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電子書籍
逆説の日本史22 明治維新編/西南戦争と大久保暗殺の謎
著者 井沢元彦
【ご注意】※お使いの端末によっては、一部読みづらい場合がございます。お手持ちの端末で立ち読みファイルをご確認いただくことをお勧めします。「維新の英雄」はなぜ自滅の道を選ん...
逆説の日本史22 明治維新編/西南戦争と大久保暗殺の謎
逆説の日本史 22 明治維新編 (小学館文庫)
商品説明
【ご注意】※お使いの端末によっては、一部読みづらい場合がございます。お手持ちの端末で立ち読みファイルをご確認いただくことをお勧めします。
「維新の英雄」はなぜ自滅の道を選んだのか。
『週刊ポスト』誌上で四半世紀以上にわたって連載中の、作家・井沢元彦氏による歴史ノンフィクション『逆説の日本史』。文庫22巻より、いよいよ明治時代に突入します。
第一章「明治維新編」と第二章「明治政府のグランドデザイン編」では、維新を成し遂げた明治新政府面々の奮闘ぶりを紹介。
続く第三章「明治六年の政変編」では、維新の立役者である大久保・木戸と西郷・板垣の深刻な対立に発展した明治六年の政変と、その原因となった「征韓論」についてわかりやすく解説しています。
第四章「サムライたちの反抗編」は、悲運の男・江藤新平と佐賀の乱についての考察。
そして第五章「サムライたちの反抗編2」では、西南戦争における“最強”西郷軍敗退の謎に迫ります。
なお今回巻末に「補遺編」として、『逆説の日本史』第一巻の刊行以降に判明した歴史的発見を踏まえ、これまでの『逆説』の訂正や付記も収録しています。
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西南戦争
2019/05/26 20:26
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ハム - この投稿者のレビュー一覧を見る
西南戦争では西郷隆盛の最強薩摩藩が相手だったにもかかわらず短期間で決着がついてしまっていて、気になっていました。
紙の本
新国家建設と征韓論
2021/06/13 19:41
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:だい - この投稿者のレビュー一覧を見る
○明治維新
東京が首都になったのは新政府にカネがなく、旧幕府の施設を流用すればタダで済むため利通は納得した
各藩は新政府に忠誠を誓っていたが、あくまで独立国であった
そのため新政府は各藩を廃止し、政府直轄の“府県”にすることを考えた
まず領土領民を天皇にお返しする”版籍奉還”を行い、各藩の大名は藩知事となった
藩知事は太政官組織の一員として組み込まれ、政府の指示には従わなければならず、廃藩置県は断行された
この廃藩置県は政府の財政難を解消するものであったが、不平士族が大幅に増えることもあり大部分は既得権として認められた
○明治政府のグランドデザイン
新政府が手をつけなければならないことは、旧幕府から引き継いだ不平等条約の改正であった
大隈は、国家の形式が整った今こそ条約改正の好機と捉え、新政府に建言し、欧米への使節を送ることになった
岩倉、大久保、木戸は近代化のためにも参加した
大隈、西郷はメンバーから外された
大隈は、通貨制度の改革に取り組んだ
また、租税を米による物納ではなく金納に統一するため“地租改正”を進めた
○明治6年の政変
留守政府と岩倉使節団(洋行組)が完全に分裂し、激しい政治抗争が起きた
政変の理由は“征韓論”
この時代、新政府は勝海舟を除き、すべて征韓論の支持者であった
短兵急に実行しようとする西郷側に対し、まずは内政固めることを優先する岩倉側との対立であった
征韓論の正義
至高の存在である天皇への無礼をこらしめ、皇威を東アジアに輝かすことができる
朝鮮を開国させることは朝鮮自体の近代化、強国化にもつながる
留守政府は日清通商条約締結という大きな成果をあげた
聖徳太子の頃から日本が望んでいた“中国との対等な関係”を実現したことで画期的なことだった
韓国への西郷派遣をめぐり岩倉、大久保らの反対により実現せず、西郷、江藤らは政界から下野した
○佐賀の乱
明治6年の政変により、薩長に批判的な態度をとった江藤新平や肥前人、板垣退助ら土佐人は政府から事実上追放された
板垣退助は“自由民権運動”を起こし、議会政治の基盤を作った
江藤は政府の司法卿として長州人の様々な汚職を追及しようとしたが、長州人の政略により潰され、司法卿も参事も辞職となった
征韓論を実行しようとしていた旧佐賀藩士を抑えるために佐賀に戻った江藤は、乱の盟主に祭り上げられた
緒戦は反乱軍が勝利した
大久保利通は、より強力な部隊で反乱軍の鎮圧を図り、反乱軍は各地で敗北していった
江藤は征韓到底解散を宣言し、西郷に決起を促すべく戦線を離脱するが、西郷は決起しなかった
臭いものに蓋をしようとする大久保利通の陰謀により江藤は死刑となり、長州閥の汚職はすべて闇に葬られる形となった
○西南戦争
西郷下野後、鹿児島県は西郷派に固められ、西郷の独立国になってしまった
西郷軍は、九州の城の中でもっとも堅固な熊本城を基地とする熊本鎮台軍を攻めた
しかも、落とすことができなかったため、野戦の場で応援に駆けつけた政府軍を相手にすることとなり、敗退した
西郷は鹿児島城山の西郷洞窟で明治10年9月24日に自決した
大久保は、官僚主導により国家の骨組みを作って行こうという立場であり、西南戦争の最中に内国勧業博覧会を上野で開催した
西郷への愛情の念は多くの士族にとって大久保への憎悪と変わった
大久保は汚職政治の頂点に立つ者と誤解され、明治11年5月に不平士族島田を中心とする6名に暗殺された
国家建設は次なる世代に任されることになる
(伊藤、大隈など)