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ピダハン――「言語本能」を超える文化と世界観
著者 ダニエル・L・エヴェレット(著) , 屋代通子(訳)
著者のピダハン研究を、認知科学者S・ピンカーは「パーティーに投げ込まれた爆弾」と評した。ピダハンはアマゾンの奥地に暮らす少数民族。400人を割るという彼らの文化が、チョムスキー以来の言語学のパラダイムである「言語本能」論を揺るがす論争を巻き起こしたという。
本書はピダハンの言語とユニークな認知世界を描きだす科学ノンフィクション。それを30年がかりで調べた著者自身の奮闘ぶりも交え、ユーモアたっぷりに語られる。驚きあり笑いありで読み進むうち、私たち自身に巣食う西欧的な普遍幻想が根底から崩れはじめる。
とにかく驚きは言語だけではないのだ。ピダハンの文化には「右と左」や、数の概念、色の名前さえも存在しない。神も、創世神話もない。この文化が何百年にもわたって文明の影響に抵抗できた理由、そしてピダハンの生活と言語の特徴すべての源でもある、彼らの堅固な哲学とは……?
著者はもともと福音派の献身的な伝道師としてピダハンの村に赴いた。それがピダハンの世界観に衝撃を受け、逆に無神論へと導かれてしまう。ピダハンを知ってから言語学者としても主流のアプローチとは袂を分かち、本書でも普遍文法への批判を正面から展開している。
ピダハン――「言語本能」を超える文化と世界観
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ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観
2024/06/06 14:51
究極の現在思考
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投稿者:ブラウン - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトル通り言語学を軸にした書籍だが、それよりもピダハンの文化に目を引かれる。……いや、それだと語弊がある。通読してもらえればご理解いただけるだろうが、アマゾンのごく限られたエリアで暮らすピダハンにおいては「文化と言語は不可分」であることが顕著なため、言語に文化が表れていると言えるし、文化を知れば自ずと言語感覚に触れることになるだろう。しかし、私はとにかくピダハンの文化に惹かれた。
豊かだが、獣や病がすぐ近くにある環境で暮らすピダハン。その関心は視界の限り、実際の出来事のみに注がれている。道具は手入れせず常にその場しのぎ。保存食を作らず獲ったらその分だけ腹に詰める。外界から持ち込まれた技術はちょっとやそっとじゃ受け入れない。たとえそれが生命にかかわることであってもだ。万一、死にかけた赤子が外界の医療で息を吹き返しても、徒に死の苦しみを長引かせているとして楽にさせてしまうほど。そこには、頑固なまでの強さの崇拝(これまた語弊があるが、今の私にはそうとしか言い表せない)と、今この瞬間が大事という刹那主義、狭い世界で充分幸せだという精神を感じる。
果たして私たちは彼らほど現在を享受できているだろうか。明日を悩み、過去を悔やみ、今日やるべきことすら覚束ない。果ては、自分と社会システムを繋げる糸のずっと先で起こる政治劇や、会ったこともない男女の痴話喧嘩に右往左往する始末。ピダハンには先端技術の恩恵がない代わりに、その悩みが一切ない。
著者は、ピダハンが世界一笑う時間の長い人たちだと断言する。彼らの暮らしと私たちの暮らしはもちろん一長一短あるが、偏り過ぎたバランスで現代病が生まれたとしたら、彼らの哲学が何か役に立つのではないだろうか。