あのころはフリードリヒがいた
著者 ハンス・ペーター・リヒター , 上田真而子
ヒトラー政権下のドイツ,人々は徐々に反ユダヤの嵐にまきこまれていった,子どもたちさえも…その時代に生き,そして死んでいったユダヤ少年フリードリヒの悲劇の日々を克明に描く.
あのころはフリードリヒがいた
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目次
- もくじ
- 生まれたころ(一九二五年)
- じゃがいもパンケーキ(一九二九年)
- 雪(一九二九年)
- 祖父(一九三〇年)
- 金曜日の夕べ(一九三〇年)
- 入学式(一九三一年)
- 学校からの帰りみち(一九三三年)
- とめ輪(一九三三年)
- ボール(一九三三年)
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自分自身も「加害者になってしまう普通の人」と考えることから
2006/04/10 12:02
12人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ヒトラーの時代。同じアパートに住み、同い年なので家族ぐるみ親しくなったユダヤ人の少年フリードリヒと家族におこる変遷が、主人公の少年を通して描かれます。そのころ少年だった著者自らの体験から綴られた物語です。
戦争体験を綴るとき、ややもすれば感傷的になり、加害者であったとしても「仕方がなかった」「ほんとうはそうしたくなかった」などの言葉が出てきがちではないでしょうか。生き延びた自分を納得させ、保っていくために、そう言ってしまうことも必要なのだと思います。でも、このお話は淡々と、そういう言葉をださないように書かれています。それだけに、戦争が一部の人だけでなく、普通の人たちをどのように動かし、普通の人たちにどのように動かされていくのか、がはっきりと描き出されています。
お話の中心であるユダヤ人の扱いについても、街でユダヤ人を差別する言葉が聞かれるようになると、なにかおかしいと思いながらも、皆自分たちが仲間はずれになることの怖さに差別に加担するようになっていきます。その変化が穏やかに、少しずつ進んでいく様が描かれています。特に恐ろしく感じたのは近くのユダヤ人の商店が襲撃され、破壊されるのを見ているうち、主人公の少年が自分もその中に入ってしまうところ。「全員が一緒になってやっていた。すべてが奇妙に気持ちを高ぶらせた。」この高ぶりは主人公がまだ少年であったからというわけでもないでしょう。そんな少年も、友人のユダヤ人少年のアパートの部屋が同じように壊されたときには破壊に参加できず、「泣くばかりだった」という一面を持っているのです。
日本でも、何かの事件があったとき、一部の差別される人を確たる証拠もなく攻撃したことがあります。現代でも、花見や祭りの興奮で喧嘩をしてしまう人はいます。すぐに殺傷事件に至ってしまう昨今の状況にも通ずる「加害者になってしまう普通の人」というものを教えてくれるお話だと思います。
「こんなこともあった」と過去の「お話」にしてしまわず、どうしていったらよいのか、を問い続けなければならないのでしょう。このお話にはその答えは書かれていません。「自分は違う」と考えるのではなく、「自分もその一人」と思うことから始めないといけないかもしれません。
著者は続編として、ヒトラー・ユーゲントに入った頃の「ぼくたちもそこにいた」、従軍から敗戦までの「若い兵士のとき」を著しています。日本の同時代を描いた手記などと合わせ読むと、戦争に向ってしまう普通の人間の心理状況には国を超えて共通するものがあることがこの3作品を読むと見えてくるようです。
少年向きなので文字も大きくわかりやすいですし、短時間で読み終えてしまえますが、読み取れる内容は重く複雑です。
失ったものと手に入れたもの
2015/10/07 03:54
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
ユダヤ人の少年フリードリヒとドイツ人の「ぼく」は立場を超えて友情を深めていく。しかしナチスによって支配された時代を下で徐々に引き裂かれてしまう。著者自身も第2次大戦によって左腕をなくした。たくさんの大切なものを失うことによって、初めて本書のようなやさしさ溢れる1冊を残すことができたのではないだろうか。
悲劇
2016/12/19 14:01
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ぽんぽん - この投稿者のレビュー一覧を見る
ユダヤ人の少年フリードリヒを主人公少年の目線から。
当時のことが想像できる内容でよかったです。
辛く悲しい物語ではあるけど、読んでもらいたいです。
自分を免責しなかった作家、リヒター。
2000/08/16 16:14
9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ひこ・田中 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ぼくとフリードリヒは幼馴染。互いの両親も親しい。ぼくはドイツ人で、フリードリヒはユダヤ人だけど、もちろんそんなことは関係がない。ナチズムが台頭してくるまでは・・・。
両方の家族で一緒に撮った写真がある。細長い胴の木馬にみんなでまたがって笑っている。でもこのときの写真代、大不況でお父さんが失業中のぼくの家では出すのが難しいくらいだった。
ナチスのヒットラーユーゲントはカッコよくてぼくたちの憧れの的。少年団に入ることにしたけれど、その場でぼくとフリードリヒは、ユダヤ人の悪口を聞かされる。それでもぼくは少年団に残る。
お父さんはナチスに入党することで職を手に入れる。生きるために誰もがしていたことだ。けれどそれがフリードリヒたちユダヤ人を追い詰めていく。
ぼくたちもまた、手を汚しているのだ。
後にクリスタルナハトと呼ばれる、ユダヤ人商店の焼き討ち事件。ぼくのよく知っている文具店も襲われる。興奮した群集に促され、ぼくもまた、その店に石を投げていた。
そう、子どもであるぼくもまた手を汚している。
やがて両親は連行されていき、かろうじて難を逃れたフリードリヒだけど、誰も彼に助けの手を差し伸べない。
ぼくも、出来ない・・・。
この本を読んだとき、児童文学者が自身の戦争体験を、どう伝えるかの一つの答えを見せてもらった気がしました。当時子どもであったのだからと免責されるのかもしれない。けれど、リヒターは作家として、そこをあいまいにしておくことは出来なかったのでしょう。自らを免責することなど。
暗い話なんですが、読後に残るのが絶望でなく希望なのは、それ故なんですね。
傑作です。