女子鉄道員と日本近代
著者 若林 宣
「太平洋戦争下に、男性の代替として鉄道は女性を大量に動員した」ことばかりが論じられてきた女子鉄道員は、実は1900年以前から働いていた。明治初期の女性踏切番を皮切りに、出...
女子鉄道員と日本近代
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商品説明
「太平洋戦争下に、男性の代替として鉄道は女性を大量に動員した」ことばかりが論じられてきた女子鉄道員は、実は1900年以前から働いていた。
明治初期の女性踏切番を皮切りに、出札係やバス・市電の車掌の勤務実態、男性職員との差別的な労働条件を明らかにし、厳しい労働実態にもかかわらず女性車掌を花形職業としてもてはやした当時の社会状況を活写する。
さらに、太平洋戦争に突入してからの国鉄の女性職員と乗務員をめぐる定説を新聞資料などを丹念に調査して引っくり返し、新たな一面を照らす。加えて、戦争末期には小・中学生まで鉄道員として動員していた事実も明らかにする。
男性中心の日本鉄道史の陰に追いやられ、物珍しい存在としてだけ扱われてきた女性鉄道員とそれにまつわる出来事を史資料を発掘して紹介し、通説に大きな風穴を開ける。
目次
- はじめに
- 第1章 最初期の女性踏切番、平山つね
- 1 女性従事員の事故死
- 2 線路工の家族による踏切監視
- 3 創業初期の踏切番
- 4 守線手の地位
- 5 コスト削減のしわ寄せ
- 第2章 踏切番のイメージを数字で確かめる
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著者の執念に脱帽
2025/03/16 17:34
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投稿者:つばめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は、乗り物ライターであり、航空機、船舶、鉄道や太平洋戦争に関する著作を出している。本書は、新聞資料を活用して鉄軌道で働いてきた女性職員のありようの変遷を捉えたものである。その内容の一部を紹介する。◆国鉄の正史『日本国有鉄道百年史年表』では、1900年(明治33年)採用の事務職10名が女性職員の嚆矢としている。しかしながら、1879年に踏切番の女性が、事故死した新聞記事を著者は見つけ出す。様々な新聞記事から、線路工が踏切付近の官舎に住み込み、鉄道と直接の雇用関係にない妻が踏切番をしていたことが判明。事故死した女性は事実上の鉄道従事員ながらこうした背景により正史にも取り上げられない当時の状況を著者は明らかにしている。◆出札掛に女性が採用されたのは1903年。当時は、北は樺太、南は満州台湾までの乗車券を発券する業務である。様々な規程を理解し、コンピューターがない時代、手計算で運賃料金を算定するには相当の知識能力を要すると思われる。しかし女性というだけで賃金は男性より安かった。また、売上金が不足すると、自身で弁償。◆1918年、日本で最初に女性の車掌を採用したのは岐阜県にあった美濃電気軌道。◆日本で最初に女性を運転士に採用したのは関西急行電鉄(現在の近鉄名古屋線)、1943年から単独乗務開始。◆国鉄では運転士・機関士に女性は採用されなかったが、『日本国有鉄道百年史』に「女子職員の投炭訓練」の写真が掲載されている。著者は、酒田機関区で投炭訓練が行われた新聞記事を見つけ出す。当時の新潟鉄道局は女性を機関士・機関助士として乗務させることを検討したが、実現には至らなかった背景が明らかになる。
女性職員の話題ではないが、興味深い内容もある。◆1940年代に買収され国有化された私鉄があったが、買収された私鉄の駅長級は助役以下に、運転手は鉄道省としての試験合格が必須で、それまでは「運転手見習」に降格された。◆1945年、学徒動員の男子中学生が西鉄の福岡−大牟田間の運転手として勤務。
学識者の著作でもただ引用文献に基づく記述だけで、理解し難いあるいは消化不良の著作もある。最近の著作では例えば老川慶喜著『堤康次郎』(中公新書)は、これに該当するだろう。本書は、この対極に位置すると思う。著者は『日本国有鉄道百年史』等の公式文献をただ引用するだけでなく、その文献について、疑問点があると主に当時の新聞資料を活用して謎解きに挑むその執念が素晴らしい。謎解きの醍醐味を是非味わってもらいたい。