逆説の日本史 別巻 みんなのレビュー
- 井沢元彦
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逆説の日本史 別巻3 ニッポン〈三大〉紀行
2022/02/06 21:57
三という数字の楽しみ
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投稿者:だい - この投稿者のレビュー一覧を見る
○自然・景観
日本三景
天橋立 小式部内侍の歌に選ばれた地
松島 芭蕉の一句で不動のものとなった
厳島 清盛が作った人工の景観
日本三名山
山は古代より信仰の対象であり、この三座が認知されたのは、大和朝廷の支配が東国に及んで以降である
富士山 コノハナサクヤヒメが山頂の神
白山 農耕神として北陸の信仰を集めた
立山 この世の生き地獄と信じられていた
日本三大河
坂東太郎、筑紫次郎、四国三郎
利根川 昔は東京湾に注いでいた
筑後川 邪馬台国九州説の根拠文化発達あり
吉野川 流域面積は四国一
日本三大美林
日本は“鎮守の森”が示すように森を神の領域ととらえ大切に保護し恵みを得てきた
木曽ヒノキ 法隆寺は総ヒノキ作り
秋田スギ 江戸以降の民衆を支えた美林
津軽ヒバ 輪島塗の木地として使用
日本三名瀑
那智の滝 飛瀧神社の御神体
袋田の滝 四度(春夏秋冬)訪れて良さが判る
華厳の滝 古くから霊地として知られていた
○観光・旧跡
日本三古湯
日本人は有史以前から温泉を利用していた
その中で最も古いと見られる三つの温泉が三古湯である
有馬温泉 都から近く天皇も湯治に利用
道後温泉 聖徳太子が療養に利用
白浜温泉 牟婁の湯で有間皇子が療養利用
日本三津
日本三大港のこと
津とは船が寄港しやすく泊が造りやすい入り江のある地形に恵まれた場所
薩摩坊津(鹿児島県南さつま市)
1000年以上前は日本の表玄関だった
筑紫那津(福岡県福岡市)
大宰府の玄関であり日本の入り口だった
伊勢安濃津(三重県津市)
伊勢神宮の入口として室町中期まで繁栄
1498年の地震と津波により破壊された
日本三名城
安土桃山から江戸時代にかけて建設された城
熊本城 天才加藤清正の会心の作品
名古屋城 清正の力を弱めるために築城
姫路城 城郭全体が当初の形のまま現存
日本三名園
回遊式庭園という日本古来の自然観に外国の思想を味付けした新しい庭園群のこと
水戸偕楽園 徳川光圀と斉昭による造園
金沢兼六園 名園の六要素を兼ねた庭
岡山後楽園 造園当時の御後園と呼ばれた
○社寺・祭
日本三大霊場
霊場とは神仏などの霊験あらたかな土地、霊に対する信仰に触れることができる場所
恐山 死者の霊魂が集まる山とされていた
比叡山 日本仏教の出発地といえる霊場
高野山 空海の本拠地“金剛峯寺”がある
日本三大八幡宮
現代の神道では八幡神とは応神天皇のことであり、大和朝廷と深い絆を持っていた神様
宇佐神宮 中央神殿には比売大神(卑弥呼)
岩清水八幡宮 宇佐から勧請された八幡宮
筥崎宮 元寇当時の亀山上皇“敵国退散”額
東北三大祭
祭というのは神様への接待が起源
特に“神頼み”である農業において最も重視されるものであった
青森ねぶた祭り ねぶたに睡魔を封じ込めた
秋田竿燈祭り 竿燈に睡魔を封じ込めた
仙台七夕祭り 男女の協力・和合を象徴
日本三大稲荷
稲作の神様で、その神が稲穂を背負っていたため“稲を荷う”「稲荷」の字を当てた
伏見稲荷 ウカノミタマ祀る神社の総本社
笠松稲荷 日本最古クラスの稲荷社
豊川稲荷 曹洞宗妙源寺が本来で稲荷は通称
日本三大天神
大宰府天満宮 原形は道真の廟所の建立
北野天満宮 道真の鎮魂を伝える場所
防府天満宮 三大天神の中で最も古い
逆説の日本史 別巻5 英雄と歴史の道
2016/02/22 20:40
面白かったです
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:壽 - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本史には余り興味のなかった私ですがなかなか面白かったです。別巻だったのでさらっと流し読みしたような感じです。改めてシリーズを最初から読んでみたくなりました。
逆説の日本史 別巻4 ニッポン戦乱史
2014/01/26 14:32
戦史から読み解く井沢史観
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:やびー - この投稿者のレビュー一覧を見る
古代から近代までの日本史を取り巻く戦史に着眼した考察の一冊。
まえがきで、歴史には様々な見方がある。歴史上の事実に正面切って取り組むのも良いが、サイドストーリーに陽に当てることによって歴史の理解がより深くなることがあると、著者は説明します。
「逆説の日本史シリーズ」でお馴染みの、通史を書いている著者だからこそ、時代を跳び越えての類似性の比較は現代にまで及ぶので理解がしやすい内容になっています。
西南戦争における、西郷隆盛の戦略の不可解さには、「征韓論」で対立し下野する事で明治政府に対する周りの不満をアジテイトする存在になってしまった現象。
自ら立つ事によって、世にその真価を問うベく再び内戦を起こしても構わないとする、強い意思があったのか?あえて、かの人の戦略を追う事によって、言葉にしない想いを読み解く事は一冊の読み物になるテーマであり、未読ですが司馬氏がこの事件に挑んだのか解ります。
戦場だけで無く政治事件の舞台を扱ってみても著者が書くなら読んでみたいと思います。
逆説の日本史 別巻5 英雄と歴史の道
2022/03/23 21:33
英雄の裏話
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投稿者:だい - この投稿者のレビュー一覧を見る
○戦争
織田信長
桶狭間は豪雨で視界不良もあったが奇跡の勝利である
金ヶ崎退却戦での殿の秀吉は“被害を最小限に留める”ことを成し遂げた名将と言える
豊臣秀吉
中国大返しが成功したのは、秀吉足軽経験がその秘訣である
賤ヶ岳の勝利は、大垣から木ノ本までを驚異的な速度で移動したため
徳川家康
関ヶ原前の小山で三成挙兵を聞き、豊臣軍を徳川私軍に代えるため、長政を使い西軍派大名の切り崩しを図っていた
島津義弘
関ヶ原での島津退き口をせざるを得なかった教訓が、幕末の情報分析に繋がっている
黒田官兵衛
秀吉が最も恐れた男であり、関ヶ原合戦時、島津を残してほぼ九州を制圧した
源 頼朝
流罪人からスタートした頼朝の人生は石橋山の強運を如実に感じさせる天下人である
○経済
武田信玄
騎馬隊を中心の部隊に必要なのは舗装された道”棒道”が必要だった
武田騎馬隊は、騎兵と歩兵の混成部隊であった
上杉謙信
農民兵が中心の部隊は農閑期でないと戦ができない
雪国の越後では短期決戦しかできなかった
長宗我部元親
四国統一ができたのは“一領具足”の足軽集団を持っていたためである
毛利元就
石見銀山という財源を手に入れたことが元就の躍進の決め手であった
織田信長
経済活性化のために廃止した関所であったが、光秀の行動がわからなかった
加藤清正
築城の名人であった
最高傑作が熊本城であり、名古屋城である
○政治
後醍醐天皇
一度は隠岐に流されながらも脱出し、鎌倉倒幕を成し遂げたが、“ケガレ思想”により排除された
足利尊氏
頼朝との違いは“非情さ”があったか
優しい将軍が招いたのは日本史上最大の混乱期“南北朝時代”である
足利義昭
信長の金看板に応じたのは、信長の実力を見抜いた義昭の勇気ある決断と言える
明智光秀
本能寺の真相は、四国渉外担当の座を蔑ろにされ、没落の危機にあったためと思われる
徳川家康
伊賀越えにおいて家康は梅雪を置き去りにし生き延びた
まさに“カルネアデスの舟板”である
真田幸村
大阪の陣で家康を追い詰めた
豊臣方の一掃を目論んでいた家康の誤算である
清河八郎
新撰組の前身浪士隊を作った
面子を潰された旗本の佐々木只三郎は見廻隊を結成した
高杉晋作
桂小五郎との動静コンビがなければ明治維新は成功しなかった
幕末有事には晋作が必要とされた
○外交
真田昌幸
戦上手であったが、徳川・北条・上杉相手に外交と謀略も得意だった
佐々成政
家康説得のために冬の日本アルプスを越えた“さらさら越え”だったが、家康を説得できなかった
伊達政宗
秀吉が死んだ時に天下を感じとったが、家康が70まで生きたことが誤算であった
柳生十兵衛
三代家光の時代に隠密として各大名領に潜入し様々な謀略をやっていた
桂小五郎
剣術の達人ではあったが、朝敵であった時代に逃げおおせたのは、役者の才能があった
坂本龍馬
薩長同盟を実現させたのは、薩摩と長州を渡り歩いた健脚のおかげである
吉田松陰
黒船という巨大な兵器を見た時、攘夷で日本は守れないことを悟った
○文化
源義経
謡曲“安宅”歌舞伎“勧進帳”は有名であるが、この話が本当にあったのかは確証がない
細川ガラシャ
忠興の妻(武士の妻)としてキリスト教の戒律のもと自殺という方法をとりたくなかった
浅井三姉妹
茶々、初、江 長政と市の間に生まれた
女は高位の人に嫁ぎ、後継者を生むことが最大の幸せと言われた時代に“お江”は二代秀忠に嫁ぎ、三代家光を生んだ
女系ではあるが浅井家の血は残った
逆説の日本史 別巻4 ニッポン戦乱史
2022/03/10 21:48
戦乱に隠された真実
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投稿者:だい - この投稿者のレビュー一覧を見る
○下剋上の知恵
相模 北条早雲
55歳位で当時としては引退の年齢から伊豆・相模の両国を奪った
美濃 斎藤道三
“六角承禎条書”に、妙覚寺法連坊が油売が一代で盗った話ではなく、父との二代で成し遂げられたと記載
安芸 毛利元就
“三子教訓状”は、敵の団結を崩して勝利していったことで団結の重要さを説いた
○信長の天才的戦術
桶狭間
信長公記の信頼性が高い
奇襲ではなく、豪雨による視界不良によりたまたま義元を討つことができた
長篠
鉄砲の玉が当たる必要はなく、音による馬がの暴走で騎馬隊を制御不能にした
本能寺
光秀の発作的犯行であり、不安定な心の持ち主に凶器を与えたようなもの
○秀吉の天下統一
中国大返し
毛利への光秀の密使が秀吉に捉えられ、和議の後、信長の死を知ったのが二時間後
毛利は追撃せず、180キロを12日で引き返した
賤ヶ岳
勝敗のポイントは利家の戦線離脱
小牧・長久手
織田家潰しの対抗として家康と組んだ信雄だったが、秀吉に騙され講和を結んだ
家康は戦いに勝って、試合に負けた
朝鮮出兵
戦乱が終われば足軽は職を失う
領地の欲しい清正・行長などは勝って石高を増やすことが目的だった
○家康の情報工作
上田
徳川を二度敗北させた武将が真田昌幸
昌幸の挑発の影には“真田忍群”がいた
関ヶ原
合戦というよりは謀略戦であり戦う前から家康の勝利であった
輝元を大阪城に釘付けにし、秀秋の裏切りを確約していた
大阪の陣
豊臣が滅んだのは豊臣恩顧の大名の連続死であろう
家康は真田信繁にあと一歩の所まで追い詰められていた
○幕藩体制の国防論
薩英戦争
攘夷を実行しようとした島津久光
攘夷論者と護憲論者は同じ“空想的国防論”
新撰組
武州多摩の農民達には“将軍のお膝元の守り”という意識が植え付けられていた
龍馬伝
龍馬は平和的な改革を目指していた
武力で倒幕した維新であったが、龍馬が生きていたら維新が成功できたかはわからない
○大政奉還と戊辰戦争
鳥羽伏見の戦い
慶喜の弱腰がために負け戦となったが、慶喜は勤皇家水戸家の出身であった
無血開城
薩長は将軍の首を取ってこそ新しい世ができると信じ、江戸城へ向かっていた
海舟は、江戸城明け渡しを条件に攻撃を回避した
会津白虎隊
会津鶴ヶ城は落城はしていなかった
将校とはぐれた白虎隊士は黒煙に包まれた城を見て落城と思い込み、自決した
箱館戦争
甲鉄鑑を新政府軍に奪われ、津軽の制海権を失い、戦わずして屈した
○近代国家の戦争論
不平士族の反乱
明治新政府の腐敗堕落への激しい怒りが動機
西南戦争
最大の失敗は、熊本城を攻めたこと
それは、勝つつもりがなかったからと考える
日清戦争
中華思想の清国を近代化へに気づかせ、朝鮮を独立国としたこの戦争の意義は大きかった
日露戦争
乃木将軍のとった旅順攻撃は多くの戦死者を出したが、極めて妥当であった
○戦乱の教訓
崇仏戦争
神道と仏教は争う必要はない
人を救う方法論が異なるだけである
太子の憲法は悲惨な戦争体験からくる強い後悔の念から作られた
屋島・壇之浦
義経は“陸でも名将、海でも名将”
義経に勝利をもたらしたのは“ツキ”であろう
蒙古襲来
元は得意の騎馬隊を使えなかった
敵の長技を封じ、見方の長技を活かす形になったからこそ勝てた
赤坂・千早城
1対100の圧倒的な兵力差がありながら、殲滅できなかった鎌倉幕府軍の権威は地に落ちた
これが楠木正成の戦略だった
岡崎三郎信康
武田のスパイ工作で信康は切腹させられた
逆説の日本史 別巻5 英雄と歴史の道
2016/04/10 07:01
さすが
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投稿者:ぷうら - この投稿者のレビュー一覧を見る
井沢元彦の逆説シリーズはいつも読んでいる。著者の主張する部分では多少くどい部分もあるが歴史の見方はためになる。一番印象に残ったのは日本の舗装率が極めて低いということと、逆に世界では昔から道路の舗装率が高かったという事実。
逆説の日本史 別巻1 ニッポン風土記 西日本編
2021/10/26 22:00
それぞれの地域の歴史トピックス
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投稿者:だい - この投稿者のレビュー一覧を見る
◯五畿
・大和
ヤマト(山門)は九州にあり、東遷により日本の中心になった
地名の由来は“大いなる和”
・山城
天武系から天智系への転換で平安京は作られた
・河内
古市古墳群は大国日本を示すランドマーク
・和泉
鉄砲の火薬(硝石)輸入拠点として堺は発展
・摂津
応神・仁徳が都を置いた日本の玄関口難波宮
◯山陽道
・播磨
日本三奇“石乃宝殿”(生石神社御神体)
石室作成中止の跡と思われる
・備前
縄文の美、備前焼は日本六古窯のひとつ
・備中
古代吉備王国の中心地
造山古墳は第4位の大きさ(吉備津彦の墓?)
・美作
森忠政(森蘭丸弟)築城の津山城は三大平山城
・備後
鞆の浦は古代から瀬戸内海交通の要衝
・安芸
伊都伎嶋(厳島)神社の社殿デザインは清盛?
・周防
室町時代の守護大名大内氏により山口は世界に名の知れた大都会だった
・長門
壇之浦で源氏が平家を滅ぼし、松下村塾では維新の英雄を生んだ
◯山陰道
・丹波
戦国時代丹波亀山城にて光秀が治めていた
・丹後
峰山では弥生土器が多く出土し、中国“新”時代の貨幣も発見された浦島太郎の発祥の地
・但馬
朝鮮王族“天日槍”の到来地(出石神社)
生野銀山があり、和田山竹田城は山名宗全が築城した
・因幡
大国主命が助けた白兎海岸”因幡の白兎”
・伯耆
大山は、白山“加賀”や月山“出羽”と並ぶ山岳信仰の聖地
・出雲
国譲り神話で大国主命が天照大神に国を献上し、神霊を祀ったのが出雲大社
荒神谷遺跡と巨大建物を支える支柱跡が発見され、伝承の信憑性が高まった
・石見
石しか見えないから“石見”
柿本人麻呂が水処刑されたと言われる鴨山
・隠岐
後鳥羽上皇(承久の乱)と後醍醐天皇(元弘の乱)が流された島
◯南海道
・紀伊
弘法大師(空海)は、俗界と交わりを断つ深山幽谷というべき高野山を拠点とした
・淡路
海産物や米を天皇の食膳として供給する“御食国”に指定されていた
・阿波
阿波踊りは、蜂須賀家の奨励により盛んになった
・讃岐
真言宗を開いた空海の生地は善通寺
金比羅様は大物主神とされている
・土佐
いごっそうの代表格は“坂本龍馬”
筋は通っているが頑なではなく柔軟性もある
・伊予
藤原純友の乱は伊予水軍の決起
将門が討死しなければ京を占領する勢いだった
◯西海道
・豊前
小倉を中心とした関門海峡を守る軍事基地としての城下町
全国八幡宮の総本社“宇佐神宮”があり、大和朝廷の発生地かもしれない
・豊後
元は豊の国で卑弥呼の後継者“トヨ”の国ではないか
・筑前
日本の中国・朝鮮への玄関口
磐井の乱は、九州王と大和朝廷の闘いかもしれない
・筑後
関ヶ原で西軍に味方した“立花宗茂”は柳河21万石に奇跡のカムバックを果たした
・肥前
吉野ヶ里王国は、大和朝廷と覇権争いに破れた国のひとつと考えられる
フェートン号事件で目覚めた佐賀藩は近代化を進め、薩長土肥として維新に活躍した
・壱岐
魏志倭人伝の“一支国”を確定する原の辻遺跡に弥生時代の船着き場が発見された
・対馬
島主宗氏は、秀吉の朝鮮出兵で、板挟みにあい、二枚舌外交で生きていた
・肥後
装飾古墳が集中しており、大和朝廷とは別の勢力“熊襲クマソ”の文化ではなかったのかと推測される
・日向
天孫族が降臨したと言われる高千穂は2つあり、北部の高千穂町であり、南部の高千穂峰である
・大隅
鹿児島神宮の主祭神は山幸彦
負けた海幸彦がハヤトの祖先であり、天孫族が隼人族を征服した証と言われている
・薩摩
日本最大の革命明治維新は薩摩隼人によって成し遂げられたが、極めて保守的な民族である
逆説の日本史 別巻2 ニッポン風土記 東日本編
2021/11/23 17:03
各地の歴史的トピックス
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○北陸道
・若狭国
古くは御食国と呼ばれ、朝廷に海産物・魚類の供給元として珍重された
・越前国
蓮如が浄土真宗布教の一大拠点“吉崎御坊”を建設したことが、一向一揆の本拠となった
・加賀国
守護大“富樫氏”を滅ぼしたのは一向一揆であり、約100年間“百姓の持ちたる国”であった
・能登国
曹洞宗大本山“總持寺祖院”がある
・越中国
立山を神の住む場所として信仰し、立山を宗教世界に見立てた立山曼陀羅がある
・越後国
長尾家は影虎の代に所領を奪われ、越後に保護を求め関東管領上杉憲政の養子となり、上杉を名乗るようになった
・佐渡国
奈良時代の律令体制下、流罪の地“遠流の地”というありがたくない地位を与えられた
○東海道
・伊賀国
国名は古代にこの地を治めていた伊賀津姫に由来し、大名のいない珍しい国であった
武士も独特な発展を遂げ、“忍者”となった
・伊勢国
伊勢の“神宮”の御祭神は天照大神つまり皇室の祖先神である
神宮とは一般的に天皇家ゆかりの神を祀った神社である
・志摩国
戦国時代に信長配下の九鬼水軍の根拠地であった
・尾張国
日本武尊は白鳥古墳に葬られ、白鳥となって大和に帰った
・三河国
三河者は慎重で保守的であり、堅実な仕事を好む
・遠江国
家康が信玄に生涯最大の敗北を喫したのが三方ヶ原の戦いである
・駿河国
“ふじ”の語源、不二(二つとない)、不尽(煙が尽きない)、竹取物語でかぐや姫のために多くの兵士が集まった(富士)など様々な地名期限伝説がある
・伊豆国
頼朝が流されたのは大島ではなく”蛭ヶ小島”
・甲斐国
甲斐とは“峡”山と山の間の狭い土地という意味
信玄公が神様になったのは、財政を建て直し、治水“信玄堤”に力を入れたため
・相模国
頼朝が中央からの独立構想のもと前線基地として“鎌倉幕府”を開いた
・武蔵国
早くから大和朝廷の手が入り、新羅百済移住者に開拓させていた
家康は山を削り海を埋め立て“築地”、神田上水・玉川上水を造った
・上総国
平安時代末期、上総介平広常が頼朝の味方についてから源平の形勢は逆転した
・下総国
香取神宮は鹿島・伊勢と並ぶ日本三神宮と呼ばれる古社である
御祭神は経津主神(フツヌシノカミ)
鹿島神宮は武甕槌神(タケミカヅチノカミ)
・安房国
上総との国境の山並が清澄山脈であり、頂上にある清澄寺は日蓮が日蓮宗を開宗した場所である
・常陸国
水戸学は“将軍より天皇が偉い”とされ、倒幕の志士のイデオロギーとなったが、その大元は光圀にあった
○東山道
・近江国
江戸幕府の商業蔑視政策をとったことにより、近江人の商才は民の立場で発揮された
・美濃国
古代最大の内乱“壬申の乱”で大友皇子と大海人皇子が激突したのも関ヶ原である
・飛騨国
律令体制下、庸調を免ぜられる代わりに“飛彈工”を出任させていた
・信濃国
県歌“信濃の国”
まとまりにくい県民をひとつにするために作られた
・上野国
火山が多く、赤城・妙義・榛名の三座を上毛三山という
・下野国
室町幕府を開いた足利氏のルーツは下野国足利庄、新田氏のルーツは上野国新田庄で源義家の孫
・出羽国
大和朝廷からは“異民族(蝦夷)の土地”と呼ばれ、平安時代に坂上田村麻呂がアルテイを捉え、日本となった
・陸奥国
青森県東北町に“日本中央”の石碑がある
東北地方が元々日本で倭が征服した際に国号を奪った
○特別編
・蝦夷国
米が獲れない蝦夷地はアイヌの国“アイヌモシリ”であった
・琉球王国
守禮之門”守禮之邦”は、礼(儒教体制)を守る、つまり中国体制の中の一国家という意味
逆説の日本史 別巻5 英雄と歴史の道
2016/03/13 23:04
進歩が見られないのが残念
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:わびすけ - この投稿者のレビュー一覧を見る
逆説の日本史が刺激的だったのは、歴史学者でない人が外部の目線で語る切り口の面白さだった。著者が書き続けてもう十年以上になり、こうして別冊まで刊行されているが、特に別冊で気になるのが進歩のなさである。井沢氏たちの活躍により歴史を気軽に語る地盤ができ、基礎教養も上昇してきているのに、提唱者でトップランナーのはずの著者の不勉強というか、古さを感じてしまう。シリーズの方はまだ時事ネタとのリンクで時代性を感じるが別冊の進歩のない論調が増えている。紙数を気にせず、古くなった文章は思いきって改訂や削除する努力が欲しい。
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