紙の本
藩の誕生
2019/12/05 00:02
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投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書では、江戸時代の始まりと藩の誕生を同時期とみなさず、徳川幕府の諸政策によって徐々に藩制、ひいては幕藩体制が築かれていったと考え、論述している。
江戸時代になって始めて城下町の存在が普遍的なものになったという指摘や土地の私有から預地への切り替え、関が原以後の藤堂家の役割などおもしろい指摘が多かった。「はじめに」で著者が述べているように、従来の家中論(主君と過信の人間関係や権力闘争、政策など)ではなく、地域社会や地理的要因も含めて藩を論じている点はあまり見たことがなく、読んでいて興奮した。
電子書籍
藩の形成
2022/05/26 07:55
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投稿者:福原京だるま - この投稿者のレビュー一覧を見る
戦国大名や織豊大名がそのまま近世の藩に移行したのではなく質的変化がかなりあったことがわかった。藩は藩主の私領ではなく天下(幕府)からの預かり物であるという思想が浸透して国替えも多くされるようになったことや要害拠点から沖積平野に移転し開発が進んだことなど興味深かった。
紙の本
江戸の幕藩体制を支える存在
2019/10/08 07:55
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投稿者:ニッキー - この投稿者のレビュー一覧を見る
藩は徳川幕府の幕藩体制を支える存在である。それが戦国時代、安土桃山時代からどのように形成されてきたか、なかなか面白い一冊である。
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漢字の読み方が難しい。特に人の名前と制度に関して。初出の難しいものは、ふりがながふってあるが、読み進めていくうちに忘れてしまう。内容としては、藩の成り立ちがよく分かったが、何せ漢字の難しさと、言葉の意味には閉口します。最後のコンパクトシティに関する提言は興味深かった。コンパクトシティとしての江戸時代を中心とした各時代の都市、加えて世界の歴史的な都市を考えていくことも面白いのでは。
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<目次>
はじめに
第1章 近世城下町の画期性
第2章 藩の思想
第3章 藩の創始者たち
第4章 藩の設計者たち
第5章 東アジアの幕府・藩
むすび
<内容>
近世の成り立ちを述べた著者の三部作の完結編(『秀吉と海賊大名』『天下統一』いずれも中公新書)。藤堂高虎を主軸に据えたもの。大坂幕府構想とかいろいろとおもしろいことが書いてあるが、参勤交代を肯定的にとらえたり、武断政治から文知政治への移行の考え方など、勉強になることがたくさん。特に藤堂高虎と小堀遠州の親子(義理の親子だけど)の優秀さを感じた。
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藩成立過程を、城下町の整備や、徳川方の大名配置の西進化、朝幕関係の推移などから見る。
藤堂高虎を、城下町建設スペシャリストにして各方面に顔のきく、近世黎明期の重要人物として評価している。面白い。
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長い戦乱で荒廃した地域社会を救い、「泰平の世」をもたらしたのは「藩」だった。藩の誕生期に着目し、その歴史的意義を説き明かす。
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第1章 近世城下町の画期性
第2章 藩の思想
第3章 藩の創始者たち
第4章 藩の設計者たち
第5章 東アジアの幕府・藩
むすび―藩とコンパクトシティ
著者:藤田達生(1958-、愛媛県、日本史)
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今の歴史研究が垣間見える。藤堂高虎からの藩体制の考察、コンパクトシティとしての藩と城下町、その他もろもろ。とてもとても面白かった。この人のまた読みたい。
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織田・豊臣時代からの藩の成立過程から、武断政治から文知政治への移行、大阪幕府、コンパクトシティなどいろいろと面白い考察だった。
藤堂高虎が築城だけでなく、朝廷工作などでも重要人物として書かれてるのも興味深かった。
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「藩」とは何か。
江戸時代年間を通して、政治の基本となった藩について述べられている。
藩は預地思想によって成立していた。そして、それが浸透していたことには非常に興味深い。
池田光政、藤堂高虎などがその事例として挙げられていた。
しかし、藤堂高虎の事例がかなり多いため、他の藩の事例も記載して欲しいとは感じた。
藩。当たり前だがシンプルだからこそ難しい。
まだまだ勉強をしていきたい。
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藩とは何か
著者:藤田達生(三重大学教授)
発行:2019年7月25日
中公新書
「藩」というものが長年、理解できていなかった(たぶん今もできていない)。藩は都道府県みたいな、自治体的な単位だと思っていた。だから、○○藩というのは江戸幕府が定めた固有名詞だと思っていた。ところが、小説は別として、歴史の本を読んでいると藩という言葉があまり出てこない。○○氏、のような言い方が多い。教科書にも、長州藩や薩摩藩、会津藩は出てくるが、加賀藩とかは記憶にない。なんでだろうと思い、調べてはみたがよく分からなかった。
島津藩、薩摩藩、鹿児島藩
これはどれが正しいのか?あるいは、同じものなのか?という疑問もずっと持っていた。他の「藩」についても同じ。
どうやらこれは、どれも正解だし、どれも不正解みたいだ。
東京都や鹿児島県みたいに地名と都道府県をひとくくりにした固有名詞で使われたのではなく、「藩」は便宜的に使われた感じと思われる。この本にも、江戸時代に「藩」と記載されたことはまれらしく、幕末から明治にかけて使われたと書かれている。
以前から抱いていた謎が少し解けてきた気がする。
藩はいくつあったか?
江戸時代を通じ、大小あわせて200数十の藩(1664年の時点では約240家)が存在した。
最初の藩は?
彦根藩と藤堂藩が始まり。しかし、井伊は譜代大名なので、純粋(?)な藩の始まりとしては、外様大名の藤堂高虎を祖とする藤堂藩だと言える。
とそんな藩のことがいろいろ解説してある本かと思いきや、そうではなかった。途中から、藤堂藩のことばかりが書かれている本だった。それもそのはず、著者は三重大学教授だった。
興味が持てる雑学的なことは出てきたが、少しあてが外れた。
以下、メモ
大名にとって参勤交代は負担ばかりではなかった。途中で、直接、他藩の状況を観察するという重要な意味もあった。とくに京都と大坂での情報収集には意味があった。
徳川秀忠は、外孫にあたる皇子、高仁親王を天皇にして公武合体政権を成立させ、それとセットで江戸城から大阪城へと自ら移り住み、事実上の「大坂幕府」を発足させる構想があった。
しかし、秀忠と江の間に生まれた和子の入内が、家康の死などで遅れ、やっと入内したものの和子が生んだ高仁親王が夭折して実現しなかった。
寛永11年7月に上洛した家光は大坂を訪れ、租税免除による城下町繁栄策を打ち出して以降、商工業の本格的な大坂集住が促進された。
徳川が統一的な主従制を構築したのは、四代将軍家綱の時代だった。これにより、制度的に藩の成立が達成された。
秀吉は天下統一戦を行いながら、つまり戦争を通じて主従制を全国に拡大したが、徳川はそれが出来なかったので時間がかかった。
そんな中にあって、藤堂高虎だけは例外で最初から家康に破格の高禄をもらっていた。
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これはかなり目からウロコ。知らないことは本当に沢山ある。
まず、「預地思想」。藩の土地はすべて公儀から預けられている、自分は当座の国主であるという考え方が大名に浸透していったことが非常に興味深い。これと主君押し込めを合わせて考えると、日本の株式会社のプロトタイプが幕藩体制であるように思えてならない。
藤堂高虎のイメージも大きく変わった。単に主君を7度変え、城づくりの名人というイメージしかなかった。ありていにいえば、機を観るに敏であり、徳川に寝返った人物という印象があったが、そこを大きく超えて、朝廷、豊臣恩顧大名、文化人、大工の棟梁、そして徳川幕府の幕閣と、非常に広い人脈をもち、それぞれをうまくつなぐ立役者だったということがわかった。なにもない沖積平野に城を興し、街づくりをし、街道を拓くという藤堂藩の功績や、江戸幕府初期の体制固めでの大きな役割を見るにつけ、本当に大きなものが見えていた人なのだと痛感する。
江戸幕府と朝廷の公武合体(秀忠の娘の入内)、大坂城への将軍、大御所の移転等、織豊政権から江戸幕府に移行する間の動きというのが、大変わかりやすく説明されている。
どうしても歴史の教科書では、「家康が征夷大将軍となり、大坂の陣で豊臣家を滅亡に追い込み、三代家光の時期に武家諸法度が制定されて幕藩体制が確立した。」ぐらいのことしか描かれないが、この間にゆっくりとそして劇的に世の中が戦国から静謐へ、武断から文治へ変わっていった様が、丁寧に説明されている。
この著者の本はもう少し読んでみたい。
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石高制や太閤検地から藩の成り立ちを紐解く1冊。ただ当時の時代、権力者の語りが多く含まれることから、藩という組織、クニを描いた1冊には思えない。
幕府を開いた徳川家康はもちろん、代々の将軍、江戸との関係と国替。主従制と官僚制の融合、という説明がいちばん腹落ち。
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城下町は江戸時代を通じて城下町であると考えそうだが、そうではなくて、江戸時代初期に戦略的に作られたということがわかる本。特に藤堂高虎が、その設計者であることがよくわかる。