紙の本
普通の人々の、普通の毎日の中の、ごく小さなざわめきから、その人の人生の全体を掬い取る。
2012/01/04 17:44
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投稿者:アヴォカド - この投稿者のレビュー一覧を見る
それは、ワカモノが身一つで旅をする、現地の人や風土に飛び込んで、よくしてもらったり熱を出したり時には騙されたりしながら何かを(時には自分自身とやらを?)発見していく、「深夜特急」で有名になるずっと前。
大学を出たばかりの、まだほとんど何者でもない沢木耕太郎が見つめていたのは、”普通の”人々だった。
かなり初期の作品集。8本収録。
当時はまだノンフィクションという言い方よりも、ルポ、ルポルタージュという言い方のほうがメジャーであり、それを書く人はルポライターと呼ばれるのが一般的だった。
本多勝一さんらが牽引していたかと思うが、その多くは新聞記者やその出身者で、記事を書く取材方法や恐らく人脈や手法で書かれた、記事よりもっと深く突っ込んだ長いもの、という認識だった。政治やスポーツ、世界各地の風土や情勢、有名人など、どちらかというと変わったもの、ダイナミックなものに題材を求めているものが多かったように思う。
それらに比べると、”普通の”人々のいかにも小粒な人生は、それまで、あまり光が当てられることがなかったのではないか。
名もなき人々の、普通の毎日の中の小さなざわめきは、少なくとも、初めてこれを読んだ私には新鮮だった。
小さなざわめき、小さな切れ端から、その人の人生の全体を掬い取ることにかけて、沢木耕太郎はほかに類を見ない巧さだったし、先駆者だったとも思う。
どの切れ端を選ぶか、が、彼の嗅覚の特異さであり、それを元にどうアプローチし何を浮き彫りにしていくのかが、彼ならではの独特の手腕だった。
そうやって彼に掬い取られた時、なんでもない普通の人生は、鮮やかな光と影を得て、物語として立ち上がってくるのだった。
紙の本
間様な生きざまを垣間見た
2020/04/26 14:26
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投稿者:とも - この投稿者のレビュー一覧を見る
鈴木大介の「老人食い」の流れで手にとり、購入したと記憶している。
人には様々な境遇があり、生きざまかある。
運が良く成功する者、努力して成功を掴む者、運悪く躓き流されてしまう者・・・
人がいればそれだけ物語がある。
この作品は、世間からはみ出し、そして世間からはみ出し、流浪され流れ着いた砂漠に集まった人々の生き様を、隠すことなく綴った作品である。
一番印象に残ったのは一番最後の「片桐つるえ」の話である。
哀れな年寄りの話と切り捨てることも出来るが、見栄を張らず、詐欺に手を染めることがなければどういう生涯を迎えていただろうか。終の住処となった老人ホームで餅を喉に詰めらせ、一生を終えることもなかったのではないか。
そういう想像も出来るが、孤独で死を迎えるよりは良かったのか。
数十年前の様子ではあるが、果たしてこれから先、再びこういう人々を見掛ける時代がやってくるのではないか、そんな気もする。オリンピック/パラリンピック閉幕後、或いは大阪万博閉幕後、一体どうなるのだろう?
外国人労働者が日本に帰化し、新たな人の砂漠を産み出さないといいが。
人混みを砂漠と表するならば、社会もまた砂漠なのだろう。
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沢木耕太郎のスタイルというのは、潔さなのかもしれない。淡々と身体を張って現場に飛び込んで体験したレポート。こういう姿勢のジャーナリストはもう日本にはいないかもしれない。
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ルポです。なかでも「おばあさんが死んだ」と「棄てられた女たちのユートピア」に本当に言葉にならない思いがしました。
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兄のミイラと孤独死した老女。元売春婦達の養護施設。屑の仕切屋。町ぐるみで詐欺にかけた老女詐欺師。など、通常「人生」という言葉で思い浮かべる、その裏街道をゆく人たちの物語。成功物語よりもリアルな社会を抉り出しているように見えるルポルタージュ。「真実は細部に宿る」
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沢木耕太郎の初期の作品。無名な人々に焦点を当てるのが多い沢木作品。新聞では小さな記事であった事件、屑屋などのお話。
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若かりし沢木耕太郎が記した8編のルポルタージュ。その後の沢木耕太郎の素地となる、彼独自の視点(それはつまり、社会的弱者・敗者に対する熱過ぎないけれどもどっしりとした関心)の片鱗を垣間見ることができます。そして唸ります。「あとがき」のちょっと気取った文章もまさに沢木耕太郎節。「果して『人の砂漠』の彼方に王国はその姿をあらわすだろうか。声あるなら地よひくく語れ。」
おばあさんが死んだ
棄てられた女たちのユートピア
視えない共和国
ロシアを望む岬
屑の世界
鼠たちの祭
不敬列伝
鏡の調書
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ドキュメンタリーを扱う人は、怖くないのかな、といつも思う。
いくら仲良くなろうとも、そばにいようとも、別の人間である限り人は人を完全に理解できない。
でも、そこになんとかして迫ろうとしている。
暗い部分やどろどろした部分まで記録し、残すことで何をしようとしてるんだろうと思う。
この本を読んでいると、沢木幸太郎と一緒になって、人の暗い部分を覗き込み、明るい部分を目の当たりにして、とにかく、翻弄される。
全8編の中で、ミイラとなって死んだ女性の「おばあさんが死んだ」とくず鉄業者の日常を描いた「屑の世界」が特に印象深かった。
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ルポをあまり読んだことがなかったので、おもしろかった。
衝撃的な内容もありますが、目を開かされた感じ。
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沢木耕太郎というか、ルポルタージュというものが以前はあまり好きではなかった。
他人が土足で無神経に踏み込んでいって、なんの権利があってそんなことを言えるのだ
と、軽い怒りさえ覚えたこともあった。
ただ、この本を書いた沢木耕太郎という人は、
すこし暖かい心の人だった。
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一体のミイラと英語まじりの奇妙なノートを残して餓死した老女の過去を追う「おばあさんが死んだ」
もと売春婦だった人たちの養護施設の中での暮らしを描いた「捨てられた女たちのユートピア」
戦後、天皇に対する「事件」起こした人たちのその後、「不敬列伝」
商品相場にとりつかれて戦い続ける男たち「鼠たちの祭」
十数人もの相手から600万円もの詐欺を働いていた83歳の老女「鏡の調書」など…
ルポタージュ8編。
「おばあさんが死んだ」から「鏡の調書」に至る8編は、追放されてしまった人々の悲哀をやさしさ、あたたかさ、悲しさ、そして厳しさでもって描かれています。
事実は小説よりも奇なり
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10/04/30読了 この人の書いた本でハズレを引いたことってないかも。引きずり込まれていく感じが心地よい。
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ルポライターである沢木さんの、現実のお話。沖縄の与那国や北海道の島の、近隣国との非常に密な関係や、売春婦達の村のお話など、非常に中身の詰まった本だった。これがつい最近までの話だなんて。
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窮乏者、元売春婦、辺境の孤島に住む人々、鉄くずの仕切り屋、革命家、詐欺師…。この本に出てくる人たちはいわゆる「日のあたらない場所」にいることが多いのですが、彼らを見つめる作者のまなざしが優しいです。
つい最近知ったことですが、この本に書かれていることが映画になったんですってね。だからここで取り上げるわけではありませんが、この本には非常に思い入れの深いものがあります。窮乏者、元売春婦、辺境の孤島に住む人々、鉄くずの仕切り屋、革命家、詐欺師…。この本に出てくるのはそういうなんというのか…。いわゆるあんまり日の当らない世界に生きている人たちである。
確か、僕がこの本をはじめて読んだのは大学時代のことだったと思うが、後に僕がなし崩しに社会人になってから身をおいていた社会のひとつが、この本の中に描かれている、日本橋蛎殻町の商品相場を舞台にした世界とそこに棲んでいる相場師を書いた『鼠たちの祭り』と作者が実際に廃品回収業者で仕事をしながらそこに出入りする「曳子」と呼ばれる人たちを見つめた『屑の世界』が僕のお気に入りです。
僕はこの二つの世界を実際に目の当たりにしたのでずいぶんと思い入れがありまして。もう何十年も前に書かれたにもかかわらず。こうして僕が読んでも新鮮さを感じるのは、その世界に流れている時間がある時期からとまっているからでしょうか?そんなことを感じさせました。
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上品な老女の皮をかぶった天才詐欺師のあざやかな手口をあかす「鏡の調書」や、ゴミ屋敷に住む老婆がのこした奇妙な日記からその波瀾万丈な半生を紐解く「おばあさんが死んだ」ゴミをひろって生きる屑屋とホームレスの友情、かれらと行政との闘争「屑の世界」など、浮き世の荒波を浮遊する、すこし風変わりな人々をえがく傑作ルポルタージュ8編。とくに印象的だったのは社会復帰の望めない、元売春婦たちを収容する房総半島の養護施設「かにた婦人の村」を取材した「棄てられた女たちのユートピア」この村はいまも千葉県館山の切り拓かれた海沿いの丘にあり、創設者は亡くなってしまったが、奉仕女として施設で働いていた現理事長により、変わらぬ理念の元、運営されている。昭和40年の春に「かにた」がつくられてから現在まで、村は棄てられた女たちのために静かに営みをつづけているのだ。弱者が人間として存在できるような社会。「かにた」の創設者はそれを理想とした。そして、弱者の楽園を創ろうとした。だが、著者はそうしてあゆみはじめた「かにた」に対し「しかし」というおもいをいだく。その正体を確かめるために、かれはテレビクルーとして「かにた」へ赴く。そして、外部の人間の脆弱な「いいかがり」にすぎないと自覚しながら、創設者の深津に問う。彼女たちはほんとうに幸福なのだろうか_____。深津はいう「幸福であることと、幸福だとおもううことはちがう」のだと。「食べるものもなく、寝る家もなく、ただよいあるいていた時代より、女たちはあきらかに幸福だ。彼女たちがどうかんじようと幸福であることにちがいはない」確かにそうだ。しかし。結局、そのおもいをいだきつづけたまま著者は施設をあとにする。精神病 27名、精神病質66名、精神薄弱120名、身体障害25名、その他の病弱8名、精神病院入院27名、梅毒6名。これは本が書かれた当時(1977年)の「かにた」の入所者データだそうだ。施設では、入所したほとんどの者が一生をそこで過ごす。なぜなら「かにた」をはなれても、彼女らにいく場所などありはしない。でも、それをしって尚、脱走をくりかえす者がいる。逃げた女はふたび売春婦になるという。弱者の楽園なんて、所詮はうたかたの夢なのだろうか。確かなのは「かにた」は入所者にとって唯一の光であり、同時に闇だということだ。