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電子書籍

組曲虐殺 みんなのレビュー

  • 井上ひさし
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みんなのレビュー3件

みんなの評価5.0

評価内訳

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3 件中 1 件~ 3 件を表示

紙の本組曲虐殺

2010/06/11 09:48

井上ひさしさんの映写機

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 先日TVで井上ひさしさんの元気な姿を拝見しました。もちろん、残念ながら、生前撮影された昔の映像ではあったのですが。
 番組(NHK教育テレビの「ETV特集」)のタイトルには、井上ひさしさんの最後の戯曲となった『組曲虐殺』の一節、「あとにつづくものを信じて走れ」が使われていて、タイトル通り、井上さんがこの戯曲の主人公小林多喜二にどのような思いを託したのかを関係者の話を交えながら構成されたものでした。
 その番組のなかで小林多喜二のことを井上さんがどんなに描きたかったかが紹介されていましたが、同時に、それは井上さんの早世した父親に重ねる姿としてもとらえられてもいました。

 井上ひさしさんの父修吉は作家になることを夢みていた文学青年でした。そして、小林多喜二とも同時代の人でした。作家になることを願いながらも志なかばで亡くなった父のことを井上さんは終生忘れませんでした。
 小林多喜二を描くことは暗い昭和を描くことであったし、多喜二の無念を書くことでもあったでしょう。
 しかし、井上さんは時代の悲劇としての多喜二を描こうとしただけでなく、作家になるという夢を果たせなかった父親に代表される、多くの人たちの悔しさを、たくさんの戯曲を通じて描いてきたのかもしれません。

 舞台の終盤近く、主人公の多喜二はこんな台詞を口にします。
 「体ごとぶつかって行くと、このあたりにある映写機のようなものが、カタカタと動き出して、そのひとにとって、かけがえのない光景を、原稿用紙の上に、銀のように燃えあがらせるんです。ぼくはそのようにしてしか書けない」
 多喜二の台詞なのですが、井上さんのこれが思いだったと思います。
 カタカタと動き出した井上さんの映写機は、父親を映し出し、井上さん自身をうつしだし、やがて多くのそれにつづく人々を浮かびあがらせたのではないでしょうか。

 ◆この書評のこぼれ話は「本のブログ ほん☆たす」でお読みいただけます。

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紙の本組曲虐殺

2010/12/11 08:31

井上ひさし 白鳥の歌

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:稲葉 芳明 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 初出は『すばる』2010年1月号。こまつ座&ホリプロ公演、演出:栗山民也、音楽:小曽根真、出演:井上芳雄、高畑淳子、石原さとみ、神野三鈴、山本龍二、山崎一のスタッフ・キャストで2009年10月3日~25日に天王洲銀河劇場で上演。この後兵庫公演と山形公演も行われる。
 結果的に井上ひさしの最後の戯曲となってしまった本作を、筆者は10月17日(土)夜の部で観た。観た時点では、著者が体調不良で「憲法九条の会」講演を幾つかキャンセルしたことは知っていたが、まさか死に至るほど深刻な病状だとは夢にも思わなかった。
 『蟹工船』で一躍名を挙げ、最後は特高に虐殺されたプロレタリア作家小林多喜二(1930-1933)。彼(井上)の短い生涯を、自伝的事実を踏襲しながら主として晩年三年間に焦点を当て、姉(高畑)、妻(神野)、恋人(石原)、特高刑事二人(山本、山崎)の6人が織りなす物語として再構成した作劇がまず見事。しかもこれを、荘重深刻な悲劇ではなく、絶えずピアノが割って唄になるコミカルな音楽劇として描くのだから恐れ入る。
 特に二幕は、彼の理念が(特高刑事も含めた)周りの人々も同化させていく過程をじっくり描きこみ、貧困や弾圧の中、迷ったり転んだり自暴自棄になったりしながらもささやかな幸福を希求して生きていく<人間>に対する、祈りにも似た、純化された<愛>が観客の胸にもしっとりと染み入ってくる。第二幕第八場で作者は多喜二にこう語らせる:「世の中にモノを書くひとはたくさんいますね。でも、そのたいていが、手の先か、体のどこか一部分で書いている。体だけはちゃんと大事にしまっておいて、頭だけちょっと突っ込んで書く。それではいけない。体ぜんたいでぶつかっていかなきゃねえ。(中略)体ごとぶつかって行くと、このあたりにある映写機のようなものが、カタカタと動き出して、そのひとにとって、かけがえのない光景を、原稿用紙の上に、銀のように燃えあがらせるんです。ぼくはそのようにしてしか書けない。モノを考えることさえできません」
 生涯、生きるとは何か、何故全ての人が幸福になれないのかという――宮澤賢治に相通ずる――大きな問いを市井の人々の視線で考え続け、それを文学という形で表してきた井上ひさし。正にこれは、彼の<白鳥の唄>である。

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紙の本組曲虐殺

2010/08/24 16:24

鮮血淋漓の修羅場を舞台にかけて欲しかった

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:あまでうす - この投稿者のレビュー一覧を見る



今度は同じ作者による戯曲の遺作です。

築地警察の特高刑事たちによって虐殺された小林多喜二が主人公です。築地には電通と歌舞伎座と都立中央図書館とマガジンハウスがあったので、その前をよく行き来していましたが、「成程ここが多喜二をなぶり殺しにした警察署か。それで入口がどこか不気味で暗いのか」と思いつつしばし立ち止まり、門番のおまわりさんを得意の三白眼でにらみつけたりしたものです。

そのおぞましい、身の毛もよだつ拷問シーンが出てきたらどうしよう、と心配していたのですが杞憂でに終わり、そこはなぜかはスマートに避けてあったので、「さすが井上よのう」という気持ちと、肩透かしされて物足らない気持ちの両方が読み終えたあとから押し寄せてきました。

帝国戦時暗黒時代の残酷で血なまぐさい生の現場はすでに歴史的事実であるとしてパスし、あえて括弧に入れてその周縁を喜劇的に劇化することによって、括弧に封じ込められた真実を一人一人の観客に想像させ、現代に呼び出そうとする作者一流の手法は、同じ作者の遺著『一週間』でも採用されていましたが、この洗練された?方法が反対方向に作用して、あたかも「括弧の内部には何もなかった」ような印象に陥る弊害があることも事実です。

例えば、お尋ね者の多喜二に何度も肉薄しながら結局逮捕できず、敵でありながら多喜二のシンパのような奇妙な役割を与えられている2人の刑事のありようは、「不思議」と「意外」の域を通り越して、「現実無視」のそしりをまぬかれないのではないでしょうか?

かつての歌声運動最盛期の共産党ではあるまいし、敵と味方がやたら声を揃えて和風オペレッタを歌いまくり、劇と現実のドラマツルギーを抒情と詠嘆のオブラートにまぶして予定調和的にフェイドアウトさせようとしているのも、少しく安易な演劇作法ではないでしょうか?

いくら官憲による多喜二虐殺事件をソフィスティケートしても、虐殺は虐殺であり、けっして「組曲」などに音楽的に転化されるやわな性格のものではありません。

「二度と『蟹工船』のような小説を書けないようにしてしまえと右の人差し指を折られた多喜二。体の20か所を錐で刺された多喜二」などと登場人物に語らせてよしとするのではなく、その鮮血淋漓の修羅場を舞台にかけて欲しかったと思うのは、私だけなのでしょうか。

もしも今は亡き作者が、真夏の夜に甦ってそのような改訂版をこの世に贈ってくれたなら、私のように極端に暴力と苦痛と出血に弱く、今朝右翼から拷問されれば超右翼天皇制支持のファシストへ、夕べに左翼から拷問されればただちに極左冒険主義テロリストへとまるで時計の振り子のように寝返るであろう、臆病で無思想で「命あってのモノだね主義者」も、もっと根性を入れて観劇できると思うのですが。


ツイッタアにうつつをぬかす馬鹿ものの脳味噌の底で腐りゆく蛆 茫洋

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