恒久平和はいかに実現されるべきか
2009/03/28 10:54
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:コーチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
本巻では引き続き、地中海を暴れまわるイスラムの海賊とヨーロッパのキリスト教国との攻防が描かれる。
ときは15世紀、暗黒の中世が終わり、ヨーロッパも次第に強大化してゆく。しかし、海賊被害は減るどころか増える一方であった。その主な原因は、ビザンツ帝国を滅ぼし、西方への勢力拡大を狙うオスマン帝国が、海賊をヨーロッパかく乱の道具として利用したためである。
その後の地中海の平和は、キリスト教徒VS海賊+オスマン帝国の間の力関係によって左右される。キリスト教側が、海賊とそのバックにあるオスマン帝国に打撃をあたえれば、それに比例して罪なき民衆への拉致や略奪は減り、負ければ逆に、これらの被害が増大し、地中海はますます無法地帯となった。
キリスト教側の政治的利害や打算もまた、海賊をのさばらせる原因となった。当時成長しつつあった君主同士の、あるいは君主と教会との対立は、オスマンや海賊との妥協、同盟を生み、海賊の首領ハイルディーン(通称「赤ひげ」)を国賓として招待するフランス王フランソワ1世のような恥知らずな人物も現れる。「海の狼」と呼ばれた海賊退治の名将アンドレア・ドーリアも、常に相手を圧倒しつつ、彼らを撲滅する決定打をあたえなかった。もしかしたらそれは彼らがいなくなっては職を失うという彼自身の計算にもとづいての行動かもしれないとは、作者の皮肉まじりの分析である。
逆に純粋に宗教的な熱情だけで結集し、オスマンの大艦隊の襲撃をわずかな兵力ではね返したラ・ヴァレッテ率いるマルタ騎士団の勇姿は、感動的である。戦いを伝える本書の記述にも迫力があり、海賊の親玉ドラグーが騎士団の打った弾に当たり絶命する場面など、痛快でさえある。この1565年のマルタ島攻防戦は、後のイスラムに対するヨーロッパ世界の反撃の口火を切る重大な戦いとなり、数年後のレパントの海戦では、ヨーロッパ連合軍はオスマン帝国を負かし、地中海の制海権は完全にキリスト教徒のものとなった。
しかしながら、キリスト教徒の英雄となったマルタ騎士団も、普段は一般のイスラム船から略奪をし、イスラム教徒と融和したヴェネツィア船にも攻撃をしかけるなど、敵と変わらぬ海賊行為を行っていた。地中海の制海権をめぐる争いは、正義や公正の観念よりむしろ不寛容な復讐の原理にもとづいたものだったのかもしれない。その後も海賊行為は続き、完全にそれが地中海から消えるのは、19世紀も半ばになってからであった。
このような問題を考えるうえで、ローマ亡き後の地中海の何百年にもおよぶ悲惨を記した本書の最後に添えられた「附録1」という文章は、暗示的である。それはローマ帝国、ヴェネツィア共和国、スペイン王国それぞれが行った海賊対策とそれによって有効となった平和の期間について伝えている。ローマは、海賊を退治しただけでなく、彼らを海賊業から足を洗わせ、内陸部に移住させ農耕の民に変えた。それによる平和は600年続いた。ヴェネツィアも、海賊を撃退すると同時に、彼らを船の漕ぎ手や修理工として雇うことにより、自国の共同体に組み入れて行った。それによる平和はアドリア海という自国の貿易に関わる地域に限られるものの、800年続いた。スペインは、北アフリカの海賊の本拠地を占領し、そこに砦を築いた。しかし、付近の海賊被害はまったく減らなかった。したがって、海賊対策の有効期間はほとんどなし。
たがいの利害を調整しながら敵との共存・共生を実現したローマ人やヴェネツィア人の現実主義は、恒久的平和がいかに実現されるべきかについて、大きな教訓をあたえてくれるものかもしれない。
スペイン王カルロスの、人の命をゲーム感覚でしか捉えられない無神経さには本当に苛々します。これが政治というなら、今の自民党政治と何にも変わりません。パワーゲーム?子供の遊びとおんなじじゃない・・・
2009/07/03 20:25
5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
読んでいて苛々してしまうのは、「第五章 パワーゲームの世紀」におけるアンドレア・ドーリアの動きであり、ドーリアをしてあえて敗戦の道を選ぶことをさせたスペイン王カルロスの、人の命をゲーム感覚でしか捉えられない無神経さなのですが、実はこれこそが政治でありパワーゲームであることを知ると、やはり政治家と軍人だけはなるものじゃあない、と思います。
それでも、インカ帝国を滅ぼしたコルテスを例にひきながら、最後まで英国のような世界戦略を持ちえなかったこのスペイン人の動きを自己中心的な民族性ゆえと断じれば、ああ、そうかと得心が行きます。それに比べてヴェネツィアの視野の広さ。でも、その視野をもっていても大国の思惑に左右されてしまう国そのものの規模の差、そういうこともよくわかります。
この時代のスペインは、ヨーロッパ一の強国であっただけでなく、新大陸までも支配下に収め、軍事面に留まらず経済面でも超がつく大国であったのだ。
「パクス・ロマーナ」とは「ローマによる世界秩序の確立」だが、この時代、「スペインによる世界秩序の確立」が成り立ったとしても不思議ではなかった。スペインは、大植民地帝国にはなった。だが、「パクス・ブリタニカ」になる以前に、「パクス・ヒスパニカ」の時代は訪れなかったのだ。その要因の第一は、近視眼的、とするしかないスペイン人の政治感覚、にあったのではないかと思う。つまり、自分たち以外の他の民族を活用する才能に欠けていた、ということである。インカ帝国を滅ぼしたのもスペイン人だった。
と、まさに一刀両断。
そして、ちょっと楽しいのが数多く掲載されている当時の君主たちの肖像画で、65頁(215頁とも)のアンドレ・ドーリアのそれがピカイチだと思う私は図版出典一覧をチェックして、それがドーリア・パンフィーリ美術館(ローマ/イタリア)セバスティアーノ・デル・ピオンボ画 Bridgeman Art Library,London、とあって、このにある「ドーリア・パンフィーリ」はアンドレ・ドーリアと関係があるのだろうかと思ってしまいます。
それと59頁(97頁とも)のジュリオ・デ・メディチとレオーネ十世の画のただならぬ雰囲気、それも図版出典一覧でチェック。げげ、けの鬼太郎、ウフィッツィ美術館(フィレンツェ/イタリア)ラファエッロ画 AKG-images、だそうです。ラファエロか、でも私にはセバスティアーノの筆の現代性に軍配をあげましょう。
現代的、ということでいえば183頁の法王パオロ三世がいい、と思ったらやはりティツィアーノですか。国立カポディモンテ美術館 Alinari Archives,Firenze 、これなら当時の肖像画の多くが彼の手になる、というのも肯けます。133頁のジュリア・ゴンガーザの肖像は、画の出来というよりは彼女の美女ぶりを伝えるので注目。ウフィッツィ美術館、セバスティアーノ・デル・ピオンボ画 Scala Archives,Firenze。
それとこの本では、巻末に附録二 関連する既刊書として、塩野自身の著作の一部が、簡単なコメントととともに掲載されていますが、この本を読む限りは塩野には旧作にはほとんど手直しするところがない、と思っている気配があって、小説であればともかく歴史にかんする本で20年以上も前の作品なのに、その姿勢って偉いなあ、って思います。
基本的には『海の都の物語』、『コンスタンティノープルの陥落』『ロードス島攻防記』『レパントの海戦』三部作とともに読まれるべきなんだろうなあ、って思います。ヴェネツィアの視点から見た地中海世界と、地中海世界の真中からイスラム世界、スペイン、フランス、イギリス、ローマ、ジェノヴァなどを見れば、確かにその時代の相がいっそうはっきりと見えて来ます。
詰まらないことで気になったのが、第六章 反撃の時代の291頁の図版。右の人物は「ヴァレッタ」と表記されていますが、本文ではジャン・ド・ラ・ヴァレッテ・パリゾンで、ヴァレッテと書かれることはあっても、ヴァレッタとは一度としてかかれません。ギョエーテは俺のことかとゲーテいい、です。
以下はデータ篇。
第四章 並び立つ大国の時代
コンスタンティノープルの陥落/読者へのお願い
スルタン・マホメッド二世/エーゲ海へ/海賊・新時代
法王庁海軍/イオニア海へ/西地中海へ
海賊クルトゴル/法王メディチ/「神聖同盟」
パオロ・ヴェットーリ/ジェノヴァの海の男たち
第五章 パワーゲームの世紀
若き権力者たち/法王クレメンテ/「ユダヤ人シナム」
海賊「赤ひげ」/アンドレア・ドーリア
赤ひげ、トルコ海軍総司令官に/チュニス攻略
フランソワとカルロス/フランス・トルコ同盟
対トルコ・連合艦隊/プレヴェザの海戦/海賊ドラグー
アルジェ遠征/ヴェネツィアの「インテリジェンス」
国賓になった赤ひげ/海賊の息子/ドラグー、復帰
マルタ騎士団/「ジェルバの虐殺」/海賊産業
海賊ウルグ・アリ/聖ステファノ騎士団
第六章 反撃の時代
マルタ島攻防記/「マルタの鷹」/攻防始まる
ドラグー、到着/眼には眼を/防衛成功
トルコとヴェネツィア/キプロスの葡萄酒
レパントへの道/キプロス攻防/連合艦隊結成
「レパントの海戦」/「レパント」以後
第七章 地中海から大西洋へ
ハレムのヴェネツィア女/騎士と海賊
地中海世界の夕暮
附録一 民族によって異なる海賊対策
附録二 関連する既刊書
年表
参考文献 図版出典一覧
カバー ローマ時代の遺跡の向こうに広がる夏の地中海(北アフリカ・リビアのレプティス・マーニャから)撮影 青木登(新潮社写真部)
装幀 新潮社装幀室
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上巻だけでは不足なので下巻。すぐ出たこともプラスに評価したい。歴史を見ることで未来が見えるとは限らないが現在の見通しはよくなるのではないだろうか。
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上巻は12月・・・下巻は1月末日・・・読み終えたのは三月の初日〜コンスタンティノープルが陥落し,スルタン・マホメッド2世の時代からエーゲ海に進出すると海上戦力としての海賊に気が付き,イオニア海から西地中海へと出ていくクルトゴルが有名であるが,法王庁も海軍を創設し「神聖同盟」で撃退しようとする。スペイン王カルロス5世,フランス王フランソワ1世,スレイマン1世の中では神聖ローマ皇帝が6歳若い。メディチ家出身の法王レオーネ10世は聖ヨハネ騎士団(マルタ騎士団)の共闘を成立させ海賊「ユダヤ人シナム」のNo1の地位を落とさせたが,海賊赤髯(バルバロッサ)がトルコ海軍総司令官の地位を手に入れる。ジェノヴァ出身の傭兵隊長アンドレア・ドーリア(ジェノヴァ有力家系)がカルロスの意を請けて海賊退治に活躍する。スペインに対抗したいフランス王はトルコと同盟し,対トルコ連合艦隊はプレヴェザで戦わずに敗れ去る。赤髯の配下にはドグラーというイタリア出身の海賊が出現し,バルバロッサは国賓としてフランスに招かれる。アルジェの攻略もドグラーの本拠地であるジェルバの攻略も失敗したが,フィレンツェが作った聖ステファノ騎士団が結成されると形勢はキリスト教陣営に傾いていく。その転機はマルタ島の攻防戦。スレイマンの大軍は撃退されて,ヴェネツィア支配下のキプロスを攻略すると,ヴェネツィア主導の連合艦隊が結成され,レパント海戦でトルコ配下の海賊を蹴散らし,ヨーロッパ勢は勢いがつく。地中海沿岸に領地を持つ貴族たちは防衛に必死になり,聖ステファノ騎士団はイスラム海賊と同じ手口でイスラム勢を追い込む。スルタン・セリム1世の母はヴェネツィアの貴族の娘であり,ヴェネツィアの利益に反する宰相は暗殺される。1740年にトルコは国として「海賊禁令」に調印し,北アフリカの主要都市で海賊禁止法が適用され,1830年にはアルジェリアがフランスの植民地となり,1856年には,あらゆる海賊行為の厳禁を宣言した「パリ宣言」が成立して,地中海から海賊は消滅したが,世界の中心も大西洋岸への移動する〜マルタ騎士団は貴族の家系でなくては入れなかったが,聖ステファノ騎士団は誰でもOKで,トルコ帝国もイスラム教徒であれば,運と才能でのし上がることができた。庶民にとってはイスラムの方が楽しそうだな。それにしても「別の著作に譲るとして」が多いこと,多いこと。他の本も売ろうとして書いたのと思ってしまう
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ローマ亡き後の地中海世界は、海賊の歴史であり、イスラム教とキリスト教の戦いの歴史でもある。
塩野七生の既刊三部作「コンスタンチノープルの陥落」「ロードス島攻防記」「レパントの海戦」につながる物語である。
途中退屈な部分もあったが、最後は一気に読み終わった。
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以前紹介した塩野七生さんの『ローマ亡き後の地中海世界』の下巻であり、キリスト教世界が地中海でようやくイスラームに対して積極的な政策に出ようとする15世紀頃から、地中海におけるキリスト教勢力とイスラーム勢力との対立でキリスト教勢力が優勢となる「きっかけ」となった1571年のレパントの海戦、そしてその後のヨーロッパ人が海を見る目が地中海から大西洋へと移っていく16世紀終わり頃までを描いています。近年の歴史学は、口さがない人にいわせれば“判官贔屓\\\"といわれるかもしれません。それまでスポットの当たっていなかったものにスポットをあて、普通の人や社会的「弱者」の歴史的役割を重視する傾向があります。それは歴史学の「発展」といっていいものだと思います。その流れに乗ってか、最近高校世界史の教科書でも近現代における欧米を中心とする記述からイスラームなどにも十分に紙面を割くようになってきました。そこでは、イスラーム文化の独自性やイスラームが持つ元来の「平和主義」が強調されています。曰く「コーランか剣か」という言葉は、キリスト教世界側がイスラームという宗教の「頑迷」さを強調しようとして広めた「造語」であると。確かに、欧米諸国の社会・文化を「自由」「理性的」とするのに対しイスラーム文化を「教条」「野蛮」という風に教えるのであればそれは変えていかねばなりません。しかし、当時のヨーロッパ人にとっては地中海を渡るイスラーム教徒はやはり「野蛮」で「残忍」と映っていた。そういった同時代的な歴史の見方からこの本は書かれていると思います。もちろん、塩野先生の参考文献が「ヨーロッパ側」の文献に偏っているかもしれません(巻末に参考文献が書かれてあるが、ほとんどが欧米文献であり、それがどういった歴史的視点から書かれたものかは判然としない)。しかし、私のような歴史にたずさわる者に対し、この本は「歴史学の成果について、常に批判的な態度でもって接しなさい」と訴えるものでした。
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国や民族でなく地中海という視点からの歴史。
ローマ人の「我らが海」のローマ亡き後の話。以外と世界史知らないなぁと。ザビエルとか無敵艦隊とか知ってたことが横・縦で交わったと感じた。
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ブログにレビューを書きました。
http://yo-shi.cocolog-nifty.com/honyomi/2009/04/post-7e30.html
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2003年の12月、ということは、もう7年以上前の話になるけれども、グラナダのアルハンブラ宮殿を訪問したことがある。名前からしてそのものであるが、アルハンブラ宮殿はイスラムの宮殿である。ということは、その昔、イベリア半島・スペインは、イスラムの勢力下にあった時期がある、ということだ。
アラビア半島はメッカで生まれた預言者モハメッドがイスラム教の布教を開始したのが紀元613年ということなのであるが、その後、イスラム勢力は驚くべきスピードで勢力範囲を拡大していく。642年に現在のエジプトをイスラム化、そのまま北アフリカを西方に勢力を拡大していき、ジブラルタル海峡を渡りスペインに達したのが710年頃。東方、北方へも勢力を拡大し、現在の中東を勢力下におき、遠く中央アジアのサマルカンドやタシケントに到達したのが750年頃。古代ローマ帝国が滅亡した後の地中海世界は、このイスラム勢力とヨーロッパキリスト教世界とのせめぎ合いの場となる。これは、イスラムが勢力を伸ばし始めた頃から始まり、十字軍遠征時代も、東ローマ帝国のコンスタンチノーブル、今のイスタンブールがトルコにより陥落して後も、またイタリア半島でルネッサンスが起こった後も、要するに1,000年間続いた構造なのである。
この本は、その間の様々な出来事を、「ローマ人の物語」と同様の物語風の語り口によって綴ったもの。たぶん、好き嫌いが、ものすごくはっきりと分かれる本だと思う。面白いと思えば、これほど面白い本はあまりないと思うだろうし(僕がそうだ)、この時代のこの地方の話に興味が持てなければそれまでだろう。
この本のいわば前史にあたる「ローマ人の物語」も非常に好きな本で、好きな本なので、多くの人に勧めたのだけれども、実際に読んで、「面白かった」と言ってくれた人は、残念ながら、比率的にはそんなに高くなかったので、そんなに一般受けする本なのではないのかもしれない。
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7世紀から18世紀まで地中海世界の歴史は、北アフリカから来襲してくるイスラムの海賊なしには物語ることはできない。
現在の地中海の観光地のほとんどが、かっては海賊に荒され人も住まない地であった。
1740年、トルコは「海賊禁令」に国として調印、海賊は政府公認の「コルサロ」は無くなり私的な利益の「ピラータ」に戻った。
1830年、フランスによるアルジェリアの植民地化の開始
1856年、あらゆる海賊行為を禁止する「パリ宣言」が成立。
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本書では、1453年のビザンチン帝国の首都コンスタンチノープルの陥落以降の地中海世界の歴史を描いている。この時代以降、イスラム教とキリスト教の対立は「大国のパワーゲーム」の世紀となる。オスマン・トルコのスルタン、スレイマン。フランス王フランソワ1世。スペイン王で神聖ローマ帝国皇帝でもあったカルロス。そしてローマ法王パオロ3世。キャラの立つ登場人物が繰り広げる国際政治は、現在といささかも変わらぬリアルでシビアな冷酷さを持ったものであると感じた。
著者は戦いの描写がうまく、おもしろい。それぞれの勢力の背景である社会制度や経済状態、また文化の違いの描写は詳細にわたっており、興味深い。
「マルタ騎士団の戦い」は、読んで人間の残忍さとともに、血湧き肉踊るワクワク感をも感じた。全ての力を振り絞った戦いには残酷さとともに感動をも覚える。そして、戦いの最終決戦のような「レパントの戦い」(1571年)へと物語りは盛り上がる。
地中海世界におけるイスラムの海賊は、正規の事業として運営されていたことが本書で詳細に紹介されている。時代と価値観が違うとはいえ、あまりにもむごいと感じた。我々が「海賊」というと、ディズニーのカリブの海賊を思い浮かべるが、この地中海世界ではつい最近まで多くの「海賊」が跋扈しており、あらゆる海賊行為の厳禁を宣言した「パリ宣言」が成立したのは1856年だったことを本書は教えている。本書は、「平和」の価値と、それが成立するための条件をいろいろと考えさせてくれると思った。上・下巻ともに飽きずに読める良書であると感じた。
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巻末には14頁にわたる参考図書が記載されているが本文中に書名が出てくることはない。これこそ歴史小説だと思う。自署についても最初に注意書き、後は注釈程度で良かったと思うが。
欧州諸国の何故は充分読み応えがあるが、イスラム世界側は今ひとつである。その地に今立っても書いている時代に戻れたほどの資料は集まらなかったのだろうか。肖像画などビジュアルがないことも影響しているかもしれない(イスラムでは自画像は御法度らしい)。ローマ時代には緑豊かな農業地域であったという北アフリカが、緑化も困難な土地になってしまった経緯をもっと知りたかった。住み着いた人々の民族性だけが問題だったのだろうか。海賊産業に貿易業は無理だったのは理解できるが、周辺企業?の人々はどうやって食べていたんだろう。
一神教は度し難い。人が人のために作ったものであるとつくづく実感した。
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16世紀の地中海を巡るイスラムとキリスト教世界の対決は中々ドラマティックです。1453年のコンスタンチノープル陥落、1571年のレパント沖海戦はすでに詳細な著書がありましたが、この本の中では、スレイマン・トルコ帝国の1565年のマルタ島攻撃とマルタ騎士団の防衛戦争が最も印象に残りました。著者によれば、この闘いはヴェネティアが絡んでいないため、書き残していたとのこと。世界遺産のTVでマルタ島の要塞を見ていただけに、リアルにその様子が思い浮かびます。この時代の西欧がスペインとフランスの2大国の対立に振り回され、英国、ドイツ、そしてポルトガルも表舞台に出てこないというのは、新鮮な読書感です。ローマ1000年史、そしてヴェネティア1000年史、ルネサンス史が著者の中心著作群だとするとこれはヴェネティア時代の裏側から見た地中海史ともいうべきものでしょうか。この本の最後近く、いよいよスペイン無敵艦隊が英国に敗れ覇権者の時代が変わっていくとともに、ガレー船の古代海戦から近代海戦へ変わっていく時代を感じました。
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下巻はコンスタンティノープルの陥落後、いよいよオスマントルコの勢力が地上でも海上でも西欧の脅威となっていた時代。オスマントルコ軍は赤ひげというギリシャ人海賊の頭目を海軍の司令官にしし、以後有力な海賊たちを利用することで、対西欧の海上での戦力としていた。一方西欧側もジェノバ人アンドレア・ドーリアなど、海上戦術に優れた指揮官を登用することで対イスラムの海上防衛を組織的に行うかに見えたが・・・。 当時の強国スペイン、フランス、そして交易国家のヴェネチア、さらにローマ法王庁のそれぞれの利権とキリスト教国としての立場が錯綜していて、まあ統制のとれないこと!よく500年後の今現在EUというひとつの共同体を組成できていると思う。そもそもイタリアという国もよくひとつの統一国家に成れたと思うけど。それも戦争の功罪?
この本は主にヴェネチア共和国を軸に描かれているように思うが、1600年代以降の記述がないのは残念だと思う。でも、地中海が世界の中心であった時代は確かにここまで。以後新大陸の発見で舞台は大西洋へと移ってく。
上巻は海賊と奴隷の話に終始していたが、時代が下るにつれ、今巻では突出した個人が活躍しているので、読みやすさではこちらかな。でもあまりに登場人物が多くて混乱してしまいます。
少し前に「コンスタンティノープルの陥落」を読んだばかりだったので、入っていきやすかったですね。
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塩野七生氏が言うように彼女の作品の殆どは樹であったのだが、今回は森を書いている。
中世5世紀から15世紀にかけての千年を地中海を、即ち広がりのある森を中心に描いている。
その森の中には、レパントの戦い、ロードス島の戦い、コンスタンチノープルの戦いなどこれまで氏が書いた物語が含まれている。
そして、ヴェネツィアと十字軍もこの森の中に含まれるが、それらはちょっと広がった林といえるだろう。
歴史は地上を中心に形成されるのは確かであろうが、海である地中海に着目したのはなかなかの慧眼であろう。
それまで地中海を「我が海」としていたローマ帝国が滅びたあと、なんと千年以上にもわたってそこは海賊が暴れまわる世界であったことを知っている人は少ないのではないか。
当然、海賊がヨーロッパ世界に与えた影響は小さくない。
小さくないどころか、地中海はキリスト教とイスラム教が相対する主戦場であったのである。
両宗教の対立といえば、十字軍や、ポワティエの戦いや、コンスタンチノープルあるいはウィーン攻防戦を連想しがちだが、海上の戦いもそれに劣らず歴史に大きな影響を与えていたのである。
しかしながら、正規軍対正規軍にスポットライトが当たり、海賊という非正規軍との戦いは日陰に追いやられざるを得ない。
地中海北岸の村や都市が海賊によってどれほどの被害を蒙ったか、その影響は計り知れない。
その日陰の部分にスポットライトを当てた塩野氏の功績は大と言えるだろう。