紙の本
目覚めた人
2017/11/01 11:46
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投稿者:ペンギン - この投稿者のレビュー一覧を見る
ライブドア事件のせいか、堀江さんにワンマンでゴーマンな印象を持っていましたが、その認識を改めました。恐ろしいくらい素直で正直で、すこぶる頭のよい人なんだと思います。自分の頭と自分の体で考え、行動する勇気をもらいました。
電子書籍
興味深い人だと思った
2017/05/03 00:45
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投稿者:reika - この投稿者のレビュー一覧を見る
堀江さんの教育否定が、軽快に展開していくが、難しい言葉などは一切出てこないのが好印象だった。学費を親に出してもらって、子どもは授業をさぼり。社会人になったらなったで、給料をもらいながら、真剣に仕事に取り組まない人間を理解できないと言っていたが、自分のことを言われて耳を塞ぎたいの半分、でも激しく同感半分。常識に縛り付けられて生きてきた自分には薬となりました。ハッキリとした意見を読んで、自分の中の常識のパラメータが逆転した心地です。
紙の本
タイトルが目を引く
2022/05/16 10:51
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投稿者:rukutoma - この投稿者のレビュー一覧を見る
堀江さんの本はすべてタイトルから手に取ってしまいます。きっと目を引く工夫がなされているのだと思います。
紙の本
教育に対する批判が極論すぎる
2020/03/21 17:38
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投稿者:akihiro - この投稿者のレビュー一覧を見る
学校制度の基礎は産業革命期のイギリスで生まれたと説明している一方で、日本での教育目的の変遷については詳しく触れていません。戦後に成立した教育基本法では、国民教育だけでなく個人の価値を尊重することも謳っています。
国家や国民教育が不要という著者の主張も極端な印象を受けます。国家の概念がなければ、警察や自衛隊は自治組織になると思います。
「大学なんて全部無意味」とも書かれていますが、大学生活全般を否定したいのではなく、「学歴のための進学が無意味」と言いたいだけのように思いました。
親や教員からあれこれ禁止されてきた人に対して、やりたいことをしてはいけないと「洗脳」されている可能性がある、というのが著者の言いたいことなのでは。やりたいことに対して一歩を踏み出せない人を応援する姿勢には賛同しますが、「すべて」の教育を否定するのは言い過ぎだと思います。
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投稿者:きりん - この投稿者のレビュー一覧を見る
文章自体は平易でわかりやすいのです。言っていることも実は真っ当なことかも。でも、どこか引っかかりを感じるのは「洗脳」という表現でしょうね。
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洗脳とは思い込んで疑問に思わない事。そして、それは子供時代から学校という場で植えつけられる。それが、全て正しものと認識するが故に、考えることが減少する。当たり前と思うことを先ずは疑ってみる。そこから、今までと違う事に気づき様々な変化をしていくのではないでしょうか。今回の新著も分かりやすく書かれているので、読まず嫌いの方も一度読まれてもよい一冊かと思います。
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著者の本は何冊も読んでいるが本書は特に素晴らしい内容だった。今まで自分が感じていたことや思っていたことが既存の教育制度の歴史から解説してあり深い感銘を受けた。
知識と常識は違う、L人材ではなくG人材として、ジェネラリストではなくスペシャリストでありたいと改めて再認識した。一方で目標から逆算している自分もあり考えを改めるべきことも認識できた。
貯蓄型思考ではなく投資型思考をし、過去は過ぎ去った時間でしかなく再利用できる資源ではないこと、ワーク・ライフ・バランスなんて気にせずすべてを楽しい時間にして極端でも偏っていてもいいから楽しい事をして遊び尽くして生きていきたいと思う。
何度でも読み返したい一冊。
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働き方生き方あるいは、やりたいけれど…に悩んでいる人間にはそれなり響く1冊だと思う。20世紀型の教育=常識に対する疑問と、「没頭」という言葉で自分自身がどのように能動的に考え進んでいくかを問うている。
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学校で叩き込まれるのは我慢するマインド。国家も会社もなくなる。楽しい事ばっかりやったらいいやん。というおはなし。
そだよねっておもう。ニッチ=レア=価値、ひとりから、いまから、生み出すことができる世界になった。ほんと便利で素敵だとおもう。
でもまだN(国民国家)だとおもう。一生懸命我慢してきたわたしにとって、せっかく手に入れた秩序を捨てるにはまだはやい、とおもう。堀江さんは今やれば?って言うけど、まだじゃん?ともおもう。逃げてるだけかも、だけれど。
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たぶん堀江さんはわくわくしてる人だから、読んでてすごくわくわくした。いや、だったら、やればいいやんって思うことは多い。テクニック的なとこは、〜があるからやるのではなくて、〜がやりたいから〜をつかう。という、常に自分の好奇心スタートでものごとを考えるということ。でも、〜したい→お金が欲しい→土地がある→ホテルはどう?って思考として考えると、好奇心スタートではあると思った。あとはいつも思うけど、結局堀江さんは色々やってるし、成功体験もあるし、東大やし、肩書きはいらないってのは説得力ない。多くの人はどうしても外見で判断するから、堀江さんが東大行ってたのは、気づいてないだけで、かなり障害外しになってると思う。
さて自分に置き換えると、1好きなもに自信をもってなに言われようが行動する。2.ロースクール行って一発で司法試験合格して実績残す。こんなかんじ。あと人は動かさない。自分で動くべき。考えを提示するのは大事かな。人を尊敬する。バカにしない。注意
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「なぜか?何にも没頭できていないからだ。」
堀江さんの本。
何かに没頭している人を羨ましいと思う。
没頭するものを求めてデモ活動に参加する人もいると聞く。”いつか”に備えていても、その日はこない。
それでも不安になってしまうのは、いけないのだろうか。
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「学び」とは「お勉強」ではなく「没頭」のこと。
誰かに与えられてやる無意味な知識の習得のことを「勉強」
自分が本当にやりたいことの知識の習得のことを「没頭」
と著者は定義している。
「本当の自由」とはなにかを考えさせる一冊。かなり良かった。
「与えられたルール」ではなく「自分でやると決めたこと」をする時、人は「楽しい」と感じる。
逆に誰かからなにか自分の好きな事を提示されないかなぁと待っているのでは、どんな豪勢な遊びを与えられても本当にそれにのめり込むことは出来ない。
「つまり待っていることは無駄」である。
今自分が少しでもやりたいと思っていることは本当に「無理」なのか?
そこを指標にするには「絶対に達成できるのか」ではなく「それに挑戦することは可能なのかどうか」を考える。
「今後の仕事に繋がる趣味」など存在しない。
誰かがじぶんのぼっとうの中から掴み出したものが仕事になったりお金になったりするだけ。
キックボクシングに夢中になっている大学生はよくいて、その子が就職の時期に、この業界で成功するか分からないから続けていこうか迷ってるなんてことがある。
それなら続ければいい。何故ならキックボクサーとして成功しなかったとしても、キック関係のなんかしらの仕事に就くかもしれないし、新しいビジネスが出来るかもしれない。
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堀江さんらしい一冊
学校教育は洗脳と言い切るあたりはまさに堀江節かな
でも今すぐは無理だろうけど徐々にそっちの方向に向かうかもしれないなと思います
とは言えやはり子供が集まる場所がないと困る親もいるので預かって子供同士の社会生活も必要かなと
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まだ、この本は読んでないけど、
確かに、
小、中、高校は偽物の人生だったなと思います。
社会人になって、6、7年目
今、金銭的に少ないけど、
西麻布に住んでいて、
自分の人生を送っている、
生きている感覚は、あります。
学校に行ってた時は、
「自分」というものが無く、
ただ、周囲の人に
何かと流されていたと思います。
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堀江貴文さんが、脱・常識、脱・学校、脱・組織を掲げ、今後の「教育」について提言した一冊。
学校とは本来、工場で働く民衆や、国家に従順な国民をつくるために必要な「常識」や「思考」を育てる機関であり、富国強兵や軍国主義の時代には必要不可欠だった。
しかし、インターネットやSNSが発達した現代では、これまでは距離も言葉の違いも面と向かう機会に関しても分厚かった国境の壁や、知識の得方に関しても、簡単に飛び越え、欲しい知識や情報も検索能力次第で簡単に手に入るようになったことで、働き方も人生の選択肢も一気に増えた。
それでも、多くの人は、10代や20代前半までを学校に捧げ、その後は会社に40年ほどを捧げ、その間ずっと、宝くじが当たれば辞めてやる、あと○時間で退社だと、過ごしたくもない時間を過ごしている。
人によっては、自分の好きなことで起業したいとか、会社を辞めてフリーランスで働きたいと考えている人もいるけど、学校という「洗脳」教育を受けている結果、会社を辞めることに踏み切れず、辞めたら仕事が見つからないとか、老後の生活が不安になるとか、辞めたら会社に迷惑がかかる等と言って、なかなか一歩を踏み出せない。
それは、アクセルを踏んで進もうとしている一方、もう一方ではブレーキを踏み込んでいることに気づいていないから。そのブレーキこそが、学校で受けた横並びの「常識」教育だ。
「常識」とは、「解釈」のことで、「知識」とは違う。主観の入りまくった、その時代、その国、その組織の中でしか通用しない決まりごと。この「常識」を埋め込まれているせいで、自分で考えて行動することに馴染めず、ブレーキを踏み込んだまま、タイヤを空回りさせている人が少なくない。
今後は、先生や偉い人から教わる「教育」ではなく、好きで始めたものにハマり、あるとき気づいたら没頭していたという、遊びを仕事に変えるという流れがくるば、今では考えもつかない仕事や稼ぎ方がどんどん増えてくる。多くの人がやりたくないこと、単純な作業は、AIに任せることができる今の世の中だからこそ、人間本来の考える力、想像からの創造力をフルに発揮し、理想的な未来をつくっていこうと思えた。