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投稿者:えんぴつ - この投稿者のレビュー一覧を見る
教授、特にファンだったわけではないけれど、やはり同世代を生きた仲間だったんだ、とあなたが逝ってしまった後、しみじみ思う。
早稲田大学在学時、新宿高校から芸大へ進み、音楽は必ずしも音大で学ぶものではないかもしれない・・・と悩み、芸大を中退し、早稲田に入りなおした同級生がいた。新宿高校は学園紛争があり、共に芸大に進んだ仲間がいて・・・云々・・・と言っていた。後から思うとそれは教授だった。
学年では二つ上になる教授は、安保法反対の国会前デモの時、実際にその場に立たなくても音声メッセージ等を寄せて、ボソボソという声が流れた。
闘病中のニュースが流れ、なかなか難しいという話が聞こえてきて、あたかも親しい仲間のことのように受け止めて「頑張れ!」と独りごちた。
神宮の自然を守ろうと呼びかけ、あたかもそれが遺言のようになって静かに目を閉じた教授は、やはり仲間だった。
あと何回、満月を見るだろう・・・淋しさがつのる。
そうか、教授は満月の時に現れるのかもしれない。
天才肌ではなく芸術肌
2024/05/09 21:25
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投稿者:岩波文庫愛好家 - この投稿者のレビュー一覧を見る
2023年に逝去という事で、書店の平台にあったのを切っ掛けに購入、その後『積ん読』を経て、この度読了しました。読み始めるとなんやかんやと一日で一気に読み通してしまいました。章末に文中の註釈の説明があり、当時の世風を懐古出来ました。
坂本龍一氏と言えば、TV番組では『教授』と称されていて、ピアノで様々な楽曲をちょろちょろっと披露したり、勿論自曲を演奏したり、と凄い人だなぁという印象でした。私自身はYMO世代とは少し許り離れている事もあり、あまりYMOの楽曲は知らず、戦場のメリークリスマスやEnergyFlowのイメージが強いです。
そんな坂本氏ですが、幼少期から2009年迄の自叙伝を本書で読了し、かなりイメージが変わりました。かなり通俗的なキャラだったり、ある種我が儘っぽい子供的な側面があったり、と人間味を感じました。同時に坂本氏の根底に流れているのは芸術肌だという事も犇々と伝わってきました。それは出版社の職である父方ではなく、帽子の職であった母方の血だと思います。それが音楽の方面で萌芽し、演奏よりも作曲への開花へと進展したのも頷けるものがあります。幼少期に学んだ理論がベースとなって作曲家『坂本龍一』を形成する事になったと思います。
壮年期・晩年期は同時多発テロといったショッキングな事件を目の当たりにした事による論考を刊行したり、他方では地球環境問題などに関わる等、アーティストだけに留まらない活動を行っていましたが、人は生涯で体験した事柄に種々影響を受ける為、確かになぁと首肯出来ました。
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幼稚園で毎週のようにピアノを弾かされた経験と音楽好きの叔父の影響が最初の音楽体験。
グランドピアノのある資産家でピアノの英才教育を受けたというイメージでしたがそうではなく小学校に入ってからアップライトでピアノを習っていたというのは意外でした。
中学を卒業して、新宿高校、東京芸大と進まれたころの話は私よりは年代は上ですが、私も芸術学科(美術です)にいたので似たような話もたくさんあり、読んでらした本、聴かれた音楽などもとても共感し、面白く読みました。
私も美術学科ですが、坂本さんも音楽科の学生より美術学科の学生と話が合い、美術学科に入り浸っていたというのはよくわかります。私も高校の時ピアノの先生に、音大受験を勧められたので音楽科の雰囲気も想像できます。音楽科はエリートって感じで、美術科はとにかく汚い感じですね(笑)。
YMO時代の話はちょうど私が中学、高校の頃なので懐かしくて涙が出そうでした。
衣装は幸宏さんが担当だったこと、坂本さんはいつもジーパンにゴム草履だったなんて今まで知りませんでした。
YMOの曲は私は全部レコードで買っていたので、今はプレーヤーを処分してしまったので聴けないのですが「千のナイフ」は教授のソロアルバムだったのですね。大人になってから知り合った猛烈な教授ファンの友人がLINEの待ち受けを「千のナイフ」にしている訳がわかりました。
毎週聴いていたFMラジオ番組サウンドストリート(サンスト)のことも書かれていて、懐かしすぎて本当に泣きそうになりました。火曜日のパーソナリティでした。(月曜は佐野元春さん、水曜は中島みゆきさん、木金は渋谷陽一さんで全曜日聴いていたのですが)
あの番組には一度だけ坂本さんが作った曲のデモテープのタイトル募集に応募の葉書を書いたことがあります。もちろん落選しましたが、タイトルは草野心平の詩のタイトルからとられた「両眼微笑」に決まったのはよく覚えています。
とても、懐かしい青春時代の思い出を思い出す本でした。
脚注はすべて懐かしい名前でいっぱいでした。
でも、この本、坂本さんがご健在のうちに拝読したかったです。もういらっしゃらないなんて、と思うと読んでいて心に穴があきそうでした。
坂本さんに捧げる短歌を作りました。
(読売歌壇に応募しましたが没でした)
○憧れた坂本龍一星になるおやすみなさい「戦メリ」とともに
○憧れた坂本龍一星になる忘れられないメロディー遺して
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坂本龍一の自伝。
YMOに至るまで、ソロになって再びYMOになるところまでが書かれている。
本人の語りで、子供の頃や小学生、中学、高校になる辺りの記述は面白い。
天才がグッと身近に感じられてくるから不思議だ。
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先ず以って、坂本龍一は自分にとってのアイコンであり、彼を失うことで、改めて彼の作品、活動、発言をさかのぼっている。
本著は、あとがきを読むと、坂本龍一が57歳の頃に出している本なので、そこまでの彼の人生の足跡が分かる。(69歳で他界したので、以降の足跡は別途、辿る必要があるということ)
本人の語りをベースとしているので、情報としては正しいのだろうから、今となっては貴重なものである一方、本人は、自分のことを語ることを躊躇するきらいもあるようなので、不十分さもあるのかもしれないし、これだけで彼を評価することはできない。
これほど才能のある音楽家がどのような生い立ちであったのか、それは教授のファンでなくとも関心のあるところだろう。
やはり両親の影響が大きいことが、本著からもよく分かる。(親側からみた子育て論も知りたいところだが)
教授の稀な才能の源泉を考えてみたのだが、多岐にわたる関心と(ある意味飽きやすいことと裏腹かもしれない)、それを掘り下げる力、だと思った。
勿論、関心があることと(興味がある)、掘り下げる力は密接に関係しているのだが、そこを音楽というプラットフォームが確りとあることがポイントなのかもしれない。
詰まり、色々と多岐に関心をもち、とことん深掘りするのだが、それが飽きると次、、、ということは珍しくない。ただ、そこに普遍的なベース(教授の場合は音楽)がある、というのは稀なのかもしれない。(それが天才と凡才の差かもしれない)
人脈の広さ、読んでる本から推察する関心の広さ、それが相乗効果として彼の才能を豊かにしていくのだろう。彼が本著でも触れているように、主体的なところというよりも、周りに巻き込まれている、という感覚は、多くのアンテナが立っているから故に起こり得るのであり、その感覚は却って重要で、プラスに働いているのかもしれない。
そして教授の魅力は、60年代を学生として過ごしている、ということ。音楽家だけであれば、そこまで惹かれていないと思う。
自分は教授と約20歳の差があるのだが、やはり、”60年代”への憧れはあるのだと思う。
尖っていること、純に突き進むこと、が許された時代。
以下抜粋~
・インドネシア人たちがヨーロッパの地で初めてガムランを演奏したそのときに、ドビュッシーはそれを聴いて、強い衝撃を受けた。そして、ベートーヴェン以降の作曲家が書いてきたような、堅牢な建築のような音楽ではなく、海や雲などを題材にとった浮遊的な音楽を書き始めました。20世紀西洋音楽の祖であるドビュッシーは、アジアの音楽に啓発されておおいう音楽を生み出したんです。
・70年代の中央線文化
考えてみると、当時は中央線沿線の街にいることが多かったですね。高円寺、阿佐ヶ谷、吉祥寺、三鷹、国分寺。中央線沿線はフォークの中心地でしたが、その一方で、有機栽培の店とか、整体、ヨガ、合気道の情報なんかも集まっていた。
・ラストエンペラー
場所は満州映画協会、演奏は地元の楽団ですから、つまりほとんど当時のままの音がするんです。違っているのは、そこに立��ていた甘粕の銅像が毛沢東のものに変わっていたぐらい。あとはもう昔のままです。そこここに甘粕の亡霊が見えるようで、怖かったです。
・ニューヨーク
ニューヨークという土地の持つ、一種の無関心というか、そういうものが心地よいというのはあるかもしれません。ニューヨークというのは、共同体的なものに寄りかかれないというか、安易には愛してくれない街ではあるんです。でもぼくの場合、何かに所属するということが子どものころからとにかく嫌いだったので、そういう意味では楽なんです。とれあえず何者でもなく暮らせる。それはぼくの性にあっている。
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坂本龍一が通った幼児生活団に通っていた。別の都市にある生活団である。坂本はウサギを家に持ち帰ったが、私は伝書鳩を持ち帰った。坂本はそこではじめてピアノを弾いたが、私はドミソとかドファラとか和音の聞き分けをさせられた。先生がピアノで弾く「エリーゼ」のためにがお昼寝の音楽だった。小学校に入ってどこの幼稚園から来たか問われて、生活団が幼稚園かどうかわからず、戸惑ったのを覚えている。坂本龍一よりも僅かに年下でああるが、時代の空気はよくわかり、坂本龍一の成り立ちをこの本で追体験できた。
わずかな年齢差なのだが、このわずかでビートルズや学生紛争との距離感が全く違う。かといって無関心でいられず、かなり希釈した形で興味を持とうとした。
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1960年代生まれの我が青春のYMO。同級生達は、アイドルと横浜銀蝿全盛期を謳歌し、同級生の一部はオフコースの小田和正に陶酔し、一部の変人扱いされた少数派のYMOフリークが私だった。生まれた頃から労働歌とうたごえの中で育ったにもかかわらず、なぜか電子音楽のYMOに引き込まれた私。自家用車では今時珍しいCD6連奏のカーオーディオで常時YMOのライブ音楽が流れていたのだから、自分の3人の子供たちも口ずさむ事になっても不思議ではない。
今年の1月11日にYMOの高橋幸宏が逝去し、感傷に浸る最中の3月28日に坂本龍一の訃報に触れ、青春期がバックラッシュして意気消沈。坂本龍一氏は音楽だけでなく、環境や原発問題など、政治課題にも積極的に関わり、その発言が多くの国民に影響を与えた。
本書は、2009年に発刊され、坂本龍一氏の逝去を期に文庫化され、発売日直前の書店の平積みから発見した出会いは必然か。坂本龍一の生い立ち、音楽への向き合いと造詣、社会に対する尖った関わりや行動力は、YMOの中でも屈折した表出を悔恨したことを赤裸々に綴っている。細野晴臣、高橋幸宏、矢野顕子、渡辺香津美、松武秀樹など、YMO初期のツアー・メンバーの才能や実績は、理論派の坂本龍一とは違う険しい山道を登頂した芸術集団ならではの才能を評価する。坂本龍一のクラッシックへの造詣と作曲家としての修業と知識の蓄積。読書や映画への深い向き合い、そして遊び呆ける私生活までもが、坂本龍一を巨匠へと誘った所以だろう。音楽家、役者、映画音楽家、社会活動家としての坂本龍一が自分史語りを読みながら、故人を偲ぶ読書となった。なお、本書は各章毎に、丁寧な語句説明が行われており、時代背景や何に刺激を受けたのかなど、さらに坂本龍一を時代背景から見る上でも楽しい書籍となっている。
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坂本龍一について。恥ずかしながら知らずに育ってきたため、今回をきっかけに知りたいと思い読みました。人生史についてでしたが、自分の生い立ちとは異なることが多く共感することも難しく感じてしまいました。知れたということが今回の収穫でした。
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読み終えたのでメモします。癌で亡くなられて、その追悼で本屋さんに文庫本が積んであったので手にしました。
坂本さんの演奏を聴いての感想、ピアノ曲についての感想はありますが、それは別の所で書くべきかなと思います。この本を読んでの感想ということですが、私には余り新しい情報で印象に残った、というものはないのですが、改めて思いを馳せてみた、という感じです。有名な方でインタビュー等もメディアで取り上げられてきたので、
まず、周りに流されずに、本質的なものにアプローチする行動力があったのかなと思います。いろいろな仕事に誘われた、ということが、随所に語られています。誘われても、そのプロジェクトに飛び込んでついていく行動力がすごかったのだと、改めて思いました。そして、その中でやはり「本質的なもの、すごい良いもの」を見抜く力はあったのだと思います。
誘われてライブに出るようになり、映画音楽を作り有名いなられた経緯が書かれています。誘われたり、自分で売り込んだりと、常に動きのある生活をされていました。本を読んでいると、常に新しい仕事を行っていたことが綴られているのですがが、自分から見るといつも戦メリを演奏会で弾いて、カーボンフットプリントや反原発などの発言をしている人、というイメージでした。が、それは20世紀にたくさんの仕事をして大家になられた後の活動だったなと改めて思いました。非常に常識的な発言だけれども押しつけがましくないところが良い印象。
自分に対して、自分をよく自覚できていて説明できる人だと思いました。歴史や文化を語りますが、内容が本質的で面白いです。仕事ができ、経済的にも成功しているように見えますが、音楽の内容は置いておいてチャーミングで魅力にある方だったのだなと改めて思いました。過去を語る時、後付けの知識で偉そうに話す人が多いですが(特に戦争については)、この本ではそういう感じはなく、遠慮も傲慢さもなく適切な口調で最初から最後まで語られていました。
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YMOとの出会いは衝撃で、何十年経ってもまだ頭の中に曲が流れる事も
YMO前の意外な人との接点は面白く、一方で凡人にはとてもわからない感受性や思想等は、やっぱりこの人は天才なんだなと思った
(追記)
あと、当時はみんな同じ大人にみえたYMOって、坂本さんにとっては「社会人一年生」だったみたいですね笑
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坂本龍一の語りによる自伝で単行本を持っていたが、装丁が気に入り入手。書かれているのが単行本刊行当時の2009年までのことで、東日本大震災やそれに伴う活動については含まれない。若いころから運動家でエネルギッシュで、肩で風を切るようなところがあったのは面白い。そこは細野晴臣、高橋幸宏とは違うところだろう。YMO当時、確執があったことがふれられていたり、テクノドンをリリースした再結成はかなり不機嫌な状況だったことに言及されている。若いって何もいいことはないと書かれていたことが印象に残る。ラストエンペラーのエピソードは面白い。短時間で超人的な作業をこなし、あの名曲たちが出来上がった不思議。ハラキリという日本人のステレオタイプな解釈を広めることにかなりの抵抗をしたこと。文化をかなり大事にしていたことが伝わる。これからも坂本龍一の音楽を聴き続ける。
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3月28日に旅立たれた教授。
闘病されていることは存じていたのでニュースを聞いてもショックはなかったが、やはりとても寂しく感じた。
「世界のサカモト」
間違いなく、時代を造った偉人だ。
圧倒的に革新的な音楽を造りつづけた天才が、歩んできた人生をたんたんと語った自伝。
クールに見えて、けっこう暴れん坊だったんだな、と笑、興味深く思いながら読んだ。
音楽は自由にする。
あなたを、魂を、そして世界を。
好きな曲はたくさんあるけど、最近最もはまっている曲は↓
♪Rain(I want a divorce)/坂本龍一(1988)
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実に豊かな空虚を備えた人というか、素敵に空っぽな人というか。紛れもない天才であり時代/世界をリードした人だというのに、本人の語り口の中にはそんな暑苦しいエゴも野心も見当たらない。音楽の未来を背負って立つ、というような力みもない(皆無ではないにしろ、ここまで「自然体」という言葉が似合う人も珍しい)。有り余る才能を持ちながらそれに慢心せず、だからといって泥臭い努力の果てに潰れるような行き方も選ばず、自然に「なるようになる」生き方を歩んできたらこうなったのかな、と思う。その素直で温かい語り口に惹かれて読み終える
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YMO時代から聴いてきた教授の音楽たち。
彼が子供の頃から触れてきた音楽や本などを知ることができ、またワクワクしながら聴いた音楽のむこうで、教授が何を感じ何を考えていたのか…その一端を知ることができて感慨深かった。
教授は私の青春時代のヒーローだった。
安らかに。
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天才・坂本龍一を偲んで拝読。私の坂本龍一との出会いは、小学校6年生の時の「KYLYN」だ。友達の高校生のお兄ちゃんがギターオタクで、渡辺香津美の新譜を聞かせてくれたのが最初。「E-Day Project」の曲も凄かったが、KORGで気持ち良く唄うようなキーボードソロが、渡辺香津美のギターソロにも負けず劣らずで一発で好きになった。そこからは「千のナイフ」からYMOの「公的抑圧」まではどっぷり全身坂本龍一に浸っていたと言っても過言でないと思う。「公的抑圧」は権利関係で渡辺香津美のギターが全カット。後年ノーカットの「Faker Foric」が出た時には感涙した。
天邪鬼で照れ屋な性格が前面に出た珍しい自叙伝で、自叙伝としての完成度は今三つだが、やはり天才・坂本龍一がどのように育ち、生きてきたかについては面白く拝読させてもらった。坂本龍一の全体的な印象は、五木寛之がよく使っていた「デラシネ(根なし草)」で表現されるような気がした。漂流しながらその場その場で確実に爪痕を残す天邪鬼な天才のイメージ。ドビュッシーを弾く教授を聴いてみたかったなあ。