた能力のたまものだということ。
糸口はやがて手ごたえ強いロープのごとく彼らをみちびく。辿り着けた事実の前に、それが大がかりな組織的たくらみの一角に過ぎないことを知らしめす。後ろ盾のない一捜査官だが、一つの解決で区切りをつけず、巨大なものへ臆せず挑んでいく。
『湿地』の読後、「あばく」という動詞が頭にひびいた。「あばく」には、ピラミッドのような墓をあばく場合と、正体や陰謀をあばく場合がある。前者は目に見えるブツで、後者は目では見えない。読み終えれば、この語が本書を象徴するのにふさわしいものだと分かっていただけよう。
『湿地』も高城高作品も、現場の人間がこつこつ働き、手を抜かず、注目すべきものを見過ごさないから成果がもたらされる。すなわち、真相があばかれる。
おそらく読み手が警察小説に魅了されるのは、内外の作品を問わず、このポイントだ。地道に積み上げた捜査が、犯罪の真実を「あばく」。それも大がかりな犯罪の首ねっこを押さえ、不当な利益を得ていた権威を失墜させる。『湿地』は、しかしそのパターンには収めきれない真相に到達する。
いたし方ないと納得すらできてしまう犯罪をどう受け止めれば良いのか。「殺人」の加害者と被害者の罪の重さが反転して書かれ、人の内面の複雑さに心を千々に乱しながら、読み手たる自分の内面の複雑さにも気づかされる。
レイキャヴィクにあるアパートで老齢の男性が殺されている。意味をなさないメッセージが残されている点が変わってはいたが、現場の痕跡を隠そうともせず、部屋の扉も開けっ放しにされていた不器用な殺人。
被害者はなぜ殺されたのか、被害者がどういう人物だったのかを探ろうとすると、殺人のあったアパートから、人目に触れないよう、ひっそりと隠された古い写真が出てくる。人物ではなく、ある場所を写したものだ。
そして、被害者が過去に、ある罪を犯したかもしれないという可能性が浮かび上がってくる。
読みやすく、手に取れば「どうなるか、これから先、どうなるか」と一気に進んでいく読書だが、プロットが分かっていくだけの消費じみた時間にならないのは、読みやすい文体の奥に、深い広がりが感じられるからだ。
犯罪捜査に並行し、捜査官の私生活が描かれる。彼自身が抱える問題、子どもの問題などが、アイスランド社会全体が倦む問題の一例として挙げられる。主人公の生活と仕事を通し、アイスランドの地理的条件、歴史、結婚と葬式、社会の病理、科学技術の受容等が表される。
本来、からりと乾いているべき場所が湿り気を帯び、不快な害虫や地盤沈下などの問題の原因となってしまう。そういう土地は、人の暮らしに影を落とすに違いない。
揺るぎない大地で悠々と暮らす人びとに憧れながら、置かれた場所の不安定さに、気と生活を蝕まれ、吐息つく人の哀しみを、インドリダソンはミステリ・ジャンルの中で、こつこつ地道に表しているのだろう。彼の作品をまた読みたい。
2015/11/13 13:54
泣けました。
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みかんさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
アイスランドを舞台にした推理小説。
あまりよく知らない土地、国である。
最初は耳慣れない人名や地名に少し戸惑いながらも。
読み進むうちに、荒涼としたイメージのアイスランド、という土地や国柄、国民性などが、少しずつ自分なりの理解を持って、型作られてくる。
それはヨーロッパなどに抱く「合理的、個人主義…」といったイメージとは少し、ずれる。
どちらかというと内気で、強い自己主張はないが思慮深く、忍耐強い、といったイメージ。
それが、主人公である刑事に体現されている気がする。
推理小説といっても、展開は地味。派手さはなく、ハラハラドキドキ、どんでん返しもない。
しかし、主人公を中心に描かれる深い心理描写は、とても丁寧でありながら、読者を飽きさせない。
主人公の中年刑事が持つ心の傷、人生の錆。それは事件とは直接関係ないが、事件を物語として進めるための伴奏のようなもの。
そのバランスが絶妙だと思いました。
推理小説としても、アイスランドという国を舞台にした文学作品としても、味わい深い小説です。
厳寒の町
2024/05/26 18:05
本当の問題は移民問題なのか
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:pinpoko - この投稿者のレビュー一覧を見る
北極圏に位置するアイスランドが、その最もアイスランドらしい貌を見せる真冬に、ある10歳の少年が刺殺された。彼はタイに「バックグラウンドをもつ」少年で、その家庭環境は複雑だ。この「バックグラウンドをもつ」という表現が、いわゆる移民問題に関してずいぶん及び腰の姿勢をとっているという感じを強く与える。
実際、その少年エリアスは、タイに旅行していたアイスランド男性が現地で知り合い結婚したタイ人女性スニーが、夫とともにアイスランドに移住してから生まれたハーフの子供で、その後両親は離婚し、現在は母親がタイ人の元夫との間にもうけた長男ニランと母親との3人暮らしをしている。このニランの存在を結婚当初は夫に隠していたスニー。そのこともあって夫婦仲は破局を迎え離婚にいたったらしい。しかし今は別のアイスランド男性との交際が始まり、そのほか弟であるヴィローテもアイスランドに移住し、何かと姉家族と交流をもっている。
いや、ストーリーの流れの中でこれらの事実が明かされる限りは、スラスラと頭に入ってくるのだが、この家族の複雑さは半端ではない。もし隣人にこういう背景を持つ人たちが越して来たら、余り関わりたくないかも・・・と思ってしまうに充分だ。
昨今の風潮で欧米諸国は軒並み移民問題に苦慮している。多くは経済的、あるいは本国の政情不安などの理由から、移民とも難民とも定義しづらい人々がより良い暮らしを求めて先進国に押し寄せている。最初は人道的配慮から制限を設けずこれらの人々を受け入れていた国々も、そこに割く予算が膨大となり、自国民が仕事を奪われるなど徐々に受け入れに消極的になり、イギリスなどは一定の条件を満たさない移民はアフリカのルワンダに移送する措置を採るらしい。
誰でもより良い生活を求める権利はあるものの、それが自国内で満たされないというのが根本的なところではないだろうか? 移民先の国である程度の成功を収めた人は、晩年になっても本国には帰国せず、支援する親類が亡くなった後はただ遥かな思い出の彼方に本国を追いやってしまうのだろうか? いわゆる故郷には何の感慨も抱かず、新しい国で人生を終えるのだろうか? 移住など考えたこともない人間にとっては、ただただ想像の外としかいいようがない。
今作の物語の中では、この移民問題はあくまで表面的なものに過ぎず、真実のテーマは確かな立ち位置のない人生からくる覚束なさではないかと思われる。
この意味でスニー一家はまさしく当てはまるし、ラスト近くになってやっと登場する経済的には恵まれた少年二人もそうだし、悲惨な人生を生きてきたと思しいアンドレスも十分この範疇に含まれるだろう。
結局ひとは家族でさえも踏み込めない領域というものがあって、そこに手を触れることができるのは自分自身のみ、どこまでも暗い中を自分の経験と知覚のみに頼って辿るしかないのではないか。それが生きるということなのだと思う。
得体のしれない老人ゲストゥールにたった一人で挑もうとするアンドレスの底知れない孤独と覚悟こそがこの問題のひとつの解答なのかもしれない。彼の登場シーンがとにかく印象的で、自分の考えに今最も近いものだというのが偽らざるところだ。