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存在の彼方へ (講談社学術文庫)
フッサールとハイデガーに現象学を学び、フランスに帰化したユダヤ人哲学者レヴィナス。戦争の世紀の証人として生き、「平和とは何か」の問いを極限まで考察したレヴィナスは、本書に...
存在の彼方へ (講談社学術文庫)
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商品説明
フッサールとハイデガーに現象学を学び、フランスに帰化したユダヤ人哲学者レヴィナス。戦争の世紀の証人として生き、「平和とは何か」の問いを極限まで考察したレヴィナスは、本書において他者への責任とは他者の身代りになることだと説く。「存在と時間」(ハイデガー)以降最も重大な著作とされ、独自の-他者の思想-の到達点を示す大著の文庫化成る。【商品解説】
目次
- 第1章 存在することと内存在性からの超脱
- 1 <存在>とは「他なるもの」
- 2 <存在>と内存在性の我執
- 3 <語ること>と<語られたこと>
- 4 主体性
- 5 <他者>に対する責任
- 6 <存在すること>と意味
- 7 感受性
- 8 <存在>と<存在>の彼方
- 9 主体性は存在することの一様態ではない
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とりあえず読み始め。
2024/02/04 06:34
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:L療法 - この投稿者のレビュー一覧を見る
とりあえず読み始め。
別の何かという、捉えどころのない、捉えた瞬間に別のということがすり抜けてしまうものについての、めんどくさい考えから始まる。
フッサールに比べればわかりやすいものの、かなり難解。
それというのも、言葉の壁の向こうにあるもの、認識することの向こうにあるものを認識し考えようって、無理筋の試みを行なってるからだと思われる。
認識できないものを、存在とは別の在り方の存在と考えているようだが、これを捉えることは、別の外側が発生して、無限に後退してしまうのではないか。そう言った構造を捉えようとしているのか。
答えに辿り着けないような仕組みを自ら設けて、問いかけている本のようです。
*
時間がなければ、存在も認識もあり得ない。
そして、時間は常に隔たっている。
今この瞬間はすでにしてしばらく前と結びついている。
注意力を弛緩させてはならず、厳密性を疎かにしてはならないと、求められているのだが、そいつは難しいね。
*
芸術が持つ力から味覚の話まで、レヴィナスの話は多岐にわたる。
善良さをめぐることなどに、宗教的な信念を感じる。
論理的に詰めていくというより、あるべきだ的なものが浮上してるというか。
とにかく最低限フッサール、できればデカルト、ヘーゲル、ハイデッカーあたりは読んでないと太刀打ちできないっぽい。
ギリシャの哲学やカントもか。
何周かそこらへん経巡ってそれから読む本なんだろう。
無理やり読み進めるけど。
*
半分あたりから、ついていけなくなってくるが、三分の二あたりから、神をめぐる話に。
突然神が出てきたのではなく、初めからそういった流れがあり、次第に形をなしていった、神の輪郭が姿を表す。
そういった手触りがあるが、私は無信仰なので、ここで鮮明な景色を見ることはない。
神を信じるものならば、それがなんであれ、エウレカ!と叫ぶのではないかという気もする。
この炙り出しは、なかなかすごいのだが、全部気のせいかもしれない。
この本は難しい。
*
レヴィナスに曝露する。
紙の本
「他者への責任とは他者の身代わりになること」と説いた哲学者レヴィナスの代表作です!
2020/03/14 11:24
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、ユダヤ人哲学者エマニュアル・レヴィナスによって著された名著と言われる一冊です。レヴィナスはフッサールやハイデガーに現象学を学び、その後、「平和とは何か」ということを継続して考察してきた人物です。師であるハイデガーが『存在と時間』を著して以降、レヴィナスの同書も世界から注目を浴びました。同書において、レヴィナスは「他者への責任とは他者の身代わりになることだ」と説き、大きな反響を呼んだとも言われています。この名著を邦訳した同書は、レヴィナスの思想を分かり易く読者に伝えてくれます。「第1章 存在することと内存在性からの超脱」、「第2章 志向性から感受することへ」、「第3章 感受性と近さ」、「第4章 身代わり」、「第5章 主体性と無限」、「第6章 外へ」といった内容から構成されています。