空中庭園 みんなのレビュー
- 角田光代 (著)
- 予約購入について
-
- 「予約購入する」をクリックすると予約が完了します。
- ご予約いただいた商品は発売日にダウンロード可能となります。
- ご購入金額は、発売日にお客様のクレジットカードにご請求されます。
- 商品の発売日は変更となる可能性がございますので、予めご了承ください。
紙の本空中庭園
2005/07/15 14:01
“家族”という名の“冗談”
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:吉田照彦 - この投稿者のレビュー一覧を見る
それは“家庭”という名の“空き箱”に住まうある家族の物語である。
「何ごともつつみかくさず」がモットーの家族。そのモットーに従って、長女のマナは自分が高速道路のインター近くにある「ホテル野猿」で受精したことを母親から告げられているし、弟のコウは「性の目覚めの晩餐会」なるものを開いてもらっている。
だが、そんなもっともらしい“冗談”を、もちろん、誰も守っている者はいない。誰も彼もが秘密だらけ。みながみな、家族の中で嘘をいい合い、隠し事をし、体裁を取り繕っている。
シロアリに食い荒らされた木造家屋のように、物語の初めからすでに家庭は空洞化し、形骸化してしまっている。名前だけの家族。自ら隠し事を作りながら、この冗談のようなモットーが家庭の中でまだ有効に機能していると無邪気に信じ込んでいる親たちと、彼らの嘘をとうに見抜いている子供たち。子供たちは、親たちが“家庭”と名づけ、綻びを取り繕い、守ろうとしているものの意味を、意義を、問い、疑っている。それはまるで、「裸の王様」に登場する正直な子供のようだ。子供たちは、親たちが守ろうとしている家庭というものが端から丸裸であることを知っている。だが不思議なことに、彼らは「裸の王様」の子供がそうしたように、「この家庭は裸だ」と自ら大声で告発してみたりはしない。むしろ親たちの秘密を黙っていることで、消極的ながら自分たちの“家庭”を守ろうとしているのだ。
それこそ、家族愛なんてものが半ば冗談みたいになりつつある昨今、こんな家庭はきっと、日本中に存在する。そして、往々にして暴力的な方法で、そんな冗談につき合いきれなくなった少年少女たちが、時に少しだけ世情を騒がせる。