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ナチの妻たち 第三帝国のファーストレディー
著者 ジェイムズ・ワイリー 著 , 大山晶 訳
独特な個性が複雑にからみあった彼女たちは、ヒトラーに魅了され、その日常生活はナチのイデオロギーに支配されていた。ナチズムの勃興から衰退まで、この女性たちは愛し、子育てをし...
ナチの妻たち 第三帝国のファーストレディー
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ナチの妻たち 第三帝国のファーストレディー
商品説明
独特な個性が複雑にからみあった彼女たちは、ヒトラーに魅了され、その日常生活はナチのイデオロギーに支配されていた。ナチズムの勃興から衰退まで、この女性たちは愛し、子育てをし、夫婦喧嘩をし、夫人同士で張り合った。その間ずっと、強大な総統の愛顧を得ようと争った。壁にかかった絵画は強奪したものだったし、屋敷で働かせていたのは囚人たちだった。食卓にのぼる食べ物は収容所で育てられたものだった。
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紙の本
この人達は江青ではない
2021/06/24 23:33
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
第三帝国の偉いさんの妻や愛人(ハイドリヒは少し格落ちする)をまとめて書いた本だが、「ナチの高官の妻や愛人は全てナチの偉いさん」といった先入観があって、こういう本を書いたように見える。確かにキャラ立ちするような濃い面々だが、男社会の第三帝国では彼女達は「誰それの妻または愛人」であって、それ以上の存在ではない。ドイツ民主共和国時代のマルゴット・ホーネッカーのように閣僚を務めた人物など聞いた事がない。著者は江青のようなモンスターか、控え見に見てクループスカヤに仕立て上げたかったのだろうか?イェニー・フォン・ヴェストファーレンを化け物のように書くようなものだ。
リナ・ハイドリヒの発言として紹介されているのはヘーネの「髑髏の結社SSの歴史」の引き写しだ。英語に訳されなかったにしろ、自著があるのに、それだけまとまった発言がないのだろう。
ゲーリングが自分で自分に勲章を授けて自慢げに佩用したかのように書いているが、全てではないにしろ、ソ連共産党の第一書記になってから自分で自分にソ連邦英雄称号やレーニン勲章、勝利勲章などを授けたり、共産圏諸国から授与された勲章や英雄記章でゴテゴテに飾り立てたりしていたブレジネフと間違っているのではないか?彼が佩用した勲章はプール・ル・メリット勲章や鉄十字章のような第一次世界大戦で授与されたり、大十字章や騎士十字章のようなヒトラーから授与されたりしたものだ。空軍の記章と言えるのはパイロット・偵察員章だが、彼は第一次世界大戦での撃墜王なのだから、授与資格はある。
紙の本
「ナチスの妻たち」は実は「ヒトラーの妻たち」だった
2021/04/29 15:56
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kapa - この投稿者のレビュー一覧を見る
国家元帥夫人エミー・ゲーリング、国民啓蒙・宣伝大臣夫人マグダ・ゲッベルス、親衛隊全国指導者兼全ドイツ警察長官夫人マルガレーテ・ヒムラー、国家保安本部長官夫人リーナ・ハイドリヒ、ナチス党官房長夫人ゲルダ・ボルマン、そしてナチス党副総統夫人イルゼ・ヘス。いずれもナチス第三帝国の支配者層の高位高官の「ナチの妻たち」である。ナチス草創期の闘争、権力掌握、内部抗争、破滅から戦後の否定と誤った思い込みに至るまでの時代を、彼女の夫たち、そして彼女たちのアイドルであったヒトラーその人の行動と言動に関連付けながら、私生活を織り交ぜて描かれる。夫たちとヒトラーについては、膨大な著作で描かれているが、妻たちを中心にナチス通史を描いたものは初めてのように思う。
本書には、ナチスを語るうえで重要な女性たちが数多く登場する。ある意味「ナチス女性名鑑」のようでもある。本書では私生活からアプローチした「ヒトラーをめぐる女たち」やナチス期の社会・思想・文化との関連で、例えば、レニ・シーフェンシュタール、ユニティ・ミットフォード、リーダ・パーロヴァ(ゲッベルスの愛人女優)などが登場するが、エピソード的に登場するだけである。「ナチの妻」の最高位のエヴァ・ブラウンですら端役的な扱いである。
「ナチの妻たち」の中で、比較的知られているのは、ゲッベルス夫人のマグダであろう。亭主の浮気に悩まされながらも、多くの子供を出産し、家庭を守るまさに「民族の母」であった。実際ヒトラーは彼女を気に入っており、自分の近くに置いて公式行事にいわば自分の夫人のように帯同するために、ゲッベルスと結婚させたという。したがって、ゲッベルスがマグダと離婚してパーロヴァと結婚しようとすることに総統命令として反対したのである。
なにより彼女たちはヒトラーに魅了されており、ナチ・イデオロギーに支配されていたので、総統の寵愛を得ようと争った。彼女たちは、公式行事セレモニー・晩餐会などの華やかさの演出装置であった。しかし彼女たちは、自らの地位を利用して「男性社会」に乗り込もうとはしていない。彼女たちは、子をなして育み、その行く末を心配する。夫婦喧嘩もする。上流階級の生活ではあるが、市井の女性たちと共通することもあった。本書では、そのような「私生活」部分も描くことで、夫を支え影響を与えた「悪女」というイメージを払拭し、寄り添おうとするのかと思ったら、やはりそうではなかった。略奪した絵画が屋敷に飾られていた。屋敷では囚人たちが働いていただろうし、食べ物は収容所で栽培されものもあっただろう。囚人の皮で作ったランプなどの家具もあった。彼女たちは、夫がしていたことには気づいていなかったかのように日常生活を営んでいたが、「知らなかった」は戦後のナチス批判では免罪符とはならず、彼女たちも批判されるのである。
「ナチス機関誌「女性展望」を読む:女性表象、日常生活、戦時動員」(桑原ヒサ子、青弓2020)によれば、ナチス期女性の社会的領域は「生存圏」と呼ばれた時期もあった。そこでは女性の活躍できる領域として一定程度の自立性は確保されていた。しかし全国女性指導者ゲルトルート・ショルツ=クリンクの地位は低かった。このような分断化された社会で「ナチスの妻」の立ち位置はどこにあったのだろうか。その地位の割には、どっちつかずで中途半端なものではなかったか。ヒトラーは、彼女たちをあたかも自分の妻のように見ており、彼女たちは「疑似家族」のメンバーであったという著者の指摘は示唆に富む。彼女たちは「ナチスの妻たち」ではなく、実は「ヒトラーの妻たち」だったのだ。