神々の山嶺 上
著者 夢枕獏 (著)
カトマンドゥの裏町の古道具屋でカメラマン・深町は時代物のコダックのカメラを入手した。そのカメラは、英国の伝説的な登山家マロリーが本当にエベレストの初登頂に成功したかどうか...
神々の山嶺 上
商品説明
カトマンドゥの裏町の古道具屋でカメラマン・深町は時代物のコダックのカメラを入手した。そのカメラは、英国の伝説的な登山家マロリーが本当にエベレストの初登頂に成功したかどうかという、登山史上最大の謎を解く可能性を秘めていた。カメラの謎を追う深町と、厳冬期に単独でエベレストに挑もうとする登山家・羽生丈二が現地で出会った…
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情熱とは何か
2006/05/06 16:37
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:吉田照彦 - この投稿者のレビュー一覧を見る
情熱とはいったい何だろうか。
明治時代、文豪の二葉亭四迷は英語の”I love you.”に「私は死んでもいい」という訳語を当てた。仮に、誰かを愛することもまたひとつの情熱であるとすれば、情熱とは、自分がこれと思うもののためには死んでも構わないというほどの強い気持ちを指すといえるのかもしれない。
強い情熱は猛烈な感染力を持つ。誰かの燃えるような情熱は、それに共感する人びとの心に火をつける。火のついた心は、感動という心の動きだけに留まらず、ときに、その人の人生そのものをさえ左右してしまう。ナイチンゲールが戦地における傷病兵の看護に傾けた情熱は多くの心優しき女性たちを看護の道に志させ、また有名なスポーツ選手の競技に賭ける情熱が多くの少年たちをその道に志させてきた。
しかし一方で、そうして感染した情熱は、元の持ち主のそれとは異質のもののように僕には思える。いうなれば、それは狂熱とも呼ぶべきものだ。
情熱と狂熱の違いについて、僕はこのように考える。情熱とは、人とある対象とが直接的・個別的に結びついて成り立つ関係であろう。例えばキリスト信仰において、神と人とが直接的・個別的に結びつくように。一方狂熱とは、他人の情熱を媒介にして成り立つ関係であろう。情熱の対象ではなく、情熱を持つ人との間に結ばれる関係、人そのものに対する情熱、それが狂熱なのではないか。
では情熱は狂熱しか生まないのか。それも違うと思う。情熱は確かに次の情熱を生む。しかしそのときそこには、新たに情熱を持った人とその対象との間に、新しい直接契約関係が成立している。他人の情熱を媒介して対象と結びつくのではなく、その人が直接その対象と関係を結ぶのだ。偉大な情熱家に感化され、自らも立派な志を遂げる人たちの持つ情熱はそのようなものだと僕は考える。
テレビのスポーツ中継などで「感動をありがとう」という言葉を聞くたび、何を馬鹿なと僕は思う。選手たちの競技に賭けるひたむきな情熱が人びとを感動させるとでもいいたいのだろうが、それは情熱に対する感動ではなく、単なる狂熱だ。情熱が人とその対象との直接的・個別的な結びつきである以上、同じ情熱を他人が共有することはできない。情熱とは本来、神聖不可侵なものなのだと思う。巷で安っぽく口にされる愛なんてものがそこら辺に転がっているものではないように、情熱もまた、安っぽく人びとに配って回られるものでもない。その人の賭ける情熱はその人だけのものだ。
しかし、そうした情熱とは無縁の僕らにも、誰かの情熱を通して何かが見えることがある。原稿用紙1、700枚に込められた本書の著者の情熱は、主人公の羽生という男が独りエベレストの絶壁に取りつく姿を確かに僕に見せてくれたように感じる。情熱とは、そんな夢を見せてくれるものであるのかもしれない。そんな気がした。
登り続ける
2004/03/24 16:00
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オチノツボ - この投稿者のレビュー一覧を見る
大学4回生の冬、私はこの小説を読んだ。この小説はいわゆる山の話である。
「エヴェレスト南西壁冬季無酸素単独登頂」
作中、何度も繰り返される言葉である。世界最高峰であるエヴェレストの南西壁を冬季に酸素を使わず、しかも単独行で登る。この誰もが成し遂げていない極めて無謀な行為にとりつかれた天才クライマーの羽生、そして、その彼に偶然出会い、その姿に魅せられ彼を追いかけるカメラマンの深町を軸として物語は進む。
目的の為に羽生は己の全てを犠牲にしていく。その姿は狂気さえおびている。読み進める内に「なぜそこまでして?」という疑問が当然のように湧いてくる。それに対し羽生はこう答える。
「ここに、おれがいるからだ。」
シンプルな答えである。そして、そのシンプルゆえに、この言葉は私の心に深く突き刺さった。当時の私は、依然として社会に出ることにとまどっており、これから何をすれば良いか、これから何ができるかといったことを延々と自問自答していたからである。その迷いが吹っ切れた。その感触は今も、この胸にある。そして、なおも私を鼓舞してくれている。
気付かせてくれた小説。
私はこの小説をこう評したい。
そして、感謝したい。
そこに山があるから
2002/06/17 11:50
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:奥原 朝之 - この投稿者のレビュー一覧を見る
エベレスト登山史上最大の謎はイギリス隊のマロリーが登頂したかどうか(以下、マロリーの謎と記す)らしい。その当時はエベレスト登頂に成功したものはまだいなかったために、マロリーが登頂していれば世界初の快挙だったのだが、マロリーは帰ってこなかった。
マロリーはカメラを携えて登頂したという記録が残っている。そのカメラが見つかればマロリーの謎が解明されると山登りに興味のある人間のほとんどが思っているらしい。らしいというのは私自身が山登りをしないし、大して興味も持っていないためで、マロリーという人物、マロリーが登頂に成功したかどうかという謎すら本書を読んで初めて知ったからである。
しかしカメラはまだみつかっていない。作者はマロリーの謎とマロリーのカメラを出発点として、不器用な男の物語を見事に描いている。
最初はマロリーのカメラに収められているであろうフィルムをめぐって、マロリーの謎を解明していく話かと思ったがそうではない。マロリーの話しは単なる味付けであり、出発点である。
生くるに不器用な男、羽生丈二。純粋であるが仲間から孤立していく男、羽生丈二。不器用であるが故に生きる目的を山にしか見出せなかった男、羽生丈二。
そんな男をまっすぐに見据えて、深町というカメラマンの目を通して描いた、不器用な男の生き様を描いたドラマである。
そこにそれがあるから
2005/02/14 22:41
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:乱蔵 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本には、確かに「生きる」ということがある。
精神的・肉体的に限界に近かった先週、仕事に行くことができたのは、間違いなくこの本のおかげだ。
朝の電車の中で気持ちをささえてくれ、夜の電車の中で疲れきった体に精気を補充してくれた。
仕事の悩みから人生について思い悩み、この物語を読みたくなった。
そしてこの物語はまさに何かを私に注いでくれた。
何かを問うている時に人はこの物語を読むのかもしれない。
この物語を読む誰もが深町となり、そして羽生に自分を重ねる。
そして遥かなる頂に、自分の中の何かを視たはずだ。
ずっとこの物語を読んでいたい。まだ読み終りたくないよお。
きっと獏ちゃんもこの物語を描きながら、いつまでも描き続けたいと思ったはずだ。
20年近く獏ちゃんの物語を好きだ好きだと言い続けてきたけど、獏ちゃんの思いとここまでシンクロしたのって初めてかも。
さあ、次は下巻。下巻ではエベレストへの登山のシーンがねちねちと描かれていく。早く結末を読みたい気持ちと、まだ読み続けてたい思い。この思いは、今週中には終ってしまう。
面白い!
2016/04/24 22:12
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:maxelchan - この投稿者のレビュー一覧を見る
山に興味がなかったため、エベレスト登頂に人類がどれほど国の威信や個人の夢を掛け挑んできたのか全く知らない状態で読み始めた。主人公かたまたま一つの古いカメラを見つけるとで始まる物語ー。このカメラが後に世界中をアッと言わせることになる。上巻は登山よりはミステリー色の濃い展開だがまたそれがたまらなく面白い。続きが楽しみでたまらない一冊。
山にとりつかれた男たち
2016/04/13 14:42
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投稿者:つよし - この投稿者のレビュー一覧を見る
世界最高峰に単独で挑む男たちの情熱、孤高、執念を描いた作品。イギリス人登山家、ジョージ・マロリーの遭難を巡る史実やミステリーを重ね合わせている点が面白い。映画を見てから文庫を購入したが、当然ながら、映画よりも羽生と深町、岸、アンツェリンらの関係が丁寧に描かれている。登山の描写は細密で、エベレストの空気や深町たちの息づかいが伝わってくるよう。惜しむらくは、深町の自己内対話がくどいこと。ポエム風というか、同じ事を何度も言い替え、たたみかける表現が続き、やや間延びしてしまう。後書きの夢枕獏の自画自賛も蛇足だった。
レビュー
2015/12/28 07:14
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投稿者:しゃお - この投稿者のレビュー一覧を見る
正直、夢枕氏の著作は陰陽師しかしらなかった。
来春映画化されると聞き、読んでみた。
一言で言えば、挑戦の物語。
深町にとっても、羽生にとっても、その他どんな人にとっても。
彼らの生き方に全面的に共感できるとは決して言えないが、なぜか応援したくなる。
祈りとしての登山
2001/09/12 20:17
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投稿者:よんひゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
心の中にひりひりするものを抱えた男たちの物語。ひんぱんな改行といういつもの夢枕獏の特徴は備えているものの、独特の擬音語、擬態語は影をひそめていて、それだけにストイックな雰囲気がよく出ている。神に祈るために自分の曲芸を捧げる、という話があるが、山に登るという行為も、そのような文脈で語られる。だが、その神は、一般的な信仰の対象としての神ではなく、「生きる」ことそのもののような。