紙の本
教養の書
2016/12/09 13:44
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ももたろう - この投稿者のレビュー一覧を見る
岩波文庫にこの本があるのは当然のことだ。
ノーベル賞受賞者はどの人も素晴らしいのだろうが、
やはり、科学の分野の人は文句なしに素晴らしい。
戦前戦中戦後という激動の時代は物に餓え、学問をする環境に餓え、あらゆるものに飢えた時代だった。
それを生き延びて、その貧しい環境でも学ぶことへの執念を燃やした朝永振一郎は湯川秀樹とともに、賞賛されるべきだ。
今ではインターネットが普及し、計算は機械任せ、データ処理も機械任せ、文献収集も機械任せ、果には、コピペして論文を出す者が多数いる。
それがマスコミを賑わす、なんという情けないことか。
本物の教養とは、強い信念と誇りに基づく自己の鍛錬からしか得られない。
「今の子ども」「今の学生」と朝永振一郎は論じている。
それぞれ昔と比較すると、いい面も悪い面もあるが、
やはり、本来の日本人の美徳がなくなってきたということだろう。
1970年台の初めの文章に「情報過多のこの時代」とあるが、
もし、朝永振一郎が今を生きていたら、どういうだろうか。
屑のような情報ばかりの中から、本当の真実を見つけることは難しいことであるが、体に真の教養が蓄積されていれば、本当に価値あるものだけが光って見えるのかもしれない。
朝永振一郎は尊敬する人の一人である。
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本物の教養人とはこういう人
2016/01/31 11:00
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ミカちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
朝永振一郎という名は知っていたが、こんなに魅力的な人だとは知らなかった。
頭脳明晰なだけでなく、教養が深く、科学の発展に尽力しようとする志のある人だ。
同世代の湯川秀樹氏と自身を比較し、しばしば、湯川は天才だが自分はそれに及ばないというような謙遜ととれる評価をしているが、決してそんなことはない。いや、本物の才能を持つこの人だからこそ謙虚に湯川氏の偉大さを認められるのかもしない。
この人は科学についても決して尊大な態度を取らない。
科学の道を志す人に是非読んでもらいたい。
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この本を読んでいると、何だか田中さんて言う人だけがおかしいわけじゃあない、ノーベル賞をとる人はどこか変わっているんだ、と納得するね
2003/04/02 20:13
4人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
下手の横好き、めくら蛇に怖じずとでもいうのだろうか、易しい科学エッセイとか誰にでも分る数学という謳い文句の本をみると、買いたくなる。そして、読んで後悔するのもこれらの本。知りたいという欲求と、理解力との間の大きな溝。といっても、科学者や数学者が書いた自伝やエッセイは、哲学者のそれと違って不思議なくらい読みやすいものが多い。朝永振一郎のこの本も、そういう一冊だ。
全体として、病弱だった幼年時代から大学生活にかなりの頁が裂かれている。正直、何でこんなに体が弱い人が長生きし、ノーベル賞をとるまでになったのか不思議なくらい。また戦前、俊英が集ったという理化学研究所への朝永の度重なる言及に、日本の物理化学の青春時代への熱い思いを感じる。そしてノーベル賞の授与式の様子や講演旅行、バッキンガム宮殿での悪戯。今の私たちには、田中さんという格好の人がいるため、この本の記述が本当に身近に感じられる。
この本で感心した逸話が、オランダのゾルデ海の水防計画。海にダムを作るというのは世に疎い私には初耳、1918年にその検証のために、あの有名な物理学者ローレンツを委員長に起用したというから凄い。理由は、万一堤防の高さの設定を間違えれば無駄な予算を使い、逆の場合には国民へ計り知れない被害を与えるからだという。北方のワッデン諸島とダムとの潮位の計算に八年の歳月をかけ、その計算の正しさは暴風時に証明される。オランダ人のこの時間の使い方に感心する。しかし、そのダムは今もあるのだろうか。写真くらい載せて欲しかった。
「安全だから安全」「必要だから必要」という一言で推進されてきた現代日本の国家事業のあり方を思うと、彼我の姿勢のあまりの違いに言葉も無い。なんと言っても80年前の話なのだ。湯川秀樹博士との核問題への取り組みも、抑止論という政治家のことばに乗せられてしまう各国の物理学者たちの未熟な議論を描くことで、その限界と真摯さを教えてくれる。ここらは、ブッシュの好戦的な言葉に踊る自民党の発言と絡めてみれば、リアルタイムで面白い。年下の湯川秀樹の傍若無人ぶりは、ご愛嬌かもしれない。
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重要な問題の本質をズバリと抽出しているエッセイばかり
2000/11/09 12:20
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投稿者:佐倉統 - この投稿者のレビュー一覧を見る
もちろん直接会ったこともないのだが、朝永振一郎には何となく漠然と好感をいだいていた。その印象の拠って来る所以が、このエッセイ集を読んでよくわかった。専門分野に限らない幅広い教養、相手のことを慮る優しさ、誠実さと謙虚さに裏打ちされた知性、心地よいユーモア。
おさめられたエッセイは、書かれた年代も1950年代から最晩年の1970年代末にまで及び、話題も物理学者の横顔から理科教育、科学と社会の関係、さらには紀行文と幅広い。しかし、何十年も前に書かれたものであるにもかかわらず、その内容は今なお新鮮で、重要な問題の本質をズバリと抽出しているものばかりだ。たとえば、知的好奇心をのばす教育の重要性を強調したり、科学と科学者が独善に陥ることを鋭く戒めたり、科学ジャーナリズムのあり方に苦言を呈したり。そのどれもが、今日でもそのまま通用する。朝永の慧眼を讃えるべきか、問題点を指摘されながら変わることのない社会の蒙昧を責めるべきか。
ぼくがとくにおもしろく読んだのは「ゾイデル海の水防とローレンツ」。オランダの理論物理学者ローレンツが、ダム建設の影響を測定するプロジェクトを指揮した顛末が紹介されている。基礎科学は土木事業においても必要不可欠なのであり、そのことを喝破してローレンツを起用したオランダの政治家と行政の懐の深さは称賛に値する。このプロジェクトは、なんと8年もかかって困難な計算と予測を成し遂げ、暴風雨でも破られない堤防を、予定よりはるかに低廉な費用で可能にしたのだった。科学は社会のインフラなのである。
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好奇心について、「付和雷同であってはダメだが好奇心(mental curiosity精密あるいは精緻を好む)を持ち、知的な飢えを持つことが重要」
数学について「全体系を作り上げるのに何故一つ一つの定理がそういう順序で積み上げられねばならないのか、その数学が作られたときの数学者の心理に少しでも近づかないとわからない」
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朝永さんの人柄の温かさ、ユーモアに、読みながらにこにこしてしまいます。
柳のようにしなやかだけど芯の強い人、という印象。
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図書館で借りた。
『量子力学と私』よりも物理以外の話が多く取り上げられている。
『物理学読本』の記述にあたって、ではどのように物理を教えたらよいかについてカリキュラムのように書いている。こんな授業を受けられたら面白そうだと思う。
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内容的に古いものもがるが,考え方は今でも参考になる。
2012/06/28引越しで整理した人からの貰い物;10/10からパラパラ読み始めた。途中1年くらい中断して,2013/10/16に読了
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科研費の季節になるとこの本のことを思い出します。
「科学者の自由な楽園」ってなんだろーなぁ、と。
研究費が潤沢でもそうでなくても、自由な発想で研究したい。
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中央図書館で読む。数学の部分は面白かったです。理解しなくとも、覚えてしまう。数学者は全て理解しているのでしょうか。平凡ですが、非凡な感想です。
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オランダは度々大洪水に見舞われた。対策には北海と本土を繋ぐゾイデル海を堤防で塞き止める必要があった。堤防が低いと意味を成さないし,高いと国費の乱出になる。時のオランダ政府はPJの責任者に大物理学者ローレンツを据えるという大英断を下した。彼は潮の動きを様々な地点で観測し,モデルを作って実験実証し,少しずつ規模を拡げて,実際に必要な堤防の形状,高さを割り出して,政府に報告書を提出した。その間実に8年。地質学者の意見は無視され,原子力工学者は政府の御用聞き。原発再開に突き進む日本では朝永の言葉がどう響くだろう。
STAP細胞のみならず少し前のスパコン「京」問題など、理研が下世話な騒動に巻き込まれるのは今に始まったことではない。戦前と戦中は理研コンツェルンを作り、サイクロントロンも持っていた。GHQの命令で組織も機械も解体せざるをえなかったことは当時の研究者にはどんなに無念だったろう。朝永は仁科芳雄に招かれて理研へ入った。何故この研究所が作られたかを始め、弟子たちがノーベル賞を授賞することになる坂田昌一らとの交わりが語られる。いつの時代だって研究とは厳しいもので、ゆとり教育世代に責任とらせるのは酷だ。
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昔自然科学系の科学者が好きになった時期がある。(自然科学自体は微妙だったが。。)なぜなら、一人ひとりがとても個性的だったからである。
朝永先生もそのおひとり。
寄席が趣味というくらいなので語り口が軽妙で、おたまじゃくしについてのエッセイは面白かった。
物理の教科書の部分はよくわからなかったが、紀行文など、また読み返したい。
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[夜更けて聞こえてくる内気な声は、蛙たちの歌う恋の歌なのだ。」こんな一文が、物理学者のエッセイに出てくるとは。学者から連想される堅苦しさを一切感じさせない、純粋な好奇心や愛に溢れた、なんとも人間らしいエッセイ
「私と物理実験」の章では、子供の頃おもちゃの顕微鏡の倍率を上げるため、ガラス管の切れ端を使い対物レンズを作り、古井戸の中のムシを観察していた話。今もなおそうした'手回りのものを使ってモノづくりをする’喜びを、子供と体験しているエピソードから、純粋な発明の喜びが伝わってくる。
「おたまじゃくし」は、大量発生したおたまじゃくしを近所の子供たちにあげる話だが、子供との交流、その詳細な描写に自然や子供への暖かな愛を感じる。
父親の書斎に忍びいり好奇心を育んだ幼少期の思い出にはじまり、政治や教育に対する示唆など、様々な分野について軽快に、しかし明確な姿勢をもって語っている。 30年以上前に書かれた本だが、彼の「好奇心」や「科学の方向性」についての解釈は、現代に通ずる示唆に溢れる
●科学について
・「科学とは、国の金を使って科学者の好奇心を満たすことだ」 ―イギリスの科学者の発言が、彼の科学に対する見解を代弁するものとして繰り返し登場する。 赤ちゃんが"なんでなんで"と親を質問攻めにするように、人間は本質的に好奇心を備えている。科学は、自由な精神活動から生まれる、こうした好奇心に基づく。
役立つ発明によって生活を豊かにする、というのはあくまでも結果に過ぎない。科学は、功利的な価値によらず、芸術のような一つの独立した価値体系として捉えられるべき
芸術家のパトロンは、"高給を与えるから良い作品をつくれ" という関係性ではなく、あくまでもpatronage「保護」という視点にたっている。 科学もまた “大発見をしろ” と資金を与えられても前進するわけではなく、芸術におけるパトロンのような視点にたった資金環境を整えるべきだ。
・かといって、好奇心に基づいて個人の好奇心を満たすだけでは科学は前進しない。『科学が科学者の個人的な天才は熱情だけで推進されたことは、厳密にいえば、いつの時代もなかったことかもしれない。』 科学の発展にともない、非常に広い視野で物事を捉える力が要求されるようになった。 それは科学者一人では達成が困難で、専門外との知恵の交流により、衆知を集める必要がある。アカデミックと社会が隔たれた環境では、いくら天才が生まれても、科学の繁栄に繋がらない。
・朝永氏は理研に所属していた。タイトルの「科学者の自由な楽園」とは、設立当時の理研を表している。
当時の理研は、若い研究者が偉い教授をめちゃくちゃにやっつける、そんな形式的な礼儀なしに討論し合える自由な雰囲気があった。 学閥や個人の研究に対する制約も少なく、予算や人員も自由で、まさにそこは「自由な楽園」であった。
義務があると、形式的にそれを果たすだけで良心が満足してしまう。しかし、自由な環境にあるがゆえに、人々は良心に基づく自主的な研究意欲に溢れていた。 よい研究者たちが研究をした��となる意欲をそそる環境を整えることを何より重要視し、そして人間の良心を信頼し全く自主的に自由にやらせてみる。 『よい研究者は、何も外から命令や指示がなくても、何が重要であるか自ら判断できるはずである。』
●好奇心について
・人間は皆、好奇心を備えている。どうしたらそれを知的な欲求として鈍らせずにいられるだろうか? 彼は、戦後の記憶から好奇心は知的な「飢え」が必要である、と唱える。ドイツ語には「Wissensdurstig」「thirsty for knowledge」という表現があるそうで、これがまさしく好奇心を表す。
くだらない間食をし、食欲を失って肝心な栄養のあるものを食べられなくなるのと同様、 自分の知的な欲求がどこにあるか、必要なものを見極め選択すべきである。
科学に繋がる知的好奇心は「徹底的に、精密かつ緻密に追求」する探究心であり、大勢の人がやるから自分もやるという付和雷同性ではない。情報過多社会においては、知的な飢えを作るため、情報を見極め選択する能力を養わなくてはならない。
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大栗博司が文中で記載していた本である。朝永の生涯のエッセイである。あとがきは長いがこのエッセイの付け足しである。講演の記録が多いのでたやすく読める。
卒論とは関係しないが、物理以外の人にもおすすめの本である。
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量子力学磁力学の「くりこみ理論」で1965年度のノーベル物理学賞を受賞した理論物理学者によるエッセイや講演内容をまとめた本。
文章が非常に明快だ。
パグウォッシュ会議の歩みと抑止論という題名の文章がとくによかった。
冷戦時代に東西の物理学者たちが平和を目指す国際会議を開いていたとは知らなかった。