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5件
吾輩は猫である
著者 夏目漱石 (作)
猫を語り手として苦沙弥・迷亭ら太平の逸民たちに滑稽と諷刺を存分に演じさせ語らせたこの小説は『坊っちゃん』とあい通ずる特徴をもっている.それは溢れるような言語の湧出と歯切れのいい文体である.この豊かな小説言語の水脈を発見することで英文学者・漱石は小説家漱石となった. (解説 高橋英夫・注 斎藤恵子)
吾輩は猫である
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吾輩は猫である 改版
2003/06/08 09:57
読む前に猫を飼おう
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:穂高 嶺二(文筆業) - この投稿者のレビュー一覧を見る
この作品を読むと、漱石は猫が本当に好きだったんだなと思う。猫を飼ったことの無い人には、本当の意味でこの作品の理解は出来ないのでないだろうか? 江藤淳をはじめとして、漱石の作品の評論家は掃いて捨てるほどいるけれども、彼等・彼女等が猫を飼ったことがあるかどうかはその評論が妥当かどうかを決める重要なファクターであろう。主人公の猫が子供の寝床にもぐり込んで一所に寝ているところを、子供が「猫が来た猫が来た」、といって夜中でも何でも大きな声で泣き出して、目を覚まして飛び出して来た主人に物差しで尻ぺたを叩かれた場面など、この動物の行動がよく描かれているし、飼ってみるとそれがよく分かるのである。最後に猫が死んでしまうような終わり方になっているのが気に食わない点であるが、個人的にはきっとこの後で主人かおさんに助けられたのだろうと信じている。
吾輩は猫である 改版
2020/05/05 09:09
夏目漱石が1905年に発表した処女長編小説です!
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、夏目漱石の長編小説で、1905年に発表された処女小説です。同書は、あまりにも有名な「吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当がつかぬ」という書き出しで始まり、その出だしから読者の興味を惹きつけます。内容は、中学校の英語教師である珍野苦沙弥の家に飼われている猫である「吾輩」の視点から、珍野一家や、そこに集う彼の友人や門下の書生たち、「太平の逸民」の人間模様が風刺的で戯作的に描かれた作品です。ぜひ、夏目漱石の代表的な作品ですので、多くの方々に読んでいただきたいと思います!
吾輩は猫である 改版
2013/02/27 11:34
個人主義を笑い飛ばせ
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:コーチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
『吾輩は猫である』はこれまで何度か読んだことがあるが、最近また読み返してみた。しかし、今回ほどこれをおもしろく感じたことはない。それも文学的関心をかきたてられるという意味でのおもしろさではなく、笑いを催すおもしろさ、おかしさである。純文学を読みながら、クスクス、時にはゲラゲラと大笑いをする経験などこれまでの人生でも、なかったことである。
漱石自身がモデルらしい苦沙弥(くしゃみ)先生とその家族、珍客、隣人がくりひろげるやりとりや騒動を、猫の視点から描いたこの小説は、人間やその社会のさまざまな愚昧や欺瞞を、諧謔味に富んだ語り口で徹底的に笑い飛ばしている。実際、人間精神の醜さや愚かさほど笑いの対象として格好のものはなく、そのような笑いほど気持ちのよいものはないことをこの書は悟らせてくれる。
これが書かれたのは、日本がアジアの強国として台頭してきた日露戦争の頃、日本人のあいだにそろそろ西洋の価値観が根づいた時代である。この小説中、漱石は近代化した日本人の精神を痛烈に批判している。彼の生涯のテーマでもあった個人主義への懐疑もすでにこの時点で、はっきりうかがわれる。
「今の世は個性中心の世である...あらゆる生存者がことごとく個性を主張し出して、だれを見ても君は君、僕は僕だよと云わぬばかりの風をするようになる。ふたりの人が途中で逢えばうぬが人間なら、おれも人間だぞと心の中で喧嘩を買いながら行き違う。それだけ個人が強くなった...人から一毫も犯されまいと、強い点をあくまで固守すると同時に、せめて半毛でも人を侵してやろうと、弱いところは無理にも拡げたくなる。こうなると人と人の間に空間がなくなって、生きてるのが窮屈になる...かくのごとく人間が自業自得で苦しんで、その苦し紛れに案出した第一の方案は親子別居の制さ。日本でも山の中へ這入って見給え。一家一門ことごとく一軒のうちにごろごろしている。主張すべき個性もなく、あっても主張しないから、あれで済むのだが文明の民はたとい親子の間でもお互に我儘を張れるだけ張らなければ損になるから勢い両者の安全を保持するためには別居しなければならない。」
個性を重視し、個人のわがままを最大限に尊重せんとする西洋流の個人主義は現代においてその極端へと突き進んだ観がある。個としての自らの存在に線を引き、他者の侵入を拒み、自らも相手の領域に干渉しない態度は、結局自他の境で軋轢を生じさせ、近代日本人の精神を疲弊させた。この後発表される彼の主人公の多くが個人主義のストレスで心を病んだ人々であることを考えると、上のような文明批評が綴られた本書は、彼の文壇デビュー作という以上に、漱石文学のプロローグ的存在として意義があるのだという気がする。