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ものすごくうるさくて、ありえないほど近い
2012/01/02 15:02
混沌の中から拾い上げるという強さ
6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:muneyuki - この投稿者のレビュー一覧を見る
ニューヨークに暮らす7歳の少年、オスカー・シェル。
彼は戯言使いで、ビートルズファンで(特にリンゴの)、無神論者で、タンバリン奏者で、アマチュア科学者で、という非常に多彩かつ楽しげな雰囲気を湛えたキャラクターです。
しかし、彼は9・11によって、父親を亡くしてしまった。
彼の父親は彼に謎のカギを遺して、この世から去ってしまった。
本書において、彼はそのカギがはまるカギ穴を探すこととなります。
けれども、本書が描くのは、「わくわく少年冒険譚」ではありません。
勿論「父と子による時を超えた感動の物語」でもないし、「9・11というシチュエーションを借りたテロリズムバッシング」でもありません。
本書に描かれるのは「僕」の在り方、「世界」の在り方。
それは人生であり、人であり、性であり、生であり、死であり、詩であり、悲劇であり、喜劇であり。
『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』の物語の発端はドレスデンの空爆です。
「ドレスデンの空爆」を物語に引用した例として、僕はカート・ヴォネガットの『スローターハウス5』を思い出したのですが、本書もスローターハウスと同じく、「世界は悲劇で構成されている」という空気を感じさせます。
「ドレスデン空爆」と「9・11」には何の連関性もありません。
けれども、それは同じ世界で起きている。
9・11のテロによって殺された人達は中東地域に直接ダメージを与えた訳ではありません。
けれども、確実にアメリカはアラブ、イラン、イラクを滅茶苦茶にした。
だからといってその報復を僕は肯定する訳ではありません。
人が生きている限り、戦争は無くならない。
これは僕の哲学や思想では無く、単なる事実なのです。けれども、そうした普遍的な事実と、個人の事情には何の関わりも無い。
主人公、オスカー・シェルは一つの疑問を持ちます。「何故、パパが死ななくてはならなかったのか。」原因や因果関係の追求では無く、それは感情です。その疑問に纏わり付かれ、オスカーは街を彷徨う。
ヴィジュアル・ライティング、タイポグラフィーや図版を大量に使用し、ある種「ライトノベル」の如き様相を本書は湛えています。けれども、本書はそれらを使う事で「受けを狙う」訳では無く、より過剰に感情を訴えて来る素材として使用しているのです。
本書の一番最後に収められている、連続写真。
小説を、絵や写真を使って説明するのはある種禁じ手とも言えますが、この本に収められた様々な「禁じ手」の意味性が、一挙に最後の連続写真でグワッと開放されます。この衝撃を是非とも味わって欲しい。
「9・11」という歴史的な事件は、僕ら日本人にとって悲劇では無く「海外ニュースの一つ」でしか無かった。けれども、日本にも「3・11」という巨大な衝撃が与えられた今、本書に込められたこの感覚、同じ世界で全てが起きている、起きていることが全て自分にとっても起きていることである、という感覚が共有しやすくなったのではないかと思います。
けれども、ただ、それらが全て悲劇であることは当たり前のことです。
そうでは無くて、それらはヨハン・シュトラウスであり、ピカソであり、おまんこであり、丘であり、性であり、生であり、死であり、詩なのです。全てはものすごくうるさく訴えかけて来て、ありえないほど近くで起きている。
悲劇によって構成される世界から、如何に喜劇を拾い上げて来れるか、如何に喜劇に再構成していけるか、それがオスカーの、人間の強さであり、尊さだということ。それを本書は切実に描いています。
ものすごくうるさくて、ありえないほど近い
2012/01/08 11:27
「9・11」以降の世界を生きるということ
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Yosh - この投稿者のレビュー一覧を見る
ニューヨークに暮す9歳の少年オスカーは、9・11テロで父を亡くし母と二人暮らし。偶然、父の遺品の中に謎の鍵を見つけた彼は、この鍵に合う「鍵穴」を見つけるべく、ニューヨークのアパートを訪れ始めるのだが――。
2002年のデビュー作“Everything Is Illuminated”(『エブリシング・イズ・イルミネイテッド』ソニー・マガジンズ、2004年)で一躍脚光を浴びたJonathan Safran Foer待望の第2作。前作は、ウクライナでルーツ探しをする米人青年の珍道中をオフビートのユーモア感覚で巧みに描いていて面白かったが、本作ではその語り口の巧さはますます冴え、「鍵穴を探すオスカーの物語」「オスカーの祖父から息子(=オスカーの父)への手紙」「祖母からオスカーへの手紙」――この三つの物語と時空間が、並行して進んでいく。作品主題としては、理不尽かつ無慈悲に人間を翻弄する歴史(の悲劇)ということになるだろうが、それをことさら厳めしく深刻に描くのではなく、さりげなくさらりと語っていくのがフォアの真骨頂である。三つの話しは各々語り口をがらりと変えている事に加え、視覚的仕掛けも相当手が込んでいる(タイポグラフィーや写真がふんだんに挿入される)。とはいえ、実験的過ぎて難解頭でっかちになることはなく、いい意味での軽みを失わない。
主人公オスカーの語りを現代版『ライ麦畑』に準える批評も多いが、確かに、他者とコミュニケーションが上手く取れず一人称で饒舌に語るオスカーは、もしホールデンが9・11以後のニューヨークに暮していればこんな風かも、というイメージにぴったり合う。しかしフォアは――21世紀に「9・11」以降を生きる人間として――サリンジャー以上に現代世界に生きる代償としての苦痛・過酷さを抱え、それを作品世界に投影することを余儀なくされる。或る意味、自分なりのやり方でイノセンスを求めていたホールデンが存在していた時代は、まだ大らかで幸せだったのだ。
KYで他者とコミュニケーションを取れないオスカーは、鍵穴を探し続けた結果、自分が用いるべき言葉を回復する。第二次大戦のドレスデン爆撃とヒロシマ原爆投下、9・11という「大きな物語」を背景に、オスカーや祖父母の「私の物語」をピンポイント的に描くことで、歴史が観念的なものでなく血肉化され、生き生きした形で読者に提示されていく様は見事である。
近年のアメリカ文学の大きな収穫と言える秀作。
ものすごくうるさくて、ありえないほど近い
2011/10/28 21:54
ドレスデン、広島、WTC、そして東日本大震災…。それでも人々は震える足で大地に立つ。
7人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yukkiebeer - この投稿者のレビュー一覧を見る
ニューヨークに暮らす9歳の少年オスカーは、父の遺品の中から鍵をひとつ見つける。それが入った封筒にはひとこと「ブラック」と書かれていた。ブラックという名の人物がこの鍵の秘密を知っているに違いない。
オスカーはニューヨーク中のブラックさんを訪ねて歩き始めるのだが…。
2005年に発表されたアメリカの現代小説です。
父が働いていたのはあの世界貿易センタービル。そう、これは9・11テロの犠牲者の遺族であるオスカー少年と母、そして祖母と祖父の物語です。
描かれるのは21世紀初頭の9・11テロのみならず、第二次世界大戦中のドレスデン大爆撃、そして広島原爆投下。巨大な力によって一瞬のうちに計り知れない数の命が失われた人類史へのレクイエムとなる小説といえるでしょう。
行間のスペースの大きさを場面によって巧みに変えてみたり、言葉をところどころ抜いてみたり、はたまた黒くぬりつぶしたり、句読点の打ち方の誤りを校閲した朱筆の跡を残したり、写真をパラパラ漫画風にレイアウトしてみたりと、著者は視覚的な企みを随所に配していて、なんとも独特の構成になっています。
しかしもちろん、そうした見た目の奇矯さがこの本の眼目ではありません。
ちょっと大人びたオスカー少年はわずか9歳でもはや生きることにちょっと倦(う)んでしまっています。
「人生というのは苦労してまで生きる値打ちがあるんだろうかと考えた。それだけの値打ちがあるものにしているのは、正確にいって何なんだろう?ずっと死んだままになって、何も感じないで、夢も見ないでいるのは、何がそんなにこわいんだろう?感じたり夢を見たりするのは、何がそんなにすばらしいんだろう?」(186頁)
幼い彼にそんな思いを抱かせてしまうほど世界は絶望に満ちているのでしょうか。
しかし物語は、オスカー少年が少し突飛な行動に走りながらも生きることをあきらめずにいそうな兆しを見せるのです。そのために彼が寄る辺(べ)と頼むのは、家族です。
厭世的に生きて来た祖父との予期せぬ邂逅も、この物語の重要なアクセントとなっています。
コミカルで切なく、物悲しくも明るい、抜群の物語がここに紡がれているのです。
9・11の十周年にあたる年に日本語版が出版されたというのは確かにひとつの意味を持ちますが、それよりなにより、3・11を経た今、これは多くの日本人読者にとって---当初作者が意図しなかったはずの---大きな意味合いを持つ物語へと相貌を変えたように思えてなりません。
この物語が日本の多くのオスカー少年たちに、“キミたちが生きることをあきらめずに済む社会は確かにある”というメッセージを伝えるための、ひとつのよすがとなってくれることを願ってやみません。