源氏の血脈 武家の棟梁への道
著者 野口 実
その後700年におよぶ武家政権を本格的に開始したのは、なぜ源氏だったのか。そしてその地は、なぜ鎌倉だったのか。源氏を「武家の棟梁」に押し上げた4人――源為義・義朝・頼朝・...
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商品説明
その後700年におよぶ武家政権を本格的に開始したのは、なぜ源氏だったのか。そしてその地は、なぜ鎌倉だったのか。源氏を「武家の棟梁」に押し上げた4人――源為義・義朝・頼朝・義経の人物像から、日本中世の始まりを描く。
武士は、律令制が乱れた地方社会で自衛のために組織され、草深い東国の武者たちが貴族化した都の平家を滅ぼして武家政権を立てた――こうした通説的理解は、現在では成り立たない。近年の研究では、武士とはそもそも都市的な存在であり、源氏も平氏と同様に軍事貴族として王朝社会での栄達を目指していた。では、京武者・源氏はいかにして地方武士団を統合し、鎌倉に幕府を開くことができたのか。一族不遇の時代、列島各地に拠点を作った祖父為義。京都政界で地位向上に邁進し、挫折した父義朝。高貴な出自による人脈を駆使した頼朝・義経兄弟。河内源氏3代4人の長期戦略は、貴族対武士、東国対京都といった単純な図式を超えたドラマを見せる。
東国武士団の研究に多くの成果を上げてきた著者によれば、源氏こそ「征夷大将軍」「武家の棟梁」たるべきという観念は、源頼朝や足利尊氏、徳川家康らによって作り上げられたものだった。また、為義の父にあたる八幡太郎こと源義家が、武門源氏の始祖として神格化されたのは、のちの北条氏・足利氏が系譜と伝説を捏造したことによるという。文庫化にあたり、「補章」を加筆。〔原本:中央公論新社、2012年刊〕
目次
- 序章 日本中世の幕開けと武門源氏
- 第一章 構想する為義―列島ネットワークの構築
- 略伝 源為義
- 1 武士の長者と権門の爪牙
- 2 河内源氏の地方進出
- 第二章 調停する義朝―坂東の平和と平治の乱
- 略伝 源義朝
- 1 「坂東の平和」と源氏庶流の展開
- 2 平治の乱における義朝
- 3 頼朝以前の鎌倉
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平安時代の武士
2023/11/16 22:21
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:福原京だるま - この投稿者のレビュー一覧を見る
源義家以来の譜代の武士が鎌倉幕府成立に大きな役割を果たしたというイメージが頼朝やのちの時代の足利氏、徳川氏の正当化の主張により形作られたことが興味深かった。
沈着冷静な兄と勇猛果敢な弟
2023/04/07 21:52
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
頼朝と義経、沈着冷静な兄と勇猛果敢な弟、なぜ兄は弟を討つしかなかったのか、私は頼朝の地盤が義経を生かせておくほど盤石でなかったという説を支持したい
なぜ頼朝なのか
2022/04/25 16:30
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:mt - この投稿者のレビュー一覧を見る
為義→義朝→頼朝の河内源氏の血脈を考察し、なぜ頼朝が「武家の棟梁」として後世に確立したかを解く。論文からエッセーまでごった煮の内容で、統一感に欠ける趣きも(義経再評価から現代日本人disに行くあたりはなんとも…)。為義が各地にバラまいた息子たちが在地の豪族と河内源氏を結びつけ、保元の乱に勝利した義朝の昇進が頼朝の貴種性を生み出す。源平の争乱の中で、木曽義仲でも甲斐源氏でもなく、なぜ源頼朝が勝利をできたか。それは偶然ではなく、こうした代々の積み重ねがあってのこと。都鄙を結ぶネットワークの中に武士がいる。