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  • みんなの評価 5つ星のうち 3.9 66件
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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:1996.12
  • 出版社: 草思社
  • サイズ:20cm/334p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-7942-0741-7

紙の本

平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学

著者 M・スコット・ペック (著),森 英明 (訳)

自己正当化のため巧妙かつ隠微なうそをつく邪悪な人たちの心理とは。うそをつき、周囲に負担を強いる人々の心理を鮮やかに分析。具体例をあげながら、人間の悪の本質に迫るスリリング...

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平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学

税込 2,420 22pt

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商品説明

自己正当化のため巧妙かつ隠微なうそをつく邪悪な人たちの心理とは。うそをつき、周囲に負担を強いる人々の心理を鮮やかに分析。具体例をあげながら、人間の悪の本質に迫るスリリングな書。【「TRC MARC」の商品解説】

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みんなのレビュー66件

みんなの評価3.9

評価内訳

紙の本

邪悪な人は何処にでもいて周囲の人を傷つけている、という事実を伝える本

2006/08/10 10:10

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ポプリ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 著者は米国の精神科医であり、心理療法カウンセラー。
 私は嘘をつく事は悪い事だと信じていました。「嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれるよ」との表現通り、偽りは真実を隠して虚偽の世界を自分に都合よく描く、愚かで虚しく悪い行為であると思っていました。正直であることが当たり前と思っていました。
 大人になって、嘘も方便で、使い分けたりしてますが、基本的には、心の中に罪悪感があり「嘘を付く事」を一人恥じ入っていました。そして、誰もがそのようなものだと思っていたのですが、この本を読んで、その考えが覆りました。そうでない人がいるのです。
 身勝手な人は、他人を支配し貶(おとし)めることが面白くて止められません。そのためには、嘘をついたり騙したり欺いたり、あの手この手を使うのです。自分だけを愛するあまり、他人を受け入れる心の余裕を持たず、またそれを必要としないのです。過度のナルシストです。自分には欠点が無いと思い込み、意志が異常に強く、罪悪感や自責の念に耐えることを絶対に拒否し、他人をスケープゴートにして責任を転嫁し、体面や世間体を繕い、他人から善人だと思われることを強く望む…こんな邪悪な人たちがどこにでも普通にいるのです。
 私はこの本を読んで、今まで長い間、自分が苦しめられ悩まされていた理由がわかって晴れ晴れとした気分になりました。もし人から責められ傷つけられ続けて、苦しんでいる人がいたら読んでみると良いです。その相手の心の中の邪悪さが見えてきて、自分を守る方法が分かってきます。

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紙の本

自身の不完全性を否定する個人レベルの「邪悪」から、ベトナム戦争での虐殺事件隠蔽の集団レベルの「邪悪」まで論考した中身の濃い本。

2001/04/19 11:10

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:中村びわ(JPIC読書アドバイザー) - この投稿者のレビュー一覧を見る

 こんなに中身の濃い本がベストセラーになったのか−−売れている本をあなどってはいけないなと思った。

 人間の「悪」というものは大きな神秘であるため、還元的な方法をとる科学の対象としてふさわしくない、宗教的思索家が管理するものであるという判断が長くされていた。
 過去300年のあいだ宗教と科学は絶縁状態が続いてきたが、宗教的価値観や真理を除外した科学は、20世紀の後半になってあらぬ方角に進み、宗教と科学の分離は通用しなくなってきている。
 
 生(live)に対置する悪(evil)を取り上げ、心理学的に論考しようというのが本書の意欲的な試みである。著者は臨床の精神科医として豊富な経験をもつ人物である。

 たとえば、盗みを犯したり極端に成績が低下したことにより、子どもを伴って相談にくる両親がいるが、話しているうちにその原因が実は両親の異常な精神状態だということが判明してくる。
 自殺した兄が使用した銃を、次男のクリスマス・プレゼントとして贈ったという無神経な労働者夫婦。医者の勧めや息子の希望に反して転校をさせたくせに、「先生のお言葉通り息子を転校させた」と手紙を書いてきた上流家庭の母親。
 そうした人たちを相手に、できる限りの働きかけをして、それでも事態を打開できない節には「祈っている」という著者自身の苦悩も描かれている。

 精神科医が邪悪な人々を相手にすることの危険も述べられている。相談にきたある女性が、著者に恋愛感情を持ったがゆえ、ただ一緒に時を過ごしたいからという理由で、患者として抱えている精神的な問題の原因を特定できないよう、巧妙にうそをつき続けた例が挙げられている。
 「悪」には結局「愛」をもって当たるしかないのに、彼女に抱いてしまっ嫌悪感のため十分な治療に至らなかったことについて、真摯な告白がされている。
 何か精神力のベストを尽くして悪魔に対抗する「エクソシスト」の牧師様のような話である。精神科医が瀕するぎりぎりの状態と闘争が描かれており、身につまされるような感じすらした。

 終章は集団の「悪」について割かれている。
 1968年、ベトナムのソンミ村で非武装住民に対して行われた虐殺事件が隠蔽され、事件後1年以上たってアメリカ国民の知るところとなった。その事件の心理学的原因を究明する委員会のリーダーを命ぜられた著者が、専門化された集団の責任転嫁や、どこに隠れているかわからないベトコンへの恐怖のストレス、徴兵制でなく戦闘を好む志願兵が集まってできる軍隊の危険などについて論考を展開していく。

 自分の中にある「邪悪」を意識しながらも、かつて狭い会社の人間関係で邪悪な人、保身のためそれに追随する人々と接したことがある私には、著者の提示する理念型がことごとく納得のいくもので、恐ろしいぐらいであった。
 品性の高潔こそが、状況の悪化に影響を受けることのない能力だという記述は、自己管理にとって大切なものは品性の高潔であるとする経営学者のドラッカーの言葉と同じである。
 混迷の社会を生きるための支えとなる言葉に満ちた本だった。

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紙の本

いまのアメリカ合衆国とイラクとの関係をみていると、

2003/02/12 10:57

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:爪子姫 - この投稿者のレビュー一覧を見る

1996年末に発行されて1997年に人気を博していたこの本を、2003年のこんにち再び読み直す意義は大きい。読み終えてそう思った。

精神科開業医の立場から書かれた、人間のもつ邪悪性に関する本である。
著者を患者として訪れる「邪悪な」個人から話は始まる。
国家および人間集団が見せる邪悪性へと話がすすむ。
一見飛躍が大きすぎるように見えるが、この本が結論として主張していることを考えると、個人と国家の両方から人間を見ることは必要だったと納得できる。

難しい本である。この文章を書いている私が理解したところを簡単に整理してみる。

邪悪とは。人間のナルシシズムと怠惰に基づくものである。
邪悪は。嘘にはじまり、嘘につきる。
邪悪な人は。自分の欠点や抱え持つ問題点から目をそらし、責任を他者に転嫁する。
邪悪でなくなるには。自分の問題に立ち向かい、学習し成長すること。それは苦しい作業である。苦しみに耐える力を持つことで人は人らしく生きられる。

殺すのは人間だけではない。しかし殺すか殺さないかを選ぶのは人間だけである。
自由意志と訳されていたが、恣意というほうがわかりやすいかと思った(といっても原書を読んでいないのでそんなこという資格はないが)。
人間だけが持つのが、この自由意志である。
自由意志を持って、人間は善だけでなく悪も選ぶことがある。
前述のナルシシズムと怠惰が、その選択に影響を与えるとき、人は邪悪になる。

結論は、とても抽象的である。はじめから著者は自分がキリスト教に帰依していることを明言しているが、結びもとてもキリスト教的に見える。
しかしこの本のほとんど結びに近い部分で引用された「ひとりの年老いた聖職者の言葉」は、たいそう示唆的であり、異教徒(といっても私はふつうの日本人的無宗教者だが)にも理解可能に見えた。

大切と思うので、引用部分の全部を孫引きする。

  「悪に立ち向かうにはいくつもの方法があり、悪を征服するにはさまざまな方
  法がある。しかし、そうした方法は、いずれも、悪を封じ込める唯一究極の道
  は、意志を持った生きている人間の内部で悪を窒息(ちっそく=原文ルビ)さ
  せることだ、という真理の一面を示しているにすぎない。意志をもった生きて
  いる人間のなかに、あたかも海綿が血を吸収するように、あるいはその心臓に
  やりが突き刺さるように悪が吸いこまれたときに、悪は力を失い、それ以上生
  きつづけることができなくなる」
                  (第6章より。改行位置は変更しています)

それまでの展開のなかで、悪を破壊しようとしてうまくいかなかった話がいくつか紹介されている。上の引用は、悪は外在化して破壊するものではなく、人間の中へ吸収消滅させるものだと言っていると私は理解した。それは納得できる考えだ。

国家の、もしくは集団の邪悪を防ぐには、ひとりひとりの人間が悪の性質を理解して自分の中から悪を消すこと。これが必要なのだ。

この文章のタイトルは、もちろん1996年に翻訳出版された本書と直接関係するものではない。しかしいまを生きている私には深く関係することだ。
わたしたち日本人が合衆国の行動を止めることは、極めて難しいだろう。
しかし日本がなそうとしていることから目を離さずに、「民意」と異なることが行われようとするときには異議を唱えること、そのあたりから始めるべきなのだろうと、思った。

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紙の本

自戒の書

2010/09/30 00:36

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:BH惺 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 この書籍の重要なキーワードである「邪悪な人間」とは一体どのようなものなのか? 自分が理解した範囲内で特定してみると以下のような定義となります。

○他人をだましながら自己欺瞞の層を積み重ねていく「虚偽の人々」。 本文p91
○自分自身の罪悪感に耐えることを絶対的に拒否する。 本文p97
○他人をスケープゴートする、つまり、他人に罪を転嫁する。 本文p98
○「自分自身の良心の苦痛、自分自身の罪の深さや不完全性を認識すること」を苦痛に感じる。本文p102
○服従を拒否する意志、我を通そうとする意志が特徴の、悪性のナルシシズムを持っている。 本文p104

 これらの特徴を有している人々が、どうやら著者の言う「邪悪な人間」らしいです。しかも「邪悪な人間」はまったく普通の人の顔をして普通の生活をしている。そのことが逆に恐ろしいなと。
 逆に刑務所に入っているような、おおっぴら(?)な犯罪者の中にはこのような「邪悪な人間」はほとんど皆無らしい。

 著者は精神科医だそうですが、その彼の許に治療に訪れた患者達の様々な症例を挙げてます。特に印象的だったのが、抑うつ状態に陥った少年のケース。
 少年が重度の抑うつ状態になった原因というのは、本人あるいは外的要因のせいではなく、実は両親に起因しているというもの。実は両親こそが「邪悪な人間」達であり、真に治療を受けなければならなかった、というかなり衝撃の結末。

 親しか頼るもののない純真な子どもが、「邪悪」な両親、または彼らが作りだす劣悪な環境によって精神が圧殺されていくという症例が殆ど。
 その悲惨な幼児期の体験が成長後に抑うつ状態・脅迫神経症・クモ恐怖症(実際は母親恐怖症。母親をクモに置き換えている)・重度の神経症となって表れてくるのだから、何とも恐ろしい……。
 「邪悪」な親に育てられた子供は必然的に「邪悪な人間」に育ってしまう、という悪循環に理不尽な思いも。

 そんな「邪悪な人間」にならないために、近づかないためのアドバイスとして、著者はこの書籍を著したという。

 発売と同時に購入したのでかなり経ちます。
 人の親となって再読した今回、改めて感じたことは、自分の子供に対する接し方は間違っていないだろうか? 子供は自分という親に満足してくれているだろうか? という不安にも似た恐怖でした。
 この著書の内容を常に心の隅に留めて、自らを戒めたいなァとつくづく思ってしまったのでした。

BIBLIO HOLICより 

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紙の本

ネットのコミュニティの利用者は読んでほしい

2002/06/03 04:17

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:トリフィド - この投稿者のレビュー一覧を見る

Web掲示板やメーリングリストなど、ネットのコミュニティを利用
している人は、きっとこの本で取り上げているような邪悪な人々を
見たことがあるはずだ。平気でウソをつき、責任を転嫁し、ごまか
し、中傷しと、悪びれた様子もなく悪辣な行為をつづける。そして
困ったことに、そういう邪悪な人間がいることが理解できず、結果、
そういう人に、いつまでも、いつまでも、いつまでも、そう何年に
も渡ってまわりに迷惑をかけながら愚弄されつづける人もいるのだ。
こういう状況は、しばしばそのコミュニティ自体を崩壊に導く。

そういうわけで、この本は、そういう状況に遭遇した人に、首根っ
こをつかんででも無理に読ませたい本のひとつである。

ネットで困った人に遭遇した人は、その人をいじろうとする前に、
自分が目にしているものが何なのか、この本を読んで理解してもら
いたい。

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紙の本

悪を考える

2001/03/15 16:29

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:桐矢 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 この本は、副題にある通り、「虚偽と邪悪の心理学」の本である。「悪」に関しての心理学は、今までほとんど研究されていなかったという。人が生きていく上で、避けて通れない問題であるにもかかわらず。
 精神科医である著者が臨床の場で出会った、邪悪な人達についての、具体的な例が挙げられている。うそをつき、人を踏みにじり、己の欲を満たそうとだけする人々は確かに存在する。
 著者は、キリスト教信者としての立場を隠そうとしていない。悪が行き過ぎた利己心の行使であるとするならば、自由意志の意義について考えざるをえない。
 「私自身の見方にしたがえば、自由意志の問題は、(中略)パラドックスである。一方では自由意志という一つの選択がある。(中略)その一方ではわれわれは自由を選ぶことが出来ない。そこには、二つの状態があるのみである。神と善にしたがうか、それとも、自分の意志を超える何者に対しても服従を拒否するかである。この服従の拒否こそが、とりもなおさず、人間を悪魔の力に隷属させるものである。結局のところ、われわれは、神か悪魔のいずれかに帰依しなければならない。私は、善にも、また完全な利己心にもとらわれることなく、神と悪魔のまさに中間にあたる状態が真の自由な状態ではないかと考えている。しかし、この自由はばらばらに分断される。これは耐えることの出来ないことである。われわれは、いずれに隷属するかを選ばなければならないのである」
 この考えには、私自身は、そのまま賛成は出来ないが、キリスト教者として、ある種タブーであったはずの、悪を、真正面から、受け止めて、それを考えてみようとした著者の勇気をたたえたい。邪悪な者に対抗する手段として、著者は悩みつつも、「愛」しかないのではないかと言う。「醜悪な(中略)カエルが王女にキスされて王子に変身する神話は今も生きている。(中略)愛の基本原理はいかにして働くのか、いかにしてそれがいやしを起こすのか、私には正確なところはわからない」
 ここのところ、私の記憶によれば、王女は、カエルを壁に投げつけ、それで、カエルは王子に戻ったような気がするのだが、そうならば、話は、まったく逆になってしまう。邪悪なものに対して、われわれは、キスするべきなのか、投げ捨てるべきなのか?
 私にも、その答えは分からない。

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2005/09/04 20:34

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2005/05/22 02:25

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2005/06/14 15:12

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2005/10/10 15:02

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2005/11/28 11:46

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2007/03/29 14:51

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