商品説明
劉家の妖物が歌った詩は李白の「清平調詞」であり、時代を遡ること約六〇年前、玄宗皇帝の前で楊貴妃の美しさを讃えるために歌われたものである――。それを空海に示唆したのは、白居易という役人であった。一連の怪事は、安禄山の乱における楊貴妃の悲劇の死に端を発する。そう看破した空海は、貴妃の墓所がある馬嵬駅に赴き、その墓を暴くことを決意する。墓前には、白居易――のちの大詩人・白楽天がいた。白は空海に、詩作の悩みを打ち明けるのであった……。
著者紹介
夢枕獏 (著)
- 略歴
- 1951年神奈川県生まれ。東海大学文学部日本文学科卒業。77年「カエルの死」でデビュー。「上弦の月を喰べる獅子」で日本SF大賞を、「神々の山嶺」で柴田錬三郎賞を受賞。
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紙の本
正直、巻ノ1では、また陰陽師の中国版かと思ったものである。ところが、この巻になって語り口や視点が司馬遼太郎になってしまったのである。凄い変化である
2004/09/19 20:40
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
今、この本について書くのが正解か、といわれると正直、自信が無い。伝奇小説は、完成度よりも着想の面白さで勝負、みたいなところがあって、あの半村良ですら、一つの話が最初から最後まで傑作という作品となれば、全著作の1/4にも満たない。そう考えると、全4巻の半分で、何を語るのか、ということになる。
でだ、そういう躊躇いを覚えさせるような展開なのだ。巻ノ一を読み始めて、すぐ思うのである。これは、要するに陰陽師の唐国版ではないかと。空海が安陪清明、橘逸勢が源博雅ではないのかと。清明は延喜21年(921年)〜寛弘2年(1005年)の人だから、この小説とは100年以上のずれがあるけれど、唐にも行っているし、そのころの時間の流れ方からいっても、同時代感覚で読んで、間違いとはいえないだろう。二人の年齢、語り口、あまりに似ているのである。私の巻ノ一に対する印象は、まさにそれである。
その話の流れ自体は、巻ノ二でも大きくは変わらない。カバーの紹介文は
「劉家の妖物が歌った詩が、李白の「清平調詞」であり、それはこの時代を遡ること約六〇年前、玄宗皇帝の前で、楊貴妃を讃えるために謳いあげられたものである。それを空海に示唆したのは、白居易という役人であった。当時、李白はこれをきっかけに玄宗の寵遇を得たが、それを妬んだ宦官の高力士の讒言により、後に長安を追われることとなったという。それを知った空海は、楊貴妃の墓所がある、馬嵬駅に赴く。
劉家と綿畑の怪は、安禄山の乱における楊貴妃の悲劇の死にたんを発すると喝破した空海は、楊貴妃の墓を暴くことを決意する。墓の前で、空海は白居易 のちの大詩人・白楽天と初対面する。白は、詩作の悩みを、空海に打ち明けるのだった……。」である。
構成は第十二章「宴」、第十三章「馬嵬駅」、第十四章「柳宗元」、第十五章「呪俑」、第十六章「晁衡」、第十七章「兜率宮」、第十八章「牡丹」、第十九章「拝火教」、第二十章「道士」、第二十一章「ドゥルジ尊師」、第二十二章「安部仲麻呂」となる。
しかし、巻ノ二になって連想するのは、司馬遼太郎なのである。神の視点といわれる司馬の、世界史全体を見渡すような見方が随所に顔をだす。しかもだ、何故だか語り口まで似ているのである。なにも司馬に『空海の背景』があるから、という短絡ではない。ぜひ、読み比べて欲しい。押し付けがましさのない、大きな視野。清濁併せ呑むような包容力。まさに、大唐帝国、その首都長安を描くにふさわしい文章なのである。
内容は、カバー紹介で十分だろう。面白いので、小説の時代の登場人物の年齢を書くと、空海32歳。日本書道史上で空海、嵯峨天皇と並んで三筆と呼ばれる相棒の橘逸勢の年齢は書かれていない。気になって調べたら生年が不明だということなので、獏は慎重を期したのだろう。同じく空海に雇われることになる天竺の言葉梵語をしゃべることができる大猴も年齢不詳である。他に、後の白楽天こと白居易34歳、柳宗元が33歳である。
一方、この話に重要な関係を持つ過去の人間に安部仲麻呂がいる。七〇一年生まれの彼が遣唐使として17歳で唐の国に渡り、43歳の時、自身と同い年の李白と出会う、その時、玄宗皇帝59歳、楊貴妃25歳。安禄山の乱はそれから13年後、楊貴妃はその時に死ぬのである。
読者が出会うのは、当時の巨大都市長安の人口百万、人種の坩堝といわれる賑わい、科挙による外国人の登用などにみる世界都市の威容、道教、仏教、密教、景教、拝火教、マニ教といった宗教面での豊穣。そこで20年かかるところを僅か二年で密を盗もうとする若き空海、それに絡む青龍寺の恵果和尚、丹翁という方士となる。これは世界を描く小説である。
紙の本
コメント力、質問力にすぐれ、国際人の先駆けとしての空海の新たな魅力が語られる巻の二、権謀渦巻く長安で繰り広げられる大妖術合戦に日本と中国の歴史上の人物が関わり興味深い展開です。
2005/01/10 12:20
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:まざあぐうす - この投稿者のレビュー一覧を見る
西暦804年遣唐使の一員、留学僧として長安に渡った空海は、同行した友人の橘逸勢とともに、唐の役人・劉雲樵の屋敷に憑依している猫の妖物の謎を解くことに関わってゆきます。一連の怪異は、玄宗皇帝と楊貴妃の悲恋に端を発していることを喝破した空海は、大胆にも馬嵬駅にある楊貴妃の墓を暴くことを決意します。そして、唐の国家を揺るがすほどの大事件に巻き込まれることに…。
巻き込まれることに…という言葉は適切ではないかもしれません。友人の逸勢は、「不思議な男よ」空海に向かって何度も言いますが、それは、「魅力的な男よ」という意味だったのではないかと思われます。
希代の詩人・白楽天、孤高の文人・柳宗元と部下であり文人である韓愈、長安の役人・張彦高、ペルシアの商人・マハメット、道士の丹翁、妓生の玉蓮と麗香、空海の家来で天竺生まれの大猴…空海と出会ったあらゆる人々が皆、空海との会話に魅了されるかのように怪異の謎を説くことに関わってゆきます。空海の魅力のひとつは、今風に表現するならば優れた「コメント力」、「質問力」にあったのではないでしょうか。
当時の巨大都市長安、そこは、倭国、朝鮮、吐蕃などアジアの国々から、遠くは波斯、大食、天竺の人間までを受け入れる大きな器でもありました。道教、仏教、密教、景教、拝火教、マニ教…儒教以外の宗教にも寛容な都市。人口の百分の一が外国人であった当時の唐の国では、科挙による外国人の登用制度もありました。
国際都市の先駆けであった長安で、唐の言葉を巧みにこなし、大猴から天竺の言葉も学び、バイリンガルならぬトリリンガルとなる空海、密教を学ぶかたわら、他の宗教も学び、本質を掴む空海…空海の魅力は、「国際人」としての資質にも感じられます。
綿畑で謎の声を聴いたという徐文強の畑で、一連の怪異との関連を感じた空海は、徐文強の綿畑を掘り起こすことにしました。巨漢の大猴の力をもってしても苦しい作業です。そこで空海が指示を出すと、作業が倍の効率で進み始めました。
「空海よ、おまえ、妙な才能があるのだな」という逸勢、その妙な才能は後年日本に帰国してから満濃池の築堤工事を完成させることに見事に発揮されています。僧でありながら、土木工事の才能を持ち合わせていた空海像は、史実的にも確かなものであったのでしょう。
コメント力、質問力にすぐれ、国際人の先駆けとしての空海が、権謀渦巻く長安で繰り広げられる大妖術合戦の中でどのような活躍を見せるのでしょうか。その謎解きの展開は行きつ戻りつですが、それも、また伝奇小説としての面白さでしょう。怪異の謎解きに阿倍仲麻呂の文が一役買います。日本と中国の歴史が交錯しながら展開する歴史物語、そして、伝奇小説として、巻の三が楽しみです。
紙の本
夢幻の如くなり
2004/09/07 22:23
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:乱蔵 - この投稿者のレビュー一覧を見る
最初は、空海を主人公とした物語かと思ってたけど、
本当は「長恨歌」を描きたくて書かれた物語なのではないか。
獏ちゃんが書き、玉三郎が舞った「楊貴妃」。
これはもちろん「長恨歌」をモチーフにしたものです。
「楊貴妃」の小説版が「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」なのかもしれない。
空海を描くためにそれにふさわしい物語。空海の個性、スケールのでかさに負けない物語。それが「長恨歌」だったのか。
それとも「長恨歌」を描くために空海が必要だったのか。
玄宗皇帝と楊貴妃の妖しくも美しい物語。
多くの人々を苦しめても、なお美しい物語。
多くの血が流されても、なお美しい物語。
権力をほしいままにし、欲望の限りをつくし、そしてそれが戦乱を招いても、なお美しい物語。
多くの無辜の民を苦しめても、なお美しい物語。
その結果唐という一つの国家を滅亡させても、なお美しく哀しい物語。
愛と憎しみと哀しみと滅びの物語。
それが「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」。
紙の本
小説なのに
2021/12/31 13:45
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ペンギン - この投稿者のレビュー一覧を見る
途中で歴史の話になる。突然、現代にタイムスリップして事実と非事実が混ざっている渦の中を覗いているみたいな感じがする。
日本の楊貴妃伝説が白居易の長恨歌を踏まえているってことは、それだけこの詩が大きな影響力を持っていたってことで、作者としてはフィクションの力の大きさを言いたかったんだろう。不思議な小説だ。