無意識の研究から意識へ
2018/06/25 22:20
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投稿者:病身の孤独な読者 - この投稿者のレビュー一覧を見る
意識研究の代表格であるドゥアンヌによる神経科学の知見を膨大に盛り込んだ渾身の一冊。トノーニらの理論に次ぐ意識の理論を提唱している。エビデンスベースで論を進め魅力的な意識の意味を我々に提示している。本書は決して易しくないが、読む価値は大いにある。
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無意識の状態、「注意の対象となればいつでも意識できるが、実際にはまだされていない状態。目に見えないほど極わずかな期間かすかにイメージをフラッシュ(脳は反応しているが持続しない)した識閾下の状態。生命を維持する呼吸のリズムを形作るような状態。ニューロンの複雑な発火パターンへの希釈(無関係のニューロンに紛れる)された状態。」を様々な実験や臨床(閉じ込め症候群などとても興味深かった)によって明らかにすることによって、意識の問題へ迫る、難解ながらも面白かった。
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意識と脳の関係は、松果体を持ち出した心身二元論のデカルトの例を持ち出すまでもなく、哲学的にも生理学的にもとても古い問題である。宇宙はいかにあるのか、物質はいかにあるのか、生命はいかにあるのか、については二十世紀において相対性理論、量子論、進化論とDNAの発見、などにより格段に科学的理解が進んだのに対して、意識の問題はいまだにその謎の解明には程遠い。しかし近年、fMRI (functional magnetic resonance imaging)、MEG (Magnetoencephalography)、EEG (Electroencelphalography)などの生体観測技術の進歩により、脳内の活動について直接的かつかなり正確に観測をすることができるようになっており、これまでとは違ったアプローチが可能になっている。たとえばfMRIは、人の脳の活動を一秒間に数回、ミリメートル単位の分解能で視覚化することが可能だという。
このような技術的状況において、著者らは「意識」の問題について、コンシャスアクセスという概念を持ち出して、「意識」を検証可能な実験の対象となるように定義する。コンシャスアクセスの定義は、「注意を向けられた情報のいくつかが、やがて気づかれ、他者に伝達可能になること」(p.20)である。この定義において、著者は意識を科学するために注意深くクオリアや自意識の問題とは切り離して実験的に操作可能なものとしている。「「コンシャスアクセスの重視」「意識的知覚の操作」「内省の注意深い記録」という三つの要素は、意識の研究を通常の実験科学へと変えたのだ。今や、被験者が見えなかったと報告する画像が、どの程度まで脳によって処理されているのかを調査できる」(p.26)というのが著者の基本姿勢である。「思考はいかにコード化されるか」という副題からも推測できるように、著者らの特徴と実績として、コンピューター・シミュレーションによりその概念の検証を実施している点も挙げられる。これについても実験装置と同じく十年前では実現できなかったこの分野での進歩のひとつだ。著者の検証可能な仮説にこだわる思想は、コンピューター・シミュレーションを行うという行動にも影響をしている。とにかく、「意識」を科学的に検証する、というのがまずはポイントであり、本書を貫いている根幹となっている。
その「意識を科学的に検証する」ための戦略のひとつとして、短い間で目には見えているにも関わらず意識に上らないマスキング効果(有名なInvisible Gorillaの実験もその一例)を活用する。感覚情報として入力されているにも関わらず、かつ無意識の層では処理されているにも関わらず、意識の層に上らない識閾下の現象を利用し、その場合と意識に上った場合との最小の差である「意識のしるし」を脳内の現象として捉える。そこから著者らは、意識の問いに対する仮説として「グローバル・ニューロナル・ワークスペース」と呼ぶ理論を提唱する。偏在し、無意識の処理を行うモジュール性の脳内回路に対して、「意識は、皮質内で伝達される広域的な情報であり、脳全体で必要な情報を共有するための神経回路網から生じる」(p.27)というのがこの仮説の骨子だ。この仮説の動作を実現する器質的特徴が、脳には存在しているとし、「一群の特殊なニューロンが、意識的なメッセージを脳全体に分配していると考えている。皮質に張り巡らせた長い軸索を持つこれらの巨大なニューロンから構成される細胞群は、脳を統合的な全体へとまとめる」(p.27)という。脳内処理のモジュール化の例として、ビル・クリントンの名前を聞いたときだけ発火する細胞を挙げているが、以前おばあさんの顔だけに反応するおばあさん細胞という例があることは聞いたことがあるので、それと同じだとはいうことなのかもしれないが、驚きだ。とにかく、意識の働きはこのようなローカルのモジュール処理を脳内でコミュニケートさせて統合化するものであるということだ。
著者らの注意深い実験の結果から、「予期していなかったできごとの意識的な把握は、現実世界の推移よりもかなり遅れるという重要な結論が得られる。私たちは、外界から押し寄せる感覚シグナルのわずかな部分を意識しているにすぎないだけでなく、意識された部分に関しても、少なくとも三分の一秒の遅れが生じる」(p.178)ということがわかる。著者は、このようにして起こる意識化を、神経回路網の相転移の概念で説明する。別の言い方をすると「グローバル・イグニッション」により、多くの領域が同期しながら発火する、脳のなだれのような活動が意識化の仕組みだという。そして、その際に発する脳内に遅れてくる陽性電圧である「P3波」などが「意識のしるし」だとする。実際に「前頭葉と頭頂葉の諸領域に分散する活性化、P3波、ガンマ帯域の増幅、遠隔領域での大規模な同期など、数々の意識のしるしを呈する」(p.199)ことが実験からわかっている。ここで著者は賢明にも、課題は「真の意識のしるしと、単なる意識との相関関係を区別しなければならない」(p.201)ことだとするが、現時点で単なる相関関係ではない証拠が積みあがっているとしている。
意識の仕組みについては、ここまでに見たとおりであるとして、それでは、なぜ意識は存在するのだろうか。著者は、「意識は、脳の計算処理的経済のなかで一つの役割を担っているのだ。適切な思考を選択し、増幅し、伝達するという役割を」(p.27)という。著者はその点についても進化論の観点からも説明をしようとしている。
意識自体については、無意識の働きと比較して限定されたものであるとも考えている。本書でも引かれた『ユーザーイリュージョン』などの他の多くの著作にも示唆されているように、人間の意識は比較的スローで、かつ自らが期待するほど自発的でもないのだ。この辺りは『ファースト&スロー』などの行動経済学の理論とも矛盾がないように思われる。 「「意識は過大評価されている」と言ったとき、フロイトは正しかった。私たちは、意識的な思考のみを意識しているにすぎない。これは自明の理だ。無意識の作用は気づかれないために、私たちはつねに、身体的、精神的生活における意識の役割を過大評価する。無意識の脅威的な力を忘れることで、自分の行動を過度に意識的な判断に結びつけ、それゆえ意識が日常生活の主役であると誤解する」(p.114)というのが著者の見解である。その上で、意識が人類において発達してきた理由として、「意識的知覚は、独自の処理が可能な内部コードへと入力情報を変換する。意識は、精巧に作り上げられた機能であり、何百万年にも及ぶ進化の過程で、まさにそのものとして選択された可能性���高い。というのも、意識は、特定の機能的役割を果たすからだ」(p.131)と、意識が進化によって生まれてきたことを強調する。そこでワーキングメモリの理論にも言及し、「ワーキングメモリと意識は密接に関連すると考えられる。ダニエル・デネットに従って、意識のおもな役割は、持続する思考を形成することだとも言えよう」(p.144)と述べる。つまり、「グローバル・ニューロナル・ワークスペース」仮説の骨子は、「意識は脳全体の情報共有である」ということになる。「意識とは、私たちが一片の情報に注意を受け、この一斉伝達システムのなかでそれを活性化したまま保っておくことを可能にする」(p.226)ものなのだ。さらに人類における言語の発展を交え、「言語は、自己の心的世界を構造化し、他者と共有することを可能にする、意識的思考の分類的、統語的な記述能力を私たちに与える」(p.156)ことにより、人類は意識を獲得し、活用してきたと説明している。
本書は、「意識の未来」と名付けられた章で締めくくられるが、自分にとってはこの最後の章がもっとも興味深く、刺激を受けた。この章までは、著者は「意識」をコンシャスアクセスの問題として限定的に捉えることで、実験と観察により検証可能な形としたために、いわゆる主観性や自由意思に関する問題を先送りした形になっている印象を受けていたからだ。このままだと消化不良と不満が残るのではないかと感じていた。
特にデビッド・チャーマーズらが唱える、意識を巡る議論の中で常に発生する主観の問題、いわゆる「ハードプロブレム」について、一般には多くの議論が残る中で、著者は最後の章の中で明確に割り切った態度を表明している。著者の見解はこうだ。「ハードプロブレムがむずかしく思えるのは、不明瞭な直観が関与しているからだ。認知神経科学とコンピューター・シミュレーションによって私たちの直観がひとたび訓練されれば、チャーマーズの言うハードプロブレムは消えてなくなるだろう。いかなる情報処理の役割からも切り離された純粋な心的経験としてのクオリアという仮説的な概念は、十九世紀の生気論のごとく前科学時代の奇妙な考えと見なされるようになるだろう」(p.362)。そして、「意識の科学は、ハードプロブレムを徐々に解体していき、やがてこの問題は消滅するだろう」(p.362)と明言する。同じく、自由意思についても、自律性という概念に置き換えることを提案し、それは機械にも実装可能なものであるとする。「要するに、クオリアにせよ自由意思にせよ、意識を備えたマシンという発想に対して、重大な哲学的問題をつきつけたりしないということだ」(p.366)という。この意見が意識の科学の中で支配的な考えとなっているのかはわからないが、クオリアの定義などには常にいかがわしさを感じていたこともあり、実のところ自分の考えもこれに近いものだという感想を持つこととなった。要するに意識を説明するのにクオリアというものを持ち出す必要は、この世界を説明するのに神を持ち出す必要がないのと同じと考えるべきなのだ。
著者は、この「意識」の問題に関連して、乳児の意識、動物の意識、意識の病、機械の意識、についても、グローバル・ワークスペースの仮説に基づいて論じていて、その結論も興味深い。乳児の意識については���反応は非常に遅いながらも、グローバル・ワークスペースやコンシャスアクセスは備わっていると推測している。
動物の意識についても、意識のワークスペースが収斂進化していたとしてもおかしくないとするが、 一方、「おそらくは人類のニューロナル・ワークスペースのみが、思考や信念を心のなかで組み立てて操作する独自の適応力を持つのだろう。神経生物学的な証拠も、数は少ないながらもこれを支持する」(p.349)としている。特に前頭葉前頭皮質の大きさ、ブローカー野と広範囲にわたるその第三層ニューロン、正中線に沿った全帯状回の巨大なニューロン、などを人類に特有の生物学的な特質を挙げている。著者はさらに踏み込んで、人類だけが再帰的処理を伴う内省を行うことができ、そのためのミクロ回路がみつかったとしても驚かないとまで言う。
また、統合失調症などの意識の病に関しては、多くの患者の無意識の反応は健常者と変わらなかったのに対して、コンシャスアクセスの識閾値が非常に高かった(鈍い)ことを重要な知見として挙げている。「要するに統合失調症は、脳全体にシグナルを一斉伝達し、意識のワークスペースシステムを形成する長距離神経結合を蝕む疾病の有力候補になる」(p.357)としている。一部の多発性硬化症患者の白質の損傷が同じような影響を与えていることもヒントになるという。また、脳内の免疫機能の障害による抗NMDA受容体抗体脳炎は、統合失調症と同様の症状を呈することもそのことを示しているとしている(抗NMDA受容体抗体脳炎 に関しては『脳に棲む魔物』という本が詳しく、面白い)。
機械の意識に関しては、現時点では柔軟なコミュニケーション、可塑性、自律性といった要素に欠けているものの、機械が「意識」を持てない論理的な問題はないとして、数十年のうちにも現れる可能性があるとしている。
著者は、最後に神経回路の複雑さに言及しつつ次のように語る。「遺伝的な規則、過去の記憶、偶然のできごとが交錯することで形作られる神経コードは、人によって、さらにはそれぞれの瞬間ごとに独自の様相を呈する。その状態の無限とも言える多様性は、環境に結びついていながら、それには支配されない内的表象の豊かな世界を生む。痛み、美、欲望、後悔などの主観的な感情は、この動的な光景のもとで、神経活動を通して得られた、一連の安定した状態のパターン(アトラクタ)なのである。それは本質的に主観的だ。というのも、脳の動力学(ダイナミックス)は、現在の入力を過去の記憶、未来の目標から成る布地へと織り込み、それを通して生(なま)の感覚入力に個人の経験の層を付与するからである」(p.367)
著者はコレージュ・ド・フランスの所属であるが、『意識はいつ生まれるのか』のジュリオ・トノーニや、ミラーニューロンのジャコモ・リゾラッティはイタリアの研究所の所属である。この分野の最新の研究の知見が欧州からきているのは興味深い。
かなりの大著で専門的な内容も多いが、ことさらに読みにくいところはなく、意識に興味がある人にとってはお薦めであるし、必読とも言えるのではないかと思う。意識が解明されたというにはまだまだで、ある種の仮説が提示され、それを検証するための手法と仮説を補強する結果が得られているといった程度と認識するのが正しいのかもしれない。レビューが長くなったのは、引用が多くなったからだが、その辺りを自分ではなく著者の主張としてより正確に伝えたかったからというのもある。また一方引用したくなるような箇所が多かったからでもある。今のところ残念ながらkindle化されていないが、装丁も丁寧で素敵なので紙の本で買っても損はないのでは。
それにしても、意識ってまだまだ不思議だ。
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『脳に棲む魔物』のレビュー
http://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4047313971
『ユーザーイリュージョン』のレビュー
http://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4314009241
『ファスト&スロー : あなたの意思はどのように決まるか?』のレビュー
http://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4152093382
http://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4152093390
『意識はいつ生まれるのか』のレビュー
http://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4750514500
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巧妙な実験によって、無意識がたいていの情報処理を行っていて、意識がそのなかから選択したものを認識している、という事実が示されたところは、面白かった。学習とは、そういう無意識で処理されるモジュールを作ること、といえるのではないか。
コンピュータ的な解釈は、すんなり腑に落ちるものの、シミュレーションで再現できた、というところは、そりゃあモデルをそう作ったらそう動くでしょう、と思ってしまう。
量子力学的なふるまいについては否定的だが、そうすると人間の行動というのはニュートン力学で計算・予測できるものとなってしまい、なんだか空しい。
とはいえ、コンピュータで作られた意識・知性に会ってみたいとも思う欲張りな自意識だった。
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興味深いけど難しい。分かりやすく書かれているのだろうけど、やはりその内容は難しい。部分的に何度も繰り返し読んでもやはり良くわからないことが多い。他の文献をもう少し読んでから再度読みなおしたい。いつか目から鱗の瞬間が来るといいなぁ。
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MRIとか、脳波とかで、かなり意識の謎がわかるようになってきたというところをかなり実験の内部まで詳細に教えてくれる本です。この本の後書きにも書かれている通り、脳とか意識とかの本は山ほど出ているのですが、実際に脳と言うブラックボックスをハックしてそこのハックからモデリングするというアプローチは「ハードプロブレム」とか「クオリア」とかで哲学しているよりも全然進みそう。そして進んでる。まあ、チャーマースの本はそれはそれでとても楽しい本なので続けて書いていってほしいとは思いますが。実験のところはかなりきちんとかいてあるので集中しないと読めないですが、集中して読む価値は、、あります!で、詳しく知りたい方は、澤田さんの書かれた書評を読むとよくわかります。
http://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4314011319
仕事に持って行ったら、この本途中でコーヒーを入れた水筒がもれて茶色くなっちゃった。
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認知神経科学の世界的研究者である筆者が、意識についての最新の研究成果について教えてくれる。
意識が生じるとき、我々の脳の中で何が起こっているのか。
それを実験を通して実証しようというのが筆者の研究であり、その研究成果の紹介が、本書のテーマになる。
まず、意識という感覚的な現象を科学的に捉える手法の巧妙さに驚いた。
意識と無意識の反応を区別するために、心理学クイズに見られるような課題を被験者に対して実施する。
本書でよく出てくるのは、意味の無いパターンの連続の中に、数字や人の顔などの意味のあるパターンを潜り込ませる。
意味のあるパターンを意識できるかどうかは、そのパターンがどのくらいの時間見せられていたかによる。
この時間には閾値があり、その閾値の前後で、意識できるか、意識できないかが変わる。
この現象を利用し、被験者が意識できたときと、できないときの脳波を調べ、意識のしるしとは何かを、データとして同定するという具合である。
科学とは客観的なデータのみを重視し、被験者の主観的な申告を信じるべきでないとする思い込みから、こういう手法はなかなか確立されていなかったという。
意識というのはそもそもが主観的な現象であるから、被験者の主観を実験の中心にすべき、という筆者達の柔軟さに感服した。
その結果分かったこととして、意識のしるしは、P3波と筆者が呼ぶ、無意識の反応から300msほど遅れて発生する、皮質と感覚野の間での大規模な信号の交換であるという。
その結果、脳は、その様々な領野の機能を使って感覚情報を統合的に処理する。これが意識であるという。
こうした手法をツールとして手に入れたことは、脳の研究にとって、非常に大きかったのではないだろうか。
本書では、それを土台に、閉じ込め症候群という、植物状態でありながら、周囲には気付かれないまま意識を保っている症例への臨床的な応用に始まり、
乳幼児には意識があるのか、動物に意識はあるのか、人の意識は動物のそれと何が違うのか、統合失調症はなぜ生じるのか、といった興味深いテーマについて、次々に言及していく。
意識、無意識の考察というのは多分に感覚的な思い込みを含むものだと思うし、それが仕方ないと思っていたが、工夫次第でここまで科学的に言及することができるとは、重ね重ね驚き。
筆者は、このような研究の成果を踏まえれば、ある哲学者が言った、「乳幼児には意識がない(ように見える)から人間とは言えない」というような発言は、おぞましいことだ、と喝破している。
確固とした事実に基づいてこうした思い込みを批判できるのは、非常に価値があることだと感じた。
全編を通して、2010年前後の最新の脳研究の成果が事実に基づいてたくさん述べられているので、興味深い記述が多く、大変面白い本だった。
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意識がどう生まれるかについて、脳の研究の結果分かっていることについてこれまでに行われてきた実験をベースに記載。
直接に機能する箇所が無数にあり、それが短距離、長距離で結合する。またそれが段階を追って結合の仕方が変わることで統合された意識のワークスペースが出来上がるとする。
個別の顔(ここではビルクリントン)に反応すらする細胞があり、ワークスペースはその機能が水平的垂直的に結合しているが、その詳細はまだ解明されていない。プログラムでシミュレーションした結果では原始的な反応は再現できた。また動物にも同様の機能を持ったり、実験での反応があることから自省ができるということがわかってきている。
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意識の解明という、思考や感情はどこからやってくるのかという深遠な問い。科学が意識の起源に迫っていく。
コンシャスアクセスを意識の1つとして、注意とは区別し深めていく。対象が心をとらえ、言葉や行為によって報告可能になる。
意識の処理はシグナルとして認識されたが、グローバル、ニューロナル、ワークスペース仮説を用いて意識は脳全体の情報共有であるとする。意識とは一片の情報に注意を向け、伝達システムの、なかでそれを活性化したまま保つ。内的システムとしてのスペースを持っているということだ。
見えている、あるいは見えていないイメージをも脳が処理している。乳児には意識があるのか。コンシャスアクセスはある。ただ、大人の4倍遅い。こうした実証実験を重視したアプローチで、脳と意識を本気で定義しにいく意欲作だ。造語も多く、理解は大変だが、まさにこれけらのテーマ。しっかり学ぶ価値ありと感じた。
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脳の機能を分解し解明していく所謂リバースエンジニアリング分野の発展は近年顕著である。著書が唱える「グローバル・ニューロナル・ワークスペース」理論は、意識とは何かに迫る野心的な仮説である。意識の発生が解明できればAIに人格を持たせることが可能になるのかもしれない。
本書は認知神経科学の見地から識閾の境界線を模索する。極めて丁寧に意識と識閾下との間を選り分けるため、多角的かつ重層的に検証実験を取り上げている。厳密故に門外漢にとっては多少の冗長的退屈さはあるかもしれない。
いずれにせよ意識の解明を実証すべく邁進する認知神経科学のスタニスラス・ドゥアンヌが世に送り出した、意欲的な一冊である。
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内容が濃いので、読むのに時間がかかった。
難しい部分も多かったけれど、意識に関する意識が変わった!
おもしろい。
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人間の脳内に存在する1000億のニューロン各々がどのような発火パターンを示すのかを特定するなんて、時代はAIとは言え、ヒトゲノム解析より大変そう。でも、そこまでやっても直感的な「意識」の理解には程遠いんやろうなあ…
神経学者のアプローチは、哲学畑の著作に比べると、具体的で細部にわたってとても丁寧。誰が考案したどんな装置で何という検査をどうやるか。対象となる部位の名称に分泌物に反応の名前。地味だ〜
でもただの「スゴい研究」でなく、臨床的に「閉じ込め症候群」のコミュニケーションに寄与できるのはとても大きい。
聴覚皮質が新奇性を検知する能力を失っていないことを示すだけのMMN(ミスマッチ陰極電位)反応を、局所/大局テストに応用して残存意識を検出するくだりは感動的ですらあった。
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昔から「自分」とは何なのか、何をもって「自分」は構成刺されるのか強い興味をもって生きてきたが、この本はその問いに実に鮮やかに答えてくれる。この本を読むまではデカルト的な世界観を持って「自分」というものを捉えていたが、実は「自分」というのはものすごくいい加減なものであることがはっきりしてきた。読み終えたあと、大きく世界観が自分の中で変わった気がした。
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後半は流し読みになってしまった。いつか改めてしっかり読みたい。
あとがき(p.374)より
同時期に出版された類書
『意識はいつ生まれるのか――脳の謎に挑む統合情報理論』
『意識をめぐる冒険』
『自己が心にやってくる』
『脳のなかの天使』
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[関連リンク]
SFが現実化しつつある世を生きている──『意識と脳――思考はいかにコード化されるか』 - 基本読書: http://huyukiitoichi.hatenadiary.jp/entry/2015/11/10/203527