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柿の種 (岩波文庫)
柿の種
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目次
- 自 序
- 短 章 その一
- 短 章 その二
- 解 説(池内 了)
- 注 解
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著者/著名人のレビュー
1879年11月28...
ジュンク堂
1879年11月28日、寺田寅彦誕生。
一流の地球物理学者にして、文学者(なんと夏目漱石の弟子)そして
音楽を愛しヴァイオリンも弾いたという底知れぬ深みを寅彦先生。
味わい深い随筆も数多く残されています。
中でもこの『柿の種』は、俳句雑誌の巻頭を飾った文章を集めたもので、
短いものはたったの2行、切り取るものの何たる絶妙なことか。
それは科学の、何かを解き明かそうという目線の始まりであり、文学の、
何かを発酵させようという試みの始まりでもあり。
棄てた一粒の柿の種
生えるも生えぬも
甘いも渋いも
畑の土のよしあし (P.10)
【折々のHON 2010年11月28日の1冊】
紙の本
天の焔で境界を溶かしてしまう人。
2005/11/28 08:50
13人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
物理学者で俳人でもある著者が、友人の俳句雑誌「柿渋」の巻頭に連載したという短文をまとめたものです。挿絵も、自身で書いたというものだそうで、温かな雰囲気です。
「自分の欠点を相当よく知っている人はあるが、自分のほんとうの美点を知っている人はめったにないようである。欠点は自覚することによって改善されるが、美点は自覚することによってそこなわれうしなわれるせいではないかと思われる。」この一文などには、どきりとさせられ、まったく時代を超えて通ずるものを感じてしまいました。
子猫の話、油絵をかいてみる話、大学構内で出合った親子の話。それぞれ、ただ味わい深いだけでなく、学者的な論理の明確さも、ユーモアも見え隠れしています。以下の文に書かれているような「日常と詩歌の境界」の曇りが拭われて、世界が鮮明に見えてくるような気持ちになります。
・・・・・・・
日常生活の世界と詩歌の世界の境界は、唯一枚の硝子板で仕切られている。
この硝子は、初めから曇って居ることもある。
生活の世界の塵に汚れて曇って居ることもある。
(中略)
稀に、極めて稀に、天の焔を取って来て此の境界の硝子板をすっかり熔かしてしまう人がある。
・・・・・・・
著者こそ、「境界の硝子板を溶かしてしまう人」の一人であったのだろう、と思われてなりません。科学に関する他の随想などを読むと、もしかしたら著者はさらに、科学と詩歌(芸術)との境界も溶かしていたのでは、という気にすらなってしまいます。どんな科学者の心にも同じ焔の種はある、と私は思うのですけれど。
もっと著者の随想を読みたい方には同じく岩波文庫で随想集(全五巻)が手頃だと思います。
紙の本
日常の中の不思議を分かりやすく著した名随筆
2011/06/25 20:38
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ろこのすけ - この投稿者のレビュー一覧を見る
日常の中の不思議を分かりやすく、実にあじわいある文であらわす物理学者で随筆の名手である寺田寅彦の随筆集である。
「なるべく心のせわしくない、ゆっくりした余裕のある時に、一節ずつ間をおいて読んでもらいたい」と言う『柿の種』。
まさに著者の言うとおり、のんびり、ゆっくりと読む楽しみに満ちた随筆集である。
俳句雑誌『渋柿』に載せたものからの文が多いが、文もさりながら自画のカットが載っているのが、読者には余禄の栄である。
味わい深い随筆が続く中、大地震の混乱を予言するような文がある。
「石油ランプ」という随筆の中から、
[われわれは平生あまりに現在の脆弱な文明的設備に信頼しすぎているような気がする。たまに地震のために水道が止まったり、暴風のために電気や瓦斯(がす)の供給が絶たれて狼狽することはあっても、しばらくするれば忘れてしまう。もっと甚だしい長続きのする断水や停電の可能性はいつでも目前にあることは考えない。](「石油ランプ」から)
「東京市民がみんな石油ランプを要求するやうな時期が、いつかは又めぐって来さうに思はれて仕方がない」(「渋柿」から)
と、書いた寺田寅彦。何とこの予言は的中した。九月の一日の朝、加筆をほどこした「石油ランプ」の原稿を雑誌社に送るつもりで外出し、途中で関東大震災に遭遇した。
また寺田寅彦は別の章で地震についてこんなことを書いている。
「日本ではとても考えられないような大仕掛けの大地震が起こるともある。
1920年のシナ甘粛省の地震には十万人の死者を生じた。(略)現在までのところで安全のように思われている他の国では、存外三千年に一度か、五千年に一度か、想像もできないような大地震が一度に襲って来て、一国が全滅するような事が起こりはしないか。これを過去の実例に徴するためには、人間の歴史はあまりにも短い。
その三千年目か、五千年目は明日にも来るかもしれない。(大正十三年五月、渋柿から)
「その三千年目か、五千年目は明日にも来るかもしれない」は奇しくも東北地方大震災となった。
地震の文についてだけ抽出したが、このほかに、もちろん味わい深い随筆がたくさん載っている。
著者自身が自序で述べているように寺田寅彦の随筆は、せわしくないときに、のんびり味わうのがよかろう。
紙の本
戦前の物理学者であり、随筆家でもあった寺田寅彦氏の随筆を176篇収録した、じっくり味わえる一冊です!
2020/05/02 10:32
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、戦前の我が国の物理学者であり、また随筆家、俳人としても知られる寺田寅彦氏に随筆集です。寺田氏は、吉村冬彦、寅日子、牛頓(ニュートン)、藪柑子(やぶこうじ)などのペンネームも使って様々な著作を残されています。同書は、寺田氏の随筆を176篇収録したものですが、これらは、もともとは友人であった松根東洋城(まつねとうようじょう)氏が主宰する俳句雑誌「渋柿」の巻頭第一頁に掲載されたものばかりです。短いものではわずか数行、長くても3頁ほどの短い作品がほとんどで気軽にちょっとした時間で読めますが、著者によれば、「なるべく心の忙しくない、ゆっくりした余裕のある時に、一節ずつ間をおいて読んでもらいたい」と「いうことのようです。
紙の本
読むほどに、読み返すたびに、味わいが深まりゆく珠玉の科学随筆
2022/02/28 23:47
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:719h - この投稿者のレビュー一覧を見る
身の周りの平凡な出来事の中に見出した、
興味深い事象を、平易かつ流麗な文体で
綴ったまことに稀有な本です。
理系も文系も非系も無系も、
挙って繙いてみてもらいたい一冊です。
紙の本
芳醇なウイスキーを味わう気分
2015/02/03 11:56
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:トニー - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者については既に説明の必要はないと思います。日本を代表する物理学者にして、文学・哲学に造詣の深い、本物の知識人と言えるでしょう。
一文ごとに著者の感性や学識、洞察力に魅了されます。科学が万能ではなくなった(と感じることが増えた)現代で、大量の情報に振り回されがちな日本人にとってこういう本と過ごす静かな時間こそが大切なのではないかと感じます。
紙の本
その名のごとくあとひとつぶと思いつつ、とまらない。
2020/07/29 22:58
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:タオミチル - この投稿者のレビュー一覧を見る
俳句雑誌「渋柿」の巻頭ページに乗せるために書かれた、寺田寅彦曰く「即興的漫筆」集。パッと眺めて文庫の2ページ完結なので、寝しなに読むのに最適かもと思って読み始め、途中で、それは相当に甘い考えだと気づく。つまりいちいち面白くて読み止まらない。そうこうしているうち、寺田寅彦の筆は、大正12年の11月あたりのお話に。関東大震災に見舞われた当時を、短いながらも科学者と芸術家の二つの視点とココロで書き描く。
その文を興味深くよんだのち、ふと、なぜだか、解説はどなたが書かれただろうと気になって、巻末を見る。解説者は、科学者池内了氏で、最巻末に、「1996年1月17日 阪神淡路大震災の一周年の日に」とあった。
ふーむ。深い。
紙の本
心の一服
2019/04/29 10:03
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:とある日本人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
日に日に慌ただしくなる現代人にこそ、一読してもらいたい本です。普段自分が日常の中で見えていないことや、感じていないことが見えてきますよ。
紙の本
こころにすぅっと響いてくる言葉
2013/11/03 22:42
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:akkonny08 - この投稿者のレビュー一覧を見る
私が生まれるずぅっと昔の、東京に暮らす著者の感じたこと、想ったことが綴られています。
ほっこりもするし、妙に不安な気持ちになるお話も。
著者は、きっとご自分の生活をなにげなく生きてはった方ではないのだろうな、と思いました。
偶然手に取った一冊ですが、ほんとうに開いて良かった。
紙の本
尻尾の気持ちを考える
2005/03/27 20:40
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:更夜 - この投稿者のレビュー一覧を見る
大正9年から昭和10年にかけて俳句雑誌「渋柿」の巻頭第一頁によせた随筆集です。
科学者らしい好奇心にあふれた目と「よそいき」でない日記のような、書簡集のような当時の風景を静かにながめている優しい視線が感じられます。
目はまぶたが閉じるのに、何故耳はとじないのか? 猫の尾の動きを見て、人間は尾を持たぬので「尻尾の気持ち」を想像するのは困難である、糸瓜をつくってみてつるの巻き方を興味深くながめる、東京の街のあれこれ、人からきいたほほえましい話、夏目漱石との思い出などなど、短いながらもやはり普通の人とは違う視点で色々なものをながめている寺田寅彦氏の姿が目に浮かぶようです。
夏目漱石の『我輩は猫である』も同じなのですが、明治、大正、昭和初期の日本の衣食住の様子がとてもおもしろく描写されていて、今と同じところ、違うところ…21世紀になった今読んでも全く古びていない新鮮な印象を受けますね。
俳句の雑誌に掲載された文章ですから、冒頭の言葉「なるべく心の忙しくない、ゆっくりとした余裕のある時に、一節ずつ間をおいて読んでもらいたい」とあります。なかなか「心の忙しくない」時間が少ない中で、心に余裕の出来る一冊です。
紙の本
真のフィロソフィカル・ドクター
2003/07/26 23:19
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:KAZU - この投稿者のレビュー一覧を見る
夏目漱石の小説にも度々登場する、科学者であり俳人でもある寺田寅彦博士の随筆集。時代は大正から昭和の初期にかけてのものであるが、現在読んでも全く色あせたところを感じない、まさしく名随筆集である。
寺田氏のX線回折による結晶解析の研究成果は、当時の日本の地理的要因から、惜しくも英国のブラック博士(豪州出身)に先を越されて、ノーベル賞もブラック博士の手に渡ってしまった。しかし、当時の世界最先端の自然科学分野の研究者の日々感じたことを、一生活者の視点を織り交ぜてエッセーにしているところは、圧巻であり、その意外さも新鮮に楽しめるのである。
思うに当時の「博士」は、文字通りPhD、つまりフィロソフィカル・ドクターであり、自然科学の研究が人間の社会的営みに直結しているのである。いつから日本では、自然科学が一部のマニアックな、そして視野の狭い「博士」のイメージに直結するようになったのであろうか。現代社会における理系離れ、そして「理系おたく」という作られたイメージが取り立たされる度に、本書、また寺田寅彦氏のことを思い出すのである。
「災害は、忘れた頃にやってくる」。そして、自然科学と社会科学の乖離は人々に決して幸福をもたらさない。寺田氏はそう私たちに教えてくれているのである。
紙の本
ぽりぽりかんでぴりぴりした辛さを味わう日本の名随筆。
2001/03/27 22:50
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ(JPIC読書アドバイザー) - この投稿者のレビュー一覧を見る
明治生まれの日本を代表する教養人の短文集である。
寺田寅彦は物理学者にして、夏目漱石に俳句の指導を受けた文学者、『吾輩は猫である』の寒月のモデルとも言われている。
カバーの折り返し部分に「自序」の抜き書きがある。
「なるべく心の忙(せわ)しくない、ゆっくりした余裕のある時に、一節ずつ間をおいて読んでもらいたい」
私は誠実な読者なので、スギ花粉がたくさん飛びかう春の佳き日にこの本を公園に持ち出し、わが子とその二人の友だちがきゃっきゃ、きゃっきゃと遊具で遊んでいるのを横目でときどき盗み見て、居眠りをはさみながら読んでいた。
『柿の種』というタイトルなので、裸足でかけ回る子どもたちが『さるかにがっせん』の猿であるかのような錯覚に陥った。
それにしてもうまいタイトルである。
1996年5月に発刊され、私がbk1で買った本が2000年5月発行のもので既に12刷。
図書館に行き渡り、講義のテキストに使われているとしても勢いがありすぎる。書店で年配の人がなつかしくて手に取るのだろう。著者の名は、若い人にはあまり知られていないと思うが、ユニークなタイトルに惹かれて手に取る人が多いように思う。
ぱらぱらめくれば、白地も多く、簡単に読めそうな量である。
しかしながら、タイトルの由来はどうも新潟名物の柿の種ということでもなさそうだ。俳句雑誌「渋柿」に寄稿していたものを中心に編んだから…、というしゃれっ気のようである。
もっとも短文の一節一節の最後の一行に、「おお、こうくるか」と読者をうならせる切り返しがあるものが多い。
ぴりりときく唐がらしのような味わいである。
「随筆」という感じでよそゆきに仕立てたものではない。「書信集か、あるいは日記の断片のようなもの」と著者自身が書いているが、それゆえかえってフランクに、頭に浮かぶ疑念や批判も書き下したのではないかと思われる。そのことについて、ぴり辛の柿の種のように…、という自意識がなかったとは言わせない。あれほどの人だったことであるし。
宇宙の秘密を解き明かしていく知の欲求としての科学が、生活に役立つことだけを目指す必要はないのだという認識が、世間から無用と考えられているものの例を引き合いにして、述べられているような箇所がいくつかある。
合理的であることと非合理的であることの間で、著者は大いに揺れたにちがいない。それは、自分の中に流れる科学者の血と文学者の血のせめぎ合いとして一般には受け取られるだろうが、秘密を解き明かしていく科学に内在する詩的なもの、文学的なものを見すえていたのではないかという気もする。
日常に不思議を発見することは、科学的姿勢でもありうるし、俳人的姿勢でもあると言える。
風呂で体にへばりついた女の髪の恐ろしさ、工事の都合で作られる曲線と直線から成る線路、サーカスの芝居にいた電気人形に扮した役者の動きなど、科学者と文学者の感覚が融合して観察・表現された文章にすっかり魅了された。
紙の本
詩情に溢れる科学者
2001/07/29 13:34
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:葉山 - この投稿者のレビュー一覧を見る
理系の文章という奴がある。簡潔、平明、直裁。論文慣れした彼等の文章は、必要最低限まで無駄が省かれるのだろう。美辞麗句に慣れた目には、無愛想なまでに言葉の少ないこの人の散文は酷く心地よい。蕩尽を尽くした文章も悪くない。でもできるなら、彼のように涼しい文章が書けるようになりたいと願う。
科学者、と先に述べたが、物理学の最先端を走ってきた彼は時に一風変わった研究もした。例えば、椿の花が何故何時も上を向いて落ちているのか、とか、硝子に鉄球をぶつけてその割れ目の走り方を見る、とか。ちゃんと測定し、海外の雑誌に論文発表もしているのだ。呑気な、と呆れたが、実を言うと羨ましい。自分で選んでおきながら、ひとつの分野に閉じこもってを続けていると、不意に息苦しさを覚える。ふと感じた疑問、魅惑を感じた些細な事柄、それを何故追求しないのだ?何時の間にか私は私を架空の枠組みに押し込んでいたらしい。そうだ羨ましがることは無い。汝の欲することを成せ、だ。
つらつらと述べてみると、なんだか難しい本のようだが、別段堅い話なぞ無い。そういう心の目のしっかりと開いたオジサンが、思ったこと考えたこと感じたことを日々綴った散文集であると纏めて終わらせて頂く。御清聴感謝。