愛すれど心さびしく
2023/12/13 10:21
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投稿者:えんぴつ - この投稿者のレビュー一覧を見る
十代の頃、高校生の私は「愛すれど心さびしく」という映画を観た。多分、タイトルに惹かれて観たように思う。細かいところは覚えていないが、シンガー自死してしまうことに「何故、どうして!」と胸が苦しくなった記憶がある。
記憶の彼方に忘れていたその映画が、マッカラーズの「心は孤独な旅人」を原作とするものであったことに、50年以上経った今、気がついた。そうか・・・そうだったのか。満を持して翻訳したとされる村上版「心は孤独な旅人」を待ち望んでいた私は、ようやく読めるか、と読み進めるうちに、アッと気がついた。これは「愛すれど心さびしく」だと。
23歳でのデビュー作だというこの作品は、その深さ、清新さ、同時に時代背景を伴う重苦しさ等々、何という内包性・・・。
一気に読了とはいかなかった、いやそういう読み方はしたくなかった。ひとつひとつのエピソード、ひとりひとり心のさみしさを感じながら、じっくり読んだ。村上春樹がこの作品を大切にしてきたということがよくわかる。
それぞれの人物の心象に思いを致すことは、大きな眼を持つマッカラーズの心の孤独に思いを致すことになるのだろう。23歳でこの作品を物した彼女の苦悩を考える。
開高健は、よく「わが心はさびしき狩人」と揮毫した。わが書棚にもある。開高健は、マッカラーズに共鳴したのだろうか。知る限り、マッカラーズについて書いた開高の文章は見当たらないが、読んでいたのだろうとも思う。
語学力がないのが残念・・・原書で読んでみたいとしみじみ思った。あの時代、23歳の彼女の大きな眼は何を見ようとしたのだろう。
マッカラーズ再興。
2024/07/16 21:55
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投稿者:キェルケゴ - この投稿者のレビュー一覧を見る
作者名と詩みたいな洒落たタイトルは、昔から知っていたが、村上春樹氏の新訳で手に入りやすくなったので、読んでみる。
文章のそこかしこからアメリカ南部の繊細な孤独が透けてみえるよう。
なお文庫化に際し、新しい解説を付けてほしかった。
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投稿者:エムチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
翻訳ものだから、というのもあります。翻訳口調がいやという方もあるかもですが、慣れてきたら自分も読めました。最初は、読みにくいですけど、孤独ということが深いです。お若い方、一読ください
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1930年代末のアメリカ南部、
いわゆるディープサウス中央部の町で繰り広げられる群像劇。
【主な登場人物】
ミック・ケリー:下宿屋を営むケリー家の娘。
バーソロミュー・ブラノン:《ニューヨーク・カフェ》店主。
ジョン・シンガー:ケリー家の下宿人の一人。聾啞の青年。
ジェイク・ブラント:遊園地の機械保守を務めるアナーキスト。
ベネディクト・メイディー・コープランド:人々に尊敬される医師だが気難しい。
幼い弟たちの面倒を見ながら夜更けにカフェでタバコを買おうとする
少女ミックと
そんな彼女を窘めもせずタバコを売ってしまうバーソロミュー。
彼はミックに特別な視線を注いでいる。
だが、そんなことには気づかないミックは
新しい下宿人のシンガーさんに関心を寄せる。
ジョン・シンガーは聾啞者なのだが、
手話と読唇術でコミュニケート出来、必要に応じて筆談も行っていた。
自らは発話せず、黙って周囲の人々の言葉を読み取る、
物腰の柔らかく知的な雰囲気を漂わせる“シンガーさん”に
皆が好意を抱いた。
しかし、彼の心を占めているのは、
離れた町の病院に入院中の親友スピロス・アントナプーロスだけだった……。
という具合に誰かが誰かを愛しているのだが、
どうにも噛み合わない、もどかしさに満ち溢れた物悲しいお話。
どんなに親しく、打ち解けたように見えていても、
実は人間は皆それぞれに孤独なのだ――という
ディスコミュニケーションの物語。
ピアノを弾きたい、作曲したい、ピアニストになりたい……と、
才能の片鱗を窺わせつつ大きな希望を抱くミックの前に立ちはだかる
家庭の経済問題という一大事。
家計を助けるために働かねばならない、すると、
一人きりで夢想に耽って創作に打ち込むことが出来ない……
という事態が何とも切ない。
そんな彼女の心の支えが“シンガーさん”だったのだけれども……。
ケリー家に打撃を与えた事件に
銃が絡んでいるところが、いかにもアメリカらしい。
※後でもう少し細かいことをブログに書く予定。
https://fukagawa-natsumi.hatenablog.com/
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人間の本質に関する部分を現実味を伴って文章で表現するのは決して容易ではない。それを可能とするためには作者自身が少なからず生きるうえでの酸いや甘いを経験する必要があるのではないかと思うのだが、ここで驚くべきはマッカラーズが23歳の若さで、しかも処女作にして、その点をほぼ完璧に近いかたちで小説に仕上げたことだ
欧州でファシスト政党が台頭し、今にも世の中が戦争の渦に吞まれようとしていた時代のアメリカ南部を舞台に、年齢や人種、思想が異なる男女の人生が交錯する物語は何となくフォークナーの作品と共通する雰囲気が窺える
巻末の解説で訳者・村上春樹は、マッカラーズの小説は個人的に閉じた世界と述べている。なるほど、登場人物たちの内面描写を中心とした話はたしかにクローズされてはいるが、逆にマッカラーズの視点自体はとても開かれているような気が私にはする。これを象徴するのがスピノザとマルクスの考え方に共鳴し、アフロ・アメリカンの地位向上を強い理念とする黒人医師コープランドである。本作の展開においてベースラインに近い役割を果たす彼のキャラクターはオープンマインドな見方なくしては創造出来ないのではなかろうか
人は自分の胸のうちを誰かに黙って聞いてもらいたいもの。神父への告解が然り、セラピーも然り、ブログなんてのもあるいはそうなのかも。「心は孤独な狩人」はそこら辺がよくわかるストーリーだ。面白いのは、街の人々が「私の唯一の理解者」として畏敬の念を抱く聾唖の男シンガーが実は彼らの話をたいして真剣には聞いていないこと(相手の口の動きで内容を把握するシンガーは彼らの話がいつも同じなのに半ばウンザリしている)。そしてシンガーもまた、時々会う聾唖の友人相手に時間が経つのも忘れて手話で語り掛け、積もりに積もった澱を吐き出す。結局のところはひとりぼっちか、そうでないかは関係なく、孤独や寂しさは皆の心の何処かに宿っている。この本を読むとそんな風に感じられる
村上春樹曰く「最後まで(翻訳をせずに)大事にしまっておいた」という一作。折に触れて目を通し、もっと理解を深めたい
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もちろん村上春樹訳だから買って読んだ。村上訳なら何でも買っていた時期もあったが、どうしても好きになれないものもあり、少し距離を置いていた。同著者の「結婚式のメンバー」も少し立ち読みしたものの買わずじまいだった。ただ今回は訳者あとがきを見て、これは読んでみないといけないかなと思い購入。著者の名前はまったく知らなかった。ずいぶん前のことであるが「心臓を貫かれて」を読んだときにも衝撃を受けたおぼえがある。そして、今回も同様であった。いや、前半はそれほどのめり込めなかった。末娘のポーシャが語る形だったかでコープランド医師の子育てについての描写を読んだところで、ふっと自分に引き付けて読み進めることができるようになった。私自身も子どもたちに対して同じような思いを持っているから。そして、クリスマスパーティでの医師のことば。「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」このマルクスのことば、私はどこかで読んだことがあっただろうか。一切記憶がない。強烈な印象を持つことばであるのに。だからきっと聞いたことはなかったのだ。柄谷行人も、内田樹も、齋藤幸平も、一応読んだつもりになっているのに。そして、こんなところでこのことばと出合うことになる。黒人の差別については、私自身の経験では、80年台のフロリダ北部ジャクソンビルという町での経験がある。白人たちはスティンクと言って黒人を避けていた。しかしながら、フットボールやバスケットボールのヒーローは人気があった。僕もサッカー部で仲良くしてもらった。平屋のハイスクールで、身体に障害を持った生徒も数多くいた。ボランティアで手助けをしている生徒もいれば、廊下でたむろしていて白杖を持った生徒が通り抜けるときに、あからさまに避けようとする連中もいた。私が学んだのは、ああどこでも同じなのだなあということだった。モーツアルトを口ずさみ、ベートーベンの英雄に衝撃を受けたというミック。ミックとハリーの出来事も印象的だった。シンガーの存在はいったい何なのか。私の寮生活の中で似たような人物Sとの出会いがある。私を含む数名の学生はSの存在にかなり助けられていたと思う。私にとっては一番の親友であるが、彼にとってどうなのかは分からない。第二部の幕引き、シンガーはああするしかなかったのだろう。第三部、1939年のことであった。しかし、80年以上経った現在も、大きくは変わっていないような気がする。人々はいったい何を学んできたのだろうか。村上春樹は、いまの若い人々に本書が受け入れられるかどうかをすごく気にしている。私は若くないけれど、十二分に感情を揺さぶられました。そして、著者が20歳代前半でこんなものを書いたということに一番衝撃を受けました。
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第二次世界大戦が始まる直前くらいのアメリカ南部の田舎町を舞台にした群像劇。聾唖で聞き役に徹する男性シンガーと、彼を自分の理解者だと慕う人々。年齢や人種も様々だが、自分の正義、真実、才能、情熱などが周りに理解されないという孤独感を抱えているのが共通している。この作品がすごいなと思うのは、彼らの苦悩を描きつつも、独りよがりな部分も浮き彫りにしていることだと思う。人間ってそういうものなのかな、孤独ってなんだろうと考えさせられる。ババ―やベイビーといった脇役の子供のエピソードも印象に残った。
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一見噛み合っているようで、実は噛み合っていない歯車について考えました。
タイトルの通り登場人物たちは、誰もが一方的に相手を追い求め続ける狩人のような存在だったのかもしれません。
そして、目の前の相手に自分の理想を投影し「理解した」と思い込むけれど、真に理解しあっているわけではないから、実は孤独なことに変わりはないという虚しさ...。
またアメリカの抱える文化・歴史的背景について知ることができたのも良かったです。
また読み返したい作品です。
余談ですが、耳が不自由なシンガーさんには、漫画『聲の形』(大今良時)の西宮硝子を思い起こされました。目の前の会話へついていきにくいからこそ、それが周りの人に穏やかな人のような印象を与えるというのが共通しているように感じました。
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色彩豊かな片想いが錯綜する物語。
1930年代の大不況による貧困と差別が蔓延するアメリカ南部で暮らす人々。
主人公のミック、ジェイク、ブラント、コープランドを中心に様々な人が聾唖の白人、シンガーに心を寄せる。
シンガーが唖であるがゆえに理想の友人像を作り出し傾倒する。ただしシンガー自身はその友人たちのことを強く思っているわけではなく、心の中にはただ一人、精神病院に収容されてしまった友人アントナプーロスのみ。
理想の友人のおかげで日々の苦しい生活が救われていると感じている中、その一方通行は突然ドミノ倒しのように崩壊し、人々は孤独へと帰っていく。
こう書くととても重苦しい感じがするのだが、マッカラーズが描き出すこの悲劇はとても美しいのだ。
冒頭に「色彩豊か」と書いたとおり、世界を、そして登場する人々に色々な色を与え、80年前の人々の姿を生き生きと描きだし、決して古くさいと思わせることなく、全員を愛おしく感じさせる。
これは素晴らしい小説。600ページとなかなかの長編だけど、決してその時間は無駄にならない。
傑作。2023年の締めくくりがこの本でよかった。
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孤独は前提であると言っていたのは糸井重里だった気がするけれど、人間が生きる上での前提である孤独を再認識するような小説だった。
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これほど力強くも繊細な小説を読んだのはいつ以来だろう。海の向こうではファシズムが台頭しつつある暗い時代、アメリカ南部の貧困と人種差別が蔓延する小さな町に暮らすひとりの聾唖の男と、彼をとりまく4人の人びとの物語だ。
町にある夜流れ着いた大酒飲みのアナーキストは、この世の矛盾について多くの知識を蓄えはしたが誰にも理解されず、巨大な怒りを内に抱え込んで自己破壊的な暴発をくりかえしている。
一方、この町にただひとりの老黒人医師は、差別と暴力に虐げられる同胞たちへの大いなる愛とともに彼らの愚かさへの怒りに突き動かされているが、彼もまた、家族を含め誰ひとり理解者をもたない。
才気煥発な下宿屋の少女は、心の「内側の部屋」に豊かな音楽をあふれさせているけれど、これもその力を外に向かって表現する方法を知らぬまま、唖の男への慕情を募らせている。
そして彼らをじっと見つめる食堂の主人は、夜の深さと、そこでしか生きられない異形のものたちを、自らの隠された分身のように愛する男だ。
自らの内にある膨大なエネルギーを持て余し、ただひとり自分の魂を理解してくれそうな存在をもとめて、唖の男のもとを訪れる4人の人びと。彼がたたえる大きな沈黙と静かな微笑は、彼らがそれぞれ孤独に抱えこむ苦悩と希望とをすべて受けとめてくれるように見えた。しかし実は唖もまた、まったく受け取り手のいない巨大な愛を、その内に孤独に抱えこんでいたのだった…
理解し共感してくれる存在をそれぞれに渇望していながらも、決して互いに理解し共感しあうことのできない巨大な魂の孤独。その絶望とその希望を、これほどまでに繊細に描いた小説がほかにあるだろうか。おそらく少女ミックと食堂の主人ビフは最も作者自身に近い存在と思われるが、老黒人医師とアナーキストがついに正面から出会い、互いに共通する熱望を見出しながら罵り合い絶望して別れる場面の緊迫には読む側も息を詰まらせざるを得ない。一見、救いのない物語だが、戦争というより大きな暴力の予兆が満ちる中で、彼らは最後まで生き抜く希望を失ってはいない。
自分とまったく異なる人たちの心の深みに降りて行って、その最も柔らかい部分に触れるような小説を、裕福な家庭出身の若い白人女性であったマッカラーズはどのようにして書くことができたのだろう。愚かに傷つけあい共感を拒みながら共感を可能にする人間というものの可能性を指し示すこの小説、このような時代にあって、それはなんという希望であることか。
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闇を鮮やかに描きだしている作品。
みんな誰かと心を通わせたいと思っているのに、うまくいかない。そんなときにただ聞いてくれる存在がどれほど有難いか、そんな人がいてくれたらどれほど人生が明るくなるか。
私も誰かの光になれたらと思えた。
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自分の話をじっくり聴いてくれる相手が居る。それがどれほど救いになるか。
それだけでも人の役に立てるのかもしれないと、優しい気持ちになった。
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高校生以来、20年ぶりに読む!
言葉で伝えられることはとても少ないのかもしれない。
いや、そもそも伝えると言うこと自体、本当は無理があることなのかもしれない。
閉塞感に満ちていて、読んだあと数日心が沈む。
早く明るくなりたい。
だけど、わずかな、わずかな希望を見つけられる気もする。
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1930年代末、恐慌の嵐が吹き荒れるアメリカ南部の町で、「ニューヨーク・カフェ」を営むジェフ・ブラノン。そこに客としてやってくる聾唖の男シンガー、彼の相棒で同じく聾唖のアントナプーロス。二人はかけがえのない関係だったが、アントナプーロスが遠くの精神病院に入院させられることにより離れ離れとなってしまう。
一人ぼっちになったシンガーだったが、やがて彼を慕うさまざまな住民がつぎつぎと部屋を訪れてくるようになる。
貧しい大家族家庭の少女・ミック、流れ者の労働者・ジェイク、同胞の地位向上に燃える黒人医師・コープランド。
それぞれがそれぞれの孤独を抱えており、読みながらずっと漠然とした悲しみに包まれているような気がした。それらの悲しみに満ちた孤独を噛み締めるようにゆっくりゆっくり読み進めて、3月いっぱいかけて読了。
物言わぬシンガーさんは、きっとみんなの孤独の拠りどころ、一時預かりのような存在だった。
彼はただ黙して微笑みを浮かべ佇んでいるから、そのことをどう感じているのかわからない。だから彼の視点で綴られる章を読んでいる間はむしょうにホッとした。
そしてシンガーさんがいなくなって、みんなはそれぞれの孤独を引き取り、また別々の場所へと帰っていく。
翻訳者としての村上春樹が、いつかは自分で訳したいと思っているが、"将来のために大事に金庫に保管しておきたい"と評する作品であり、とりわけその中でも最後までとっておかれることとなった作品。マッカラーズが23歳で書き上げたデビュー作であるという事実には驚くばかりである。
これから生きていく時の中で、もし何か深い悲しみにのみこまれるようなことがあったとき、きっと私はこの小説を、彼らを思い出すのだろう。