母の発達
著者 笙野頼子
殺しても母は死ななかった。「あ」のお母さんから「ん」のお母さんまで、分裂しながら増殖した-空前絶後の言語的実験を駆使して母性の呪縛を、世界を解体する史上無敵の爆笑おかあさ...
母の発達
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商品説明
殺しても母は死ななかった。「あ」のお母さんから「ん」のお母さんまで、分裂しながら増殖した-空前絶後の言語的実験を駆使して母性の呪縛を、世界を解体する史上無敵の爆笑おかあさんホラー。純文学に未踏の領野を拓いた傑作。
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母は世界だ宇宙だ
2006/12/16 22:31
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:SlowBird - この投稿者のレビュー一覧を見る
抑圧的な母親の下で異常をきたし始める少女の世界を描く「母の縮小」、そしてその続編「母の発達」「母の大回転音頭」の三連作。視野の中で母が縮んでいき、さらに映像の歪みが拡大して行き幻想と区分が無くなって行く過程は、一応その、現代に対する告発という文脈でも読むことが出来ないではない。娘にとってのロールモデルたる母親の影響力、密着の強さは、破綻に瀕した場合の破壊力の大きさが窺えようというものである、などという理屈を浮かべながらでも。本作でのそれは前近代的な女性の生き方を押し付けるというのとは逆の、女医になる以外は職業として認められないという立場での、娘にとってはなおさらに逃げ場を作れない種類のものであるゆえの深刻さがあり、それは愛情と隙の無い論理を持って専制君主のごとく心身ともに支配力を発揮する人物像によって徹底的に現実化される。
しかしその辿り着いた先にあるのは、ついに家を出られないままで老いに向かうかつての少女が幻視する、発達する母、そして近所のカラオケ教室の先生に作曲してもらったロックのリズムで大回転音頭を踊る母という、恐るべき未来だった。
この幻想の特異性は、ありえないことをリアルに、ビジュアルに感じさせようとするファンタジーのための描写テクニックで語られるのでなく、言語の可能性だけによって組み立てる方法を用いられていることにある。例えば筒井康隆の「虚構船団」「残像に口紅を」のスタイル。その力により、かつて自分の価値観に固着していた母親は、可能性の赴くままに無数に分裂する。保守的であり先進的であり、巨大であり微小であり、理性的であり激情的となる。
解説で斎藤美奈子は、これを母性の解体と呼んでいるが、同時に母性の強大化とも見ることが出来るのではないだろうか。娘にとって、母と自分の母性が解体されるか、遍在化するか、それのどちらが幸福をもたらすかを判定できるだろうか。むしろそれらのイデオロギーを相対化してしまうことが、この小説の笑いによって成し遂げられているように思える。撒き散らされる毒は、それを理性で解読されることを拒否し、ただ爆笑の快感を感じられる者だけに救いをもたらすのではないか。
エキセントリック母娘
2003/06/12 10:58
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:PNU - この投稿者のレビュー一覧を見る
抑圧されて育ったゆえに自立出来ない娘と、子供が幾つになろうと自分の支配下に置いておきたい母との窒息しそうな暮らし。親子関係は、娘が反逆の行動を取ったときから大きく変わりはじめ…。
「母の縮小」娘を女医にしたい母。しかし娘は、学力&精神的に限界を感じていた。母のいびりに追いつめられた娘は、視覚に異常をきたしていき、縮みゆく母を幻視する!
自分は主婦なのに、娘には医者になれという家の専制君主「おかあさん」。私も過干渉の母に育てられたゆえ、「母のその日の機嫌が私の幸不幸のすべてを決定する」って気持ちわかりすぎ。
リアルな設定から始まった物語は、どんどんシュールさを増してゆく。小説だもの、たとえ家の女帝の「おかあさん」にだって何をしてもよいのだ、たぶん。
「母の発達」親戚に電話をかける娘。なぜなら、「おかあさん」が…「おかあさん」を私が…。
どんどん物語はムチャクチャになっていくが、その破天荒ぶりが面白い。荒唐無稽でいて、グサリとくる本当のことが書いてあるから油断がならぬ。
「母の大回転音頭」変化した「おかあさん」が旅に出る…孤独な娘は母を探すが。
これは単なるおおぼらか、それとも世界を創る神話なのか? 隠しテーマは親子愛なのか? 筒井康隆もかくやの怒濤の描写に惹きつけられる!
娘と母の3編
2017/04/15 04:18
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
親子の関係を縮んでしまった母親という奇妙な視点から描いている。ルテーナなど肉体への嫌悪感が伝わってくる。
そうだったのか三重県民!
2015/08/25 15:48
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:sin - この投稿者のレビュー一覧を見る
そうだったのか三重県民!などとだまされてはいけない。血液型で断定する性格判断のような県民性は作者自らの出自を、いや語られる描写と大差のない日本国民を貶める為のものであって、そこには文中で語られる母性の破壊との共通点が見られる。同じ女性性である母の破壊はあまりに現代的な私小説であり、50音を羅列し語られる物語は物語それ自体を破壊し読む者にとって、もはやお経の世界である。このすんばらしい垂れ流し私小説をこの世のすべての女性にそして女性な男性に読んでほしい。いや仏壇の前で朗読して聞かせてあげたい三重弁でw
言葉の奔流
2002/07/21 13:42
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:よんひゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
解説を斎藤美奈子が書いてるから、というわけではないが、やはりこれは、女性であることが大きなテーマになっている作品だと思う。母と娘の葛藤とはいっても、子育て云々ではない。育てることを否定した母の話なのだから。
などと、理屈っぽく解説しようと思うと、いろんな読み方ができるが、とりあえずは言葉の奔流に身をゆだねるのがよい。不思議な快感。