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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2011.4
  • 出版社: 光文社
  • レーベル: 光文社新書
  • サイズ:18cm/230p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:978-4-334-03619-5

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紙の本

ニッポンの書評 (光文社新書)

著者 豊崎 由美 (著)

いい書評とダメな書評の違いは? ネットのレビューやブログの書評までもが溢れ返る現在、その意味を問い直す。メディア史研究者・大澤聡氏との書評をめぐる対談も収録。光文社のPR...

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商品説明

いい書評とダメな書評の違いは? ネットのレビューやブログの書評までもが溢れ返る現在、その意味を問い直す。メディア史研究者・大澤聡氏との書評をめぐる対談も収録。光文社のPR誌『本が好き!』連載に加筆修正。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

豊崎 由美

略歴
〈豊崎由美〉1961年生まれ。ライター、ブックレビュアー。『GINZA』『本の雑誌』『TV Bros.』などで書評を連載。著書に「正直書評。」「勝てる読書」など。

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みんなのレビュー91件

みんなの評価3.5

評価内訳

紙の本

正しい書評なんてない

2011/06/17 08:15

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 光文社のPR雑誌「本が好き!」で豊崎由美さんの「ガター&スタンプ屋ですが、なにか? わたしの書評術」という連載を見つけたのは連載9回目あたりの頃。うわー、おもしろいと、その後、そのPR雑誌が本屋さんの店頭で無料配布される頃をねらって馳せ参じていました。
 ところが、それから数か月して、突然このPR雑誌が休刊。せっかく見つけた宝物を取り上げられた気分でした。しかも、読みそこなった前の号がなかなか見つからない。図書館で調べても、PR雑誌は置いていないこともままある。残念至極。
 すっかり諦めていたところが、こうして新書になって刊行されたのですから、うれしさ倍増。しかも、豊崎由美さんと書評に関して造詣の深い大澤聡さんとの対談「ガラパゴス的ニッポンの書評 -その来歴と行方」まで附いていて、待った甲斐がありました。

 ところで初出時の「ガター&スタンプ屋」ですが、「ガター」というのは「本の内容を短く書き表わす」ことで、「スタンプ」はいい本か悪い本かの印(しるし)をつけることで、19世紀、いじわる的に使われていたようです。豊崎さんはそれを自虐的に使われています。
 この本では連載の内容を15講にして収められていて、連載時でもそうですが、豊崎流の辛辣な文章が、読んでいて小気味いい時もあるし、ちょっと言い(吠え?)過ぎと感じることもあります。
 例えば「書評は作家の機嫌をとるために書かれてはならない」なんていう文章は小気味いい部類ですし、村上春樹さんの『1Q84』の書評をめぐる黒古一夫さんとのやりとりは後者の部類にはいります。
 もちろん、黒古さんとのやりとりを豊崎さんらしいと感じる人がいてもちっともおかしくはありませんが。

 巻末に附いている大澤聡さんとの対談も面白く、そもそも「書評」という呼び名はいつ頃定着したのかという話など、「書評めいた」ものを書いている人間としては興味深く読みました。
 大澤さんによると「書評」という言葉は「大正末から昭和初年代」に使われた言葉らしく、その語源についても「書物評論」「新刊書批評」といった言葉の略語という説もあるらしい。しかも「ブックレビュー」という言い方の方が先に使われていたようで、カタカナ言葉があまり好きではない私ですから、いささか面喰いの事実発見でした。

 これから書評を書いてみようという人、あるいはすでに書評を書いている人にもこの本は刺激に満ちています。
 豊崎さんの「面白い書評はあっても、正しい書評なんてない」という意見に大賛成です。

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紙の本

「縛り」がると「楽しい」

2011/05/21 10:53

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:Tucker - この投稿者のレビュー一覧を見る

「ニッポンの書評」の書評、と言いたいところだが、書いている当人は「読書感想文」のつもりなので、この表現は使えない。

この本は「書評の書き方」ではなく、それ以前の「心構え」について述べている。
(最後の方にテクニック的なこともかいてあるが)

ただし、内容はシンプルで、納得できるものである。
曰く
・書評自体、読んで楽しいものにする。
・ネタばらしには注意
・悪意の垂れ流しは厳禁


要するに
・読む人がいる事を意識する
・紹介する本を読みたい
と思わせるという事だろう。

少し耳が痛いのが「援用」の落とし穴。
本を紹介するはずが、本をダシにして自分の主張を展開するようなものであってはならない、というもの。
時々、脱線して違う話を書いていたりするので自戒が必要。

そして、気をつけているのが、「悪意の垂れ流し」
こういうものは読んでいて気持ちのいいものではないので、批判的な事を書く時は、「笑えるがポイントをついている」というものにしたい、と思っている。
ただし、そういう本には、あまり出くわさない上、難しいので一度もやったことはないが・・・。

難しいと思ったのは、「その人にしか書けない書評」というもの。
有名人や知人など他人ならば、何となく「その人しか書けない」というものは分かりそうだが、自分の事となると、サッパリ分からない。
そのうち、分かるようになる、と思いたいが、本の感想をブログにアップするようになってどれだけ経っているか、を考えると「何たるザマ」と思ってしまう。


ところで、この本の中で実践してみようと思った点がある。
それは
・文字制限をつける。
・発表する想定媒体を考える。
というもの。制限があるからこそ、腕の見せどころなのだろう。

これで空白含めず、約800文字。
想定媒体は新聞の読書欄。本好きの大人が読む、という想定。

それにしてもこの文字数で、面白く読ませ、本の魅力を伝える、という事は至難の業だ、ということがよく分かった。
今までダラダラと書いていたが、それがどれほどラクだったことか・・・

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紙の本

プロ書評家の矜持と覚悟

2012/09/15 08:43

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:Fukusuke55 - この投稿者のレビュー一覧を見る

自身のblogで取りあげるBookカテゴリーを、「感想文+本にまつわる思いあれこれ」であることを表明しているのですが、お友達から「書評参考になったぁ」というコメントやメールをいただくたびに、blogというオープンなメディアで取りあげることの責任をひしひしひしと感じておりました。

そんなときにあるブロガーの記事で見つけた本書。「一億総書評家時代の必読書」というキャッチも刺激的です。

いつもながら、一気読みしてしまいました。

・・・全編通じて、「プロ」書評家の逞しさ、潔さ、強さ、覚悟・・・が、ぐんぐん伝わってきます。

1.批評と書評の違い
批評は対象作品を読んだ後に読むもので、書評は読む前に読むもの

そう、「初読の興をなるべくそがない」仕掛けのポイントが書評の醍醐味。ネタバレの意味と意義。このあたりは、私のような一般読者のblogであっても、襟を正して真摯に受け止めねばと反省しました

2. プロの書評と感想文の違い
プロの書評には「背景」がある

ネット上に多々登場する、劣悪な書評ブロガーを評して・・・
「・・・中略・・・粗筋や登場人物の名前を平気で間違える。自分が理解できていないだけなのに、「難しい」とか「つまらない」と断じる。文章自体がめちゃくちゃ、論理性のかけらもない。取りあげた本に対する愛情もリスペクト精神もない。自分が内容を理解できないのは「理解させてくれない本の方が悪い」と胸を張る。自分の頭と感性が鈍いだけなのに。・・・後略・・・」(p.114-115)

このご指摘は、書評に限らずネット上に匿名で意見を発信する人すべてに対する警告だと受け止めました。

私はこれまで、トヨザキ社長がおっしゃる「愛情をもって紹介できる本のことだけ」を、自身のblogで取りあげてきたつもりですが、その軸はぶらさずに行きたいと思います。

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紙の本

「正解」はない。人気の書評家が考える「面白い書評」「ダメな書評」を知りたい方にはオススメ。

2011/06/29 16:52

4人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:YO-SHI - この投稿者のレビュー一覧を見る

 著者はプロの書評家(プロフィールには「ライター、ブックレビュアー」とある)で、「GINZA」「本の雑誌」「TV Bros」といった雑誌などで、書評を多数連載している。本書は、現在は休刊になっている光文社のPR誌「本が好き!」の、2008年~2009年の連載記事に加筆修正したもの。

 「面白い書評はあっても、正しい書評なんてない」というのが、著者の基本スタンス。本書では、「粗筋紹介」「援用」「ネタばらし」の是非、「日本と海外」「プロの書評と感想文(ブログ書評)」という比較、といった様々な観点を設けて、具体的な「書評」を一つ一つ俎上に挙げて評していく。そうすることで「面白い書評」の姿を浮かび上がらせようというわけだ。

 だから「面白い書評とは○○○である」式の「正解」を期待すると裏切られる。本書の内容を突き詰めると「私(著者)が面白いと感じる書評が「面白い書評」」ということだからだ。「粗筋と引用だけでも、立派な書評として成立する」と書いた直後に「逆もまた真」とあるし、「援用」は「両刃の剣」で、「援用の傑作」もあれば「牽強付会な援用」もある。つまり、大事なのはその「ちょうど良い加減」なのだ。

 「ちょうど良い加減」を言葉で他人に示すのは難しい。だからこそ、著者は具体的な「書評」を例として出して、「これは良い」「これは悪い」と評するという手法を取ったのだろう。「粗筋は全体の何%まで」なんて書けば、それらしいものになるけれど、それではウソになる。著者はそんなウソはつけなさそうだ。主張が行ったり来たりして定まらないのも、著者の正直さを表しているのだろう。

 その正直さは「あとがき」のこんな言葉にも表れている。「(前略)それはあくまでもトヨザキ個人の評価です。「絶対」ではありません。(中略)この本で展開している書評観や書評論自体、後年、わたしは自分自身で更新するかもしれません。」 著者が絶賛する書評を、私が少しも良く思わないとしても、それはそれでいいのだ。

 特に、ある日の新聞各紙の書評を特A~Dで評価するという荒業が痛快。(5月22日の朝日新聞に、本書「ニッポンの書評」の書評が載っていたが、あれを著者が評価するとどうなるのだろう?)「正解」ではなく、人気の書評家が考える「面白い書評」「ダメな書評」を知りたい方にはオススメ。

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紙の本

ブログ書評には厳しいが大いに楽しめるトヨザキ社長の書評論。

2011/12/12 15:59

3人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:オクー - この投稿者のレビュー一覧を見る

 僕、トヨザキ社長は大好きです。ハッキリ物を言う人はとにかく好き。
でも、豊崎さん、ブログ書評に否定的なんです。「ブログで書評を書い
ている皆さん、あなたがたは守られてるんです。安全地帯にいるんです
よ」と言われればまさにその通り、ブログをやってる私は返す言葉もな
い。「なぜ他人様が一生懸命書いた作品をけなす必要があるのでしょう
か。卑怯ですよ」「匿名の書評ブログを開設している方は、今後は愛情
をもって紹介できる本のことだけをお書きになってはいかがでしょうか」
と言われれば、ただただうなずくしかない。

 光文社のPR誌に連載されたものをまとめたこの新書、前半は、粗筋
紹介というのも立派な書評だとか、ネタばらしはどこまで許されるのか
とか、興味津々の内容でとてもおもしろい。おもしろいのだけど、ここ
で否定された人。例えば、粗筋を一から十まで紹介しちゃう文芸評論家
とか、物語の肝を平気でばらしちゃう人に豊崎さんが言ってることが通
じるのだろうか?そーゆーわからん人はいくら言っても絶対にわからん。
このデリケートな問題を著者は例を交えながら丁寧に紹介してるのだけ
ど、プロでもアマでも通じない人には通じない(と思う)。それが、ち
ょっと悲しい。その後には、新聞各紙の書評五段階評価、「1Q84」
書評の読み比べなどもあり、本好きなら大いに楽しめる内容だ。最後の
「トヨザキ流書評の書き方」と大澤聡さんとの対談も貴重。惜しむらく
は、全体を通してツイッターで作家の渡辺某をメッタ切りにしてるよう
な迫力がないこと。もっとけちょんけちょんに言っちゃえばいいのに、
トヨザキ社長!

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紙の本

刺激的ではありますが、そして考えさせられる点もありますが、私は清水義範の文章読本のほうが為になると思うし、読書感想は書評とは違うので、感想こそ自由なわけでそこのところ、多分、世の書評というもの自体に曖昧なところがあって、それが誤解を生んでいるような気がします。プロだけが人間、みたいな発言は読んでるこっちが恥ずかしい。所詮売文稼業じゃないですか・・・

2012/02/26 19:58

15人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

基本的に、多くのネット上で公開されている〈書評〉や〈読書日記〉〈メモ〉の類を書評と称するかどうか。ここは定義の問題として重要だと思います。で、私にとって大きかったのは新井素子の発言です。とはいえ、それがどこに書いてあったのか、探せないので申し訳ないのですが、おおよそのところは字数というか頁数に関わっての発言でした。内容は

本にしたときに2、3頁で出来ることは書評ではなく、読書案内である、評というからには論旨がなければならず、読み解きも必要だし、場合によっては引用もある。そうなると、数頁で収まるはずがない。

といったことだったと思います。豊崎の論がふらつくのは、実は日本の書評には「読書案内」と「評論」の二種類が混在していることを忘れているからだと思うのです。読書案内であれば、それは人に本を読んでもらうことが主眼ですから、粗筋紹介があるのは当然ですし、興を殺がないためにネタバレはあってはならないことになります。興味を抱かせるのが目的ですから、引用だけの紹介でも十分に意味を持ちます。そして、批評をしなければ、字数は800字から2000字でも十分目的を達することになります。

海外の、特に英国の「書評」が、字数が多くネタバレもする、というのはそれが「批評」であるからで、目的はあくまでその本を読み終わった読者に対して、自分はこの作品をこう読んだ、という自己主張することです。当然、引用も多くなりますし、その作品の位置づけを作者自身だけではなく、文学史的にも行う必要があります。字数も「読書案内」とは大きく変わります。

実は、最初にこの視点をとってしまえば、豊崎がここで色々行っていることの多くが、整理されてスッキリします。一般的に、ネット書店で求められる書評は、販促の意味がありますから「読書案内」ですし、新聞の書評も、出版広告の多さから言っても同じことになります。ただし、そのことをわきまえない先生もいて、少ない字数で「批評」をしてしまい、ネタバレや自己宣伝で終わる例が特に新聞に多いのは、執筆者と新聞社に間違った思い込みがあるからです。

では、新聞に「批評」的書評がないか、といえば、それはあります。その月一ヶ月の小説や詩、エッセイなど全般を見て各作品を比べながらその傾向を論じる時評がそれです。ここでは、良い作品がなければないとして明言されますし、作品の比較も行われます。内容紹介よりは、その作品の位置づけなどが論じられることが多いのはいうを待ちません。第1講から第7講までは、この視点を持てば、あえて議論する必要もない、ということになります。

で、です。私が最も気になったのが115頁
                   *
なぜ他人様が一生懸命書いた作品をけなす必要があるのでしょうか。卑怯ですよ。他人を批判する時は自分の本当の顔、どころか腹の中まで見せるべきでありましょう。都合が悪くなれば証拠を消すことのできる、匿名ブログという守られた場所から、世間に名前を出して商売をしている公人に対して放たれる批判は、単なる誹謗中傷です。批判でも批評でもありません。
                   *
と書き、作家側からの反論をうけるとするブロガーに
                   *
 「なんで作家自身が、そんなに程度の低いブログにとこまでいって、わざわざ反論なんて面倒くさいことをしなきゃならないのか。そもそも、その書き手は当該作品を誤読、もしくは全然読めていないのだから、議論は不毛に終わるに決まっている」と応えて置けば十分でしょう。
                   *
といい、最後にネットなどなかった時代のバルザックの引用までして
                   *
 しかし、《ツルハシの一撃》となりうる書評は、読まなければ、精読しなければ、決して書けません。高いリテラシーと有名性を備えて初めて《ツルハシの一撃》は成立するのです。どうしてもそれをしたい方は、まずプロの評論家になられてはいかがでしょうか。
                   *
と決め付け
                   *
 というわけで、匿名の書評ブログを開設している方は、今後は愛情をもって紹介できる本のことだけをお書きになってはいかがでしょうか。
                   *
と嘲弄します。金をもらっているプロは偉くて、読書感想しか書けないアマチュアは愚か。でも、出版界を支えるのは後者です。本を読めばだれでも面白い、面白くないくらいの感想を持つ。それをブログに書く、そのどこがいけないんだとなります。それを書評と称する、それだって間違いとはいえない。だって、書評の定義なんてあってないようなものだから、ほんの呟き程度のことを「書評」という人だっていてもおかしくはない。

つまらない、って言われるような本書くなよ、プロだろ、お金取ってんだろ、って逆にいう人だっているでしょ。匿名がダメ、っていうのもおかしい。だって、匿名か否かと評の内容に関係性はないんですから。無論、匿名を武器に好き放題言う人もいるかもしれませんが、実名で好き放題言って、それを売りものにしている売文業者がいることだって事実でしょう。

結局、本には面白い本と面白くない本しかないのと同じように、評にも人を感心させるものもあれば感心させないものもあって、そこに匿名や報酬の有無や職業は関係ないということになります。ちなみに、私が本のことを書くときの姿勢は、どんな人間だって本を読めば、好き嫌いくらいの感想を持つはずで、そうならそれを素直に表そう、というシンプルなもの。読書は、そして文章表現は万人に開かれるべきものです。

この本の豊田発言に首を傾げたかたは、ぜひ清水義範のいくつかの文章読本を呼んでみてください。得るものは多いはずです。

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紙の本

「シロウト」さんの書評の価値を評価しすぎ?

2011/08/17 21:13

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みす・れもん - この投稿者のレビュー一覧を見る

数々の書評を読み込まれ、それに対して批評をしながら、「書評」とは何かについて述べている(と思われる)本書。
多くの本と書評を読み込まれている。それはとても労力を要することだし、トヨサキ氏の貴重な財産となっていることだろう。
それを元に書かれた本書は、一介の本読みの一人であるワタクシにとって、輝く宝物が詰まっているのかもしれない。けれど、残念ながらワタクシにはトヨサキ氏の文体が合わなかったのだ。とても有用なことが書かれているのだろうと思いつつも反感ばかりが先に立ってしまい、申し訳ないけれど途中から流すように読んでしまった。
この状況でいつもの「感想文」を書くのもいかがなものかと思いはしたが、備忘録としての感想文を綴っているワタクシであるからして、これは記録しておくべきと考えて、こうして書いているワケだ。

一冊の本に対する「書評」をいくつか並べて、批評するという試みは非常に興味深い。本に関するブログが氾濫する現在、検索さえすればいろんな方の感想を読むことはできるが、いかんせん手間がかかる。そして、その多くがいわゆる「シロウトさん」の書かれたものだ。原稿料を受け取って書かれる「クロウト」の方の書評を並べ読みできる媒体が欲しい。

トヨサキ氏の批評の大部分には共感する。読者の楽しむ権利を奪う書評はいただけない。しかし、どこからを「ネタばれ」といい、どこまでなら許されるのか、それは個々人によって異なってくるので、判断は難しいところだろう。私なら、ミステリに分類される本は読む前に一切の「書評・感想」を読まないように気を配っている。簡単なあらすじは目にすることはあっても。
では、ミステリ以外の分野の本はどうなのだろうか。これも読者が自ら読みながら得るであろうと予測できる感動や驚きを削ぐ書評は、やはりNGだと考える。しかし、前述の通り人それぞれであるから、どの書評を良しとし、どの書評を悪しとするかの絶対的な基準はない。

しかしまぁ、アマゾンのレビューなり、「シロウトさん」のブログの書評なりを基準にして買う本を決める人など、そんなにいらっしゃるのだろうか・・・。私には理解できないのだけれど。
「シロウトさん」の書いた文章が本の売れ行きを左右するほどの力を持っているのかしら?と素直に疑問に思う。トヨサキ氏はそのことを取り上げて、「シロウトさん」は自分の好きな本の感想のみをネット上で公開すべきと述べている。嫌いな本の感想までネット上にアップして、営業妨害する必要性はないだろうということだ。しかし、アマゾンのレビューも読んでみれば、それが信用に足るものか否かは判断できるし、それを読んで読む気がなくなる本であれば、それだけの本だったというだけのこと。それを上回るだけの惹き付ける力をその本自体が持っていなかったというだけのことではないだろうか。

タイトル買いの多い私は、読んだ結果、期待はずれとなることも無くはない。では、その本に関する感想はブログにアップするなということか。いやいや・・・、それはおかしい。タイトルで釣っておいて、内容が伴っていない本は少なくない。購入する前にどんな本だろうかといろんな情報を得る資格は誰にでもある。その情報の中には対象となる本を薦めるものもあり、買ってまで読む本ではないというものもあっていい。誰も彼もが褒めるだけの書評(「感想」含む)を書いていたら、それこそ参考にならないと私は判断して、本を購入する前に書評等を読むのをやめるだろう。
ま、トヨサキ氏はブログ上に書かれたものも「精読と正しい理解と面白い誤読の上で書かれたまっとうな批評なら作者や読者にも届きましょう」と一応述べておられるので、ブログ上の全ての書評なり感想なりを認めていないと言うわけでもなさそうだ。

しかし、ね。匿名で書いている人間が他人の批判をするなんて卑怯だと言い切るのはいささか行き過ぎ。「あなたたちは守られているのよ、何かあればブログを放り投げて逃げてしまえるじゃない」というのだが、自分が積み上げてきたものを放り投げざるを得ない状況に置かれたことのある私にとっては、この一文は納得いかない。それがどれだけ辛いものか、トヨサキ氏には理解できないようだ。自分自身の歴史の一部を葬り去るような痛みを伴うのだ。
ブログ上でハンドルネームを使っていろんな批評をしている人間の中にも、それなりの覚悟を持って書いている(全てがそうだとは言わないが)。「シロウト」は「シロウト」なりに、自分自身のネット上での名前を背負って書いている。トヨサキ氏が「シロウト」のブロガーにどのような恨みを持っているのかは知らないが、「あなたたちは卑怯よ」と言われるのはいい気持ちはしない。
なら、ペンネームを持って書かれている「プロ」のみなさんも卑怯者なのだろうか・・・。その名前で信用を得て、仕事を貰えているのだから「シロウト」とは違うと反論されるのであれば、それは筋違いというものである。「シロウト」だって、自分のハンドルネームでいろんなネットワークを作ってそれ相応の信用を得てきているのだから。違いは、それでお金を稼いでいるかどうかの違いだけ。名前を捨てて逃げることで精神的に負うものはそれほど違わない。

とまあ、長々と書いてきたけれど、もう一度じっくりと本書を読むつもりではいる。もう少し気持ちに余裕のあるときに。それだけの内容のある本であるとは思うからだ。
今は「備忘録的な読書感想文」を綴っているだけの私ではあるが、いつかは「書評」というものを書けるようになりたいという目標がある。そのためのヒントをいくつか得ることができた。もう一度、精読してみたなら、更に何かを得られるかもしれないという期待がある。いくらかガマンを強いられる本だけれど・・・。

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紙の本

自分の知らない世界の事を、ちょっと調べて、数例を持って全体を類推すると言うあほな事はするな!

2011/09/19 07:03

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:トグサ - この投稿者のレビュー一覧を見る

自分もレビューを書くし、面白そうだと思い、購入したのが間違い。

主に、書評を芸だ認識しているこの書評芸人、格調高いイギリスの書評に対して、あくまでもこだわるのは、卑俗な”ネタばれ”。

文学を推理小説のように読み、それについて何かを書く。
やめて欲しいです。

映画レビューもそうだが、書評も、読んでも3日かすると、その内容は、ほとんど忘れてしまうものではないでしょうか?

それに、程度にもよりますが、例え、その”ネタばれ”というやつを覚えていたとしても、それで何かその文学の価値が減じるのでしょうか。
まぁ、文学も推理小説の延長で読んでいる人は別にして。

この時点で、あほらしくなり読むのを止めてしまいました。

が、こちらに書評を投稿するために、ザッと読み通した。

やっぱり、誰もが引っかかる「匿名問題」について、書かねばならない。
ハッキリ言って、僕もご贔屓の作家の悪口に出くわすと、いい気持ちがしない。
まだ、その作品を読み込んでなら、解るが、自分には解らない→だから、その作品はくだらない式の感想に出くわすと、救われない気持ちになる。

が、別に著者自身が、わざわざ出向かなくても、あまりにもな文章には、そのファンが黙っていないでしょう。

余談ですが、最近、急速にAmazonのレビューが改善している。
これは、Amazonがコメント機能を導入した事が大きいと思う。
以前は、小学生レベルの文章(僕は、感想にも至らないものをこう呼んでいる)が、存在したが、特に何故か人文・社会科学系。

やはり、例えネットであろうとよりよい批判は、人を鍛える。

この豊崎女史は、ネットの感想文を、それまで全く見ていなかったと公言している。
僕は、サイエンティストの訓練を受けた事もあって、少なくとも、それを批判する場合は、該当の論文なり、本をきちっと読んでからするのが、最小限のルールだと思っている。

が、そんな当たり前のことができず、批判している実名の人物のなんと多い事か。
勿論、これは、書評とは無関係なのだが。

力関係とやらで、ある高名の、勿論実名の人物が、「あれはつまらない。」と言い、誰も反論できない場合は、営業妨害とは呼ばないのだろうか。

この笑いのセンスはあるが、知性とは程遠い文壇話の大好きな女史、自分の知らない世界の事(つまりネット世界の事)について、一刀両断にするのはいかがなものか。

ネットでブログを書いてるものなら、多かれ少なかれ、ブログの炎上を、とても恐れている。
それは、「体を張っている。」とは言わないのだろうか。

それに、多くのブロガーは、ネタばれがある場合、その旨をきちんと掲載しています。

ある意味、現実世界の社交性がない分、その攻撃は激烈を極めている。
それに、このようなサイトへの書き込みならまだしも(ここでも多量に書き込んでいる人は別だが)、記事を蓄積しているブログなどでは、それは仮名、実名などもはや瑣末な事である。

それを、単純に実名、仮名と二元論的に、単純に色分けするのは、彼女の知性では仕方ないのかもしれないが、面白くないです。

僕は、書評とは、単にその人が、その本を買うかどうかの判断基準(入り口)だと思ってます。

勿論、丸谷才一氏がコーディネートする毎日新聞の格調高い書評は、氏がそれを目標とするところの、「思わず、そのまま本屋に駆け込み、この本下さい。」と言う衝動に駆られる素晴らしい書評もあるのだが。

ついでに言うと、今現在、新聞の書評すら読む人が、一体どれくらい存在するであろうか。
ましてや、他の媒体など。

多くの人が、本の購入基準の手段にしているのは、ネットの評判ではなかろうか。
勿論、玉石混淆だが、もう既にそんなことは織り込み済みなのだ。
ちゃんと、リテラシーを持っているのだ。

もう一度、言おう。
自分の知らない世界の事を、ちょっと調べて、数例を持って全体を類推すると言うあほな事はするな!

僕は、ツイッター上で何かを書くときも、あやふやな事は、ウィキペディアで調べてから書く。
ただ、うろ覚えのついでに書く時は、別だが。
そのついでに書いてしまったツイートにしても、不正確であると嬉しがりにからかわれる。

そういう記事を書くときにも、電子辞書で一つ一つというブロガーも少なくないと思う。

ついでながら、ツイッター上で匿名に関して彼女に意見したことがある。
が、あんぽんたんな答えを返してきた。

そういう自分の知らない世界への配慮がなく、自分の世界で安住している人が、人のことをつべこべ言うべきではない。

僕は、これをそれなりの文章に整えるのに、大変時間を要した。
ずいぶん、意味のない無駄なことであったと思う。

この本は、書評を書くためにカルチャーセンターへ通っている人のためのテキスト程度の内容だ。

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