去りなんいざ狂人の国を みんなのレビュー
- 著者:西村 寿行
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紙の本去りなんいざ狂人の国を
2006/03/26 19:33
mou無垢でいられなくなる
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:SlowBird - この投稿者のレビュー一覧を見る
毒ガスによる無差別大量殺人という考えは古くから知られていたが、それを題材にした犯罪小説というのは少ないかもしれない。技術的には可能、しかし動機を想定できないのでは小説にはならないからだろう。1977年に書き始められた本作ではそれが提示されている。そういう犯人像というものを知りたくない人は、読まない方がいい本かもしれない。
実際のところ、動機やそれを支える論理は添え物的な位置付けにあって、本書の読み所は、冷酷無比な犯人と警察の神経戦、そして攻防にある。推理=思考、捜査、交渉、追い詰める、逃げる、戦闘、といった展開の描写は、関門トンネルに始まり、規模をエスカレートさせ、一瞬で数千人の命を奪っていく事件の重さに応じて沈痛であり、現実から乖離した犯人の思考との対比により、社会の負うべき責任を暗示しているように思う。
似たようなジェノサイト的事件としては、例えば昭和29年の洞爺丸転覆なども小説の題材にはされているが、本作中では赤軍派によるハイジャックなどのテロ事件から一段階だけ飛躍した延長に想定されている。こうしたテロ的な犯罪は現在では関心深い対象のはずと思うが、確かに1970年代ぐらいには、高度成長感覚であれ、破滅論であれ、世界全体が一つの方向に向かって進んでいくという幻想に、まだ日本は包まれていたかもしれない。その中で日本という社会そのものを否定するに到る人間の視線というものは、単なるキワモノ、まさに「狂人」としてしか捉えられないのはいた仕方ないし、この作者自身もそこはまだ半信半疑でありながら、それでも「起きうること」としか考えられないことに戸惑いながら書いている風が伺われる。
残念ながらその20年後には、僕らはそれを緊急の課題として直面せざるを得なくなった。この作品を、インモラルな無軌道性の暴発という観点で見ることもできるし、実際にそう読まれて来たと思うが、そういった絶望を生み出す過程は構造的なものだということが分かってしまった今、僕の意識はイノセントであり続けることはできなくなった。いつもいつもそこに意識を向けてなくてはいられないことが日常性を破壊する不安なのだとしても、それは合理的で公正なコストなのだと見なす準備はできていると思う。
まあ、この本を読んでそういう気持ちになるかは、微妙かもしれない。特に真ん中あたり100ページ分ぐらいある「潜入捜査」の描写は、読み飛ばしても可。
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