読割 50
電子書籍
飢餓同盟(新潮文庫)
著者 安部公房
眠った魚のように山あいに沈む町花園。この雪にとざされた小地方都市で、疎外されたよそ者たちは、革命のための秘密結社“飢餓同盟”のもとに団結し、権力への夢を地熱発電の開発に託...
飢餓同盟(新潮文庫)
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飢餓同盟 (新潮文庫 あ-4-4)
商品説明
眠った魚のように山あいに沈む町花園。この雪にとざされた小地方都市で、疎外されたよそ者たちは、革命のための秘密結社“飢餓同盟”のもとに団結し、権力への夢を地熱発電の開発に託すが、彼らの計画は町長やボスたちにすっかり横取りされてしまう。それ自体一つの巨大な病棟のような町で、渦巻き、もろくも崩壊していった彼らの野望を追いながら滑稽なまでの生の狂気を描く。(解説・佐々木基一)
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紙の本
革命に翻弄されるペーソスとユーモア、そしてそこから浮かび上がるもの
2009/05/16 19:01
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:鯖カレー - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本は安部公房の小説の中でも少々色が違う。
「榎本武揚」程ではないが。
さて本書のあらすじを駆け足で言えば、
と或る小さな町の革命に奔走する男が結成した飢餓同盟という組織が、
権力転覆のために、地熱発電所の計画を企てるのだが、
最終的に、革命は失敗に終わり、発電所も権力者に横取りされ、
なんと主人公は狂人として精神病院へ行くことになってしまうのだ。
なんだか、この概略では、ただの理想というか妄念に取りつかれた男が、堕ちていく話を描いたただの滑稽劇に見えるかもしれない。
しかし、それは全くの誤解である。
その真意や、いかに。と、ここであえてこの本に対する解説は終えておく。
なぜなら、この本は実際に読まなければその真意は伝わることがないのだ。
その理由に、この一見滑稽劇に見える話の裏に脈々と流れる、
現代社会の矛盾に対する皮肉を受け止めるには、
話の流れを完全に把握しなければ、つまり全体を眺望しなければ、
不可能なのだ。
そう聞くと今度はすごく難しい話なのかとかまえるかもしれないが、
その必要もなく、門戸は広い。
一見滑稽劇に見えるからこそ、意味があり、それによって読者に、
強烈に伝わる安部公房の思想。
最後に大どんでん返しがあるわけではない。
ただ、ひたすら滑稽劇を読んで行くだけである。
だからこそ、ひしひしと、少しづつ、沁みいる様に安部のいいたことが伝わってくるのかもしれない。
現代が抱える、慢性的な保守的金権力主義。
それを浮かび上がらせるには、この話のような形をとらなければならなかったのだと、本書を読んだあと、誰もが思うだろう。
紙の本
「まったく、現実ほど、非現実的なものはない。」(250頁、あたかも安倍元総理の死のようだ)
2022/07/13 23:58
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Haserumio - この投稿者のレビュー一覧を見る
「飢餓同盟」(もともとは、ひもじい同盟)というおどろおどろしい書名から受けた先入観が鮮やかに裏切られた一作。スラプスティック味すら感じる快作でした。それにしても、64頁で、花井が「ふいに立上ると同時に、その足もとから、ハンカチを顔にあてた女工が飛出して、矢根のわきを駆けぬけていった」との描写だが、これはどういうこと?(フェラでもしていた(させていた)のか?)あと、花井の長さ15cmまで発達した「しっぽ」(248頁)のことだが、これは何の寓意?ドライというか余事のない筆致で描写された非現実的な花園事件の顛末ということにはなるが、読後に覚えた生々しいまでの現実感(リアリティー)は半端ない。いま読んでもまったく古さを感じさせない傑作の一。
紙の本
喜劇の中を生きている僕たち
2016/01/24 09:25
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:SlowBird - この投稿者のレビュー一覧を見る
ナチスドイツが秘かに開発していた、人間の知能を大幅に高める技術により、戦時中に秘かにドイツに渡った一人の青年が天才的な地下探査技師となる。しかしほどなく戦争が終わると、活躍の場もなく、命を縮めかねない能力は隠して、とうとう追い詰められて、死ぬために故郷の街へ戻って来る。
初雪とともに冬が訪れる北の街。凝り固まった因習の上に、欲得づくの権力者と工場主に牛耳られた土地で、閉塞感を打破しようとする労働者の集団、ひもじい同盟改め飢餓同盟がいた。労働組合や既存のイデオロギーとも一線を画し、一発逆転を狙うインチキ組織だ。故郷で死を図った天才技師は彼らに助けられる。同盟は、この小さな町の権力機構を逆転させようとささやかな陰謀を練るのだが、これがことごとくにっちもさっちもいかない繰り返しが作品のストーリーである。それが死に損ないの技師を利用し、枯渇した温泉の復活、そして地熱発電という革命的産業の夢を描くところまで来る。
この人物たちの喜劇的な間抜けさのためか、権力側の巧妙さのためか、とにかく事態はいっこうに打開されない。ここでは人間たちが人間である限り、怒り、笑い、悲しみなどの感情や生活のために横道にそれてしまい、本来の目的にはたどり着けない。一つ一つの場面で、人間の肉体が必然的に動くことの結果として社会が進むのだとしたら、この物語は非常に演劇的であるように思える。
科学技術も、社会思想も、それを活かせるかは一人一人の人間にかかっていると言えば凡庸な話だが、原子力や革命といった大掛かりな題材でドラマチックな展開でもなく、身近な舞台で我々と同じ平凡な人間達が醸し出すドラマは、情けなくなるほどに貧弱な成果しか生まず、もう笑いしか出ない。等身大の人物にこういったテーマを配置すれば、やることなすことトンチンカンになるに決まっているし、それをそのまま描写すれば、舞台で生身の人間が硬質な台詞を喋るように、まさしく喜劇なのだろう。温泉復活も、地熱発電も、世俗の波に巻き込まれて、落ち着くところに落ち着くという帰結と相成る。
様々な夢と挫折が氾濫していた社会で生きた人々の現実が、どうしたこうなってしまうのかと嘆息するような結末。極端にカリカチュアされているように見えて、実は自分たちが経験して来たことに非常に近いものではなかったろうか。こういう技法でこういう成果を出せるのは、どういう理屈か分からないが、安部公房という作家の仕組みが少し分かったような気がする。