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海を撃つ――福島・広島・ベラルーシにて
著者 安東量子(著)
1976年生まれの著者は、植木屋を営む夫と独立開業の地を求めて福島県いわき市の山間部に移り住む。震災と原発事故直後、分断と喪失の中で、現状把握と回復を模索する。放射線の勉...
海を撃つ――福島・広島・ベラルーシにて
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海を撃つ 福島・広島・ベラルーシにて
商品説明
1976年生まれの著者は、植木屋を営む夫と独立開業の地を求めて福島県いわき市の山間部に移り住む。震災と原発事故直後、分断と喪失の中で、現状把握と回復を模索する。
放射線の勉強会や放射線量の測定を続けるうちに、国際放射線防護委員会(ICRP)の声明に出会う。
著者はこう思う。「自分でも驚くくらいに感情を動かされた。そして、初めて気づいた。これが、私がいちばん欲しいと願っていた言葉なんだ、と。『我々の思いは、彼らと共にある』という簡潔な文言は、我々はあなたたちの存在を忘れていない、と明確に伝えているように思えた。」
以後、地元の有志と活動を始め、SNSやメディア、国内外の場で発信し、対話集会の運営に参画してきた。「原子力災害後の人と土地の回復とは何か」を掴むために。
事故に対する関心の退潮は著しい。復興・帰還は進んでいるが、「状況はコントロールされている」という宣言が覆い隠す、避難している人びと、被災地に住まう人びとの葛藤と苦境を、私たちは知らない。
地震と津波、それに続いた原発事故は巨大であり、全体を語りうる人はどこにもいない。代弁もできない。ここにあるのは、いわき市の山間に暮らすひとりの女性の幻視的なまなざしがとらえた、事故後7年半の福島に走る亀裂と断層の記録である。
目次
- 歌い忘れたレクイエム
- 一 あの日
- 二 広島、福島、チェルノブイリ
- 三 ジャック・ロシャール、あるいは、国際放射線防護委員会
- 四 アンヌマリーとアナスタシア
- 五 末続、測ること、暮らすこと
- 六 語られたこと、語られなかったこと
- 七 その町、その村、その人
- 八 ふたたび、末続
- 九 海を撃つ
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紙の本
アンダーコントロールなんてされてない。
2020/03/27 23:04
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:タオミチル - この投稿者のレビュー一覧を見る
かつてオリンピックを呼ぶために「アンダーコントロール」されているということにされたけど、「えっ!そうなの??」と、福島から離れた場所の住民である私ですら驚いた。著者は、いわき市在住。本書は、事故後7年半の放射能の被害、特に、「原子力災害後の人と土地の回復とは何か」を探り続けた記録である。はたして私たちは放射能をコントロール下に置いたのか?けっきょく、まだなにもわかってないかもという読後感。私たちは、原発が点在する国に住む。その暮らしの中で、放射能のことを冷静に学ばない意識しないという選択肢はない...そう思うのみである。
紙の本
グラデーションの中にいる当事者
2022/01/04 20:54
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:BB - この投稿者のレビュー一覧を見る
広島出身で福島に住む著者が、東日本大震災・原発事故からの8年の日々を、被災地に生きる一人の人間として、つづった一冊。
文章が詩情豊かなこともあり、未曽有の出来事に戸惑い、政治やメディアや都市部の人たちの勝手に振り回される戸惑いや悲しみ、痛みが、頭からではなく、心に伝わってくる。
例えば
「何が起きているのか分からない。いや、なにが起きたのかは分かっている。けれどこれをどう了解すればいいのか分からない」
とか(原発事故後の政治の動きや、放射能汚染、責任追及の報道など)
「政治的ゲームにしか見えなかった。ゲームのプレイヤーたちは誰しも首都東京にいて、ここに住む私たちは、彼ら尾政治的駆け引きの駒に過ぎないのだ」
といった具合に。
かつて子ども時代に広島で感じてきたこと、大人になって広島出身であることに対して周囲から掛けられた言葉への違和感、などもつづられている。
そしてICRPの声明と出合い、「失われたものが取り戻せないならばせめてよりどころを」と活動を始めたこと。チェルノブイリ原発事故のことも学んで、科学的な知見に基づいた対応は必要だが、原発事故が広範囲に及ぼす影響を考えれば、科学的知見のみで対応することは不可能である、という思いに達した経緯もつづられている。
結局答えは出ないし、事故や放射線に対する考え方などは、被災者の中でもさまざまだし、遠く離れた地に住む人ならなおさらだろう。
ただ、放射線量と同じく、人の考えかたや思いにもグラデーションがある。
それは、一人の人間の心の中にも、あるのだろう。