愛情だと信じたけれど。
2022/06/08 20:48
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:名取の姫小松 - この投稿者のレビュー一覧を見る
十七歳のアリソンは二十六歳の英文学の教師ニック・ノースと出会い、交際することになる。交際と言っても学校にも家族にも秘密にしなくてはならない。卒業するまでの我慢とニックはアリソンに言い聞かせる。ばれないように互いにほかの異性とも付き合ってみなよと、ニックは提案するし、進学先まで口を出してくる。
ニックと内緒で付き合うがゆえにアリソンの交友範囲は狭まり、ニック目当ての女生徒に落ち着かなくなる。
大学進学でニックとは遠距離となり、知識と思考力を高め、アリソンは成長する。アリソンはニックの思うままの人形ではないと自覚が強まっていく。
『ロリータ』に登場するドロレス・ヘイズは妖精でも永遠の少女でもない。ハンバートに捉えられ、搾取された被害者だ。アリソンもまたそれを知り、自分の意志を尊重するに至る。
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高校一年の時、社会人と付き合いだした友達がいた。やめたほうが良いと言ったけれど彼女は止まらなかった。そのうち彼女は部活もやめて、クラスも分かれてまったく付き合いがなくなってしまった。あの後彼女はどうしたのだろう?
大学生と付き合っている子は何人もいた。お互いの学年によっては、5歳くらい離れていたこともあっただろう。
私は漠然と気持ちが悪いと、嫌だと思っていた。それで良かったのだけれど、どうして彼女たちはそう思わなかったのかを、当時考えることはしなかった。
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これがノンフィクションだなんて・・・。精神的に問題を抱える女子高生(アリソン)と『ロリータ』を愛読するちょっとセクシーな男性教師(ニック)との歪な愛の話。でもこれ、愛の話ではなく性的虐待の話。アリソンがニックからの抑圧に気づかず愛だと信じ泥沼にハマっていくその様がもどかしく、ニックに対して憎悪の感情しか抱きませんでした。
こういう男女関係(親子関係とかも?)は実は至る所のあるのかもしれません。DVや子供や親への虐待など。意識的に相手を抑圧し自分の支配下に置こうとする様を想像するとゾッとします。
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秘密は、特別ではなく重荷であり、他者の助けを求めづらくなる。これが、高校時代だったら、俯瞰して見ることは難しい。のちのち書くことが力になる著者で良かった。
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表紙かわいいし、成人男性と少女の交際について興味が湧いていたので、絶妙のタイミングで現れた本だった。本屋を何軒も探してやっと見つけたから思い入れもデケぇ。
ニック、最初は魅力的でいけない男性って感じなんだが、だんだん本当のクズになっていくの面白かった。そういえばこの男は最初からクズでした。アリソンちゃんの身の上に共感するところもあり……アリソン、それは好きになるよ。年上の人から肯定されて自分が特別って感じちゃったらもうそれは沼だよね。
外野から見るとアリソンはずっと搾取されてるんだが(セクハラもされている)彼女の世界がニックに支配されているので……もうそうなっちゃうとな〜……。
高校卒業してからが痛々しくて見てらんねえ。アリソンそんな男はやめとけ!シーツでごちゃごちゃ言う男だぞ!(ここほんとワロタ)
あと、作者が高校生だけじゃなく成人済みの大学生も子供扱いしてるところに安心した。子供だよね。子供だよね!?
やっぱ10代とか20代くらいの子をひとまわりもふたまわりの大人が口説くのおかしいって!!!
自分より圧倒的に未熟な子供を権威で支配して、しかもそれを愛情であると思い込ませるの本当に卑怯だよな。残念ながら世の中にはこんな男ばかりなんだが。女の子を洗脳して「私がやりたくてやってるんだ」って言わせるの本当に下劣だ。
マジで……そんな人間に支配されるな……。
馬鹿扱いされて従う必要なんてない、あなたはもっと賢くて、自分のことは自分で決められるし嫌なことは嫌と言って良い、痛い思いなんてしなくていい……と若い女の子たちに言いてえ。
私も若い女の子やがな。守らねば。(誰も守ってくれないので)(私も危ういかもしれない)
けどアリソンが自立してるの本当によかった。アリソン……つらい思いもしたけど、年下の女の子を守るために教師でありつづけてるの素晴らしいと思う。
アリソンちゃんが、ニックじゃなくてアリソン先生と出会えたら良かったのにな。
ナバコフ(って呼び続けてたニックw)も読みたくなったな〜、少しかじってみようかな?
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(ティーンエイジャーを搾取する大人の気持ちの悪さよ‥。)
本書は搾取され続けるニンフェットの話ではなく、自立した大人の女性 アリソンのお話です。
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この本に出会えてよかったと思った。
終盤にかけて、語り手である著者が自力で自分の置かれている状況から脱するところは、ある意味謎解きであり、過去との答え合わせ。
自分はこの本に書かれているようなことは体験しなかったけれど、女子高生の身近にある恐怖を自分事として改めて考えられるきっかけになったので、本当にいい読書だった。
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フォロワーさんのレビューを見て気になり、手に取りました。不安定で傷つきやすい17歳の少女が出会った26歳の英文学教師はナボコフの『ロリータ』のように教え子を愛した――と思っているのは彼だけで、実際は愛と見せかけた支配と虐待だった。読んでいると教師であるニックの狡さ、下劣さに強い憤りを覚えます。ティーンエイジャーだったアリソンに必要だったのは真っ当な大人からの助けであり、また同年代のクラスメイト達との温かな繋がりで、決して性的欲望を含む愛や恋ではなかった。こういった不健全な関係は見えないだけで、相当数あるように思えます。アリソンが長い時間をかけて自身に起こったことを整理して立ち直ったことに安堵しました。ナボコフの『ロリータ』もまた読みたいです。
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これ、全ての中高生の課題図書にしたらいい。高校教師と付き合った女子高生が、それを愛ではなく搾取とDVだと気づき呪縛から解けるまでを書いた話、作者の体験に基づいてる。ここにでてくる男性教師27歳が、吐くほどキモい。けど自分の当時を思い出してもこんな感じのいたわ。教師は用もなく学生の体に触ってきたりしない、教師は学生とふたりきりになりたがったりしない、教師は校外で休日に会いたがったりしない、他に誰もいない家に呼ばないなどなどという本人の気づきメモが、当たり前のことばかりなのに洗脳されてて気づけない。しかも気づいたのは成人後、何年も経ってからだからつくづく学校という閉鎖空間は良くないな。あとそろそろこの手のドラマも禁止してほしい
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『テヘランでロリータを読む』に続いて、『ロリータ』です。
『テヘランでロリータを読む』は1980〜90年代、イラン・イスラーム政権下で女子大生たちが『ロリータ』を読みますが、こちらは2000年代、英文学の教師が女子高生に『ロリータ』を渡します。
「この本は、欲望であり、憧れであり、逃れがたい危険だ。」
26歳の教師と17歳の生徒の関係は年齢差だけでいえば、37歳のハンバートと12歳のロリータよりはるかにまともそうに見えますが、そこにあるのが「愛」ではなく「支配」だというのが問題。
この本に限らず、相手に『ロリータ』を読ませることで年齢差のある恋愛を正当化する男性の話をどこかで目にしたことがあり、それはやはり相当に気持ち悪い。
アリソンが易々と教師に飲み込まれていってしまう前半はイライラしてしまうんですが、客観的に見れば単なるエロオヤジみたいな教師も、不安定で助けを求めていた少女にとっては王子様なんですよね。
「愛ではなく支配だった」という関係性は、年齢差のあるなしに限らず、対象が少女でなくても起こりうるんじゃないかと思います。
ハンバートは「信頼できない語り手」であり、『ロリータ』は「愛の物語ではなく、レイプと妄執の物語である」と気がついた終盤の『ロリータ』論が秀逸です。
『ロリータ』に隠されたハンバートの真実、それを利用した(あるいはそもそも自分の都合のいいようにしか読解していなかった)教師の罠、『ロリータ』を再読することで過去の自分から解き放たれていくアリソン。
『ロリータ』という作品が読む側によってこんなにもいろんな面を見せることに驚きます。
「たしかに『ロリータ』は美しい。でも、同時におぞましくもある。そのふたつは両立しうる。」
https://chiakih.blogspot.com/2022/08/blog-post.html
以下、引用。
17
ナボコフも、いい物語はすべておとぎ話だと書いている。十七歳のあのころ、わたしは誰かのプリンセスになる用意ができていた。
41
わたしが役をもらえたのは先生のおかげだと思った。先生がわたしの才能を保証し、骨を折ってくれたからだ。わたしのためにそんなことをしてくれるひとはもうずいぶん長いあいだいなかった気がする。まるでわたしの王子様が現れたようだった。
50
あのころ何よりもほしかったもの──ひとからの関心や、自分の人生を何らかの形でコントロールしているという感覚──を手に入れるには、魅力的でいるしかないと思っていたのだ。
きれいになるためには相当気を遣って努力する必要があったが──アイラインを引いたり、唇にグロスを塗ったり、日焼けサロンに行ったりして──その努力の跡は決して悟らせてはいけない。必死になっているのがわかれば、見下されて笑いものにされてしまう。それだけはごめんだった。
63
“高尚なポルノ” 一度ダイナーでフライドポテトを食べながらこんな風にいったことがある。「素晴らしいのはポルノと純愛小説が見事に融合しているところなんだ」
81
魅力的であらがいがたく、注目に値する存在であるためには、美しいだけではなく、問題を抱え、傷ついている必要があるのだと。美しさと悲しみが完璧な芸術をつくる。ナボコフは、美しさに悲しみを加えることで芸術に最も近くなると書いている。自分が美しいと感じるためには、あの教師の視線が必要だったのだ。
126
それはあの教師がわたしに仕掛けたゲームだった。ナボコフやキャロル、エドガー・アラン・ポーを使って、わたしたちの関係がごくありふれていると同時に特別なものであり、このうえなくロマンチックで、偉大な作家たちの伝統を受け継いだものだと思いこませようとしていたのだ。ハンバートが、自分と同じようにたまたま幼い少女を愛した、ペトラルカ、ダンテ、ウェルギリウスといった、有力で知性に溢れた芸術家たちの名を次々と挙げることで、変態的な嗜好をロマンチックに見せかけ、同時に正当化したように。
153
彼が飲んでいたのはパイナップルジュースが入ったギムレット──『ロリータ』でハンバートが飲んでいたカクテルだよと彼は言った。
188
「イサカはぼくらの家だ」ニックは何度もそう言った。「彼が『ロリータ』を紡いだこの場所で、ぼくらはふたりの物語を紡いでいくんだよ」
193
数年後、わたしはロリータがハート形のサングラスをかけているという描写はどこにもないことに(原作にはただ“サングラス”とあるだけだ)気づくことになる。あれはキューブリックがスー・リオンにかけさせた小道具にすぎなかったのだ。だが、あのキューブリックの映画ポスターはわたしたちの集合意識に焼きつき、以来赤いハート形のサングラスはスキャンダルとセックスの象徴になっている。
226
ロリータがハンバートのもとを去ると決めたとき何を考えていたのか、わたしたち読者にはわからない。ナボコフは、殺人の罪で裁判を受けるハンバートの視点でその手記を綴っている。ドロレス・ヘイズについて読者が知っていることはすべて、ハンバートの目という色眼鏡を通して見たものにすぎない。ロリータという名前もハンバートがつけた愛称だ。ハンバートが彼女をドロレスと呼ぶことはほとんどない。結局──彼女はハンバートのもとを去り、逃げてしまう。その事実はハンバートにとって理解のできない謎であり、ロリータはほかの男に誘惑され、食いものにされ、支配されているのだと思いこむ。自分の意志で去っていたのだとは考えもしない。
273
コールドウェル教授は黒板に“誰が誰を誘惑しているのか”と書いて講義をはじめた。
274
その瞬間のことはいまでもよく覚えている。教授がハンバート・ハンバートのことを「信頼できない語り手」だと言ったのだ。
「ロリータは愛の物語ではなく、実際はレイプと妄執の物語なんです」
276
『ロリータ』の第一部の最終章である三十三章で、ハンバートはドロレスに買ってやったプレゼントを列挙している。
漫画、箱入りのキャンディ、マニキュア、ソーダといった子どもじみた品が延々と並ぶなかに、箱入りの生理用ナプキンがまぎれこんでいる。箱入りの生理用ナプキン? わたしはそこにもアンダーラインを引いた。ちょうどそのタイミングで生理が来た���だろうか?
そうか、ドロレスはセックスで出血したんだ。わたしみたいに。ハンバートはドロレスを優しく扱わなかったのだろう。そして彼女を傷つけたことにも気づいていたが、それを読者に気づかれないよう文章のなかに隠していたのだ。だがあいて書いておいたのには理由がある。読者を操るためだ。読者に、ハンバート・ハンバートは正直者で裏がなく、繊細な語り手でさえあると思わせるためだ。
277
ポーが十三歳のいとこ、ヴァージニアと結婚しているのも決して偶然ではない。ハンバートの手記とされる『ロリータ』のなかで、ハンバートは優れた知識人たちが少女とニンフェット的な関係を結んでいたことに触れている。ダンテは九歳のベアトリーチェを愛し、ペトラルカは十二歳の少女に夢中になっていた。こうした知識人たちを引きあいに出すことで、ハンバートは自分のニンフェットに対する偏愛を美化し、それが正常であるばかりか、憧れの対象でさえあるかのように見せかけているのだ。
279
ナボコフはLを発音するときの舌の動きを一語一語解説している。ロリータ。言語(ランゲージ)。愛(ラブ)。プレイボーイ誌のインタビューではこう語っている。“澄みきった、輝くような音を持つ文字のひとつがLだ。そして接尾辞の「-ita」は、ラテン語の優しい響きに溢れている……だからロリータにした”
313
わたしは何週間もかけて講義要項(シラバス)をつくり、自分のコースに『パワフルな女たち』というサブタイトルをつけて、女性とノンバイナリーの作家ばかりを課題として取りあげ、エドガー・アラン・ポーのゴシックファンタジーのかわりにカルメン・マリア・マチャドの作品を扱い、ディケンズの小説のかわりに『ハンガー・ゲーム』を使って英雄の旅理論を教えた。『ライ麦畑でつかまえて』のかわりに『ベル・ジャー』を題材にして大人になることに葛藤する若い主人公を紹介し、プラスの華麗な言葉選びと自己移入について講義した。
クラウディア・ランキン、アイリーン・マイルズ、レスリー・ジェイミソン、ジャメイカ・キンケイド、ナタリー・ディアス、グレイス・ペイリー、エイダ・リモン、マギー・ネルソン、モーガン・パーカー
322
たしかに『ロリータ』は美しい。でも、同時におぞましくもある。そのふたつは両立しうる。
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国立女性教育会館 女性教育情報センターOPACへ→https://winet2.nwec.go.jp/bunken/opac_link/bibid/BB11521580
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この本を読んで「思い当たる節」が全くないと胸を張ることができる現代女性が、果たして何人いるだろうか。
そう思うことを禁じ得ないまでに、残念ながらありふれた恋愛模様だと感じる。その不健全な恋愛は、新たな不健全な世界へと繋がっていることも珍しくない。
私自身、作中のアリソンが体験したこと、感じていた劣等感、導き出した結論はすべて見覚えがあるものだった。だからこそ
「わたしの身に起こったことが誰の身にも起こらないように、できるかぎりのことをするつもりだ。」(p322)
という想いを持って本書の出版に至ったことに敬意を表さずにはいられなかった。
「ロリータ」に象徴されるように、「小児性愛」に主軸を置いて語られているが、正直言って年齢は関係ないのだと考える。サポートされるべき人間のSOSを巧みに利用し、自分の欲を発散させるためだけに相手を利用することそのものは、年齢や性別に関わらず卑劣な行為であり断じて許されない。
虐待の被害者であるアリソンからの視点だけでなく、加害者のノース先生と同じ過ちを起こさないようにという観点も忘れずにいなければならないと思う。なぜならばこの手の加害者は、自身の加害性に全く無頓着であることがほとんどだから(「いつだってロリータのほうがハンバートを弄んでいたんじゃないか」p195)。
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捕食されるのはアリソンのような若年層だけではない。歪な愛は親子間にも存在する。「ロリータ」を通して愛とは何かを考えさせられる作品。
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「ロリータ」は未読。あらすじを読んだ段階で、ちょっと〝うえ〜〟となってしまって。
「愛に見せかけた支配」か…。彼はこういう行為を愛だと信じているのだろうな。そこそこ分別のつく大人になった私は、自分は、自分たちは、特別だと信じたがっているアリソンにはらはらして、ようやく彼から逃れることができたことにほっとする。
でも、彼はどうだろう。支配することが愛だと思ったまま、歳を重ねるのだろうと思うと、彼の不幸と彼の餌食になる女性(というより女の子)の不幸を考える。
こういう関係は秘されることが多いから、周りの助けを得ることが難しい。自分で罠に気づいて、自分でそこから逃げなければいけない、というのは、なんと理不尽なことか。
年若い女性に限らない。その愛は支配を隠していませんか?
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古今東西、あらゆる芸術において美化されてきた「大人の男性と少女の恋愛関係」に楔を打つノンフィクションの物語。
ウラジミール・ナボコフの名作「ロリータ」に準えて進む著者アリソン・ウッドさんの体験談。
26歳のノース先生と17歳のアリソンの関係は
37歳のハンバートと12歳のドロレスの関係より遥かにマシに見えるかもしれませんが、問題は年齢差ではなく、そこにあるのが「 愛 」ではなく「 支配 」だという点です。
副題、愛に見せかけた支配について。
読後はこの言葉の重さをずっしりと感じました。
めっっっちゃ良かった…!