けっして読みやすい本とは言えないけれど
2022/08/20 02:13
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投稿者:ブルクハイト - この投稿者のレビュー一覧を見る
ネット上にある、スピ系(特に子宮系)を非難する記事やブログを読んでました。しかし、読み続けるうちに、(いくらその教祖や信者が滑稽な存在であるにせよ)あまりの口汚さや罵倒ぶりに辟易としていました。
そんなときに橋迫先生の本とツイートに出会いました。
占いやスピリチュアリティ、あるいは反ワクチンなどにはまってしまう人たちを見下したり、馬鹿にしたりすることなく(それでいて決して賛同しているわけではない)冷静に論じている姿勢に、視点の鋭さだけでなく、真の優しさと生真面目さを感じます。
この本を論じたとあるブログをきっかけに、何かとうとう裁判まで起こされてしまったようですが、各種文献や論文を読み込んで文章を書き上げる研究者と、テキトーな取材、調査でコタツ記事を粗製濫造するwebライターとその編集者では、そもそも住む世界が違い、話が噛み合わないのでしょう。
批判封じ込めが目的としか思えない、スラップ訴訟まがいの裁判には屈しないでほしい、と一人のファンとして願っています。
これほどのスピリチュアル事例があるとは
2021/09/05 22:38
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投稿者:広島の中日ファン - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルに惹かれて購読しました。
妊娠・出産に関して、これほどたくさんのスピリチュアルの事例があることを知れたのは、勉強になりました。
知っているスピリチュアルもありましたが、中には名前だけ知っていたものが、まさか胎教に関連するものだったのか!という事例が、私にはありました。
そして、妊娠・出産について、世の女性が不安で、これほどスピリチュアルにすがることも学べたことが、男の私には当書を購読して良かったと思っています。
社会が母親に強いる重圧
2021/11/05 19:40
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投稿者:BB - この投稿者のレビュー一覧を見る
妊娠・出産は、どんなに努力してもどんな策を練っても、思い通りにいくものではない。それだけに、妊娠も出産も、神秘的であり、スピリチュアルなものと結びつきやすいのも何となく分かる。
社会学者の著者は、近年拡大している「スピリチュアル市場」について、妊娠・出産に関するものを分析していて興味深い。
こうしたスピ系のコンテンツは、「非科学的」と断罪することもできる。しかし著者は「それを批判的な観点に限定した形で取り上げることはしない」と最初に書いている。それは「時に女性たちを「無知な存在」とみなしてジャッジするような権力関係を発生させる可能性をはらんでいるからである」という。
さまざまなコンテンツが紹介されているが、読んでいると、日頃スピ系でない人(科学的で論理的な人)も、胎内記憶や胎教、自然なお産や母乳育児などを入り口に、スピリチュアルな世界に引かれていく理由(過程)が理解できる。これらは女性の身体に価値を見出し、肯定している。
世間の母親に対する視線は厳しく、「母として」あるべき姿を求められるなど、重圧は大きい。母になれば、自らの進退も大きく変化し、キャリアにも影響する。子どもを「いい子」に育てることへの責任も、母親の方にずっしりとのしかかっている。
母であることに新たな価値を見出し、母であることを肯定しなければ(肯定してもらわなければ)、生きていけない。
そんな社会を逆照射しているのだと思う。
文章自体は読みやすくはないが、類書はない。いろいろな発見があった。「フェミニズムが取りこぼしてきたもの」という指摘にも納得だ。
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おもろいね。確かにいろいろあるよねー。羅列しただけで、論じてないのが残念か。それは読者に任せたということか。
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テーマがとても面白い。少し論の運び方が強引かな…と思ったのと、調査対象を書籍に絞っているところが不十分かと思った。が、それを余りあるテーマ設定の良さ。
命を育む不安にスピリチュアリティが入り込んでくるのは納得できるが、スピリチュアリティといっても色々あること。そしてそれらが「女性」であることに肯定的な価値づけを置くこと、一方でフェミニズムが掬い切れていなかった領域でもあること。帯にある「フェミニズムの『落とし物』」という表現が絶妙。
これを読んだ後に、妊娠・出産関係のコンテンツを見ると、味わい深い…。
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スピリチュアルな言説に衝撃を受けました。ずっと寒気を感じてました。とんでもなさすぎるだろと、、、
どうしてスピリチュアル市場が成り立つのかを良く考えないといけないなと。
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妊娠出産は女性にとって人生の重荷である。それを戦略として前向きに立ち向かう知恵としてスピリチュアリティーの存在感が増している。
子宮系、胎内記憶の詳しい分析、フェミニズムとの関連など、わかりやすい説明で頭の中が整理されて良かった。
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スピにおいては、妊娠出産月経母になることが肯定的に位置づけられている。市場で自由に調達できる。初めてあくまで個人のものとしつつ、肯定的に聖化する機会を得た。女性の意識や価値観を適切に反映させた。
ジェンダーバイアスを前向きに受け止める。身体性と向き合う。至急の状態を整えておけば、リスクの比較的少ない時期にタイミングよく妊娠出産できるかもしれないという願い。
身体性に聖性を付与する。身体のケアと内面の安定の連動。努力型と開運型。古い女性観は保管する。フェミニズムとは連携してない。
私はこの運動の直前に産んじゃったんだな。お世話になった方が出てきてびっくりしたり。
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スピリチュアリティとは、新興宗教のように教団や教義によらず、個人がネットワークを通して聖性を希求する運動のこと。そのうえで大きな役割を果たしているのが、スピリチュアリティに関する情報・モノが取引される「スピリチュアル市場」だ。そこで近年台頭しているのが、妊娠出産をめぐるコンテンツだという。
生死にかかわることから、もともと宗教との結びつきが強い妊娠・出産は、近代化とともに医療の対象とされ、またフェミニズムの影響もあって、個人の自己決定に属する問題となってきた。ところが近年になってふたたび霊性と結びつく傾向が強まっているのだ。
本書は「子宮系」「体内記憶」「自然なお産」などの代表的なスピリチュアル言説をトンデモとして切り捨てるのでなく、そこに反映されている女性たちの欲望と葛藤を、フェミニズムとの関係を問うことで読みとこうとする。子宮を大切にすればすべてがうまくいく、胎児と対話ができる、男などいなくても妊娠できる…といった一見荒唐無稽な内容は、妊娠出産が選択した女性の自己責任とされ、パートナーの協力もなく過重な負担と不安に向き合わなければならない女性たちにとっての切実な希求を反映するものなのだ。
もっとも、妊娠出産や女性の身体を、近代に対置される「自然」やスピリチュアリティと結びつけること自体は、特に欧米系のフェミニズムとも親和性が高かったはず。だが日本におけるスピリチュアル言説は、自然とつながって生きていたとされる「昔の日本の女性」を現実にもとづかないかたちで称揚する点で、むしろ政治的保守主義やナショナリズムに接近する。
この点を掘り下げるため、80年代に上野千鶴子らと論争を繰り広げた青木やよひのエコフェミニズムと、2004年のベストセラー『オニババ化する女たち』で知られる三砂ちづるの言説を比較する第5章が興味深い。両者はいずれも女性の身体性とりわけ妊娠出産機能と「自然」とを不可分のものととらえる本質主義に立っており、生産性-男性性を上位に置くような近代社会の論理に女性が参画し/組み込まれることには批判的だ。ジェンダーおよび自然の社会構築性を重視するフェミニズムの立場からはいずれも批判を受けてきたが、それでも青木の論があくまで男性中心的な家父長制社会の変革をめざすフェミニズムの側に踏みとどまるのに対して、三砂は異性と性関係をもち母として家庭を主な領分として生きることにこそ女性は積極的な意味を見出せると説き、日本の純粋な文化を称揚する保守的なナショナリズム・反フェミニズムの側に立つ。
この両者の重要な分岐点は「自然」の位置づけにあると著者は指摘する。青木において女性の身体性が外部の自然と接続され、近代社会に対する批判的視点を確立する足掛かりとなるのに対して、三砂における女性と自然とのつながりは、女性個人の身体内部にとどまっており、せいぜいが日本というネイションの自然化された本質に接続するのみだ。そこには2人の視点の差以上に、この30年における妊娠出産という社会的課題の個人化、そしてそれに対抗する思想を生み出してこられなかったフェミニズムの行き詰まりが反映されている。社会に向かうよりも果てしなく自己身体のフェティッシュ化へと向かう妊娠出産のスピリチュアリティとは、つまりは生殖と身体の再生産が、世界に向かって開かれる回路を見失い、果てしなくネオリベラルな自己責任の論理へ、それもジェンダー規範の強化をともなって閉じ込められてきたことの反映なのだろう。
しかしそれでもなおわからない感じは残る。「体の声に耳を傾け、自分を大切にしよう」というメッセージそれ自体は、自己身体の自己管理を要求するネオリベラリズムと親和性が高いが、かならずしも妊娠出産と結びつく必要はないし、また必ずしも著者がくりかえし強調するような「女らしさ」と結びつく必然もないのではないか。男性の存在感が著しく薄いことも、もちろん一面においてはワンオペ育児が当然となっている多くの母親の現実を映し出しているものではあるが、女性の男性への従属を前提とする保守的家族言説からは離脱する部分が多々ある。もうすこし違う軸を導入してみると、また違ったものが見えてきそうではある。
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とても良い本。誰も踏まないように書かれている。日本のフェミニズムが妊娠出産、子育てという不安な気持ちに寄り添ってこなかったこと、そのことについて考えさせられた。
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スピリチュアル市場が盛り上がった時代に妊娠・出産した者としても、それを学問として扱ってくれる本書は有難い一冊でした。
男性によるスピリチュアル分析よりも当事者的で、そこが気になってた!というところに触れてくれています。
事例は少なく、傾向や分類というアプローチで、少し物足りなくも感じるが、その辺りも当事者的な優しい関わりかたの現れかもしれない。嘲笑、攻撃にならないよう配慮されているように感じます。
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妊娠や出産に絡む精神性の問題をspiritualityとして議論しているが、何かピンと来ない.キーワードとして、子宮系、胎内記憶と自然なお産の3つを取り上げているが、非科学的な記述が見え隠れする本に焦点を当てて論評する形を取っており、その内容の評価は見えてこない.p182で、’’これまでの分析で明らかになったのは、「子宮系」や「胎内記憶」そして「自然なお産」のいずれでも共通しているのは、女性の身体性そのものに聖性を付与する価値観が貫かれているということである.’’ とまとめているが、これも何か的外れな感じがする.取り上げた本では、男性の存在についても無視している ようで大いに不満だ.
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ホメオパシーやスピリチュアリズムと、産婦人科の関連がわかる。ジェンダーなどに疎い人でも理解できる内容。
産婦人科に限らず、代替医療や医療読み物、エビデンスなどが気になる方にオススメ。
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オカルト好きならお馴染みの「あの界隈」について、「はじめに」を呼んだ時点で良書と分かる、とても良い著作だった。理性的かつフェアであろうとしており、社会への鋭い眼差しがある。
女性がある程度は自身の選択で妊娠や出産をすることが可能になった世の中ではあるけれども、選択の余地があるからこそ尚、決断には困難が伴う。そんな中で妊娠や出産が(ひいては女性の身体性を持つことが)素晴らしいことであるという確信への希求が、スピリチュアル市場」の根底にあるのではないか。というのが私なりに理解したところ。
読みたくなる参考文献も色々出てきてホクホク。
引用:
したがって、「スピリチュアル市場」での妊娠・出産に関するコンテンツから透けて見えるのは、社会に対して女性たちが前向きに諦めようとする態度だとも言える。
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子宮だけが神聖領域なのだろうか?
そもそも子どもは両性によって存在しうるはずなのに。
何より子宮をやたらに神聖化しつつも、ジェンダーとしては女性蔑視に繋がる思想についても本書では触れられてた点が個人的には良かった。
子どものもう一方の親である父はどう、この本を読み解くのか。その点に興味がある。
p10
妊娠•出産をめぐるスピリチュアリティにはナショナリズムと親和性が高い傾向がうかがわれる。→まさしく。戦前のイメージ。
p24
2000年代に入ると「スピリチュアル•ブーム」が社会に到来した。→直前の90年代はオウムなどの事件もありスピリチュアル的なものは避けられてた印象がある。一気に逆ブレしたなという印象。
p26
妊娠•出産がケガレと見なされたのは、それが生と不可分に結びついたものでありながら、同時に死との境界線上に位置すると受け止められていたからである。
p29
妊娠•出産に関しては、医療が管理するものに移行したことが大きな変化として挙げられる。→他人がかんりさるものから、主体性を取り戻すプロセスを指しているのか。しかし、安全という意味では他人(医療従事者の関与は否定されるものではないと思う)
p36
出産のコミックエッセイ、ママタレの登場についての指摘について、母性イメージの肥大化があるが、母という神聖領域を手に入れることで本人たちがある種、解放されたような印象?
p37
「宗教ブーム」のなかで、妊娠や出産や母となることと宗教とは再び接近するようになる→旧統一教会などを想起した。商業主義と結びついたスピリチュアルは母と子を金集めのために利用している側面もある?
p40
「スピリチュアル市場」では妊娠•出産や月経、そして母になることが肯定的に価値づけられていることである。→逆に身体上、経済上、やむなく出産を諦めざるを得なかった人、母になる選択をしなかったことを絶対悪のように扱うのはどうだろうか。
p42
女性には、女性という身体に生まれたというだけで、妊娠•出産を経て母になる人生をあゆむのか、そうではない別の人生を歩むのかという選択が常に付いて回る。→自分は「女性として生まれたからには」とか「愛する人の子を」という言葉に重さを感じたので身体構造として強いられる選択がさらに苦しめている側面はないだろうか。
p47
子宮に神聖性や神秘性を見いだすという指摘について、子宮だけが聖域というのは疑問。子宮に子が宿るのはプロセスとしてパートナーがいないと成り立たないもの。男性の存在価値は?
p50
子宮について努力や開運を求めるのはまさに精神論そのもの。根拠がないと感じた。
p52
負のエネルギーや卵子の老化の根拠は?妊娠力チェックについても余計なお世話ではないか。
p61
マクロビオティックについては母として食べることが他の命を奪うことへの拒絶のイメージ?
p62
都会生活の否定→変な方向の自然崇拝に感じた。自然と都会の共生も可能ではないか。お金があるから自然崇拝に走れる部分もあると思う。
p64
痛みや苦しみがなければ成功とは言わない、認めないような日本独特の風潮ではないだろうか。個々の妊婦が安全や安心を求めて何がいけないのだろうか。
p71
卵子の老化と一体化し子宮の神聖を高める→もはや宗教。
若さ(特に女性)を過度に崇拝してないだろうか。
p72
自然なお産→医療や薬品を極力使わない、昔礼賛過ぎないだろうか?p74で、「妊娠•出産を経て母親になることをエモーショナルに肯定」という指摘は共感。母という役割に女性らしさを付加し、固定化させようとするのは反発を感じる。女性の選択ありきであり、個々の選択が尊重されるべき。
p87
胎教には母親の愛情が不可欠とあるが、母だけに出産後の子どもの教育や人格形成をもとめるのはどうなのだろう。父親は?役割分業が行き過ぎてないだろうか。
p90
宇宙エネルギー→滑稽すぎやしないだろうか?根拠は何処に?主張者の主観のみではないか。
p94
障害児について、橋迫さんが指摘しているように(かつてのナチの)優生思想めいたものを感じた。
p97
子どもの胎内記憶について、本当かもしれないが大人に喜んでもらおうとする子どももいるのではないだろうか(逆にそうせざるを得ないならいじらしいというよりもかわいそうではないだろうか)そういう子どもを得たという優越感?自己満足?
生殖以外、男性を必要としないというのはおかしくないか?過度に進めば精子を買って産む女性も出てくるのでは?
生殖以外の、コミュニケーションとしての性交も日々の営みと考えれば生殖のみを目的とする性交もどうなのだろうか。女性だけが胎内に子供を宿せるのは事実だが過度な聖性付与はやはり危険と思う。
自然なお産の崇拝についても少し気持ち悪さを感じた。母子とも助かるなら何を選択してもいいのではないだろうか。
橋迫さんと同じく、私も子どもへの過度な神聖化も違和感を感じる。他にも女性賛美が保守的な女性観へと連なっている点についての指摘も共感。さらに子どものいない単身男女を社会の隅に追いやっている印象をもった。
オニババ化という言葉を用いた三砂氏への指摘についても冷静に分析されている。個人的に、三砂氏は特に年配女性についてミソジニー的感情を持っている印象を持った。逆に若さや可愛い文化重視の日本ではどこか若年層や男性へ忖度している印象も持った。三砂氏の「産んでも産まなくてもありのままの私を認めてほしい」という価値観が、結婚や出産から女性を遠ざけたからという主張について、どんな選択をしようと個々の選択が尊重されるべきではないだろうか?産まなくても子育てにはいろんな人間が関わっていくもの。いちばん身近なのは両親だが子どもが育つ過程ではいろんな大人が関わる。子どもがいなくてもそこで力を発揮する人もいる。マダネプロジェクト主催者のくどうみやこさんの子どもがいないと母性を平等に配れるという考え方の方が素敵だなと思った。単身、夫婦のみの世帯が6割となった日本であるが、その存在はサイレントマジョリティーに追いやられているように感じる。商業主義と結びついたスピリチュアリティが既婚未婚や子どもの有無といったことで無駄に女性たちの分断化を煽ってきたのではないだろうか。