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5件
中核VS革マル
著者 立花隆
血で血を洗う殺戮戦争を続ける学生や労働者たち。その覆面の下には、どんな素顔が隠されていたのか。高い理想と正義感から生まれたはずの“革命”運動が、両党派間の内ゲバ殺人に転化していった悲惨な歴史の逆説。いま困難な時代の転換期にあって、先行世代の軌跡を見詰めなおす綿密なドキュメント。
中核VS革マル(下)
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中核VS革マル 上
2007/12/10 14:38
あなたの隣にもいる殺人集団
22人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る
2005(平成17)年8月4日、東京都杉並区での「新しい歴史教科書」採用を妨害するため、平日だというのに朝から300人程度の自称市民団体の中核派や部落開放同盟などが区役所周辺に集合した。そして区役所を取り囲み、教科書採択の妨害活動を繰り広げ、ビラ配りなども実行した。そのうち中核派系の政治団体「都政を革新する会」事務局長の北島邦彦(45歳)が「暴行の現行犯」で逮捕された。人権やら平和やら言っている団体が「暴行の現行犯」である。この時、マスコミにより中核派である旨が報道されたことで、この教科書に対する反対活動をする者の正体が、人権やら平和やらとは無関係な、中核派であることが公になった。このことで端無くも、30数年前におきた連合赤軍事件やその後の「内ゲバ」と称する血で血を洗う「殺人ごっこ」をやらかしたあと、とおの昔に日本社会から消え、消滅していたはずの「中核派」が、実は「市民団体」「反戦平和団体」などの皮をかぶって、我々の社会のいたるところに潜み、食い込み、生息していることが分かっってしまった。日本の反戦平和運動は常に「不思議な」特色を持っている。北朝鮮のデブが「お前の国を火の海にしてやる」とほざいても知らん顔、スルー。中国のチャイナ人が核実験をしても知らん顔、スルー。何事も無かったかのように平然としているくせに、アメリカが絡むとやにわに力瘤が入って大騒ぎを始めるのである。先日も晴海に中国の軍艦「深セン」が来たので私も乗船して見学してきたが、なぜか日本の25都市に常時核ミサイルの照準を合わせている国の軍艦が首都のど真ん中に来たにもかかわらず、「平和を願う市民団体」は影も形もなかった。NHKお約束の横須賀だの佐世保だので米海軍艦船が入港するや否や赤旗をはためかせて体当たり攻撃を仕掛けんばかりに海上を疾駆する「反戦平和市民団体」のボートも東京湾にまったく浮かんでいなかった。私は長らくこのことが不思議で不思議でならなかった。しかし本書を読み、上記の事件の経緯を調べるにつけ、ようやくその理由が分かった。要するに日本で良くNHKの報道に登場する「反戦平和団体」「市民団体」の多くは、実は本書の主人公「中核派」なのである。連中は今でも真面目に暴力革命を起こして日本政府を転覆し日本に革命政府を樹立しようと目論んでいる。そのためには自衛隊が邪魔だから自衛隊に反対なのである。そのためには日本政府の後ろ盾になっているアメリカ軍が邪魔だからアメリカ軍に反対しているだけなのである。平和なんかどうでもいい。戦争なんか革命起こして政権を奪取したら真っ先に憲法改正して徴兵制を復活させ、日本国民を奴隷のように酷使する気でいるんでアル、奴らは。「つくる会」の教科書に反対する杉並親の会も中核派の舎弟であることが明らかになってしまった。となると彼らと同様の主張や運動を繰り返している市民団体も、やはり中核派の影響下にあると考えるのが妥当のように思える。-->我々は気をつけなければいけない。注意しなければいけない。うっかり善意で反戦運動に参加すると、奴らに良いように利用され、いつの間にかオルグされて、気が付いたときには取り返しのつかない状態になっているかもしれないのだから。赤頭巾ちゃん、気をつけて!
中核VS革マル 下
2007/06/11 16:01
全共闘運動=暴力革命による体制転覆=民主主義の否定=逆らう奴は皆殺し
12人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る
いまだに全共闘運動を懐かしがっている奴がいる。「もう少しで革命を成就することが出来たのに」「あの頃の若者たちは熱く燃えていた」「みな純粋だった」。。。バカも休み休み言えとはこのことだ。全共闘運動とは何か、それは暴力革命の肯定であり、民主主義の否定であり、何よりも恐ろしいのは「正義は我が頭上にあり」として、逆らうものは皆殺しにする、その暴力による国家支配、国民支配が、その本質だったのである。左翼はいまだに「国家権力による国民監視」だの「自衛隊による国民支配、戦前への回帰」だのを警告し恐怖を煽る。しかし、自衛隊が一度たりとも国民に銃を突きつけ日本政府の意思を強要したことがあったか?あったという話を私は寡聞にして聞いたことがない。しかし、本書に出てくる「中核派」「革マル派」は自分たちの思想に従わない連中を皆殺しにしようとした。日夜国民を監視し、払暁、ターゲットの住居にバールをもった数十人の男が乱入し、なかにいる人間を文字通り皆殺しにすることを繰り返していた。それでも飽き足らない連中は、日本を飛び出し、パレスチナに飛んで、そこで機関銃を仕入れ、イスラエルの空港で罪の無いイスラエル国民に向けて機関銃を乱射し、大量虐殺を行ったりした。あるいは「あさま山荘」に立てこもり、内部で血で血を洗う殺し合いをしつつ、治安維持のため出動している公務員にして国民の味方の警察官に向け銃を乱射し、そのうちの何人かを射殺したのである。これらを日本国民は、当時の日本の大学生は、高校生は、中学生は、そして小学生は、みんな見ていたのである。そして左翼とは何か、全共闘とは何か、その本質を見抜いてしまったのである。本書が書かれた後、全共闘運動はもちろん左翼そのものの社会的影響力は急速に失墜していくが、それには理由があったのである。日本社会党が消滅し、総評が解体し、国労動労が解体されたのには理由があったのである。国民は、ただ「しらけた」わけではない。左翼の本質を理解したため。左翼が垂れ流す「左翼音頭」に、これ以上「騙されないぞ」と心に決めただけなのである。こうして小泉純一郎は、国民の歓呼の中で5年5ヶ月も政権の座に君臨することが出来、自衛隊をあっさりと海外に派遣することが出来たのである。こうした一連の日本の現代の歴史の流れを理解するうえでも、本書は必読であろう。いいか、諸君。いまだに共産主義への未練を断ち切れない輩が垂れ流す「猫なで声」に耳を傾けてはならない。奴らはいざとなったら平然と異論を唱える人間の命を奪い、家族を壊すことに躊躇しない連中だ。左翼は正義を信じている。正しい世の中を作ろうと懸命なのである。げに「正義」と恐ろしい思想なのである。
中核VS革マル 上
2009/03/22 02:16
今も残る過激派集団の生態
14人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:バタシ - この投稿者のレビュー一覧を見る
私が大学の入学式に出る前に最初に話しかけてきたのは「早稲田大学社会科学部自治会」と名乗る連中だった。「アメリカのアフガン侵攻に反対するデモに参加しよう」と何のかんのうるさかったので、「入学式に遅れるので失礼します」と無視してさっさと式会場に入った。
入学式が始まってそこそこに教授から「自治会は当大学と何の関係もない団体なので、接触する際には十分に注意してください」との警告があった。まだ二十歳前で完全に世間知らずの私だったが、「自治体」という組織が胡散臭いものなんだな、という印象は持った。
この話が本書と何の関係があるかと言うと、この自治体こそが本書で紹介されている極左セクトの革マル派に他ならないからだ。革マルと中核派が誕生したのが1962年で、私が大学に入学したのが2002年だから40年を経てもまだ革マル派は存在していたのだ。
早稲田大学は革マル派の総本山で、かつては構内で他党派との争いにより流血沙汰もしばしば起きていた。さすがに今ではそんな事態は起きていないが、立看はあちこちにあるし、自治会が演説をしているしで、革マル派の勢力は目に見える形で残っている。
マスコミは左翼シンパが多いせいか、あまり極左セクトの脅威について語ろうとしないが、本書は日本を代表するジャーナリスト立花隆がそれについて深く踏み込んだ1冊である。東西冷戦構造の崩壊により、日本の共産勢力はめっきり影が薄くなってしまったが、いやいや中々どうして、まだまだあちこちで根を張っている。早稲田大学もそうだが、杉並区では新しい歴史教科書」採択の際に一躍有名となった「つくる会の教科書採択に反対する杉並・親の会」=中核派がいる。
要は目に見えなくなっただけで、極左勢力の存在はまだまだ健在だということだ。だから交番に行けば必ず極左セクトの指名手配犯の張り紙がオウムと同様にしてあるのだ。おそらく今の30代より若い世代にはピンと来ないだろうが(かくいう私も20代半ばだが)、極左セクトの危険性といったらオウムと同等かそれ以上だ。
機動隊と戦い、一般市民を巻き込み、さらには同じ共産主義者であっても自分のセクトと考え方が違えば内ゲバで殺す、それが極左セクトの姿だ。中でも本書で紹介されている革マル派と中核派は極左の中でも最大級の勢力を誇り、社会に与えた影響も桁違いであった。
考えてみてほしい。将来を嘱望されている一流大学に通う青年たちが、自分の所属する組織の政治的信条のためとはいえ、人に暴力を加えたり、ひどいときには殺害にまで及ぶのだ。影響は学生だけではない。世間も左翼シンパのマスコミがこうした犯罪に対して同情的に報道するため、これら極左セクトに対して寛容にさせていたのだ。今では考えられないが、30年ほど前は実際にそういう状況だったのだ。
そして恐ろしいのが、例えばオウムは教祖をはじめ、主だった幹部はほとんど逮捕され、裁判にもかけられ、犯罪集団としての総括を済ませているが、極左勢力にはそれがないのだ。つまり連中は組織全体としては何も裁かれないまま現在に続いているので、脅威はそのまま継続しているのだ。
最近「閉塞」した世相を反映してか、高度経済成長を懐かしむ声が多いが、私に言わせればとんでもないことである。極左勢力が跋扈し、それを糾弾すれば「反動的」「ファッショだ」などとマスコミや「進歩的」知識人からバッシングされるのが高度成長期の日本なのだ。現在に比べて国全体が貧しい上に、犯罪も多いしで、何がいいのかさっぱりわからない。
人間は昨日より今日が良くなると信じて働いているのだし、実際日本は多少の足踏みはあるものの今日まで着実に成長しているのだから安易な懐古主義は慎むべきだと思う。本書はそのために最適のテキストで、極左勢力と呼ばれる連中が一体過去に何をやってきたかを克明に描いている。本書を読めば、「世界平和」「戦争反対」という耳障りのいい左翼の甘言や、「昔は良かった」という団塊の世代の戯言に惑わされることはないだろう。