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世界のなかの日清韓関係史 交隣と属国、自主と独立
著者 岡本隆司
日清韓――利害と政治の歴史を照射する! 朝鮮半島は、東アジアの国際関係史を考えるうえで、きわめて重要な位置を占めている。16世紀の東アジア情勢から説き起こし、江戸時代の「日朝交隣関係」と「清韓宗属関係」の併存、19世紀後半の「属国自主」を検証。そのうえで、近代の日清韓の利害対立、国際関係の行方を追う力作。日清、日露戦争にいたる道とはなんだったのか、大きなスケールで描く。(講談社選書メチエ)
世界のなかの日清韓関係史 交隣と属国、自主と独立
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世界のなかの日清韓関係史 交隣と属国、自主と独立
2011/03/28 17:18
「属国」と「自主」の間に揺れる朝鮮半島の悲劇
16人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書はシナ(清)と日本の間で揺れ動き翻弄され、最後は滅亡した朝鮮の歴史をつづったものである。李氏朝鮮(韓国)は建国以来、ずっとシナ(明朝)の属国だった。属国と言うと自主権の一切無い奴隷のような存在=植民地という響きを持つが、古来、シナ人が築き上げた中華秩序というものは西洋の宗主国・植民地とは似ても似つかぬものだった。属国となると言うことは、シナ(明朝)を主と仰ぎ、皇帝から暦を下げ渡され、シナ(明朝)と同じ元号を用いるということを基本とした。そしてシナの首都に儀礼使節を送り、皇帝を敬う儀式を行うとシナから三倍返しどころか十倍返し以上のお礼の品を下げ渡され、中国と貿易することを許可されたのだった。「属国」にならないと中国と貿易することを認めない。属国になっても内政に干渉されるわけではない。平たく言えば「頭を下げるのはタダ。そうすればシナと貿易出来るということだったので、周辺国はこぞってシナに服属したのだった。唯一の例外が日本で、日本は孤高を保ち、シナに服属するのを潔しとしなかった。故に日本はシナから常にうろんな存在、いけ好かない存在と見られてきたわけだ。
このシナが作り上げた中華秩序が西洋のアジア進出で動揺する。西洋の論理は水も漏らさぬ三段論法で、植民地が犯した不始末には宗主国がすべて責任を持つというものだ。しかしこれはシナの論理とは違う。シナの論理はいいとこ取りで、「属国の不始末は属国の責任であって、シナの関知するところではない」というもの。これを聞いた日本及び西洋は「ああ、そうかい」ということで、琉球を処分して日本領土に組み入れ、台湾へと侵攻し、ベトナムはフランス領となった。それでもベトナムだの台湾だの琉球だの遠隔の「化外の地」で問題が起きていたうちは、まだよかった。ことが朝鮮半島に及ぶと、シナは自らの安全保障上看過できなくなる。そこでシナ(清朝)は袁世凱を朝鮮に派遣し、朝鮮の内政に露骨に干渉し朝鮮がシナの属国であることを満天下に示し、これ以上の「西力東漸」を防止しようとする。これに黙っていられなくなったのが朝鮮で、朝鮮は従来の属国自主を自分に都合よく解釈し、属国は名ばかりで自主が基本だと信じていたからたまらない。俄然、朝鮮国内では清に対する反発が強くなる。しかし、ここからが小国の悲しいところで、ろくな軍事力を持っていなかった朝鮮は自力でシナを排除することは不可能。そこで、最近でも廬武鉉ぬらりひょんが言い出した「朝鮮バランサー論」が出てくるのである。シナと周辺国を天秤にかけながら、勢力の均衡を図り、その中で朝鮮がいいとこ取りをするというアレだ。しかし、こんなもの、自らの軍事力の裏付けがなければ虚しい駄法螺に過ぎないことは歴史が証明している。朝鮮の国内はシナ派、日本派、ロシア派に四分五裂する。特に日清戦争でシナが日本にボロ負けすると、シナ派が勢いを失い、変わって力を増した親ロシア派がロシアの勢力を朝鮮半島に引き込んで日本に対抗させようとしたところで、朝鮮の命運は尽きる。世界中でロシアとの勢力争いを展開していた当時の覇権国である大英帝国が朝鮮のふしだらな行為を「もはや看過できない」不愉快な行動と断じ、大英帝国のエージェントたる日本にロシアの勢力を朝鮮半島から駆逐すべくゴーサインを出したからだ。こうして戦われたのが日露戦争で、日本は英国のバックアップを得て日露戦争を戦い抜きロシアに勝利し、朝鮮半島の宗主国となるお墨付きを英国から与えられる。不用意にロシアの勢力を朝鮮半島に引き込むような「空気の読めない」朝鮮人に自治は無理であり、大英英帝国の世界秩序の良き理解者である日本が朝鮮を統治した方が宜しいということで日本は大英帝国の承認のもと、晴れて朝鮮を併合し、「日本の一部」に組み入れていくのである。このあたりの経緯が、本書には声涙ともに下るばかりの筆致で描かれている。
巻末にソウルに今もある「独立門」の写真が掲載されている。独立門とは、韓国が一瞬、シナの軛から離れて「大韓帝国」なる「自主独立の国」を打ち立てた時、それまでソウルにあったシナへの属国の証「迎恩門(沖縄にある守礼門みたいなもの)」を叩き壊して、パリの凱旋門みたいな石の門を大急ぎで建てたのが今もソウルに残っているのだ。しかし、韓国が「独立」していたのは文字通り一瞬で、その後、韓国は日本の一部となっていくのである。この「独立門」を見る時、シナ、ロシア、そして日本と言う大国のはざまで翻弄された朝鮮の悲しみを覚えずにはいられない。
ちなみに現在でも尚、韓国では「朝鮮がシナの属国であったことは歴史上一度もない」というのが国をあげた「正しい歴史観」となっており、シナの宗主権など歴史上、一度も朝鮮は認めたことになっていないそうだ。
2019/01/20 18:19
近隣諸国を冷静に見つめるために
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:コーク - この投稿者のレビュー一覧を見る
世界の趨勢の中に日本・清・朝鮮の微妙な関係を位置づけ、「近代」でいかに変容していたかマクロな視点から描き出す。絶妙な勢力均衡状態により安定した「属国自主」が国際環境の変化とともに、清・朝鮮双方から再検討し両者の齟齬が明らかになっていく過程は非常にスリリングだった。
それにしてもカーゾンの不気味な”予言”がその後の歴史を見事に言い当てているのは流石としか言いようがない。
こうした外交官を持っていたからこその「イギリス帝国」だったのだろう。
2022/04/01 22:16
属国自主
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:福原京だるま - この投稿者のレビュー一覧を見る
清韓関係は属国自主という概念で語られ清は前者に朝鮮は後者に重きを置こうとしながら日本や欧米列強との間で揺れ動いた19世紀末から20世紀初めの朝鮮外交について勉強になった。