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ローマ人の物語[電子版] みんなのレビュー

  • 塩野七生
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みんなのレビュー67件

みんなの評価4.5

評価内訳

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51 件中 1 件~ 15 件を表示

多様性が失われていく斜陽のローマを描く

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:アラン - この投稿者のレビュー一覧を見る

 本シリーズも本巻を含め、いよいよ2巻を残すのみとなった。誠に寂しい限りである。本巻は、大帝と呼ばれたコンスタンティヌスの死直後から、これまた大帝と呼ばれたテオドシウスが死し、帝国が東西に分裂するまでを描いている。題名のとおり、キリスト教が帝国のヘゲモニーを握り、ローマ発展を支えていた寛容の精神が失われていく様が描かれている。本巻では、“背教者”ユリアヌスが歴史の流れ(?)に抗してギリシア・ローマ古来の神への信仰を復活させようとしたのを除けば、一貫して他の皇帝たちはキリスト教を保護・優遇し、テオドシウス帝の治世でついにキリスト教がローマ帝国の国教となるに至った。
 著者はキリスト教を大変嫌っているようである。あるいは多様性を愛し排他性を嫌っていると言った方が正確かもしれない。正直言って本巻の最初の1/3は、文章に力がこもっておらず、著者も手を抜いているかと思ったが、ユリアヌス帝の章になると、文章がとても活き活きしてきて、引き込まれていった。キリスト教中興の祖とでも言える司教アンブロシウスの章についても、ローマのよさが失われていくことが鮮やかに描かれているという点で、これまた文章に引き込まれていく。そして最終巻で蛮族に帝国が乗っ取られることが暗示されている。次巻を早く読みたくて待ち遠しい一方、最終巻となるのは大変残念であり、すこぶる複雑な心境である。

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最後の泣き笑い

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:コーチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る

 『ローマ人の物語』最終巻が取り扱うのは、テオドシウス帝の死から、帝国の東西分裂、西ローマ帝国の滅亡を経て、6世紀なかばまでの時代である。東ローマ帝国は1453年まで続くが、この国は本来のローマとはまったく異質のものである。というわけで、このシリーズ、泣いても笑ってもこの巻で終わりである。「泣いても笑っても」は誇張ではない。そこには悲哀ばかりではなくある種の感銘やおかしみもあるからだ。
 第1章「最後のローマ人」の主人公は将軍スティリコ。テオドシウスから後継者である2人の息子の面倒を託された彼は、蛮族侵入、反乱、宮廷の腐敗のなか、懸命にローマを立て直そうとする。もっと楽に権力を利用する方法はあったはずだが、前帝との約束を律儀に守り、少年皇帝たちを支え続けた。結局彼は、宮廷内の讒言にあい処刑されてしまう。ゲルマン人を父にもつスティリコが後世「最後のローマ人」と呼ばれるのは、死にゆくローマ社会の中で、彼だけがかつてのローマ人気質をもっていたからであろう。塩野は蛮族と文明人という言葉を躊躇なく使い、両者を分ける一つの基準を「信義」つまり約束を守る態度に求めているが、これは建国当初からローマ人が重視してきた徳目であった。
 余談ながら、本巻での蛮族すなわちゲルマン人の侵入に関して、塩野は「歴史研究者の中にはこの現象を、蛮族の侵攻ではなく民族の大移動であると主張する人がいるが、かくも暴力的に成された場合でも「移動」であろうか」と問いかけている。
 それが実際、どれほど暴力に満ちたものであるかは本書の記述からも窺える。たとえば、ゲルマン人たちは女子供もローマ帝国領内へ侵入したが、これら「か弱き者」による略奪や殺戮の方が、兵士による以上の被害をもたらした。当然彼らのうちには被害者も多かったが、人的被害に対して敏感なのは文明の民だけで、蛮族は同胞の死に対して無頓着である。それがまた彼らの強さの要因でもあった...つまり、老若男女問わぬ無法者集団があらんかぎりの略奪と殺戮をおこなったのが、「ローマ末期の民族大移動」なのであった。
 今も歴史教科書の多くは、この集団的破壊行動を「民族の大移動」と形容している。他方、日本の大陸進出は、インフラ整備など現地にあたえた恩恵を無視し、「侵略」と一方的な表現で呼ぶ。塩野のひと言は、このような矛盾に一石を投じるものとして評価したい。
 さて、スティリコの死後、西ローマ帝国は蛮族の天下となる。二度にわたる首都ローマ劫掠に加え、いたるところでゲルマンの王国ができ、帝国の支配は事実上イタリア半島のみとなる。476年にこの国の息の根をとめたのは、ゲルマン人傭兵隊長のオドアケルであった。しかし意外なようだが、彼が西ローマを滅ぼした者とされるのは、単に彼が自ら皇帝を名乗らなかったためである。しかも滅亡に際して、国内には破壊も混乱もなかった。オドアケルはその後立派な統治を行い、彼を殺して権力の座についたテオドリックもまたそれを踏襲した善政をおこなったという。つまり西ローマ滅亡後のイタリアでは、これら蛮族によって平和が保たれたのである。これを塩野が「蛮族による平和」(パクス・バルバリカ)と呼んでいるのは、おもしろい。
 しかし平和は永遠ではなかった。テオドリックの死後、イタリアは分裂状態となる。ローマの故地イタリアを完全に滅ぼしてしまうのは、皮肉にもこの地を奪還すべく兵を送った東ローマ皇帝ユスティニアヌスであった。彼の夢は一時実現したものの、結局はくじかれ、その後イタリアは正真正銘の蛮族であるゴート族とランゴバルド族に、かわるがわる侵略され、暗黒の時代へと入ってゆくのである。
 最後に泣きごとは書くまい。本書中思わず笑ってしまった箇所を引用して、本シリーズの書評を締めくくりたい。オドアケルによって退位させられた皇帝の名は、ロムルス・アウグストゥス。「西ローマ帝国最後の皇帝は、ローマ建国の祖とともにローマ帝国の祖の名をもつようになった。」

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紙の本ローマ人の物語 9 賢帝の世紀

2007/08/22 15:57

平和についての透徹した視点

9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:コーチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る

 『ローマ人の物語』もいよいよ、ローマ帝国の最盛期にして「人類が最も幸福であった時代」(ギボン)、すなわち五賢帝時代に突入する。しかし、本巻の目次を見てだれもが気づき、不思議に思うだろう。ここで扱われているのは、五賢帝の最初の三人、ネルヴァ、トライアヌス、ハドリアヌスだけである。残りの二人、アントニヌス・ピウスと賢帝中の賢帝マルクス・アウレリウスはどうしたのか?
 『賢帝の世紀』と名づけた本巻に、作者の塩野がこの二人の皇帝についての記述を入れず、一巻はさんだ次の巻(第11巻)にそれを移したのはなぜか?私はこのような構成を、「平和とは何か」に関する透徹した視点の表れと見なしたい。すなわちそれは、平和とは決して手放しで得られるものではなく、不断の努力によって勝ちとられるものという視点である。
 次皇帝への橋渡しをしっかり行った点においてのみ賢帝の名に値するネルヴァは別として、トライアヌス、ハドリアヌス両皇帝は、平和の中にあっても常に国家の防衛という皇帝にとって最大の責務の一つ(その他の責務は国民の食と安全)を怠らず、治世のほとんどを外征、帝国防衛線(リメス)の強化、視察に費やした。殊にハドリアヌスは、その在任中に大きな外憂は存在しなかったものの、常に各地の軍隊を回り、補強すべき箇所があれば直ちに補強させていた。(ハドリアヌス城壁はその典型。)
 その一方で、彼らの私生活にはどちらも美少年たちの影がつきまとったが、ギリシア人とは異なり男色を嫌悪するローマ人には、これらがスキャンダラスにとらえられる。またハドリアヌスは晩年、頑固になり、その奇妙な振る舞いから民衆に嫌われる。死後は、あやうくカリグラ、ネロ、ドミナティウスに続く記録抹殺刑に処せられるところを、アントニヌス・ピウスの懇願でそれをまぬがれた。
 彼らに続くアントニヌス・ピウスとマルクス・アウレリウスは、ともに内政を立派にこなし、ローマに善政をほどこし国民から愛された。「ピウス(敬虔なる)」というあだ名からもわかる温厚なアントニヌス、哲人皇帝としても知られ知情意のバランスのとれた人格者マルクス。為政者としても人間としても申し分のない二人であったが、彼らが前二皇帝と大きく異なる点は、帝国防衛への取り組みであった。
 アントニヌス・ピウスは皇帝在任中、ローマをほとんど離れず、帝国防衛線への視察などいっさい行わなかったという。またアントニヌスの婿養子であったマルクスも若い頃に、次期帝位が確約された身でありながら、各地の軍隊を回るなど辺境防衛の実際を学ぼうとはしなかった。親子としてローマ市内にいっしょに住み、多くの子と孫に恵まれた二人のマイホーム主義―自己の責任を果たしたうえでのもので非難すべき態度ではないが―その幸せのかげで彼らが怠っていたものがあるとすれば、それこそ帝国の防衛であり、マルクスが皇帝になった途端に辺境で生じた数々の動揺も、長い平和に安住したこのような怠慢に原因があったのではないか?
 以上、アントニヌスとマルクスに関する議論は、本巻ではなく主に11巻でくりひろげられるものであるが、賢帝と一言でひっくるめられている五人の皇帝のあいだに一線を引き、国家防衛のありかたについて重大な示唆をあたえる塩野の歴史認識とその描写方法には、舌を巻くしかない。本書と第11巻とを読み、平和の時代における二種類の政治姿勢を比べてみることは、平和を享受して60年、「国防=戦争と暴力」としか考えられなくなった我が国の多くの国民にとって、国を守ることの意味を深く考えさせてくれることだろう。そういう点でこれらの二巻は、日本人必読の書!と断言したい。

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カエサルを扱った巻を除けば、一番分かりやすかったかかもしれません。なんたって、あの「背教者ユリアヌス」が登場するんですから・・・

10人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

さてさて、10年以上読みつづけてきたこの塩野ローマ史も残すところ一冊になってしまいました。今年の暮には、最後の一冊が出てしまう。次は何を書いてくれるのかな、少し休養かな、でももっと塩野に教えて欲しいことがあるしなあ、なんて思います。で、今回のカバー写真、結構ショボイです。なんだ?このオッサンは、と思う方も多いのでしょう。それへの対策はちゃんとうってあります。
彼の名は聖アンブロシウス、ミラノの聖人に列せられるほどの人物だそうです。私、全く知りません。で、「読者に」のあとのほうで、何故この巻の表紙にアンブロシウスが選ばれたか、その理由が書かれています。要するに、時代を表わす顔なんですが、今までの雄々しい皇帝たちに対して、どこか卑しい顔つきですよね。それがキリスト教である、とは私の勝手な理解です。
本の構成を書いておけば、「読者に」に始まり、第一部 皇帝コンスタンティウス(在位、紀元三三七年から三六一年)、第二部 皇帝ユリアヌス(在位、紀元三六一年から三六三年)、第三部 司教アンブロシウス(在位、紀元七四年から三九七年)、年表、参考文献1、図版出典一覧6、ということになっています。
で、この時代がどんな時代であったのか、各部の章のタイトルからキーとなるものを書いておきましょう。まず第一部では、「コンスタンティウスとキリスト教」「ゲルマン民族」「ローマでの最後の凱旋式」。第二部では「ササン朝ペルシア」「「背教者」ユリアヌス」「対キリスト教宣戦布告」。第三部では「フン族登場」「「異端」排斥」「キリスト教、ローマ帝国の国教に」といったところです。
最初にキリスト教を公認したのが、後世から「大帝」の尊称づきで呼ばれるコンスタンティウスで、彼の死が紀元三三七年で、この巻で取り上げられるコンスタンティウスはその三男。で、ユリアヌスは甥にあたります。私だけなんでしょうが、カイサルのあたりを別にすれば、結構、名前だけは朧気に頭に残るんですが、人物相互の関係が意外と理解しにくかったりしていた権力者たち。でも、この巻だけはそこが理解しやすいです。
しかも、読んでいて思うんですね、いよいよ出たか「背教者ユリアヌス」って。そう、この本の中で塩野も言及している辻邦生の傑作『背教者ユリアヌス』、その人が第二部で出てきます。背教者、っていうのが如何に勝手な命名であるか、キリスト教の害毒というのは果てしないなあ、何て思うんです。
その道を開いたのが第一部の主人公・皇帝コンスタンティウスであり、その父親であるコンスタンティウス大帝です。そして、着々と布石をうって、キリスト教を世界宗教にし、現在の世界の混乱の元を作った男というのが、冒頭で私がショボイ、と書いた司教アンブロシウスです。裏に回って画策する官僚みたいな奴です。
ともかく、ローマとキリスト教の関係が手に取るように解ります。個人的に思うんですが、今まで出た14巻のなかでも読みやすさで言ったらベストではないかな、そんな気がします。なぜ20世紀が戦争の時代であり、21世紀がテロの時代であるのか。もし、ユリアヌスがあと10年生き長らえていたらこの悲惨はなかったのではないか、そうすれば黒船はなく、当然、鎖国も開国もなく、明治維新や天皇制や帝国軍人といった悪夢のような存在もなかったはず、なんて夢想もできます。
策士をアンブロシウス描いたモザイクはミラノ・サンタンブロージョ教会所蔵だそうです、装幀は勿論、新潮社装幀室。

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『グラディエーター』に描かれた時代の真実

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:コーチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る

 第1巻からの読者の多くは、この巻以降胸を引き裂かれる思いを強くするだろう。いよいよローマ没落の物語がはじまるからだ。
 五賢帝最後の人、マルクス・アウレリウスの皇帝就任直後から帝国は蛮族の侵入に悩まされ、彼の皇帝としての後半生は戦いに次ぐ戦いの日々となった。『自省録』によって今も広く尊敬を勝ち得ている哲人皇帝の彼が、不慣れな戦場でほとんどの時間を過ごし、やがて遠征中に戦地で死んだことは、実にかわいそうである。しかし、これは前皇帝アントニヌス・ピウス、そしてマルクス自身が蒔いた種でもあった。彼ら二人は、人格的にはすぐれていたが、長い平和に甘んじて、前線の視察など帝国防衛の任を怠った。トライアヌス、ハドリアヌス両帝に見られたような平時の危機管理意識が、この二人に欠如していたことが、ローマ没落の第一段階における、少なくとも一つの要因にはなった。
 さらに、マルクスの息子コモドゥスの愚行が帝国の衰退に拍車をかける。五賢帝のうち前四名については男子がいないため世襲がまったく行われず、現皇帝が適性を見込んだ人物を後継者に据えるという、ある意味、理想的な権力の移譲が続いていた。ところが、マルクスには男子がいた...マルクス唯一の失政とも言われる、コモドゥスへの後継指名はしかし、その後に予想される権力闘争を考えれば仕方がなかった。子供は選べないが、後継者は選べる―ハドリアヌスのこの言葉は、偶然が生んだ後継指名制度の妙をうまく言い当てている。
 本書では、コモドゥスとその時代を描いた映画『グラディエーター』についても興味深い分析が行われている。曰く、冒頭、マルクスに率いられたゲルマニア戦役での戦闘シーンは、往時のローマ軍の戦い方とは似ても似つかぬひどいものだが、何度もDVDを観ているうちに皮肉なことに、これがマルクス時代の戦闘の実際ではないかという気がしてきた。マルクス死後、戦役を終わらせざるをえなかったのも無理はない。等々...作品評としてもなかなかのもので、映画鑑賞の手引きとしてもおもしろい。
 余談ながら、ローマ史をテーマにしたハリウッド映画の多くが、ローマが極悪非道の帝国で、キリスト教徒にもひどい迫害を加えたかのように描いているが、『ローマ人の物語』を読むと、そのような描写のほとんどが嘘か誇張にすぎないことに気づかされる。実際のローマは、市民の権利も他国の主権も尊重し、あらゆる宗教に対して寛容な国家であった。アメリカの映画産業がかくも歪んだローマ像を一方的に作り出してきた理由は、非キリスト教徒に対する軽蔑・嫌悪もあろうが、第一には、ローマ同様覇権国家である自国が、ローマよりもずっと理想的な民主国家であると自国民に信じさせたいからではないか?
 自分としては、『グラディエーター』にはヒーローのマクシムスに代表されるローマン・スピリットが生き生きと描かれ、上のような誇張や嘘はさほど感じられない。だがそれも、実際のコモドゥスが悪役としてはほとんど脚色不要なほど愚かだったからかもしれない。大切なのは、これがローマ皇帝と帝国の一般的な姿だと信じぬことだ。コモドゥスとその時代は、ローマの内部崩壊という長いドラマの最初の一コマなのだから...
 コモドゥス暗殺後、皇帝が乱立し、再び帝国に混乱が訪れる。最終的に覇者となった軍隊たたきあげのセヴェルスは、ローマに再び秩序を取り戻し、内政・外交それぞれに多くの成果を残したが、衰退する帝国の流れはそのような努力によっても止めることはできなかった。遠征中のブリタニア(イギリス)で死を迎えるセヴェルス。遠征地で死ぬ皇帝はマルクスに次いで二人目であったが、のちの皇帝たちにはよくあるパターンの最期となる。彼の死後、長男カラカラは弟ゲタを殺して権力を手中にする。以後、皇帝のほとんどが暗殺や戦死で生を終え、自然死がほとんど見られない暗黒の時代へと突入する。

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すがすがしき兵(つわもの)たちの物語

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:コーチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る

 イタリア半島を統一したローマが次に直面した敵、カルタゴ。地中海を支配するこの商業民族との120年におよぶ戦い—ポエニ戦争(前264〜前146)は、都市国家ローマが帝国国家へと進化してゆくうえで必然的な戦いだったが、それは決して平坦な道ではなかった。特に、第2次ポエニ戦争においては、カルタゴの名将ハンニバルによりイタリア本土を侵攻され、ローマは絶体絶命の危機にさらされた。そんな彼らに最終的勝利をもたらしたのは、第1巻『ローマは一日にして成らず』においても描かれたローマ自身の次のような態度だった。
 その1、それまでのローマが常に示していた同盟諸国に対する寛容に満ちた政策。敗者にさえも自分たちと同等の権利をあたえようとするローマを裏切ってまでカルタゴ側につこうという信義を欠いた同盟都市は、ほとんどいなかった。ローマを窮地に追い込んだハンニバルの甘い誘いを受けても、それは変わらなかったのだ。
 その2、度重なる敗戦という屈辱的経験に耐え、かつそこから学びとる態度。ローマ史上最大の敗北を喫したカンネーの戦い以降のローマ軍は、天才軍師ハンニバルに対し真向勝負には出ず、「ぐず男」と揶揄されたファビウスのもと、持久戦法をとるようになる。そして、そのように耐えに耐えた十数年の後、ローマ軍はハンニバルの戦法を徹底的に自分のものとした若きローマの将軍スキピオのもと、ついにザマの戦いにおいて宿敵ハンニバルを破ることとなる。
 戦記はまた、ローマ、カルタゴ軍ともに数々のドラマも描き出している。幼少の頃より、ローマへの復讐を誓いそれを実行に移した孤高の武将ハンニバルと、それに付き従うカルタゴ兵たちとの静かなる君臣関係。戦死した敵将マルケルスの遺体を前に長い間、黙祷をささげるかのごとくたたずむハンニバルの姿。明るく屈託のない性格で人をひきつけるスキピオと、それに従う副将レリウス、ヌミディア武将マシニッサらとの友情。ポエニ戦役後に再会をしたハンニバルとスキピオとの語らい。...これらを読むとき、いにしえの武人たちのすがすがしさを垣間見たような気がして、熱いものがこみあげてくるのは私だけだろうか?
 その一方で、物語の終盤は悲哀の色合いが深まる—平和の訪れたローマでスキピオを待っていた晩年の屈辱、奇しくも同じ年に起るスキピオとハンニバルのともにさびしい死、そして第3次ポエニ戦争で壊滅するカルタゴの最期...百年の戦記そのものがまるで、盛者必衰の理を感じさせてくれるかのようだ。
 カルタゴを滅ぼして後のローマは、地中海の覇者としての道を突き進んでいく。それは新たな発展と繁栄の幕開けであると同時に、古きよき時代の終息でもあった。
 古代のつわものたちの夢を追うような一巻であった。

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ローマを支えたインフラをハードとソフトの面から、一人の人間が分析するという極めてすぐれた企画で、塩野はそれに十二分に応えます。こんな本に大学生の時に出会っていれば、とは建築士である夫の弁

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《ローマという帝国を支えたインフラ。特に道と水道を取り上げることで、現代政治が見失っているものを暴き出す》
塩野の『ローマ人の物語』を、何故か私は全10巻で完結する思い込んでいたので、15巻まであると聞いてびっくり、というわけで私にとっても、今回は特別編。
ローマ帝国を支えたインフラについて教えてくれます。ハードは街道、橋、港湾、神殿、広場、闘技場、上下水道、公衆浴場など。ソフトは安全保障、治安、税制、通貨制度、医療、教育、育英資金制度など。今まで各巻で触れられた橋や港湾、あるいは税制や通貨には触れず、全時代を通じて利用され、あるいは現在も利用されている道路と水道に注目し、その全体像を伝えるという新機軸といっていいものでしょう。
幅4mの車道とそれを挟む幅3mの歩道。車道の両側には排水側溝まで備えた幅10mの道が、ローマ帝国中を縦横にめぐり、主要都市を結びます。それは地中海を中心に、イタリア本土のみならず、その支配が及んだアフリカからアジア、スペインからイギリスにまで及ぶのです。
一人の人間が、その全てについて書いたことはないというローマの道の歴史を、塩野は豊富な地図や写真、そして道路の断面図などを駆使して見せてくれます。そして、それが現在も生きている道であること、そのためには、たゆまないメンテナンスが必要であることを教えてくれるのです。ま、だから道路公団が今のままあっていい、というお役人発想はしません、念のため。
もう一つ塩野が取り上げるのが、現在もヨーロッパの各地に雄大なアーチを見せる水道です。百万都市ローマは、既に十分に水を持っていたにも関わらず、新たに設けられる数10キロにおよぶ数々の水道。水質も十二分に考慮され、毒性のある鉛管を使うにも、その毒性を無効にする工夫を怠らなかった古代の知恵。現在の吊り橋の強度と、石積みのローマ時代の橋との比較を通して浮かび上がるもの。きめ細かな道路の設計と、それを引き継ぐ橋。それが、現在のローマでは、分断され、公園に改悪され、本来の偉大な意味を失ってしまったことに対する嘆き。
夫に言わせると「大学の建築史の授業では見えなかったものが、塩野の1冊でくっきり浮かび上がってくる」といいます。歴史というものは、本来1人の人間の手によるべきものであるというトインビーの主張の正しさを、証明するかのような見事な本だといえるでしょう。
ただし、後ろについているカラー写真、紙質のせいか印刷のせいでしょうか、とても汚く、被写体までも薄汚れて見えるのは困りものです。これだけは増刷をする時、版を改めて直して欲しいと思います。新潮社さん、これは出版社として恥ですよ、はい。

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恋する女の視点

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:コーチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る

 2巻におよぶカエサル伝を読みながら、カエサルを愛する一人の女としての視点を強く感じた。たとえば、若い頃から借金王だったカエサルの主な金の使い道は、愛する女たちへの贈り物であったことに関連して、作者の塩野はこう書く。「女はモテたいがために贈物をする男と、喜んでもらいたい一念で贈物をする男のちがいを、敏感に察するものである」。また、自らの美貌でカエサルを誘惑し、自国の権力争いへと彼をまんまと引き込んだとされるエジプト女王クレオパトラについては、カエサルが彼女の側についたことが、あくまでローマの国益にもとづいた政治行動にすぎないことを明言している。あたかも、カエサル様はあんたのような低レベルの女にたぶらかされるような男じゃないのよ、と言いたげに。
 愛おしさと崇拝の念が入り混じったこの感情は、決して女だけのものではあるまい。カエサルは男が惚れる男でもあったからだ。特に兵士たちにとって、この人のためなら死ねると思える上官であった。 ポンペイウスとの雌雄を決する戦いの前、ある百人隊長が彼に叫んだ言葉「わが将軍よ、今日のわたしの働きぶりは、わたしが生きようが死のうが、あなたが感謝しなければすまないようなものにしてみせましょう」は、まさにそれを表している。
 かくも魅力的に描かれたカエサルに比して、キケロや小カトーの人間としての小ささはどうだろう。特にキケロはカエサルとは文学を通じての友でありながらも、共和派の立場から彼に敵対し続けた。一方のカエサルは、そんな彼を許すばかりか、友として変らぬ交際を続ける。内戦に勝利を収めローマに戻ったカエサルは、群集の中にキケロを見つけ、彼を抱擁する。終身独裁官として多忙を極めていた頃、自分を訪ねてきたキケロを長い間待たせたことに気づいたカエサルが、ウィットのきいた言葉でそれを詫びる...カエサルという人間の底抜けな人のよさと共に人間としての大きさを示す逸話である。
 このように表裏のない友情を示すカエサルが暗殺されたとき、キケロは暗殺者たちを共和政の守護者として讃える。これがラテン語散文の完成者と言われ、ルネサンス以降の西欧思想・文学に影響を及ぼした人の真の姿であるかと思うと情けないが、恩を仇で返すという点ではブルータスらカエサルの暗殺者たちも同様である。彼らの多くが、内戦中はカエサルに刃向かったにもかかわらず、戦後彼が打ち立てた寛容政策にもとづき何の咎も受けなかった者たちであった。そんな彼らが共和政擁護の名のもと、血をもって寛容に報いた。カエサルの壮絶な死を伝え、暗殺者を非難する塩野の語り口は淡々としながらも鬼気迫るものがあり、こんなところにもカエサルへの深い想いを感じる。
 ローマ史における稀代の英雄、ユリウス・カエサル。この人物の暗殺により、なんと偉大な人をローマは失ったか!本書を読めば、その損失の大きさは実感できるだろう。そして、この最悪の事態を収拾し、故人の遺志を継いだのは、彼から後継者に指名された当時18歳の若者、オクタヴィアヌスであった。カエサルのルビコン越えから始まる本巻では、このオクタヴィアヌスが前31年のアクティウムの戦いでアントニウスを破り、一世紀にわたる内乱を終わらせるまでが描かれる。

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最も偉大な民族の物語!...まずはこの巻から

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 古代ローマとイタリアに魅せられた作家塩野七生が、15年の歳月をかけて完成させた大歴史ロマン『ローマ人の物語』。ローマの建国から西ローマ帝国滅亡までの1000年を越える歴史を、全15巻にわたって叙述している。
 建国から共和政初期までの歴史を扱うこの第1巻『ローマは一日にして成らず』では、イタリア半島内陸部に移住したラテン人の一族が都市国家ローマを形成し、成長し、やがて半島を統一するまでの過程が描かれている。
 本書を手にとったときの私は、強大化した国家が弱小国家を次々と併呑し、残虐のかぎりをつくして破壊と搾取をくり返す、歴史上の多くの帝国がたどったのと同じ軌跡を読むことになろうと予想していた。ところが、そこに描かれたローマ人の歴史は、私の期待をみごとに裏切るものであった...
 戦争に勝っても敗戦国民を自国民と同等に扱い、やがてローマ市民へと同化させる民族としての柔軟性、開放性。国内で貴族と平民とがいかに熾烈な権力闘争に明け暮れようとも、いざ外国が攻めてくるとそんな反目も忘れたように、一致団結して戦う強固な愛国心。歴史から多くを学び、失敗と挫折の中から立ち上がろうとする気概と向上心。自由と平等を求めながら、アテネのような衆愚政治に陥ることを警戒して寡頭政治としての共和政を打ち立てる思慮深さ...これらから浮かび上がってきたのは、血に飢えた残忍な帝国のイメージとはほど遠い、正義と公正の念に動かされた誇り高く勇敢な、それでいて明るく朗らかな民族の姿だった。
 このような姿は、その後長くローマの伝統ともなり、ことに前1世紀のカエサルにおいてそれは、最も豊かに具現化される。しかしローマ人のこの英雄性は、初期ローマ史を扱ったこの第1巻においても、十分に感じ取れるだろう。むしろ、この時代にこそそれは最も素朴なかたちで現れており、それゆえに第2巻の『ハンニバル戦記』とともに、『ローマ人の物語』全巻を通じて最も鮮烈な印象を私たちに焼きつけてくれていると、私は思う。
 また、自由と平等、世界の平和と共存を説く21世紀のわれわれであるが、現代のどの国が古代ローマ人ほどに、これらの概念を現実的にとらえ、国家の安全保障や社会正義の問題に真剣に取り組んでいるだろう?塩野の膨大な著作は、現代のわれわれがローマ人にはるかに及ばないことを覚醒させてくれる。もしかしたらローマ人ほど偉大な民族はいなかったのではないか!この第1巻を読むだけでもそんな気分からは、逃れられない。
 古代に対する優越感をもち続け、歴史の進歩というものを信じているあなた...まずはこの巻から読んでもらいたい!

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真の哲人皇帝

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

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 『ローマ人の物語』第14巻の表紙を飾る人物は、聖アンブロシウス。これまでのシリーズ、特に帝政期からの巻の表紙に現れたのは、皇帝など政治的リーダーばかりであった。ついにキリスト教がローマの国教となる過程を描いた本巻の表紙が、それの聖職者であるというのは、意味深長である。アンブロシウスは、ミラノ勅令によって市民権を得たキリスト教を、国教とさせるべくテオドシウス帝に働きかけ、最終的に同宗教がローマを支配することを可能にした人物である。そして彼は、その前では皇帝さえも跪かざるをえないほどの絶大なる権威を確立した。表紙の肖像画でもって作者の塩野が暗示したかったのは、キリスト教が国教となったローマで事実上の権力を握ったのは、皇帝ではなく教会であったということであろう。
 それはともかく、私がこの巻で最も心を惹かれた人物は、アンブロシウスの少し前に出た皇帝ユリアヌスである。彼は、コンスタンティヌス帝没後、息子のコンスタンティウス2世による粛清の中で生き残った、数少ないコンスタンティヌスの親族の一人であった。事実上幽閉の状態で哲学のみを友としながら青少年時代を送った彼は、兄ガルスの処刑後、突如ガリアの副帝として、ゲルマン人征伐の総指揮を任される。軍事も何も知らない彼は、コンスタンティウスからの後方支援もなく、軍団からは冷笑で迎えられた。しかし、彼にはこつこつと仕事を行う忍耐と責任感があった。また、若い頃から親しんでいたギリシア哲学の恩恵もあった。くじけそうになったとき、彼はよくこう叫んで自らを鼓舞したという。「おゝ、プラトン、プラトン、哲学の一学徒というのに何たる大仕事!」
 そして、このひよわな哲学青年が、もてるかぎりの力を発揮して軍隊を指揮した結果、なんと彼は蛮族を撃退したのである!その後も持ち前の健気さで、内政もよくこなしたユリアヌスに対して、以前はあざけりと猜疑の目で見ていた兵士たちも、全幅の信頼と尊敬を寄せるようになり、ついには彼を自分たちの皇帝と仰ぐようになる。やがてコンスタンティウス2世の死後、彼はただ一人の皇帝となる。
 皇帝になってからの政策から、後世ひとはユリアヌスのことを「背教者」と呼ぶようになる。なぜなら彼は、キリスト教会にのみ認められるようになった免税などの特権を廃止するなど、キリスト教一色となったローマの社会をもとの、多神教国家にもどそうとしたからである。これに関して、塩野は次のように書いている。
 ―ユリウス・カエサルもアウグストゥスも・・・ユダヤやガリアやゲルマンの神々への信仰はなかった。だが、それを信じている人の信仰心は尊重したのである。お稲荷さんを祭った神社の前を通ってもお参りはしないが、その前で不敬な振る舞いはしないということだ。この種の寛容とは、多種多様な生活習慣をもつ人間が共に生きていくうえでの智恵の一つなのだが...それが失われつつあるのを見かねての、ユリアヌスが発した「全面的な寛容」であった―
 だが、このような政策も、キリスト教一色に染まりつつあったローマ社会の流れを変えることはできず、結局ユリアヌスは東方遠征の最中、敵の槍に当たってこの世を去る。皇帝在位わずか19ヶ月間という31歳の死であった。
 『ローマ人』シリーズを読み進んでいく中で、自ら哲学を愛好する私は、ローマ史に現れる哲学者にはキケロ、セネカなど器の小さな者が多く、あの哲人賢帝マルクス・アウレリウスさえも実はそれほど賢明な政治を行ったわけではないということを知らされ、哲学者に対する信頼を失いつつあった。しかし、このユリアヌスの章に至って、真に哲学を自己の糧としながら、立派な足跡を歴史に刻んだ人物に会えたような気がした。ユリアヌスこそ、消えつつある古きよきローマをとりもどし、それを守ろうとした真にローマ人らしい偉大な皇帝であった。死の直前に、彼が自分の人生と信念を語った、いかにも哲学者らしい言葉を読めば、心ある者は誰しも涙せずにいられないだろう。
 しかし、こんなにも愛すべき人の死後、ふたたびキリスト教は勢力をひろげ、策士アンブロシウスの企みは成功をおさめる。そして、ついにはこの巻のタイトル通り、キリストが勝利するのであった。

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伝統的ローマの変貌

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 塩野七生のローマ人シリーズは、ある大きな偏見から私を解放してくれた―すなわち、古代史を残虐性に満ちた忌まわしいものと捉える偏見から。偉大なるローマ、すがすがしいローマ、義に篤く寛容なるローマ...これまでの巻すべてが、そんなすばらしい民族の姿をさまざまに映し出し、感動的であった。しかしここにいたって、すばらしい民族の物語も完全に変容したかのようである。なぜか...?
 混乱と衰退の一途をたどる3世紀のローマを救ったのは、ディオクレティアヌス帝であった。彼はそれまでの軍人皇帝とまったくちがう政策によって新たな秩序と安定をローマにもたらした。まず彼がおこなったのは、帝国を二人の正帝、二人の副帝によって四分し、自らは正帝の一人として統治を行う分割統治である。これは、巨大な帝国を一人の皇帝によって支えきれなくなった時代の必然的要請といえよう。
 同時にこれと矛盾したことのようだが、ディオクレティアヌス帝は、いわゆる専制君主制(ドミナートゥス)により、皇帝権を強大化、絶対化する。アウグストゥスによってうち立てられた帝政は、少なくとも建前の上では市民の第一人者である元首(プリンケプス)が元老院と共同で行う政治体制であり、事実、その後元老院は皇帝への対抗勢力としての機能を常に有していた。しかし、3世紀の混乱によって、皇帝の権威は地に墜ち、そのため帝国の平和は極度に脅かされた。ディオクレティアヌスは、元老院の力を実質上奪い、皇帝権力を強大化することによって、この困難を乗り切ろうとしたのである。
 分割統治と皇帝権の集中、これらの改革により、帝国にはふたたび秩序が戻った。その後ディオクレティアヌス帝は、ローマ史上最後にして最大のキリスト教徒迫害を行うなどしたが、専制君主制の確立者としてはこれまた奇妙なことに、治世20年にして突如皇帝を引退し、残りの皇帝たちにあとを任せる。これがのちに、彼自身にとっての不幸をもたらすことになるのだが...
 西方正帝の子コンスタンティヌスが、頭角を現すのはその直後である。西方正帝となった彼は、313年のミラノ勅令によりキリスト教を公認し、キリスト教による国家の再統一を試みる。その後のニケーア公会議で、激化する宗派対立に決着をつけさせたのも、彼が統治の道具とするキリスト教会の組織としての安定を計ったからであった。やがて彼は敵対する他の正副帝全員を滅ぼし、ローマ帝国の最高権力者となる。
 キリスト教のおかげで皇帝への就任は、戴冠式という形式と唯一絶対の神による権威づけをもつようになった。ローマは、市民が自分たちの第一人者を選ぶ体制から、神が絶対的権力者を選ぶという体制へと移行した。これにより、ディオクレティアヌスによって始められた専制君主制はより強固なものとなった。しかし同時に、かつての自主・独立を重んじるローマ人気質は姿を消した。いまや、ローマ人は東方的な専制君主支配のもと、重税にあえぎ職業・住居選択の自由さえない生活を強いられるようになった。
 この世に希望を失った民衆が救いを求めた先は、当然のことながら来世である。キリスト教の約束する神の国が人々にはどんなに輝いて見えたことか。そこでのローマ人は、信仰に目覚め意気揚々とした人というよりはむしろ、生に疲れひたすら安らかな死を願う老人のようであるが...ともかくも、国家権力、民衆双方の要求がここに合致し、キリスト教の国教化は決定的となった。その完成までの過程は、次巻『キリストの勝利』でさらに詳細に伝えられる。

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帝国衰退の要因

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 本編で主として扱われるのは、ローマ帝国の衰退が顕著となった「3世紀の危機」とよばれる時代である。この頃、帝国内部は概して政争、内紛が絶えず、ゲルマン人や東方の新興国ササン朝ペルシャなどの外患に悩まされる。とりわけ50年足らずのあいだに19人の皇帝が入れ替わり、しかもそのほとんどが暗殺や戦死によるものという軍人皇帝時代(235-284年)には、混乱は頂点を極めた。
 この暗黒時代にも、身を削って真剣に国家に尽くした有能な皇帝はいた。ゴート族との戦闘中に息子とともに戦死したデキウス、そのゴート族を撃退し、ローマ市民から英雄視されながらも、陣中で病死したゴティクス、分裂したローマ帝国をふたたび一つにまとめあげたアウレリアヌス...しかし、これら名君の努力によっても、ローマの弱体化は避けられなかった。原因の一つは、ゲルマン人ら強大化した蛮族の侵入だが、それは外的要因にすぎない。もっと重要なのは内的要因、すなわちローマ人の精神に生じた変化であり、それは次の3点に要約されよう。
 1.カラカラ帝による、全属州民にローマ市民権を与えるとしたアントニヌス勅令。属州民にとってローマ市民権を得ることは、それまで長年の兵役を務めるなど、たいへんな努力を要するものであった。それが、何の努力もなしに手に入ることになったことで、市民権のありがたみが消え、社会の活力、流動性がなくなった。
 2.軍人皇帝の一人、ガリエヌスが定めた、元老院議員をローマ軍の将官クラスから排除する法律。これは軍人と文官の完全分離を促すものであり、どのような元老院議員も若いうちにかならず兵役の経験を義務付けられていたローマの伝統的人材育成法に反するものであった。この新たな法律によって、「以後のローマ帝国は、軍事のわかる政治家、政治のわかる軍人、を産まなく」なり、結果ローマの弱体化に拍車がかかった。
 3.キリスト教の浸透。建国以来、さまざまな宗教をもつ民族との融合をくりかえしてきたローマは、それらの民族の神々を同じ神殿に祭り、等しく崇拝してきた。いかなる民の神をも尊重し、宗教的には寛容でありつづけたローマ人が唯一共通の価値観として互いに課したものが法であった。そのような観点からすれば、自分たちの神のみを絶対と信じ、他の神といっしょにされることを厭うユダヤ人やキリスト教徒の態度は反社会的であり、宗教的信条を理由に兵役を拒むことは、法と秩序を乱す行為であった。マルクス・アウレリウス帝以来、断続的に行われたキリスト教徒の迫害なるものは、その多くが、ローマの法律に背いたために罰せられたケースで、しかも殉教者そのものの数は意外と少ない。
 むしろ、社会にとってより大きな問題は、このような秩序の破壊が増えることによってモラルの退廃が生じ、社会への帰属感が人々の心から失われてゆくことであろう。キリスト教徒は、あたかも腐食が果物に広がるように、伝統的なローマの秩序をじわじわと蝕んでいった。歴代皇帝で、名君と呼ばれる者ほどキリスト教徒弾圧に力を注いだという塩野の記述は、そのことを示唆しているように思われる。
 キリスト教の浸透がローマの衰退を促しただけではなく、帝国の衰退がこの宗教の発展をも助けた。すなわち、蛮族の襲来、農地やインフラの荒廃、社会福祉の弱体化...この世の希望を失った市民にとって、キリスト教は唯一の光と映るようになり、ますます多くの者が入信したわけである。
 このように、キリスト教の発展とローマの衰退とは深いつながりをもっているが、非ローマ的な信仰を頑なに貫きながら次第に数を増やしてきたキリスト教徒の性格を逆手にとって、それをうまく帝国支配の強化に利用したのが、キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝であった。彼の下でキリスト教は一段と力を強め、古いローマはいよいよ姿を消してゆくこととなる。だが、それは次の巻の話である。

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紙の本ローマ人の物語 8 危機と克服

2007/08/14 15:36

目立たぬ時代ではあるが...

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 ネロ帝の自殺後、ローマにはカオス(混沌)が訪れる。紀元69年の一年間にガルバ、オトー、ヴィテリウス、そしてヴェスパシアヌス4人の皇帝が、相次いで即位した。同じ国の軍隊同士が戦い、ローマでも市街戦がおこった。それらに乗じたガリア人は、独立国家を作った。同時代人の歴史家タキトゥスは、「すんでのことで帝国の最後の一年になるところだった」とその危機の重大さを記す。
 しかし、この危機を回避し、パクス・ロマーナを再び取り戻したのは、四皇帝最後の人、ヴェスパシアヌス帝であった。シリア軍総司令官であった彼は、名将ムキアヌスとともに、ヴィテリウスを討ち、混乱を鎮めて帝位に就く。その10年の在位中、国はよく治まり、また彼の後を継いだ長男ティトウスも名君として善政を施す。
 早世したティトスに代わって帝位に就いた弟のドミティアヌスは、ネロ以来の悪帝として後世に知られることとなる。これとても、人気抜群で若い死を惜しまれた兄との比較で、悪く言われたまでで、死後、皇帝としての栄誉を剥奪されたこの人もよい政治はおこなった。しかし、民衆の恨みをかった彼は暗殺され、その後政界にはふたたび不穏な空気が流れた。それを回避したのが、ネルヴァ、すなわち五賢帝最初の皇帝であった。
 本巻が扱うのは、パクス・ロマーナ期における唯一の混乱とその回復というローマ史の中では地味であまり知られていない時代であるが、それでも、そこには魅力的な人物や特筆すべき事件にあふれている。個人的には、ヴェスパシアヌスの「充分にふくらまなかったパンのような」顔(表紙の肖像を参照!)とおおらかな性格とが、大好きだった伯父にそっくりで、それだけでローマ史中最も好きな英雄の一人になっている。
 また、ユダヤ人によるローマ帝国への反乱、すなわちユダヤ戦争―特にユダヤ教徒にとっても、またキリスト教徒にとっても重要な、かつ怒りをもって覚えられるマサダ砦の陥落―が、彼らとは別の視点から描かれていることにも注目したい。それは作者の塩野が、西洋のキリスト教史観と異なる視点からローマ史を描いたことを示す好例である。なぜならこの事件を彼女は、迫害される哀れな人々というよりもむしろ、長い迫害の歴史から意固地になり、他民族との協調性を失った民族が選んだ無謀な集団自決として描いているからだ。
 ローマが伝統としてきた多神教と、他のいっさいの神を否定するユダヤ教など一神教との対比は、シリーズのかなり前から言及されていたが、塩野のとらえかたは、一言でいえば「寛容の多神教」と「不寛容の一神教」だろう。これには多くの人が異議を唱えるだろうし、彼女とてこれほどストレートには断言していないが、現代の国際紛争の多くが、宗教、それもユダヤ教、キリスト教、イスラム教といった一神教の狂信的信仰に根ざしていることを考えるとき、このような視点が少なくとも現代の国際問題を考える上で大きな示唆をあたえてくれることだけは間違いない。塩野は、キリスト教がローマ帝国の国教となっていく過程を描いた巻(第14巻)でも、再び同じ視点から、西洋文明の基盤であるこの宗教に鋭いメスを入れている。
 あらゆる宗教のあらゆる神々を神殿に祀り、完全なる信仰の自由のもとさまざまな民族との共存をはかってきた古代ローマの多神教と、自分の信ずる神以外をすべて排斥したユダヤ教やキリスト教の一神教。これらのうちどちらが、現代のわれわれにぴったりくる生き方か、各自これらの巻を読んで考えてみてほしい。

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最後の逸話に思わず涙...

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 暗殺されたユリウス・カエサルによって後継者に指名されていたオクタヴィアヌス。18歳の彼は、カエサル暗殺後の15年間にブルータスら暗殺者、それから政敵アントニウスを次々と倒す。そして前27年、ただ一人の権力者となった彼は、元老院議員たちの前に立った。
 誰もが独裁政治の復活を予想した中で、オクタヴィアヌスの口から発せられたのは、元老院中心の政治、すなわち共和政への復帰宣言だった。これに狂喜した元老院議員たちは、敬意を表して彼に「アウグストゥス(尊厳なるもの)」の称号を送る。しかしこれは、「偽善者」であった彼による独裁権確立のための巧妙な布石であった。新リーダー「アウグストゥス」が始めた政治体制は、市民の第一人者(プリンケプス)による統治という意味で「プリンキピア(元首政)」と呼ばれるが、その実体はプリンケプスによる独裁であり、ローマ帝政の事実上の開始なのであった。
 政治権力の集中は、地中海世界を支配するようになったローマにとっては必然的な流れであり、その先陣を切ったのは、カエサルであった。アウグストゥスが目指したのは、この体制をより堅実なものとし、国家の安全と平和を保障することであった。そのために彼は、元老院の反発や警戒を防ぎ、暗殺など不慮の死による事業の中断がないよう細心の注意を払いながら、着実に帝政を整えてゆく。
 元来ひ弱で、軍人としての能力にも欠け、カエサルのようなカリスマ性もなかったが、きまじめで一つのことを粘り強く行う性格だけが取り柄だったこの青年の人物を見抜いたカエサルの眼力もさすがだが、それに十二分に応えたアウグストゥスはやはり偉大である。軍事面では、カエサルによってあてがわれた名将アグリッパ、行政面では、メセナ運動の祖といわれるマエケナスに助けられながら、41年という彼の長い治世は、ひたすら上の目標を実現することへと捧げられる。その結果、ローマには比類なき平和と繁栄の時代が訪れる。ここから以後の2世紀を、ひとは「パクス・ロマーナ(ローマの平和)」と呼ぶが、平和の礎を築いた初代皇帝アウグストゥスの功績は、どんなに賞賛してもしきれないであろう。
 こんな彼も、長い治世のあいだにはいくつか過ちを犯す。たとえば軍事面では、カエサルがあえて踏み込まなかったゲルマニア(ドイツ)への拡張政策を行い、その結果、3万もの兵隊が全滅するテウトブルグの惨劇を生み、ローマの防衛線を事実上後退させる。
 また、自己の血を引く皇統に固執する彼は、再婚相手の連れ子で後に2代皇帝となるティベリウスと、前夫アグリッパに死に別れた実娘ユリアとを結婚させるが、これはそれぞれの男女の不幸を生むだけであった。ティベリウスは最愛の前妻への思いを断ち切れず心をかたくなにし、ユリアも政略の道具にされるだけの身の寂しさから、浮気へ走ってしまうからである。しかもユリアはその結果、アウグストゥス自身が制定した不倫に対する厳しい法律により、流刑に処せられる。
 老年期に入ってから起きたこれらの事件は身から出たさびともいえるだけに、アウグストゥスの心をどんなにか苦しめただろう。だが、そんな彼の人知れぬ苦労をねぎらったのは、他ならぬローマの市民たちであった。娘ユリアの不祥事のあと、元老院は彼に『国家の父』の称号を与える。事件で落ち込んでいる彼を慰めるためであった。そして本書は、晩年の彼を「心の底から幸福にした」という次の出来事を伝えて終わっている。
 アウグストゥスがポッツォーリという港町に入ったときのこと。船上で休んでいた老皇帝の姿を、別の船の乗員や乗客らが認めた。すると彼らは、合唱をするように彼に向かって叫んだ。
 「あなたのおかげです、われわれの生活が成り立つのも
 あなたのおかげです、わたしたちが安全に旅をできるのも
 あなたのおかげです、われわれの自由で平和に生きてゆけるのも」
 これに感激したアウグストゥスは、彼ら全員に金貨40枚ずつをあたえたという。ローマの平和とは、それをあたえる者もまた享受する者も共に理解しあえる時代だったのだろう。

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スーパーマン?いや、ヒューマン!

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 地中海における覇権国家に成長しつつも、国内では混乱にあえいでいたローマは、一人の男によって新たな方向を見い出す。彼自身はそれを実現することなく、この世を去ったが、生前の彼が書いた設計図は後継者たちにより確実に継承され、結果的に共和政ローマは帝政ローマへと成長をとげた。
 男の名はユリウス=カエサル。1世紀に及ぶ内乱を終わらせ、独裁官として支配権を握るも、共和派のブルータスらに敵視され、暗殺される。彼が権力の座にいた期間、わずか3年。そのわずかな期間に新たな政治システムの青写真を示したのだが、その影響力の大きさは単にシステムの変更にとどまるものではなかった。
 ある人間の55年の人生とその時代を2巻にわたって描いたのは、作者の塩野自身が、このカエサルをローマ史上最も重要でかつ魅力的な人物と考えているからのようだ。彼については独裁者の一人ぐらいにしか考えていなかった私も、読後は塩野の洗礼を受け、ローマ史のみならず人類の全歴史においても、これほどの偉大な人物がいただろうか!と思うほどに感動した。カエサルの魅力を描ききった本巻と次巻は、作者の意図としては大成功であり、『ローマ人の物語』シリーズ中の白眉といってよいだろう。
 カエサルはまず、第一級の軍人であり、軍略家であった。ガリア地方(現在のフランス)の制圧に加え、ポンペイウスら対抗勢力を排除して最終的に全ローマに覇権を確立するまでの軍功の数々はそれを証している。彼はまた、新たな時代の要請に合った改革を次々と行った有能な政治家であった。さらに『ガリア戦記』に見られるように、同時代のキケロと並んで、ラテン語散文文学を代表する文章家でもあった。また上品で洗練された趣味と会話で人々を惹きつけずにいられなかった当代一の社交家であり、星の数ほどの女性をものにしたプレイボーイでもあった。
 しかし、スーパーマンのごときこの人物を本当に魅力的にしているものは、これらの超人的能力ではなく、むしろ正義感あふれ、温かく、包容力のある人間性だと思う。彼が頭角を現す以前に、陰謀の罪で弾劾された元老院議員カティリーナを弁護して、怒りと敵意に満ちた元老院を前に、裁判なしに人を死刑にすることの非を説いた勇気。給料への不満をぶちまける兵士たちを一言で鎮めた器の大きさ。独裁者になったのちも自分に刃向かった者に対して、報復はおろか責任追及すらも行わない寛容さ...
 このように、古代の政治世界ではありえないようなヒューマンな指導者の出現はしかし、寛容と信義を重んじてきたローマ人の伝統と相反するものではなかった。第二次ポエニ戦役でハンニバルを負かしたスピキオ=アフリカヌスもこのような人間の典型であった。むしろ、このような伝統的精神は、カエサルという個人のもと究極のかたちで花開いたのではという気さえする。塩野自身の言葉を借りるなら、「ローマの歴史がカエサルを生み、彼がその後のローマ世界を決めた」のだ。
 ルビコン川は、ローマ北辺の国境である。元老院がポンペイウスと組んでカエサルを抑え込もうとしたとき、ガリアから戻ったカエサルは、軍を率いて渡ることの禁じられているこの川を、国賊となる危険を冒してあえて渡る。「賽は投げられた」という有名な言葉を残して...。本巻では、カエサルの幼年期からこのルビコン越えまでの期間が扱われている。

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