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ローマ人の物語[電子版] みんなのレビュー

  • 塩野七生
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みんなのレビュー67件

みんなの評価4.5

評価内訳

76 件中 31 件~ 45 件を表示

すがすがしき兵(つわもの)たちの物語

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:コーチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る

 イタリア半島を統一したローマが次に直面した敵、カルタゴ。地中海を支配するこの商業民族との120年におよぶ戦い—ポエニ戦争(前264〜前146)は、都市国家ローマが帝国国家へと進化してゆくうえで必然的な戦いだったが、それは決して平坦な道ではなかった。特に、第2次ポエニ戦争においては、カルタゴの名将ハンニバルによりイタリア本土を侵攻され、ローマは絶体絶命の危機にさらされた。そんな彼らに最終的勝利をもたらしたのは、第1巻『ローマは一日にして成らず』においても描かれたローマ自身の次のような態度だった。
 その1、それまでのローマが常に示していた同盟諸国に対する寛容に満ちた政策。敗者にさえも自分たちと同等の権利をあたえようとするローマを裏切ってまでカルタゴ側につこうという信義を欠いた同盟都市は、ほとんどいなかった。ローマを窮地に追い込んだハンニバルの甘い誘いを受けても、それは変わらなかったのだ。
 その2、度重なる敗戦という屈辱的経験に耐え、かつそこから学びとる態度。ローマ史上最大の敗北を喫したカンネーの戦い以降のローマ軍は、天才軍師ハンニバルに対し真向勝負には出ず、「ぐず男」と揶揄されたファビウスのもと、持久戦法をとるようになる。そして、そのように耐えに耐えた十数年の後、ローマ軍はハンニバルの戦法を徹底的に自分のものとした若きローマの将軍スキピオのもと、ついにザマの戦いにおいて宿敵ハンニバルを破ることとなる。
 戦記はまた、ローマ、カルタゴ軍ともに数々のドラマも描き出している。幼少の頃より、ローマへの復讐を誓いそれを実行に移した孤高の武将ハンニバルと、それに付き従うカルタゴ兵たちとの静かなる君臣関係。戦死した敵将マルケルスの遺体を前に長い間、黙祷をささげるかのごとくたたずむハンニバルの姿。明るく屈託のない性格で人をひきつけるスキピオと、それに従う副将レリウス、ヌミディア武将マシニッサらとの友情。ポエニ戦役後に再会をしたハンニバルとスキピオとの語らい。...これらを読むとき、いにしえの武人たちのすがすがしさを垣間見たような気がして、熱いものがこみあげてくるのは私だけだろうか?
 その一方で、物語の終盤は悲哀の色合いが深まる—平和の訪れたローマでスキピオを待っていた晩年の屈辱、奇しくも同じ年に起るスキピオとハンニバルのともにさびしい死、そして第3次ポエニ戦争で壊滅するカルタゴの最期...百年の戦記そのものがまるで、盛者必衰の理を感じさせてくれるかのようだ。
 カルタゴを滅ぼして後のローマは、地中海の覇者としての道を突き進んでいく。それは新たな発展と繁栄の幕開けであると同時に、古きよき時代の終息でもあった。
 古代のつわものたちの夢を追うような一巻であった。

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ローマを支えたインフラをハードとソフトの面から、一人の人間が分析するという極めてすぐれた企画で、塩野はそれに十二分に応えます。こんな本に大学生の時に出会っていれば、とは建築士である夫の弁

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

《ローマという帝国を支えたインフラ。特に道と水道を取り上げることで、現代政治が見失っているものを暴き出す》
塩野の『ローマ人の物語』を、何故か私は全10巻で完結する思い込んでいたので、15巻まであると聞いてびっくり、というわけで私にとっても、今回は特別編。
ローマ帝国を支えたインフラについて教えてくれます。ハードは街道、橋、港湾、神殿、広場、闘技場、上下水道、公衆浴場など。ソフトは安全保障、治安、税制、通貨制度、医療、教育、育英資金制度など。今まで各巻で触れられた橋や港湾、あるいは税制や通貨には触れず、全時代を通じて利用され、あるいは現在も利用されている道路と水道に注目し、その全体像を伝えるという新機軸といっていいものでしょう。
幅4mの車道とそれを挟む幅3mの歩道。車道の両側には排水側溝まで備えた幅10mの道が、ローマ帝国中を縦横にめぐり、主要都市を結びます。それは地中海を中心に、イタリア本土のみならず、その支配が及んだアフリカからアジア、スペインからイギリスにまで及ぶのです。
一人の人間が、その全てについて書いたことはないというローマの道の歴史を、塩野は豊富な地図や写真、そして道路の断面図などを駆使して見せてくれます。そして、それが現在も生きている道であること、そのためには、たゆまないメンテナンスが必要であることを教えてくれるのです。ま、だから道路公団が今のままあっていい、というお役人発想はしません、念のため。
もう一つ塩野が取り上げるのが、現在もヨーロッパの各地に雄大なアーチを見せる水道です。百万都市ローマは、既に十分に水を持っていたにも関わらず、新たに設けられる数10キロにおよぶ数々の水道。水質も十二分に考慮され、毒性のある鉛管を使うにも、その毒性を無効にする工夫を怠らなかった古代の知恵。現在の吊り橋の強度と、石積みのローマ時代の橋との比較を通して浮かび上がるもの。きめ細かな道路の設計と、それを引き継ぐ橋。それが、現在のローマでは、分断され、公園に改悪され、本来の偉大な意味を失ってしまったことに対する嘆き。
夫に言わせると「大学の建築史の授業では見えなかったものが、塩野の1冊でくっきり浮かび上がってくる」といいます。歴史というものは、本来1人の人間の手によるべきものであるというトインビーの主張の正しさを、証明するかのような見事な本だといえるでしょう。
ただし、後ろについているカラー写真、紙質のせいか印刷のせいでしょうか、とても汚く、被写体までも薄汚れて見えるのは困りものです。これだけは増刷をする時、版を改めて直して欲しいと思います。新潮社さん、これは出版社として恥ですよ、はい。

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恋する女の視点

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:コーチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る

 2巻におよぶカエサル伝を読みながら、カエサルを愛する一人の女としての視点を強く感じた。たとえば、若い頃から借金王だったカエサルの主な金の使い道は、愛する女たちへの贈り物であったことに関連して、作者の塩野はこう書く。「女はモテたいがために贈物をする男と、喜んでもらいたい一念で贈物をする男のちがいを、敏感に察するものである」。また、自らの美貌でカエサルを誘惑し、自国の権力争いへと彼をまんまと引き込んだとされるエジプト女王クレオパトラについては、カエサルが彼女の側についたことが、あくまでローマの国益にもとづいた政治行動にすぎないことを明言している。あたかも、カエサル様はあんたのような低レベルの女にたぶらかされるような男じゃないのよ、と言いたげに。
 愛おしさと崇拝の念が入り混じったこの感情は、決して女だけのものではあるまい。カエサルは男が惚れる男でもあったからだ。特に兵士たちにとって、この人のためなら死ねると思える上官であった。 ポンペイウスとの雌雄を決する戦いの前、ある百人隊長が彼に叫んだ言葉「わが将軍よ、今日のわたしの働きぶりは、わたしが生きようが死のうが、あなたが感謝しなければすまないようなものにしてみせましょう」は、まさにそれを表している。
 かくも魅力的に描かれたカエサルに比して、キケロや小カトーの人間としての小ささはどうだろう。特にキケロはカエサルとは文学を通じての友でありながらも、共和派の立場から彼に敵対し続けた。一方のカエサルは、そんな彼を許すばかりか、友として変らぬ交際を続ける。内戦に勝利を収めローマに戻ったカエサルは、群集の中にキケロを見つけ、彼を抱擁する。終身独裁官として多忙を極めていた頃、自分を訪ねてきたキケロを長い間待たせたことに気づいたカエサルが、ウィットのきいた言葉でそれを詫びる...カエサルという人間の底抜けな人のよさと共に人間としての大きさを示す逸話である。
 このように表裏のない友情を示すカエサルが暗殺されたとき、キケロは暗殺者たちを共和政の守護者として讃える。これがラテン語散文の完成者と言われ、ルネサンス以降の西欧思想・文学に影響を及ぼした人の真の姿であるかと思うと情けないが、恩を仇で返すという点ではブルータスらカエサルの暗殺者たちも同様である。彼らの多くが、内戦中はカエサルに刃向かったにもかかわらず、戦後彼が打ち立てた寛容政策にもとづき何の咎も受けなかった者たちであった。そんな彼らが共和政擁護の名のもと、血をもって寛容に報いた。カエサルの壮絶な死を伝え、暗殺者を非難する塩野の語り口は淡々としながらも鬼気迫るものがあり、こんなところにもカエサルへの深い想いを感じる。
 ローマ史における稀代の英雄、ユリウス・カエサル。この人物の暗殺により、なんと偉大な人をローマは失ったか!本書を読めば、その損失の大きさは実感できるだろう。そして、この最悪の事態を収拾し、故人の遺志を継いだのは、彼から後継者に指名された当時18歳の若者、オクタヴィアヌスであった。カエサルのルビコン越えから始まる本巻では、このオクタヴィアヌスが前31年のアクティウムの戦いでアントニウスを破り、一世紀にわたる内乱を終わらせるまでが描かれる。

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最も偉大な民族の物語!...まずはこの巻から

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:コーチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る

 古代ローマとイタリアに魅せられた作家塩野七生が、15年の歳月をかけて完成させた大歴史ロマン『ローマ人の物語』。ローマの建国から西ローマ帝国滅亡までの1000年を越える歴史を、全15巻にわたって叙述している。
 建国から共和政初期までの歴史を扱うこの第1巻『ローマは一日にして成らず』では、イタリア半島内陸部に移住したラテン人の一族が都市国家ローマを形成し、成長し、やがて半島を統一するまでの過程が描かれている。
 本書を手にとったときの私は、強大化した国家が弱小国家を次々と併呑し、残虐のかぎりをつくして破壊と搾取をくり返す、歴史上の多くの帝国がたどったのと同じ軌跡を読むことになろうと予想していた。ところが、そこに描かれたローマ人の歴史は、私の期待をみごとに裏切るものであった...
 戦争に勝っても敗戦国民を自国民と同等に扱い、やがてローマ市民へと同化させる民族としての柔軟性、開放性。国内で貴族と平民とがいかに熾烈な権力闘争に明け暮れようとも、いざ外国が攻めてくるとそんな反目も忘れたように、一致団結して戦う強固な愛国心。歴史から多くを学び、失敗と挫折の中から立ち上がろうとする気概と向上心。自由と平等を求めながら、アテネのような衆愚政治に陥ることを警戒して寡頭政治としての共和政を打ち立てる思慮深さ...これらから浮かび上がってきたのは、血に飢えた残忍な帝国のイメージとはほど遠い、正義と公正の念に動かされた誇り高く勇敢な、それでいて明るく朗らかな民族の姿だった。
 このような姿は、その後長くローマの伝統ともなり、ことに前1世紀のカエサルにおいてそれは、最も豊かに具現化される。しかしローマ人のこの英雄性は、初期ローマ史を扱ったこの第1巻においても、十分に感じ取れるだろう。むしろ、この時代にこそそれは最も素朴なかたちで現れており、それゆえに第2巻の『ハンニバル戦記』とともに、『ローマ人の物語』全巻を通じて最も鮮烈な印象を私たちに焼きつけてくれていると、私は思う。
 また、自由と平等、世界の平和と共存を説く21世紀のわれわれであるが、現代のどの国が古代ローマ人ほどに、これらの概念を現実的にとらえ、国家の安全保障や社会正義の問題に真剣に取り組んでいるだろう?塩野の膨大な著作は、現代のわれわれがローマ人にはるかに及ばないことを覚醒させてくれる。もしかしたらローマ人ほど偉大な民族はいなかったのではないか!この第1巻を読むだけでもそんな気分からは、逃れられない。
 古代に対する優越感をもち続け、歴史の進歩というものを信じているあなた...まずはこの巻から読んでもらいたい!

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真の哲人皇帝

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

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 『ローマ人の物語』第14巻の表紙を飾る人物は、聖アンブロシウス。これまでのシリーズ、特に帝政期からの巻の表紙に現れたのは、皇帝など政治的リーダーばかりであった。ついにキリスト教がローマの国教となる過程を描いた本巻の表紙が、それの聖職者であるというのは、意味深長である。アンブロシウスは、ミラノ勅令によって市民権を得たキリスト教を、国教とさせるべくテオドシウス帝に働きかけ、最終的に同宗教がローマを支配することを可能にした人物である。そして彼は、その前では皇帝さえも跪かざるをえないほどの絶大なる権威を確立した。表紙の肖像画でもって作者の塩野が暗示したかったのは、キリスト教が国教となったローマで事実上の権力を握ったのは、皇帝ではなく教会であったということであろう。
 それはともかく、私がこの巻で最も心を惹かれた人物は、アンブロシウスの少し前に出た皇帝ユリアヌスである。彼は、コンスタンティヌス帝没後、息子のコンスタンティウス2世による粛清の中で生き残った、数少ないコンスタンティヌスの親族の一人であった。事実上幽閉の状態で哲学のみを友としながら青少年時代を送った彼は、兄ガルスの処刑後、突如ガリアの副帝として、ゲルマン人征伐の総指揮を任される。軍事も何も知らない彼は、コンスタンティウスからの後方支援もなく、軍団からは冷笑で迎えられた。しかし、彼にはこつこつと仕事を行う忍耐と責任感があった。また、若い頃から親しんでいたギリシア哲学の恩恵もあった。くじけそうになったとき、彼はよくこう叫んで自らを鼓舞したという。「おゝ、プラトン、プラトン、哲学の一学徒というのに何たる大仕事!」
 そして、このひよわな哲学青年が、もてるかぎりの力を発揮して軍隊を指揮した結果、なんと彼は蛮族を撃退したのである!その後も持ち前の健気さで、内政もよくこなしたユリアヌスに対して、以前はあざけりと猜疑の目で見ていた兵士たちも、全幅の信頼と尊敬を寄せるようになり、ついには彼を自分たちの皇帝と仰ぐようになる。やがてコンスタンティウス2世の死後、彼はただ一人の皇帝となる。
 皇帝になってからの政策から、後世ひとはユリアヌスのことを「背教者」と呼ぶようになる。なぜなら彼は、キリスト教会にのみ認められるようになった免税などの特権を廃止するなど、キリスト教一色となったローマの社会をもとの、多神教国家にもどそうとしたからである。これに関して、塩野は次のように書いている。
 ―ユリウス・カエサルもアウグストゥスも・・・ユダヤやガリアやゲルマンの神々への信仰はなかった。だが、それを信じている人の信仰心は尊重したのである。お稲荷さんを祭った神社の前を通ってもお参りはしないが、その前で不敬な振る舞いはしないということだ。この種の寛容とは、多種多様な生活習慣をもつ人間が共に生きていくうえでの智恵の一つなのだが...それが失われつつあるのを見かねての、ユリアヌスが発した「全面的な寛容」であった―
 だが、このような政策も、キリスト教一色に染まりつつあったローマ社会の流れを変えることはできず、結局ユリアヌスは東方遠征の最中、敵の槍に当たってこの世を去る。皇帝在位わずか19ヶ月間という31歳の死であった。
 『ローマ人』シリーズを読み進んでいく中で、自ら哲学を愛好する私は、ローマ史に現れる哲学者にはキケロ、セネカなど器の小さな者が多く、あの哲人賢帝マルクス・アウレリウスさえも実はそれほど賢明な政治を行ったわけではないということを知らされ、哲学者に対する信頼を失いつつあった。しかし、このユリアヌスの章に至って、真に哲学を自己の糧としながら、立派な足跡を歴史に刻んだ人物に会えたような気がした。ユリアヌスこそ、消えつつある古きよきローマをとりもどし、それを守ろうとした真にローマ人らしい偉大な皇帝であった。死の直前に、彼が自分の人生と信念を語った、いかにも哲学者らしい言葉を読めば、心ある者は誰しも涙せずにいられないだろう。
 しかし、こんなにも愛すべき人の死後、ふたたびキリスト教は勢力をひろげ、策士アンブロシウスの企みは成功をおさめる。そして、ついにはこの巻のタイトル通り、キリストが勝利するのであった。

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伝統的ローマの変貌

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:コーチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る

 塩野七生のローマ人シリーズは、ある大きな偏見から私を解放してくれた―すなわち、古代史を残虐性に満ちた忌まわしいものと捉える偏見から。偉大なるローマ、すがすがしいローマ、義に篤く寛容なるローマ...これまでの巻すべてが、そんなすばらしい民族の姿をさまざまに映し出し、感動的であった。しかしここにいたって、すばらしい民族の物語も完全に変容したかのようである。なぜか...?
 混乱と衰退の一途をたどる3世紀のローマを救ったのは、ディオクレティアヌス帝であった。彼はそれまでの軍人皇帝とまったくちがう政策によって新たな秩序と安定をローマにもたらした。まず彼がおこなったのは、帝国を二人の正帝、二人の副帝によって四分し、自らは正帝の一人として統治を行う分割統治である。これは、巨大な帝国を一人の皇帝によって支えきれなくなった時代の必然的要請といえよう。
 同時にこれと矛盾したことのようだが、ディオクレティアヌス帝は、いわゆる専制君主制(ドミナートゥス)により、皇帝権を強大化、絶対化する。アウグストゥスによってうち立てられた帝政は、少なくとも建前の上では市民の第一人者である元首(プリンケプス)が元老院と共同で行う政治体制であり、事実、その後元老院は皇帝への対抗勢力としての機能を常に有していた。しかし、3世紀の混乱によって、皇帝の権威は地に墜ち、そのため帝国の平和は極度に脅かされた。ディオクレティアヌスは、元老院の力を実質上奪い、皇帝権力を強大化することによって、この困難を乗り切ろうとしたのである。
 分割統治と皇帝権の集中、これらの改革により、帝国にはふたたび秩序が戻った。その後ディオクレティアヌス帝は、ローマ史上最後にして最大のキリスト教徒迫害を行うなどしたが、専制君主制の確立者としてはこれまた奇妙なことに、治世20年にして突如皇帝を引退し、残りの皇帝たちにあとを任せる。これがのちに、彼自身にとっての不幸をもたらすことになるのだが...
 西方正帝の子コンスタンティヌスが、頭角を現すのはその直後である。西方正帝となった彼は、313年のミラノ勅令によりキリスト教を公認し、キリスト教による国家の再統一を試みる。その後のニケーア公会議で、激化する宗派対立に決着をつけさせたのも、彼が統治の道具とするキリスト教会の組織としての安定を計ったからであった。やがて彼は敵対する他の正副帝全員を滅ぼし、ローマ帝国の最高権力者となる。
 キリスト教のおかげで皇帝への就任は、戴冠式という形式と唯一絶対の神による権威づけをもつようになった。ローマは、市民が自分たちの第一人者を選ぶ体制から、神が絶対的権力者を選ぶという体制へと移行した。これにより、ディオクレティアヌスによって始められた専制君主制はより強固なものとなった。しかし同時に、かつての自主・独立を重んじるローマ人気質は姿を消した。いまや、ローマ人は東方的な専制君主支配のもと、重税にあえぎ職業・住居選択の自由さえない生活を強いられるようになった。
 この世に希望を失った民衆が救いを求めた先は、当然のことながら来世である。キリスト教の約束する神の国が人々にはどんなに輝いて見えたことか。そこでのローマ人は、信仰に目覚め意気揚々とした人というよりはむしろ、生に疲れひたすら安らかな死を願う老人のようであるが...ともかくも、国家権力、民衆双方の要求がここに合致し、キリスト教の国教化は決定的となった。その完成までの過程は、次巻『キリストの勝利』でさらに詳細に伝えられる。

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帝国衰退の要因

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:コーチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る

 本編で主として扱われるのは、ローマ帝国の衰退が顕著となった「3世紀の危機」とよばれる時代である。この頃、帝国内部は概して政争、内紛が絶えず、ゲルマン人や東方の新興国ササン朝ペルシャなどの外患に悩まされる。とりわけ50年足らずのあいだに19人の皇帝が入れ替わり、しかもそのほとんどが暗殺や戦死によるものという軍人皇帝時代(235-284年)には、混乱は頂点を極めた。
 この暗黒時代にも、身を削って真剣に国家に尽くした有能な皇帝はいた。ゴート族との戦闘中に息子とともに戦死したデキウス、そのゴート族を撃退し、ローマ市民から英雄視されながらも、陣中で病死したゴティクス、分裂したローマ帝国をふたたび一つにまとめあげたアウレリアヌス...しかし、これら名君の努力によっても、ローマの弱体化は避けられなかった。原因の一つは、ゲルマン人ら強大化した蛮族の侵入だが、それは外的要因にすぎない。もっと重要なのは内的要因、すなわちローマ人の精神に生じた変化であり、それは次の3点に要約されよう。
 1.カラカラ帝による、全属州民にローマ市民権を与えるとしたアントニヌス勅令。属州民にとってローマ市民権を得ることは、それまで長年の兵役を務めるなど、たいへんな努力を要するものであった。それが、何の努力もなしに手に入ることになったことで、市民権のありがたみが消え、社会の活力、流動性がなくなった。
 2.軍人皇帝の一人、ガリエヌスが定めた、元老院議員をローマ軍の将官クラスから排除する法律。これは軍人と文官の完全分離を促すものであり、どのような元老院議員も若いうちにかならず兵役の経験を義務付けられていたローマの伝統的人材育成法に反するものであった。この新たな法律によって、「以後のローマ帝国は、軍事のわかる政治家、政治のわかる軍人、を産まなく」なり、結果ローマの弱体化に拍車がかかった。
 3.キリスト教の浸透。建国以来、さまざまな宗教をもつ民族との融合をくりかえしてきたローマは、それらの民族の神々を同じ神殿に祭り、等しく崇拝してきた。いかなる民の神をも尊重し、宗教的には寛容でありつづけたローマ人が唯一共通の価値観として互いに課したものが法であった。そのような観点からすれば、自分たちの神のみを絶対と信じ、他の神といっしょにされることを厭うユダヤ人やキリスト教徒の態度は反社会的であり、宗教的信条を理由に兵役を拒むことは、法と秩序を乱す行為であった。マルクス・アウレリウス帝以来、断続的に行われたキリスト教徒の迫害なるものは、その多くが、ローマの法律に背いたために罰せられたケースで、しかも殉教者そのものの数は意外と少ない。
 むしろ、社会にとってより大きな問題は、このような秩序の破壊が増えることによってモラルの退廃が生じ、社会への帰属感が人々の心から失われてゆくことであろう。キリスト教徒は、あたかも腐食が果物に広がるように、伝統的なローマの秩序をじわじわと蝕んでいった。歴代皇帝で、名君と呼ばれる者ほどキリスト教徒弾圧に力を注いだという塩野の記述は、そのことを示唆しているように思われる。
 キリスト教の浸透がローマの衰退を促しただけではなく、帝国の衰退がこの宗教の発展をも助けた。すなわち、蛮族の襲来、農地やインフラの荒廃、社会福祉の弱体化...この世の希望を失った市民にとって、キリスト教は唯一の光と映るようになり、ますます多くの者が入信したわけである。
 このように、キリスト教の発展とローマの衰退とは深いつながりをもっているが、非ローマ的な信仰を頑なに貫きながら次第に数を増やしてきたキリスト教徒の性格を逆手にとって、それをうまく帝国支配の強化に利用したのが、キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝であった。彼の下でキリスト教は一段と力を強め、古いローマはいよいよ姿を消してゆくこととなる。だが、それは次の巻の話である。

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紙の本ローマ人の物語 8 危機と克服

2007/08/14 15:36

目立たぬ時代ではあるが...

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:コーチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る

 ネロ帝の自殺後、ローマにはカオス(混沌)が訪れる。紀元69年の一年間にガルバ、オトー、ヴィテリウス、そしてヴェスパシアヌス4人の皇帝が、相次いで即位した。同じ国の軍隊同士が戦い、ローマでも市街戦がおこった。それらに乗じたガリア人は、独立国家を作った。同時代人の歴史家タキトゥスは、「すんでのことで帝国の最後の一年になるところだった」とその危機の重大さを記す。
 しかし、この危機を回避し、パクス・ロマーナを再び取り戻したのは、四皇帝最後の人、ヴェスパシアヌス帝であった。シリア軍総司令官であった彼は、名将ムキアヌスとともに、ヴィテリウスを討ち、混乱を鎮めて帝位に就く。その10年の在位中、国はよく治まり、また彼の後を継いだ長男ティトウスも名君として善政を施す。
 早世したティトスに代わって帝位に就いた弟のドミティアヌスは、ネロ以来の悪帝として後世に知られることとなる。これとても、人気抜群で若い死を惜しまれた兄との比較で、悪く言われたまでで、死後、皇帝としての栄誉を剥奪されたこの人もよい政治はおこなった。しかし、民衆の恨みをかった彼は暗殺され、その後政界にはふたたび不穏な空気が流れた。それを回避したのが、ネルヴァ、すなわち五賢帝最初の皇帝であった。
 本巻が扱うのは、パクス・ロマーナ期における唯一の混乱とその回復というローマ史の中では地味であまり知られていない時代であるが、それでも、そこには魅力的な人物や特筆すべき事件にあふれている。個人的には、ヴェスパシアヌスの「充分にふくらまなかったパンのような」顔(表紙の肖像を参照!)とおおらかな性格とが、大好きだった伯父にそっくりで、それだけでローマ史中最も好きな英雄の一人になっている。
 また、ユダヤ人によるローマ帝国への反乱、すなわちユダヤ戦争―特にユダヤ教徒にとっても、またキリスト教徒にとっても重要な、かつ怒りをもって覚えられるマサダ砦の陥落―が、彼らとは別の視点から描かれていることにも注目したい。それは作者の塩野が、西洋のキリスト教史観と異なる視点からローマ史を描いたことを示す好例である。なぜならこの事件を彼女は、迫害される哀れな人々というよりもむしろ、長い迫害の歴史から意固地になり、他民族との協調性を失った民族が選んだ無謀な集団自決として描いているからだ。
 ローマが伝統としてきた多神教と、他のいっさいの神を否定するユダヤ教など一神教との対比は、シリーズのかなり前から言及されていたが、塩野のとらえかたは、一言でいえば「寛容の多神教」と「不寛容の一神教」だろう。これには多くの人が異議を唱えるだろうし、彼女とてこれほどストレートには断言していないが、現代の国際紛争の多くが、宗教、それもユダヤ教、キリスト教、イスラム教といった一神教の狂信的信仰に根ざしていることを考えるとき、このような視点が少なくとも現代の国際問題を考える上で大きな示唆をあたえてくれることだけは間違いない。塩野は、キリスト教がローマ帝国の国教となっていく過程を描いた巻(第14巻)でも、再び同じ視点から、西洋文明の基盤であるこの宗教に鋭いメスを入れている。
 あらゆる宗教のあらゆる神々を神殿に祀り、完全なる信仰の自由のもとさまざまな民族との共存をはかってきた古代ローマの多神教と、自分の信ずる神以外をすべて排斥したユダヤ教やキリスト教の一神教。これらのうちどちらが、現代のわれわれにぴったりくる生き方か、各自これらの巻を読んで考えてみてほしい。

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最後の逸話に思わず涙...

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

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 暗殺されたユリウス・カエサルによって後継者に指名されていたオクタヴィアヌス。18歳の彼は、カエサル暗殺後の15年間にブルータスら暗殺者、それから政敵アントニウスを次々と倒す。そして前27年、ただ一人の権力者となった彼は、元老院議員たちの前に立った。
 誰もが独裁政治の復活を予想した中で、オクタヴィアヌスの口から発せられたのは、元老院中心の政治、すなわち共和政への復帰宣言だった。これに狂喜した元老院議員たちは、敬意を表して彼に「アウグストゥス(尊厳なるもの)」の称号を送る。しかしこれは、「偽善者」であった彼による独裁権確立のための巧妙な布石であった。新リーダー「アウグストゥス」が始めた政治体制は、市民の第一人者(プリンケプス)による統治という意味で「プリンキピア(元首政)」と呼ばれるが、その実体はプリンケプスによる独裁であり、ローマ帝政の事実上の開始なのであった。
 政治権力の集中は、地中海世界を支配するようになったローマにとっては必然的な流れであり、その先陣を切ったのは、カエサルであった。アウグストゥスが目指したのは、この体制をより堅実なものとし、国家の安全と平和を保障することであった。そのために彼は、元老院の反発や警戒を防ぎ、暗殺など不慮の死による事業の中断がないよう細心の注意を払いながら、着実に帝政を整えてゆく。
 元来ひ弱で、軍人としての能力にも欠け、カエサルのようなカリスマ性もなかったが、きまじめで一つのことを粘り強く行う性格だけが取り柄だったこの青年の人物を見抜いたカエサルの眼力もさすがだが、それに十二分に応えたアウグストゥスはやはり偉大である。軍事面では、カエサルによってあてがわれた名将アグリッパ、行政面では、メセナ運動の祖といわれるマエケナスに助けられながら、41年という彼の長い治世は、ひたすら上の目標を実現することへと捧げられる。その結果、ローマには比類なき平和と繁栄の時代が訪れる。ここから以後の2世紀を、ひとは「パクス・ロマーナ(ローマの平和)」と呼ぶが、平和の礎を築いた初代皇帝アウグストゥスの功績は、どんなに賞賛してもしきれないであろう。
 こんな彼も、長い治世のあいだにはいくつか過ちを犯す。たとえば軍事面では、カエサルがあえて踏み込まなかったゲルマニア(ドイツ)への拡張政策を行い、その結果、3万もの兵隊が全滅するテウトブルグの惨劇を生み、ローマの防衛線を事実上後退させる。
 また、自己の血を引く皇統に固執する彼は、再婚相手の連れ子で後に2代皇帝となるティベリウスと、前夫アグリッパに死に別れた実娘ユリアとを結婚させるが、これはそれぞれの男女の不幸を生むだけであった。ティベリウスは最愛の前妻への思いを断ち切れず心をかたくなにし、ユリアも政略の道具にされるだけの身の寂しさから、浮気へ走ってしまうからである。しかもユリアはその結果、アウグストゥス自身が制定した不倫に対する厳しい法律により、流刑に処せられる。
 老年期に入ってから起きたこれらの事件は身から出たさびともいえるだけに、アウグストゥスの心をどんなにか苦しめただろう。だが、そんな彼の人知れぬ苦労をねぎらったのは、他ならぬローマの市民たちであった。娘ユリアの不祥事のあと、元老院は彼に『国家の父』の称号を与える。事件で落ち込んでいる彼を慰めるためであった。そして本書は、晩年の彼を「心の底から幸福にした」という次の出来事を伝えて終わっている。
 アウグストゥスがポッツォーリという港町に入ったときのこと。船上で休んでいた老皇帝の姿を、別の船の乗員や乗客らが認めた。すると彼らは、合唱をするように彼に向かって叫んだ。
 「あなたのおかげです、われわれの生活が成り立つのも
 あなたのおかげです、わたしたちが安全に旅をできるのも
 あなたのおかげです、われわれの自由で平和に生きてゆけるのも」
 これに感激したアウグストゥスは、彼ら全員に金貨40枚ずつをあたえたという。ローマの平和とは、それをあたえる者もまた享受する者も共に理解しあえる時代だったのだろう。

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スーパーマン?いや、ヒューマン!

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:コーチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る

 地中海における覇権国家に成長しつつも、国内では混乱にあえいでいたローマは、一人の男によって新たな方向を見い出す。彼自身はそれを実現することなく、この世を去ったが、生前の彼が書いた設計図は後継者たちにより確実に継承され、結果的に共和政ローマは帝政ローマへと成長をとげた。
 男の名はユリウス=カエサル。1世紀に及ぶ内乱を終わらせ、独裁官として支配権を握るも、共和派のブルータスらに敵視され、暗殺される。彼が権力の座にいた期間、わずか3年。そのわずかな期間に新たな政治システムの青写真を示したのだが、その影響力の大きさは単にシステムの変更にとどまるものではなかった。
 ある人間の55年の人生とその時代を2巻にわたって描いたのは、作者の塩野自身が、このカエサルをローマ史上最も重要でかつ魅力的な人物と考えているからのようだ。彼については独裁者の一人ぐらいにしか考えていなかった私も、読後は塩野の洗礼を受け、ローマ史のみならず人類の全歴史においても、これほどの偉大な人物がいただろうか!と思うほどに感動した。カエサルの魅力を描ききった本巻と次巻は、作者の意図としては大成功であり、『ローマ人の物語』シリーズ中の白眉といってよいだろう。
 カエサルはまず、第一級の軍人であり、軍略家であった。ガリア地方(現在のフランス)の制圧に加え、ポンペイウスら対抗勢力を排除して最終的に全ローマに覇権を確立するまでの軍功の数々はそれを証している。彼はまた、新たな時代の要請に合った改革を次々と行った有能な政治家であった。さらに『ガリア戦記』に見られるように、同時代のキケロと並んで、ラテン語散文文学を代表する文章家でもあった。また上品で洗練された趣味と会話で人々を惹きつけずにいられなかった当代一の社交家であり、星の数ほどの女性をものにしたプレイボーイでもあった。
 しかし、スーパーマンのごときこの人物を本当に魅力的にしているものは、これらの超人的能力ではなく、むしろ正義感あふれ、温かく、包容力のある人間性だと思う。彼が頭角を現す以前に、陰謀の罪で弾劾された元老院議員カティリーナを弁護して、怒りと敵意に満ちた元老院を前に、裁判なしに人を死刑にすることの非を説いた勇気。給料への不満をぶちまける兵士たちを一言で鎮めた器の大きさ。独裁者になったのちも自分に刃向かった者に対して、報復はおろか責任追及すらも行わない寛容さ...
 このように、古代の政治世界ではありえないようなヒューマンな指導者の出現はしかし、寛容と信義を重んじてきたローマ人の伝統と相反するものではなかった。第二次ポエニ戦役でハンニバルを負かしたスピキオ=アフリカヌスもこのような人間の典型であった。むしろ、このような伝統的精神は、カエサルという個人のもと究極のかたちで花開いたのではという気さえする。塩野自身の言葉を借りるなら、「ローマの歴史がカエサルを生み、彼がその後のローマ世界を決めた」のだ。
 ルビコン川は、ローマ北辺の国境である。元老院がポンペイウスと組んでカエサルを抑え込もうとしたとき、ガリアから戻ったカエサルは、軍を率いて渡ることの禁じられているこの川を、国賊となる危険を冒してあえて渡る。「賽は投げられた」という有名な言葉を残して...。本巻では、カエサルの幼年期からこのルビコン越えまでの期間が扱われている。

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紙の本ローマ人の物語 3 勝者の混迷

2007/06/19 12:33

青年期ローマの岐路と苦悩

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:コーチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る

 前巻とはうってかわって暗く陰惨なトーンの『ローマ人の物語』第3巻「勝者の混迷」。前巻「ハンニバル戦記」が、自国を侵略するカルタゴから、祖国を守るために一致団結して戦ったローマ人の雄姿を描いたのに対し、この巻で描かれるのは、ローマ人同士がいがみ合い、騙し合い、殺し合う姿である。後に「内乱の一世紀」と呼ばれるこの時代は、帝国へと発展をとげようとするローマが、その過渡期において悩み苦しむ時期であった。
 カルタゴに代わって地中海の覇者となったローマ国内では、大きな変化が進行する。相次ぐ戦争により、土地を失い、没落した自営農民。彼らは都市に流れ、「パンと見世物」を要求する無産市民へとなってゆく。その一方で、彼らの土地を買い取って大土地所有をおこなうことで、裕福となってゆく富裕層たち。ローマ社会を蝕んでいたのは、貧富の拡大、失業などの社会問題だった。自由で平等な市民により成りたっていた彼らの社会の変化を、ローマ人は放任することはできなかった。その結果、公正な社会を求めるさまざまな運動が展開されることとなったが、それらは多くの犠牲を強いるものであった。
 ローマ社会の基盤である自作農の救済・育成をめざし、最初の改革を試みたグラックス兄弟。彼らは、元老院や市民の反対に遭い、ともに非業の死をとげる。またマリウスは、募兵を中心とする兵制の改革により、失業者の救済をおこなった。その後権力を握ったスッラは、強い指導力で共和政体制の強化を図る。政治闘争のたびに多くの血が流された。また、同盟市との戦争を通じ、イタリア半島内のすべての部族にローマ市民権があたえられた。スパルタクスの乱、海賊の横行など、政治的混乱に乗じた反乱や騒乱も起こる・・・
 混乱の一世紀とは、自国をめぐるこのような情勢の変化にローマ人自らが敏感に反応し、試行錯誤を繰り返した時代であった。このような試行錯誤の中で、ローマは徐々に変革されてゆく。やがてそれは、共和政というローマの伝統的政体をめぐって戦われ、最終的には紀元前1世紀後半のカエサル、アウグストゥスによる帝政への移行というかたちで完成する。
 このドロドロの内乱記においても、第1巻から描かれているローマ人らしさは伺われる。残忍な仕方で反対派を粛清したスッラさえも、ローマ人的な明るい気質と憎めない人間的魅力を感じさせるのは、この時代の誰もが国家ローマの理想を自分なりに追い求めているからだろうか?この民族的苦難の時代から、とびきりの明るさととびきりの人間らしさをもって現われるローマ史上最大のヒーロー、カエサルについては次の二巻でたっぷり語られるのだが、本巻における最も魅力あふれる人物は、やはり正義感に燃え美しい理想を抱きながら散っていったティベリウス、ガイウスのグラックス兄弟であろう。塩野は、この巻の表紙に使われている無名の青年の像をティベリウスに見立て、こう述べている。
 ―意志は強固でもそれは育ちの良い品性に裏打ちされ、口許に漂う官能的な感じは、この若者が冷血漢ではまったくなかったことを示している。そして、憂愁が漂う。私が第3巻の内容を端的に示さねばならないカバーにこの顔を使うのは、グラックス兄弟からはじまるローマの混迷の原因が、研究者の多くが一刀両断して済ませる、勝者ローマ人の奢りでもなく頽廃でもなく、彼らの苦悩であったことを訴えたいからでもある。まったく、「混迷」とは、敵は外にはなく、自らの内にあることなのであった。―
 血なまぐさい内乱の一世紀に、青年期の苦悩のような積極的意味をあたえる塩野の見解に、大きな共感をおぼえた、そんな一冊であった。

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このシリーズを読み始めた頃、よちよち歩いていた長女は今は受験生。彼女は塩野の母校目指して頑張ってます。塩野のように目標を達成できるのでしょうか

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

私が塩野七生の著作に出会ってからもう30年近い年月が流れました。その歳月のうち、半分を占めるのが『ローマ人の物語』ですから、この作品が作者にとっていかに重いものであるか分ろうかというものです。10巻あたりだったと思いますが、塩野は自分の体調の不良を訴え、何とかこの通史を書き終えたいが、はたしてそれが可能か、というようなことを書いていました。
まず、私はそれがこうして見事に終わりを迎えることができたことを素直に喜びたいと思います。
塩野はこの本の「終わりに」で、
「誕生から死までを追ういわゆる通史は、私には二度目だった。『海の都の物語』と題したヴェネツィア共和国の歴史と、この『ローマ人の物語』で。だが、この二国の歴史は、一千年以上もの長命を享受したという点ならば似ていたが、同時代の他の国々やその後の時代にまで甚大な影響を与えたということになると、比較しようもないくらいにちがう。それが『海の都の物語』は二巻で終えられたのに、『ローマ人の物語』は十五巻にもなってしまった理由である。いや十五巻は書かなければ、ローマの歴史は書けなかった。」
と書いています。
最終巻に相応しく、この巻は面白いといえます。理由は、これもまた「終わりに」にで塩野が言うように、このローマ帝国の衰亡する時期については多くの著作があり、私たちにとっても馴染み深いということがあります。西洋史に必ず出てくるフン族やオペラにも出てくるアッティラ、フランク族、東西ゴート族といった名前は誰もが知っているといえます。
しかもです、フン族について「二本足で動く」なんていう説明は、そのあとに人間という文字がついても、爆笑もの。こういったユーモアも最終巻を無事迎えることが出来た余裕でしょう。ワーグナーの『ニーベルンゲンの指輪』への言及、あるいは、スコラとスクール、ギリシア語では椅子の意味だったカテドラ、山を意味するモンテといったようなラテン語を駆使しての語源解き明かしみたいなところも、この巻を読みやすいものにしています。
また、西ローマ帝国が滅亡後、東ローマ帝国の末期を支えた気の強い二人の女の存在も面白いものです。一人は皇帝ユスティニアヌスの妻で踊り子だったというテオドラで、猛女というのがピッタリ。もう一人が、将軍ベリサリウスの妻で子持ちの未亡人だったアントニアで、このひとは賢妻ということばがピッタリです。
他にも、心ある日本人ならば思わず手を叩きたくなる
「しかし、専制君主国では、君主は決定するが責任を取らない。そして臣下は、決定権はないが、責任は取らされるのである。」
といった発言もあります。そうか、第二次大戦前の日本ていうのは、専制君主国だったんだ。だって、天皇は責任とってないし、軍人の多くは責任取らされたし、なんて肯いてしまいます。ま、この構図は「あるある」問題でも同じですね。フジテレビは全く知らん顔で、関西テレビと下請けだけに責任あるみたい。
また、最終巻ゆえでしょう、過去の巻からの引用が度々あります。中でも印象的なのが第二巻『ハンニバル戦記』で、スキピオがポリピウスに答えたものです。
「われわれは今、かつては栄華を誇った帝国の滅亡という、偉大なる瞬間に立ち合っている。だが、この今、私の胸を占めているのは勝者の喜びではない。いつかはわがローマも、これと同じ時を迎えるであろうという哀感なのだ。」
あまりにも古い話なので、そうだったかなあ、いつかもう一度読み直すときが来るのかなあ、でも私だったら、やっぱり『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』や『イタリア共産党讃歌』、或は何故か巻末の著作一覧に名前が出ていない『神の代理人』あたりから読み直したいなあ、と思います。

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立体的に浮かび上がるローマ人の姿

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:コーチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る

 この巻では、戦争や政治的事件を描くこれまでの記述スタイルをがらりと変え、ローマ人がつくったインフラすなわち道路、水道、橋などの社会基盤を扱う。「インフラの父」ローマ人の手になる公共建造物の実例やその建造技術が、豊富な写真とイラストを使って明らかにされ、時系列の中ではとらえきれなかった彼らの横顔がうかがわれる。以下、本巻で印象に残った点を記してみたい。
 街道と橋・・・本来軍事目的であり、それゆえに軍隊がその建設の任を負ったローマの街道や橋は、人々が旅をするための道でもあった。作者の塩野は道路や橋の建設方法を詳細に記す一方で、自身のコレクションの中から当時の旅行者が携帯していた地図付の銀製コップを披露して、当時の旅行者、特にパクス・ロマーナ時代の彼らが、いかに快適で楽しい旅をしていたかについて想像を駆り立ててくれる。
 水道・・・街道と異なり、民間に委託された水道の工事は、「純粋に採算を度外視したもの」だったという。山間部から何十キロにもわたって引いてきた清水を、人々はほとんどただで存分に利用できた。道路や橋についても同様だが、現代のように、整備されたインフラの使用料を徴収して原価償却しようというのは、ローマ人に言わせれば、せこい考え方であったにちがいない。
 公衆浴場・・・水道の完備と同様、公衆浴場の建設は、健康増進、伝染病の予防など公衆衛生の向上に大いに貢献した。また社交の場でもあった公衆浴場では、皇帝も一般市民といっしょに裸の付き合いをしたが、ローマの全時代を通じて浴場での暗殺はただの一度もなかったという。別の巻だったと思うが、ブリタニア(イギリス)を遠征したローマ兵たちが、温泉を見つけて大喜びで入浴したというくだりもあった。これらの記述を読むにつけ、入浴好きのローマ人を微笑ましく感じる。
 医療と教育・・・本書ではこれらをソフトなインフラと呼ぶが、ローマではほとんどの時代、これらが完全な自由競争のもとにおかれていたという。つまり土木工事によるハードなインフラが無償なのとは反対に、医療と教育は有償で、よりよいサービスを求める者がより高い代価を払って受けるべきものであった。特に教育に関しては、次のようにある。
「小学校も中学校も高等学校も私立であったのが、ローマ帝国の教育制度の特色だ。・・・国定教科書やカリキュラムのようなものは存在せず、教材の選択も教育法も、当の教師に一任されている。教育効果が良くなければ親は別の私塾に子供を送るようになるから、これはもう自由市場というしかない世界であって、教師もそれなりの努力を忘れるわけにはいかなかったであろう。」
 これが、キリスト教支配の強まる帝国末期からは180度転換し、医療・教育は公営化・無償化され、同時に教会の教えにそぐわない教育内容や教師はいっさい排除された。
「ある一つの考え方で社会は統一されるべきと考える人々が権力を手中にするや考え実行するのは、教育と福祉を自分たちの考えに沿って組織し直すことである。ローマ帝国の国家宗教になって後のキリスト教会がしたことも、これであった。」
 自由と寛容を旨としたローマ人の生き方は、教育と医療の無償という甘い言葉を餌に、国民の思想を画一化し、行動や思想の自由を奪う新たな勢力―キリスト教に侵食され、非寛容的で依存的なものへと変化してゆく。このような視点は、キリスト教的博愛精神に負うところの多い現代の福祉政策のあるべき姿について考える一助となるかもしれない。
 年代ごとの歴史記述を横糸、市民の日常生活についての描写を縦糸とすることで、ローマ人の姿はより立体的に浮かび上がってくる。その意味で、本巻はシリーズ中の異色作ながら、『ローマ人の物語』全体の構成において重要な役割をもっているといえよう。

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孤軍奮闘する将軍と無能な皇帝の物語

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:サッチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る

 滅びに向かう西ローマ帝国を何とか食い止めようとする軍司令官と、これを妨害したとしか思えない、無能な皇帝と官僚との物語である
(1)蛮族出身の西ローマ軍総司令官スティリコが孤軍奮闘して、ゲルマン族の進攻を防ぐが、皇帝ホノリウスの処刑されてしまう。
 スティリコの死で、西ローマ帝国は実質的に滅亡し、それ故にスティリコは「最後のローマ人」といわれた。
(2)西ローマ軍総司令官アエティウスが、ゲルマン族と共闘して、アッティラ率いるフン族に対抗するが、皇帝ヴァレンティニアヌスに殺される。
 21年後、西ゴート族のオドアケルによって、皇帝ロムルス・アウグストゥスが退位させられ、西ローマ帝国はあっけなく消滅する。
(3)東ローマのベリサリウス将軍が少ない兵站で、北アフリカのヴァンダル族を壊滅させ、イタリアを占拠する東ゴート族と戦うが、途中で帰還させられる。
 最終的に、イタリアは東ゴート族と、次に来たロンゴバルド族に蹂躙される。
全15巻に及ぶ「ローマ人の物語」は最終巻まで興味深く読み進めることができた大著である。

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紙の本ローマ人の物語 8 危機と克服

2010/05/30 00:02

リーダーの要件。リーダーシップに欠ける政治的トップは国の危機を招く。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:風紋 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 1992年以来毎年1巻づつ刊行され、2006年に全15巻が完結した壮大なシリーズの第8巻目である。
 本巻では、ネロの死からトライアヌスが登場するまでの30年足らず、68年夏から97年秋までが描かれる。この間、ガルバ、オトー、ヴィテリウス、ヴェスパシアヌス、ティトス、ドミティアヌス、ネルヴァの7皇帝が矢つぎばやに入れかわった。

 アウグストゥスにはじまるユリウス・クラウディウス朝は、ネロの死により崩壊した。
 直後から、ローマ市民同士が血で血を洗う内戦へ突入した。わずか1年の間に、ガルバ、オトー、ヴィテリウスの3皇帝が相ついで即位し、そして自死または殺害された。
 その虚をついて、ゲルマン系の一部族の指導者ユリウス・キヴィリスがローマに叛旗をひるがえす。反ローマの「ガリア帝国」は次第に勢力を拡大し、ライン軍団を構成する7個軍団のうち6個軍団が降伏し、敵に忠誠を誓った。ローマ史上、タキトゥスのいわゆる「一度として経験したことのない恥辱」であった。

 ヴェスパシアヌスが内戦を収拾した。叛乱を制圧し、フラヴィウス朝を創始した。「健全な常識人」だった彼は、「なかったことにする」寛容な措置で内外ともに報復を抑え、新たな繁栄の礎を築いていった。その長子ティトス、二子ドミティアヌスも堅実な路線を継ぎ、善政をしく。
 しかし、元老院を圧迫したドミティアヌスは、暗殺に斃れた。
 元老院はただちに議員のネルヴァを皇帝に推す。内乱の記憶は、まだ人心にまだなまなましく、異論は起きなかった。五賢帝時代の幕開けである。

 連綿とつづく『ローマ人の物語』の特徴は、リーダーの人間学である。リーダーシップが、これでもか、というほど書きこまれ、分析される。
 本巻では、ことに負の側面からリーダーの要件が剔抉される。反面教師となるべきリーダーの特徴である。すなわち、ガルバにおいては人心把握の失敗、オトーにおいては実戦の経験不足、ヴィテリウスにおいては消極性、無為。・・・・なにやら、現代日本の宰相を思わせる特徴ではないか。
 その立場にふさわしくないリーダーの下では危機が起こり、続く有能なリーダーによって危機が克服される。こうして「ローマ」は栄え続けてきたし、繁栄は危機の後にもやってきた。

 著者はいう。歴史は、史料に立脚して書かれる。史料は不確実な性質をともなう。歴史家は史料を信じるが、作家は史料を疑いの目をもって利用する。このちがいは、「人間性をどう見るか」による。自分は、この長大なシリーズを書き続けるにあたって、一つの判定基準を採用した。すなわち、ある皇帝が成したことが共同体すなわち国家にとってよいことだったか否かは、彼が行った政策ないし事業を後の皇帝たちが継承したか否かによって判定する、という基準である、云々。
 タキトゥスをはじめとする同時代人にとっては悪名高いネロも、その勢力を削いだがゆえに元老院から憎まれて功績を抹消されたドミティアヌスも、この「判定基準」で見なおすと、評価されてよい側面が浮き上がってくる。
 通説に与せず、個性的なまなざしで史料を洗いなおすところに、埃をかぶった史料の中から血の通った人間を救出し、21世紀の読者のまえに生き生きと現前させるのだ。

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