イソップえほん〈第1・2期〉 みんなのレビュー
- 文 蜂飼耳, 絵 かわかみたかこ, 絵 さこももみ, 絵 杉崎貴史, 絵 水沢そら, 絵 宇野亜喜良, 絵 山福朱実, 絵 たしろちさと, 絵 西村敏雄, 絵 今井彩乃, 絵 ささめやゆき
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紙の本いなかのネズミとまちのネズミ
2016/04/04 20:48
現代人に通じるお話
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:honyomi - この投稿者のレビュー一覧を見る
いなかのネズミとまちのネズミ、
それぞれがお互いを食事に招待します。
いなかはのどかですが、食事が今ひとつ、
まちは食事は豪華ですが、人間の影に怯えながらの生活。
どちらも一長一短で、今の暮らしに通じるものがあります。
紙の本きたかぜとたいよう
2012/03/16 00:59
迫力のある「きたかぜとたいよう」の新たな秀逸絵本
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:まざあぐうす - この投稿者のレビュー一覧を見る
久しぶりにイソップ物語のすてきな絵本に出会いました。
既刊の絵本の中では、ブライアン・ワイルドスミスの絵による『きたかぜとたいよう』(らくだ出版)やバーナデット・ワッツの絵による『きたかぜとたいよう イソップ童話』(西村書店)を選んで子ども達に読み語りをしましたが、本書には、それらとは異なる魅力があります。その魅力とは、各ページに漲る勢い。各場面に登場する「きたかぜ」も「たいよう」も「たびびと」もそれぞれが絵本のページから飛び出してきそう。版木を彫って直に着彩する木彫画で描かれた、実に迫力のあるイラストです。
紀元前600年頃の人物とされるイソップの物語は、様々な文化圏に広がり、地域や言語、人種の違いを超えて、全世界で愛読されています。幼い子ども達にもわかりやすいシンプルなストーリーと貴重な教訓が込められていることが魅力。日本では、16世紀の末にイエズス会の宣教師により『イソポのハブラス』として紹介され、明治時代に入って修身の教科書に取り入れらた位、古くから親しまれていますので、タイトルを言えば、すぐにそのストーリーが思い出されるのではないでしょうか。
「きたかぜとたいよう」は読むたびに、反省を促され、何度読んでも、あたたかく心に響き、心に痛い物語です。ついつい、いつの間にか、「きたかぜ」のような考え方をしてしまいがち。家族における親子関係や夫婦関係、職場の上司と部下、教育現場での教師と生徒、友人関係など、幼い子どもから老人に至るまであらゆる年代にとっての教訓、人生訓となりうる物語ではないかと思います。
本書は、蜂飼耳(詩人・小説家・エッセイスト)の再話により、岩崎書店から刊行されたシリーズイソップ絵本の最終巻です。『オオカミがきた』(ささめやゆき・絵)、『いなかのネズミとまちのネズミ』(今井彩乃・絵)、『ライオンとネズミ』(西村敏雄・絵)、『ウサギとカメ』(たしろちさと・絵)に続いて刊行されました。イソップの物語の中から5つの寓話を厳選し、新進気鋭の語り手と最先端のイラストレーターを起用した岩崎書店の企画を高く評価し、「きたかぜとたいよう」の新たな秀逸絵本として、本書をお薦めします。
紙の本ウサギとカメ
2010/03/20 06:44
ほのぼの系「ウサギとカメ」
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:のはら そらこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
蜂飼耳さんの文による岩崎書店の「イソップシリーズ」の4作目。
わたしの知っているおはなしとストーリーはほぼ同じだけれど、印象が違う。
まずウサギとカメのイメージが――特にウサギが違う。わたしの頭にあるウサギは、足が速いのを鼻にかけて、足の遅いカメをからかう嫌なやつだ。それに、じゃあ競争しようといいかえすカメは、かなり負けん気が強い。
ところが、たしろちさとさんの描いたウサギは、赤いチーフを首に巻いて、とってもかわいらしい。くるりとした目、穏やかなそうな口元の表情は、カメを馬鹿にしているようには見えない。
「ねえ ねえ かけっこして
どっちがはやいか たしかめようよ。
ぼく まけないぞ」
セリフも無邪気だ。ただの遊びで、友だちをかけっこに誘っているように見える。
カメも、
「そうだねえ じゃあ きょうそうしてみようかあ。
ぼくだってまけないよお」
と、のんびりした素直な受け答えだ。
さて、カメを引き離したウサギは、かけっこの途中ににんじん畑でみつけて一休み。にんじんをぼりぼり食べて満腹になり、周知のとおり、眠ってしまう。油断したというより、大好きなにんじんを見て、うっかり競争を忘れて、食い気に走ったという感じだ。にんじんを抱えて眠りこけるウサギのなんとも気持ちよさそうで幸せそうなこと! 天使みたいな寝顔だ。このウサギはぜったいに憎めない。
その横をカメがのっそりと通り過ぎていく(この場面をわたしは、この作品を読むまで想像したことがなかった)。勝敗にこだわるカメなら、「よし! これでぼくの勝ちだ」ぐらい考えるだろう。だが、このカメは、笑っちゃうぐらいのほほんとしていて、どうしてこんなところで寝ているんだろうと不思議がる。
こんな、うっかり、のほほんのふたりだから、勝敗が決まったあとも、いたって穏やかだ。ウサギは負けても屈託ないし、カメは勝った勝ったと大騒ぎしない。ふたりは相変わらず、いや、ますます仲のよい友だちだ。
わたしの頭の中では、「ウサギとカメ」は、ウサギに嘲笑されていたカメが、レースに勝ってウサギを見返し、それが痛快なおはなしだった。だがこの作品では、痛快さより、ほのぼのしたあたたかさが感じられる。
読み終わって、うーん、こんなに違っていいのだろうかと、考えこんでしまった。
そこで、岩波少年文庫の『イソップのお話』(河野与一編訳)の「ウサギとカメ」(P25、26)を読んでみた(あとがきによると、この本は学問上すぐれたテキストを用いてギリシャ語から翻訳しているという)。
するとまた、わたしの抱いてきたイメージとすこし違っていた。確かにウサギはカメの足の遅いのをばかにして笑うが、そのことはさらっと書いてあるだけだ。最後は「決勝点まできてみると、カメのほうが勝っていました。」と、あっさり終わる。そして、「生まれつきはよくても、いいかげんにやっていてだめになる人はたくさんいますが、まじめで熱心でしんぼうづよい人は、生まれつきすばしこいものに勝つことがあります。」と、教訓が続く。
カメがウサギに馬鹿にされて悔しい、とか、ウサギに勝って、へへーん、どんなもんだい! とかいう感情の部分はなくて、事実だけを述べている。おそらく、わたしの頭にあった「ウサギとカメ」は、さまざまな絵本や本、童謡などを通して、自分のイメージを作りあげてきたのだろう。
それに、この寓話は嘲笑を戒めるものではない。才能に恵まれているくせにいい加減なもの、逆に才能に恵まれなくてもまじめで粘り強いもの、両者を対比させて、両者にメッセージを送っている。
それでは、「ウサギとカメ」に先入観のない小さな人たちはこの作品をどう読むだろう。
ウサギの方がはやいのはわかっているから、ウサギが勝つよと、はじめは思うかもしれない。それなのに眠ってしまったウサギに「だめだよ、ねていちゃ」とはらはらし、「のおろり てくてく」走り続けるカメに、がんばれーと声援を送るだろう。そして、終わりがけの謙虚な一文、
カメは ちょっと じしんが つきました。
で、カメに共感し、誇らしい気持ちになるだろう。
一方で、ウサギの無邪気な姿がとても魅力的に描かれているから、ウサギのしくじりも心に強く残るだろう。
それなら、こんなほのぼのした「ウサギとカメ」もあってもいい。
さて、このウサギとカメがもう一度かけっこしたらどうなるだろう? ウサギは反省して最後までしっかり走れるだろうか? いや、このウサギなら、また何か誘惑に誘われて、負けちゃうんじゃないかな? でも、そんなウサギがわたしは好きだ。
紙の本ライオンとネズミ
2009/11/04 14:24
あったかい「ライオンとネズミ」
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:のはら そらこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
イソップえほんシリーズ、「ライオンとネズミ」の画家は西村敏雄さん。『バルバルさん』『もりのおふろ』(福音館書店)など、ほのぼのしたあたたかい味が魅力の画家だ。蜂飼耳さんの再話によるこの作品でもその味は十二分に活かされている。
「ライオンとネズミ」では、小さいと馬鹿にしていたネズミに、大きなライオンが助けられる。弱者が強者を助けることもあると、弱者を励まし、強者も弱者に助けられることがあると、強者の慢心を戒める寓話だ。
この作品は、弱者強者の単なる力関係にとどまらず、そこを超越したあたたかさが漂う。ストーリーは変わらない。だが、ネズミがライオンを助けた後の文に、たがいを理解し心がつながったふたりの喜びや安らぎが感じられ、ほわっとあたたかくて、嬉しくなるのだ。この後半の文は蜂飼耳さんが原話をふくらませて書いたのだろう。
そうしたあたたかみが、西村敏雄さんのぬくもりとユーモアのある絵により、いっそう増している。最終ページの絵をながめおわれば、満ちたりた気持ちで絵本をとじることができる。こんなあったかい「ライオンとネズミ」は、わたしは初めて読んだ。
ところでライオンを捕えるのは3人のひげ面の人間で、三者三様の特色のある顔に描きわけられている。そのうちのひとりは銃をもっているのだが、その男だけが、ライオンが逃げようとしているとき、汗をかいている。ほかのふたりも、慌てて悔しがってはいるが汗はかいていない。銃を抱えた男だけが口をへの字に結び、汗をかいて苦しそうな顔をしているのだ。銃でしとめることもできるのだが、おじけついているのか、それともライオンを殺したくなくてためらっているのか、ただ汗かきだけなのかと気になる。三人の人間のサイドストーリーがありそうだ。
紙の本いなかのネズミとまちのネズミ
2009/11/04 14:11
才能ある絵本作家の日本デビュー作
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:のはら そらこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
絵本の作家紹介によれば、画家の今井彩乃さんは、ボローニャ国際原画展で2003年から5度も入選されていて、海外では出版されているのに、日本では、この作品がデビュー作という。繊細なタッチ、やさしい色使い、効果的な構図、そして背景や小道具など隅々までゆきとどいている。
原話はよく知られたイソップ寓話だ。田舎のネズミが家に、町のネズミを招待するところからはじまる。
田舎のネズミの家には、切り株のテーブルがあり、そのまわりをシロツメグサやナズナなどの雑草が囲んでいる。さわやかな緑の風が吹いていそうだ。町のネズミは木の実をふるまわれて、ちょっとかじり、目をつりあげて舌をだしている。いかにもまずそうな表情が面白い。
田舎のネズミは町のネズミにつれられて町へ。通ったのはきっと路地裏だろう。洗濯物がぶらさがり、空き瓶がころがり、配水管からは水がたれている。オオバコがはえているけれど、なんだか妙に白っぽい。背景は白っぽいグレーで、寂寞とした印象を与える。
ネズミたちを脅かす人間の描き方は、とくに見事だ。人間は、あいたドアからもれる光に浮かびあがるシルエットと、ネズミたちの目の高さから見上げた巨大な2本の脚で描かれる。びくっと震え上がるネズミたちの鼓動が聞こえてきそうだ。そしてテーブルに並ぶ食べ物はおいしそうで美しいが、どこか毒々しい。
2匹のネズミが別れる場面では、町と田舎を、見開きの1ページで巧みに描き分けている。左側は先がグレーの道。高い家や煙突の並ぶ町にむかう。右側は先が茶色の道。木々が立ちならび鳥が飛ぶ田舎へと向う。町への道の脇には鉄製のフェンスがたち、田舎への道の脇には白木のフェンスが続いて、野原に小さな花がひっそり咲いている。町のネズミと田舎のネズミは、それぞれ自分の選んだ道を確かな足取りで歩いていくように見える。町と田舎、どちらがいいかはそれぞれだけれど、選んだ道が正しいと確信できる。
ラストのページは、田舎のネズミが家に帰りついて一休みしている場面で終わる。穏やかな田舎のネズミの表情に読むものもほっと安堵感を感じる。
一見かわいいけれど、シビアな現実がきっちり描かれている。そしてなにより、独特の雰囲気がある。こんな素敵な絵本作家がどうして今まで日本で紹介されなかったのか不思議だ。今作に続いてどんどん紹介されることを期待する。
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