人間と戦争 深い省察
2024/08/04 18:33
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:BB - この投稿者のレビュー一覧を見る
「チェルノブイリの祈り」や「戦争は女の顔をしていない」で知られるアレクシエービチが、ソ連によるアフガニスタン侵攻に従軍した兵士・家族の声を聞き取り、同時代の戦争に迫った記録文学。
いまはもう、歴史として捉えられるのだろうか。1979~89年、ソ連は「国際友好」という大義を掲げてアフガニスタンに軍事介入した。派兵された若者の多くは心身に傷を負って帰国するか、あるいは、遺族が中身を見られないように密封された「亜鉛の棺」となって帰ってきたのだという。
しかし当時ソ連で公にされる兵士像は、「正義」の戦争で戦った「英雄」。
疑問を抱いた著者は戦地へ行き、戦場を目撃し、本人や家族たちの声を集める。本書は、小さな一人一人の声の集合体だ。
歴史書からはうかがい知れない、戦争のリアルを浮かび上がらせる。
増補版である本書は、原著の発表後、著者が一部の帰還兵や遺族に訴えられたその後についても紙幅を割く。
アレクシエービチいわく、歴史となる以前の同時代の声は、「痛みや悲鳴であったり、犠牲であったり犯罪であったりします」と。裁判を巡るやりとりから見え隠れするのは、戦争で傷ついた人々をたくみに利用し、戦争を美化しようとする勢力の姿。
人間と戦争について深く考えさせる一冊である。
戦争というものの本質
2023/12/27 15:37
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ichikawan - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトル通りアフガン帰還兵の声を集めたものである。帰還兵たちの証言はソ連独特のものというより、戦争というものが本質的にいかなるものかを明らかにするものであろう。
投稿元:
レビューを見る
アフガニスタンから帰還した者たちが語る、現地で遭遇した女性たちのエピソードがいずれも衝撃的なので記しておく。
バグラム近郊で……集落によって、なにか食べさせてほしいと頼んだ。現地では、もしお腹を空かせた人が家に来たら、温かいナンをごちそうしなきゃいけないっていう風習がある。女たちは食卓に案内し、食べ物を出してくれた。でも俺たちが家を去ると、その女たちは子供もろとも村人たちに石や棒を投げつけられ、殺されてしまった。殺されるのをわかっていたのに、俺たちを追い払わなかったんだ。それなのに俺たちは自分たちの習慣を押し通して……帽子も取らずにモスクに入ったりしてた……。(p.67)
初めての手術の患者はアフガン人のおばあさんで、鎖骨下の動脈の負傷でした。でも医療用鉗子が見当たらない。足りてないんです。仕方ないから指でつまみました。それから縫合材を探して……絹糸を一巻き、二巻きと手にとったけど、どちらもぼろぼろに崩れてしまって。どうやら昔の、一九四一年の戦争のときからずっと倉庫にあったものだったみたい。
それでもその手術は成功したんです。夕方、外科医と一緒に病室を見にいきました。具合がどうなっているか知りたくて。おばあさんは目を開けたまま横になっていて、私たちを見ると……唇を動かして……きっと、なにか言いたいのだと思いました。お礼を言いたいのだろうと。でもそうじゃなく、私たちに唾を吐きかけようとしていたんです……。そのときはまだ、彼女に私たちを憎む道理があるなんて知らなくで。なぜだか愛されるはずだと思っていました。だから唖然として立ち尽くして──助けてあげたのに、この人はいったい、って……。
…………………………………………
考えてみれば……自分に訊きたいんだけど……どうして私は恐ろしいことばかり思い出すのかしら。友情も信頼もあったし、勇敢な行為もあったはずなのに。もしかして、あのアフガンのおばあさんが気になるせい? わからなくなるの。治療をしてあげた私たちに、唾を吐きかけようとした。あとになって知ったんだけど……あのおばあさんはソ連の特殊部隊(スペツナズ)に襲撃された集落から連れてこられたんです……。おばあさん以外は全員亡くなった。集落全体でたった一人の生き残りだった。でもその前に、その集落からの攻撃を受けてソ連のヘリが二機、撃墜されていて。焼け焦げた操縦士たちは熊手(フォーク)で刺されて……。だけどそれよりももっと前、最初の最初には……。でも私たちは、そんなに深くは考えなかった。どちらが先で、どちらが後かなんて。ただ味方を憐れむだけでした……。(p.244, 246)
「待て! みんな動くな!」少尉はそう呼びかけて、川辺にある小汚い包みを指さした。「地雷か?!」
先に立って進んでいた工兵が「地雷」の疑いのある包みを持ちあげようとすると、包みが泣き声をあげた。赤ん坊だったんだ。アフガンめ、恨んでやる!
どうしたらいいかって話になった。置いていくか、連れていくか。誰に言われたわけでもなく、少尉が自ら送る役を買ってでた──
「置いていくわけにはいかないな。飢え死にしてしまう。私が集落に連れていこう、近いし」
俺たちは一時間その場で待っていたが、集落へは車で二十分ほどで行って帰ってこれるはずだった。
少尉と運転手は……砂の上に倒れていた。集落の中で……。女たちに鍬で殺されたんだと……。(p.278)
幸運にも五体満足の状態で帰還した三人の証言者たちは、一様に現在の日常生活への適応不全を訴えている。
別の証言者の中には、機会があれば再度アフガニスタンへの派遣を望んでいる者さえある。行きたいから行くのではない。薄皮のように淡い約束事の重なりからなる日常に、一度戦場を経験した精神が堪え得なくなっていて、一刻も早くそこから逃れたがっているようなのだ。
考えてみれば、現地で人を殺すこともなく、一人の戦死者も出すことのなかったイラクに派遣された自衛隊員たちの何人かが、本国に戻ってから自殺したことが思い起こされる。その率は、異様な高さである。
日米同盟を盾にして派遣を決めた為政者は、国会での追及に窮して、自衛隊の行くところが安全地帯だと言い募った。
後にジャーナリストの布施祐仁による情報公開請求によって一部明らかになった当時の日報によれば、彼らの宿営地近くにも着弾があった、文字通りの「戦闘地域」だった。
証言者や、ほかならぬ本書の訳者のように、「ふざけるな!」といいたくなるのは私だけだろうか。「『安全地帯』というなら、お前のバカ息子をこの『セクシー』な場所に行かせて、一日体験させてはいかがか」と。
著者アレクシエーヴィチは、本書初版の出版により、証言者の何人かから精神的な損害賠償を求められ、あるいは名誉毀損で訴えられる。
本書のどこをどう読んでも、著者が帰還者たちを殺人者として非難したり、遺族たちを、身内を戦場に送り出した共犯者とみなしたりしている個所はない。
著者が直接言及しているわけではないが、年端もいかぬ彼らを戦場に送ったブレジネフからゴルバチョフに至る為政者たちへの、静かな怒りが嫌でも伝わってくる。
二代目の訳者奈倉有里の解説も、短いながら胸を打つ。
投稿元:
レビューを見る
1970年代末から80年代末にかけて行われたアフガニスタン侵攻の関係者たちによる証言集。奇妙なタイトルは戦死者たちが亜鉛で密封された棺に入れられて帰ってきたのにちなんでいる(密封されているから遺族は遺体と対面できなかった)。この戦争は当初政府が宣伝していたような国際友好では全然なく侵略戦争だった。犠牲者たちは各々にとっての真実を語る。戦闘中の悲惨な体験、息子や娘を亡くした悲しみ、帰国後の偏見への怒り、徒労感、虚無感。ある者はアフガニスタンを忘れたいと言い、ある者は戻りたいという。多種多様な声、声、声。読みながら何度も戦慄し、何度も同情の涙が出た。この部分だけでも優れたドキュメントだが、補足資料の裁判記録が文学者への政治的圧力、昔も今も権力者によって搾取される弱者、作家の社会的意義などを問う内容で、ドキュメンタリー文学の枠を超えた多義的な作品になっている。ロシアによるウクライナ侵攻が続く今、この証言者たちの声はどこに消えてしまったのだろう。
投稿元:
レビューを見る
第二次世界大戦での苛烈な独ソ戦を経験した女性兵士たち、子供たちへのインタビューを織りなした『戦争は女の顔をしていない』と『ボタン穴から見た戦争』を世に問うたスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ。本書は1948年生まれの著者がほぼ同時代の出来事として経験した別の戦争 ー アフガン紛争 - についての織物である。著者は、アフガン紛争に参加した兵士、看護師、そしてその母親たちへのインタビューを行い、地べたの目線からのアフガン紛争をあぶり出している。
ソ連が介入したアフガン紛争は、1979年に始まり、その後10年以上継続されたのち1989年ソ連軍の完全撤退で終わった。大祖国戦争と呼ばれ、ロシアの人びとの誇りとなりまたアイデンティティのひとつにさえなった独ソ戦に対して、アフガン紛争は後にその意義が国内外で問われてしまう戦争になった。ソ連は国際的には悪役になり、国内でも大きな失政と見なされた。またその結果としてアフガン紛争はタリバン政権を生み出し、グローバルテロにつながり、米軍の介入を生み、そして今また米軍が撤退した後もタリバン政権下での不安定な政情が続いている。
そして重要なこととして、その戦争の意義が否定されたことで、本人、そしてその家族もまたその大儀を感じることができないことだ。そのことが、帰還兵や息子を亡くした母親の言葉を、独ソ戦のそれとは異なるものとしている。兵士は自らの命を懸けたものに対して物語を必要としているが、アフガンではそれは与えられなかったのだ。
ある帰還兵の次の言葉が典型的なものだ。
「俺たちは大祖国戦争の兵士たちと同じ偉業を成し遂げるんだって説明されてきた。ソ連がいちばん優れていると繰り返し言い聞かされ、疑ってもみなかった。もしソ連がいちばん優れているのなら、俺個人がいちいち考えるようなことじゃないはずだ、すべては正しいはずなんだから」
本書は冒頭、アフガンから戻った後に近所で肉切りナタで人を殺して服役することとなった帰還兵の母親の話から始まる。アフガンですっかり変わってしまった息子のことを語る母親の言葉が示す現実は眩暈がするものだ。実際に戦地にも赴いたアレクシエーヴィチは、そこで少年兵たちのほとんどが好戦的であったことに驚く。人は「死」を目の当たりにすることでなにを思うものなのだろうか。アレクシエーヴィチは次のように語る。
「死を思う――未来を思い描くように。死を目の当たりにしながら死を思うとき、時間の感覚になにかが起こる。死の恐怖がそばにあると――死に魅入られる・・・」
アレクシエーヴィチは、アフガン紛争を俯瞰的な視点から示すことはしない。
「歴史を体感しながら、同時にそれを書くにはどうしたらいいのだろう。あの日々のいかなる瞬間を切りとってもいいわけではない。ありとあらゆる「汚れ」を根こそぎつかんで、本に、歴史に、引っぱり込めばいいというものではない。「時代を射抜き」、その「精神を捉え」なくては」
そして、時代を射抜くための表現の方法が、まだ切れば血が出るような生きた声を記録することだったのだ。
「私は同時代の、いま目の前で起きていく歴史��記録し、本を書いています。生きた声、生きた運命を。歴史となる以前のそれらはまだ誰かの痛みや悲鳴であったり、犠牲であったり犯罪であったりします」
タイトル『亜鉛の少年たち』の「亜鉛」は、現地で死んだ兵士の遺体を運ぶための亜鉛の棺のことを指している。亜鉛で作られ溶接で密封された棺は、国境を越えて遺体を運ぶときに、死臭や体液が漏れ出ることを防ぐ。そして、届けられた遺体は亜鉛に収められたまま開けられることはない。今もまた、ウクライナで戦死したロシアの兵士たちは亜鉛の棺で故郷に運ばれ続けているのだろうか。帰還した兵士たちは、故郷においてウクライナでのことをどのように自らの中で解釈を行うことになるのだろうか。そして、ウクライナで死んだ兵士たちの母親たちは故郷でどのように思うのだろうか。
------
『戦争は女の顔をしていない』(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4006032951
『ボタン穴から見た戦争――白ロシアの子供たちの証言』(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/400603296X
投稿元:
レビューを見る
毎日新聞2022716掲載 評者:伊藤亜紗(東工大リベラルアーツ研究院教授,現代アート)
読売新聞2022821掲載 評者:国分良成(慶應義塾大学法学部教授,政治学)
読売新聞2022826掲載
週刊金曜日202292掲載 評者:高原至(批評家)
朝日新聞2022917掲載 評者:藤原辰史(京都大学人文学部研究所准教授,農業思想史etc)
読売新聞2022109掲載 評者:沼野恭子(東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授,ロシア文学,比較文学)
毎日新聞20221217掲載 評者:伊藤亜紗(同上)
朝日新聞20221224掲載 評者:藤原辰史(京都大学人文学部研究所准教授,農業思想史etc)
東京新聞20221224 評者:梯久美子(ノンフィクション作家)
読売新聞20221225掲載 評者:国分良成(慶應義塾大学法学部教授,政治学)
日経新聞2023218掲載
投稿元:
レビューを見る
今、このタイミングで読んで良かった。新訳で付け加えられた裁判の記録が、戦争の真の悲劇をさらにえぐるように訴えてくる。
投稿元:
レビューを見る
読みたいけれど読めない本
戦争のむごさ、人間のむごさを証人の話として書いてある。残って行ってほしいけれど、わたしには読めない本。
投稿元:
レビューを見る
WW2のソ連軍の女性兵士のドキュメント書いた人がアフガニスタンでのソ連兵士にインタビューした本。インパールまではいかないけど凄まじく劣悪な状況。今のウクライナもこんな感じなのかしら。
投稿元:
レビューを見る
おすすめ資料 第538回 亜鉛(цинк)に込められた筆者の2つの含意とは(2022.11.11)
同作品のタイトルに含まれる「亜鉛(цинк)」には、2つの意味が含まれています。
1つ目は、アフガン戦争に派遣された少年たちが戦死し、肉親のもとに「亜鉛」の棺
となって送り届けられる、という、凄惨なアフガン戦争の代名詞的な意味合いとなっています。
2つ目は、生還者でさえも、過酷な戦争によって心が殺され、「鉛」のような心を抱えて苦しんできたことの象徴です。
この増補版は、アフガン帰還兵や関係者の証言だけでなく、本作の内容をめぐり、
筆者のアレクシエーヴィチが証言者の一部から告発された裁判の記録までもが収録されてり、異色の構成となっています。
【神戸市外国語大学 図書館蔵書検索システム(所蔵詳細)へ】
https://library.kobe-cufs.ac.jp/opac/opac_link/bibid/BK00358944
【神戸市外国語大学 図書館Twitterページへ】
https://twitter.com/KCUFS_lib/status/1592351687423008768
投稿元:
レビューを見る
未読
いま読んでいる 戦争は女の顔をしていない、からの流れでなるべく早く読みたい。女性、男性それぞれの若い兵士たちを、きけわだつみのこえ、のように身近に感じたい。平和の中に隠蔽し得ない人間の(そして自分自身の)ほんとうの恐ろしさを知るために。
投稿元:
レビューを見る
「戦争は女の顔をしていない」の著者であるスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ氏の著書『亜鉛の少年たち』を読みました。
1979年から1989年までの約9年間行われた、ソ連によるアフガニスタンへの軍事派兵。
この本は、アフガン侵攻に派兵されて帰還した兵士や看護師、そして彼・彼女らを送り出した母親たちの証言をもとにした「ドキュメンタリー小説」でした。
前線に送られ戦死した10代の少年たちの遺体は、密閉されて遺族も開けることが許されない「亜鉛の棺」に入れられて戻ってきたという。
そして、帰還することができた少年たちは、戦場での生活で心が凍りついてしまい、まるで金属のようになっていることがある、という意味も題名に含まれているのだとか。
「戦争は女の顔をしていない」と同様に、帰還兵や戦死した兵士の母親へのインタビューを淡々と並べたもの。リアルで生々しい戦場での出来事や、帰還してからの生きづらさや、息子を失った悲しみ、怒り、それらを、証言者の言葉として並べていく。
「戦争は女の顔をしていない」(第二次世界大戦中のドイツ侵攻から祖国を守った「大祖国戦争」の記録)と違っているのは、アフガニスタンへの派兵が、のちに国際社会から「政治的過失」と呼ばれる派兵であったこと。祖国を守るのではなく、他国に侵攻するものであったこと。
そして、もう1つの違いは、この書籍が、出版後に一部の証言者たちから訴えられ、裁判となったこと。
私が読んだ版(原書が2013年に出版されたもの?)には、その裁判記録が追加されていました。
アフガニスタン派兵が「国際友好の戦士」「アフガニスタンの地で道路や橋を建設し、人々から感謝されている」というふれ込み(刷り込み?)で戦地に送られ、そこでアフガンのパルチザンたちとの血生臭い戦闘を経験し、軍の中での新人いびりや差別があり、時には人道的ではない行動を強制され、戦死すれば亜鉛の棺に入れられて(遺体が入れられているとは限らないけど)、家族のもとに返される。「国際友好」とは名ばかりで、国際社会から「政治的過失」と見られる軍事行動であったことで、全てをなかったこととして処理される……。
祖国(ソ連)に「騙される」形で国際的犯罪に加担させられてしまった末端の兵士たち。著者のアレクシエーヴィッチ氏は、信頼関係を築いたうえで証言をしてもらい、それを文章にしたはずなのに、ソ連崩壊後に独立したベラルーシにおいて、何人かの証言者から裁判が起こされた。アフガン侵攻という記録があってはならないと考えた黒幕が証言者たちを、また「騙して」裁判を起こさせたのかも…。
兵士たち、母親たちの証言を読むのは辛いものでした。
きっと実生活では普通の感覚を持っていた少年が、過酷な生死を分ける戦場で感覚を失っていく。普段ならしない犯罪的行為もおこなってしまう。むしろ、犯罪的行為を「みんなで」行わなければ、その集団の仲間と認められないような状況。
これを読んでいる2022年。ロシアがウクライナに侵攻している。ロシア軍の去った後の村での惨状や、一般人や一般人に影響を与えるインフラを狙ったミサイル攻撃の報道が日々更新されている。多分、「亜鉛の少年たち」の中の少年たちのように、祖国に「騙されて」派兵され(私たちの感覚では)犯罪、と呼べる行為をしてしまう。
「俺はごく普通のソ連の若者だった。祖国は俺たちを裏切らない、祖国が俺たちを騙すわけがない!と思っていた。」
大義がどこにあるのか、政治的な駆け引きとして何が許されるのか、一般人の私には線引きはよくわからないけれど、「戦争」とか「侵攻」とか、そんな判断をすること自体が犯罪なのだと思う。一般の私たちは、この本を読めば、戦争、というものを起こしてはいけないんのだと気が付く。けれど、どこかの国とかどこかの国とかどこかの国とかのトップは、この本を読んでも何も感じないんだろう。
どこかの国のトップには、見えているものが違うんだろう。
投稿元:
レビューを見る
1979年-1989年のアフガン戦争に派遣され、心と身体に傷を負った帰還兵士(と言っても臨時に徴収された少年が多かったようだ)や、死亡した子どもたちの特に母親から聞き取った内容、見せてもらった日記や手紙などを元にまとめた本である。
傷の覚めやらない内でのものなので、その気持ちや行いに偽りはないだろう。
仲間内でのリンチ、命令に沿わなかった時の仲間への背後からの射撃、上官によるブーツや靴下を舐めさせる等のいじめ、新人工兵に対する地雷突破命令、罪もないアフガニスタン民間人の虐殺、強奪、強姦、これら凡そ人間的ではない日常を紛らわすために、麻薬を吸いウォッカをがぶ飲み、無ければ不凍液に手を出す。
そんな中でも、故郷の母親や恋人の想い出は、唯一人間らしさを取り戻す瞬間なのだろう。
著者のアレクシエーヴィチは戦争中から、実際に聞いた話を集めて本にした。ペレストロイカと共に言論の自由化が進み「亜鉛の少年たち」も新聞に一部掲載され、単行本も大部数で出版されている(日本語では1995年)。
しかし独立して間もないベラルーシで1993年に、証言してくれた人たちにより、6年も経過した後に名誉毀損等で提訴される。この事件の裏には原告ら個人の意思ではなく、明らかに彼らをけしかけた黒幕の存在があった。必要なのは国家と為政者の絶対的権威と権力なのだ。
この裁判の内容も記載されている。
現在進行中のロシアによるウクライナ侵略も同じ文脈だ。ロシア国内の多くは片寄った情報にしか接することが出来ず、プロパガンダを信じている。正義のためだと派遣された兵士も多いだろう。恐らくそこで目前にするのは、40年前の状況の再現だ。
彼らにも責任はあるだろうが、最も罪深い人は権威のトップに立つ人だ。
こうも歴史は繰り返されるのか、なぜこのような人間が出来上がるのかと、暗澹たる気持ちになってしまう。
ちなみに「亜鉛(メッキされた鋼板)」は、長時間を要する死体の保存と輸送性を考えて、棺の素材として使用されたようだ。完全に密閉され、故郷に帰っても家族すら開けることが許されなかった。
証言を見ると分かる。身体として見分けがつくようであればましな方で、肉片や崩れ、欠損した身体や頭部等を見ると、家族の反感はどれほどのものになるか、それを見越してのことだ。
投稿元:
レビューを見る
モスクワ五輪ボイコット。その原因となった侵攻。無事兵役から帰還した息子が起こす殺人事件。そこから物語は始まる。兵士、看護師、補助員という名目の女性、残された母。数々の証言で浮き彫りにする戦いの実態。何故か訴えられる著者。ドキュメンタリー小説とは?証言の持ち主は証言者その人ではない。それは創作であり事実である。戦争とは?侵略と防御。大義はあっても犠牲は伴う。圧勝、苦戦、敗走。程度の差こそあれ被害は被る。傷つくのは市民、身体だけでなく心も。平和憲法を抱く日本。戦わないはずの国で自分事として考えてみる。
投稿元:
レビューを見る
やはりすごい本だった。裁判の記録も有難い。
今回の戦争で,またこんな話がごろごろ生まれているんだろうなと思うと,気が重いというか本当に辛い。