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アーサー・ミラーI セールスマンの死
かつて敏腕セールスマンで鳴らしたウイリー・ローマンも、得意先が引退し、成績が上がらない。帰宅して妻から聞かされるのは、家のローンに保険、車の修理費。前途洋々だった息子も定...
アーサー・ミラーI セールスマンの死
アーサー・ミラー 1 セールスマンの死 (ハヤカワ演劇文庫)
商品説明
かつて敏腕セールスマンで鳴らしたウイリー・ローマンも、得意先が引退し、成績が上がらない。帰宅して妻から聞かされるのは、家のローンに保険、車の修理費。前途洋々だった息子も定職につかずこの先どうしたものか。夢に破れて、すべてに行き詰まった男が選んだ道とは……家族・仕事・老いなど現代人が直面する問題に斬新な手法で鋭く迫り、アメリカ演劇に新たな時代を確立、不動の地位を築いたピュリッツァー賞受賞作
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紙の本
今の時代にまで続く
2021/03/15 14:53
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
いくつになっても夢を追いかけてしまう、男の悲哀が滲み出ています。当時のマッカーシズムを、21世紀の閉塞感に重ねてしまいました。
紙の本
1949年の作品なのに、あまりに現代的な。
2007/01/15 18:20
9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
成績が上がらなくなり、歩合制にされてしまったセールスマン。妻からはローンや家計の心配をいつも聞かされ、息子は定職につかずふらふらしている。。。これが1949年に初演された作品なのだろうかと思うほど、現代の日本をみすかしたような戯曲である。というか、日本がアメリカの50年前なのかもしれない。
トニー賞やピューリッツァ賞を受賞した著者の代表作であるこの作品は、日本では1954年の劇団民藝公演(瀧沢修主演)から始まって何度か上演されている。中国でも上演されたそうである。内容のあまりの現代性に改めて驚きを隠せない。
現代の日本でなら、主人公か息子がキレて惨事がおきるかもしれないぐらいの設定である。「まだできる」と夢を追い続ける主人公に友人が問う「いつになったら大人になるんだ?」という言葉は、「アメリカン・ドリーム」の危うさに気付き始めたアメリカ人の言葉でもあるし、そう言ってくれる友人が今の日本人にも足りないと思わせる言葉でもある。この友人が、自分の息子がまあまあの成長をしたことについて言った言葉も深い。「何事によらず、なんの関心ももたないことで、おれは救われているんだよ。」子どもに期待するあまり、干渉しすぎることが親子のどちらにも負担をかけている、ということも確かにあるのではないだろうか。
脚本としても良くできている。一幕でちらりと出てくる「女」も、ただ主人公の寂しさの行き先だっただけでなく、息子との関係の変化に深く関わっていることが二幕でわかるなど、断片がきちんとつながっているのである。二つの場所、時間が同時進行する場面なども上手く使われているが、これは戯曲として読むにはある程度舞台の約束事を知っていないとイメージしづらいかもしれない。このあたりが戯曲を「読む」ことの難しさではある。
1977刊行の全集からの文庫化。タイトルにも「アーサー・ミラー I」と番号がふってあるのは、続いて文庫化していく、ということであろうか。映画や劇を見るように、好きなものだけ一作ずつ切り離して見ることができるのはありがたい。戯曲という特殊な分野、どれだけ読者ができるだろう、と要らぬお節介であるが、不安でもある。しかし、この作品だけは一度は読んでもらいたいので、文庫化を大いに歓迎したい。
紙の本
間違いなく傑作
2013/05/28 14:30
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:もずく - この投稿者のレビュー一覧を見る
だいぶ前に買った本なのでかなり忘れている気がするが、資本主義社会で分裂していく個人の問題や、家族の問題というものがしっかりと書かれていたと思う。特にウィリィが植物の種を蒔いていたシーンなどは鮮明に覚えていて、ミレーの絵画などでは最も人間的で美しいシーンとして描かれる種まきが、この戯曲では文明の象徴である庭を覆うアパートに光を遮られてしまう。狂ったように芽の出ない種を蒔いているウィリィを想像すると複雑な気持ちになる。アランが「砂粒を蒔くのではなく種を蒔きなさい」と言っていたが、ウィリィはどうすればいいのだろうか。僕だってどうすればいいのかわからない。時代と個人の物語がぴったりと張り合わされていて。戯曲のお手本といえる作品だろう。平田オリザが「後ろ向きでエベレストを登頂するみたいなことは、それはそれで価値のあることなんだろうけど、僕はそういうのはしたくない。もっと普遍的な仕事がしたい」みたいなこと言っていたのを思い出した。この作品は普遍的な作品になっているので、100年後だって上演されているだろう。新しい手法の戯曲だね、あー面白かった・・・で終わるような作品とは一線を画している印象を持った。