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紙の本
星野道夫を読み進んで
2017/09/16 05:47
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ペイネズグレー - この投稿者のレビュー一覧を見る
星野道夫を読み続けている。
『旅をする木』に始まり、『長い旅の途上』『魔法の言葉』へと進んだ。
『長い旅の途上』に載る「クマの母子」という話に「生命のたたずまい」という言葉がでてくる。この言葉は、調査のため、冬眠する二頭の子グマとその母グマを雪の下に捜し出し、調査を終え、母子が眠る空間を埋め戻したときの心情とともに記されている。
” 私はいとおしくてならなかった。この小さな空間で、じっとうずくまりながら春を待つクマが、である。そこには、原野を歩く夏の姿より、もっと強い生命のたたずまいがあった。”
星野は二つの時間を意識していた。
「悠久の自然」には、彼をアラスカへと導いた十代の頃の不思議が以下のように綴られる。
” それはヒグマのことだった。自分が生きている同じ国で、ヒグマが同時に生きていることが不思議でならなかった、…中略…満員電車に揺られながら学校に向かう途中、…中略…今、この瞬間、ヒグマが原野を歩いているのかと……。”
そして、文は続く。
” 日々の暮らしに追われている時、もうひとつの別の時間が流れている。それを悠久の時間と言っても良いだろう。そのことを知ることができたなら、いや想像でも心の片隅に意識することができたら、それは生きてゆくうえでひとつの力になるような気がするのだ。”
彼の悠久の自然への憧憬は『旅をする木』に記載された「トーテムポールを捜して」の中で、次のように昇華する。
” 彼らはその神聖な場所を朽ち果ててゆくままいさせておきたいとし、…中略…トーテムポールを何とか保存してゆこうとする外部からの圧力さえかたくなに拒否していった……。
人間が消え去り、自然が少しずつ、そして確実にその場所を取り戻してゆく。悲しいというのではない。ただ、「ああ、そうなのか」という、ひれ伏すような感慨があった……。
もし人間がこれからも存在し続けてゆこうとするのなら、もう一度、そして命がけで、ぼくたちの神話をつくらなければならない時がくるかもしれない。”
私が飼っているシマリスは、秋の終わりにカミリス(噛みリス)になる。部屋のそこここに貯めている食料を狙う敵と、部屋に入るもの全てを突然認識し始めるのだ。カミリスになると、足をブーツで覆い、手袋をした完全武装状態で世話しなければならない。去年、暖かくなってカミリスからラブリーリスに戻ったのは春先だった。ラブリーな時期、膝に載り手から食べ物を受取るし、背中を撫でさせ、身体を握らせてくれる。
ラブリーリスへの切換は、こちらが完全武装状態で接する時期であるため、武装したまま触り続け・試し握りしてと、ゆっくりと訪れる。しかし、カミリスへの切換は逆である。去年は十月末、素手で食べ物を渡そうとすると、突然ガブッとくる。気をつけていても容赦なくガブリである。赤い血が流れる。「え!」と驚愕するとともに、「そうだった」「ああ、そうなのか」と再認識する。
星野道夫を読んで、「そうだった」と「ああ、そうなのか」を意識した。そして、日常生活に埋もれて暮らす我々に、探すべき「ぼくたちの神話」がまだあることを知らされた。
紙の本
自然を体感することができる。
2017/04/29 13:26
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:コスモス - この投稿者のレビュー一覧を見る
写真家が本業とは思えないような、まるで詩のような味わい深い文体。写真を通して伝わってくる生命の息吹や、現実から切り離されたような自然の世界。この二つが相まって、読者は本の世界に引き込まれます。
紙の本
長い旅とは「輪廻(りんね)」
2009/02/20 22:08
6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kumataro - この投稿者のレビュー一覧を見る
長い旅の途上 星野道夫 文春文庫
作者はわたしより6歳年上ですが、44歳で熊に襲われて亡くなっています。この本と同時期に「破線のマリス」野沢尚著を読んでいました。同著者はわたしより2歳年下ですが、44歳で自殺されました。ふたりとも同じ年齢で亡くなっています。
長い旅の途上は、アラスカの自然や動物を扱っています。破線のマリスは、東京のテレビ局を扱っています。両者は対極にあるものですが、同時に2冊を読んでいると類似の内容に思えてきます。著者星野氏の周りに人はいるのですが、彼はひとりに思えます。そして、破線のマリスに登場する主人公遠藤瑤子さんもまたひとりです。彼女の周囲にはたくさんの人々がいるが、孤独です。思えば日本人の5割以上が一人暮らしをしているのではなかろうか。高齢者でも若者でもひとりで生活する人が多くなりました。
このエッセイは表面上は生き生きとしているけれど、作者のさみしさが伝わってきます。作者は、アラスカで暮らしながらアラスカを朗々と謳い(うたい)あげてはいるけれど、本当は日本で暮らしたかったのだと思う。
アラスカの風景はオローラをはじめとして、雪の結晶が目に浮かび幻想的です。アラスカのクジラはハワイから来るというお話には大きな夢を駆り立てられます。自然は神であり、賛歌でもあります。アラスカで暮らす人たちは命が惜しくない人たちという印象をもちました。命を失うことを恐れていない人たちです。人は、いつかは死ぬと悟ってもいます。死ねば自然に還るだけのこと。土に還ればいいこと。長い旅とは「輪廻(りんね)」でもあります。
(少しずつ読み続けています。今は炎天下の公園のベンチで読んでいます。大きな木の陰なので暑さはやわらぐ。女子高生がふたりでサックスホーンの練習をしています。途切れ途切れのサックスの音が公園に響いている。風が心地よい。冷房が効いた個室にいるよりも気持ちがいい。アラスカの自然を思い浮かべながら涼しい気持ちになる。注釈この本は真夏に読んでいました。)
写真撮影は怖い。撮影者の命が奪われることもある。写真撮影をしなければ生きていけたのに。
作者は、アラスカのどこかでカリブー(トナカイ)に生まれ変わって、集団のなかの1頭として大地を驀進(ばくしん)していると思う。生き物はなんのために生まれてくるのか。今そのことを考えています。答えはまだ出ません。
紙の本
ミクロとマクロ。
2019/07/17 05:41
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:雨宮司 - この投稿者のレビュー一覧を見る
『旅をする木』から読み継いだ。一貫して流れているのは、足元の名も知らぬ花に目を留めるミクロな視点と、広大な山河を俯瞰してゆくマクロな視点が混在していることだ。それは空間のみではなく、時間にも共通している。アメリカ大陸にモンゴロイドが入ってきたのはいつ頃かという巨視的な視点と、仲間や取材の対象が見せる人間臭さを楽しんで受け入れる心とが混在している。本当に早すぎる死が惜しまれる。