紙の本
深度の美学
2003/11/05 23:43
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:脇博道 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ガストン・バシュラール。この偉大なる夢想的哲学者のテクスト群は
常に具体的な事物のイメージを、自由奔放に探索しつつ、根源的なイ
メージを、まさしく詩的言語に変換しながら、テクストを紡ぎ出すス
タイルを保持する。ゆえに、ことさら難解な哲学的考察を読み取る身
構えをせずとも、その豊かなイメージを、ゆっくりと、あたかも一編
の優れた幻想小説を読むような気持ちで接する事により、読者を、バ
シュラール的世界へと優しく誘ってくれる。
そのなかでも、本書は、人間を取り巻く空間的イメージを、様々な文
学や哲学、そして現象学における先達の成果をベースとしつつ、氏独
自のイメージ的現象学とでもいうべき、オリジナルな思考に到達した
屈指の名作である。特に、現象学を踏まえつつ、氏の一貫したテーマ
である、大地、水、火、空、といった世界を構成する原初的エレメン
トのイメージを駆使しつつ、家と宇宙という、極大と極小のはざまに
存在する事物のイメージが、驚くべき広範なレンジのなかで語られて
いて圧巻である。
第1章 家 地下室から屋根裏まで、小屋の意味、では、家屋が有す
る垂直的構造、つまり天地を繋げるイメージとしての家というものを
様々な文学から事例を参照しながら、詩的に記述しているが、この章
における卓越した論考は、多くの建築家のインスピレーションの源泉
にもなっている。
第3章では、なんと抽出、箱、および戸棚という、家における日常的
な事物を、ベルグソンの思想、アンドレ・ブルトンの超現実主義など
と接続しながら、これらの小さな事物のイメージを宇宙的思考にまで
高めながら、非常に面白くかつ興味深い記述で満たされている。
第4章の巣及び第5章の貝殻では、この自然界の生き物たちの大切な
家ともいえる事物について、童話や芸術に描かれたそれらのイメージ
を分析している。バシュラール的想像力の豊かさが最も身近に感じら
れる素晴しくかつ本論の中核を成す重要なテクストである。
そして、第9章 外部と内部の弁証法、は本テクストの形而上学的総
論といえるであろう。ここに到達するまでに、氏が参照及び引用した
詩や哲学者、文学者、現象学者のことばは数限りない訳であるが、そ
の優れた思考のエッセンスを、的確にハンドリングして、結果的には
バシュラール的世界としかいいようのないテクストが生成されている
のは見事というほかないし、また本テクストに触発されて、それらの
原典にアクセスする楽しみもある。
私たちを取り巻く、空間という捉えどころの難しい概念を、美しい言
語によって記述した名著として、ぜひおすすめの一冊である。
紙の本
哲学者が詩の世界に挑んだ。
2016/02/15 08:45
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投稿者:タヌ様 - この投稿者のレビュー一覧を見る
哲学者と詩、論理的なる構築された世界と直観の表現力、科学哲学者が飛躍する精神もを持ってこの破壊的なイマジネーションの力を紡ぎだしている。
とにかくパシュトラールはつき進むのである。貪欲な研究精神がいかんなく発揮されている。イマジネーションの別世界まで平然と取り上げつきすすんでる。
哲学者なる生き物はこういう生き物なんだと、つくづく思う。縦横に取り上げる文芸作品の切り口はハッとするオリジナリティがあふれ、読み返す作品となっています。
紙の本
哲学書として読まなければアリかも。
2023/06/03 11:40
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:わびすけ - この投稿者のレビュー一覧を見る
すがすがしいほど内容が頭に入ってこない。詩の題材に対する哲学者兼詩人のアイデア集として読めば不思議とすっきりする。同じように晩年の澁澤龍彦のエッセイにも親近感がある。読まないか、何度も味わうのか、詩集のように楽しむ本だと思う。
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家、宇宙、貝殻、ミニアチュール、箱や戸棚、引き出し・・・空間の詩的イメージについての現象学的考察の書。
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もっぱら科学哲学の基本的テーマに没頭して自己の全思想を形成し、活潑な合理主義の流れ、現代科学においてますます成長する合理主義の流れをできるかぎり厳密にたどりつづけてきた哲学者は、もし詩的想像力によって提出された問題を研究しようとするならば、自分の自己をわすれさり、これまでの自己の哲学研究の習慣をことごとく放棄しなければならない。ここでは過去の教養は通用しない。
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部分的に読んだ。
なぜ人は過去にしがみつくのか。
家という記憶が集約された場所。そして幸せは記憶の中に宿るという記述。
大学院の調査で、去る東北震災により家をなくした人たちの心境への共感に悩んでいたときに読んだ。若い人たちは新たな居住地にすんなりなじめ、希望を描く事さえも可能であるが、一方で高齢者はなくした家や町を懐かしむ事に従事している。戻ってくるはずがないものに固執する理由はその家に宿っていた「記憶=思い出」の多さに比例するのかもしれない。
一見当たり前である事柄であるが、改めて言語化されているのでとてもわかりやすかった。
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だいーぶ前から一、二頁読んでは置いている本。
ヤン・シュヴァンクマイエルの映画『アリス』の、
謎の昇降機で家の裏側(?)を地下へ地下へ
降りていく心細く心地よい場面を観ている時の気分が
蔓延している本。
でもこれって詩「学」なのかなぁ。
詩論とは言えるけど、へー、これも学問なのかあ…と
ちょっと意外で信じられない。
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(推薦者コメント)
「物質的想像力」の本。周囲に存在する様々なもの、空間は人間の想像力に働きかけ、何らかのイメージを思い起こさせる。そのイメージはどのようにして生まれるのか。
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純粋昇華されたイメージにとことん付き合うことで、心理主義から抜け出て、さらに豊穣な地平、たましいの地平を探求する。現象学が常に標榜され、対象化せずにあくまで我々に密着したものとしてのイメージを、その個人的意味や情念にとらわれずに展開する。とりとめのないようで恐ろしく厳密という印象を受けるが、果たしてしっかり読んでもそうなのか。
きちんと読み返さなければいけない。体系的にメッセージを汲み取れるように向き合う価値はある。
方法論的な問題を掬うために特に第七章以降、部分で言うと、リルケとボードレールが扱われている第八章、ミショーが扱われている第九章は読み返しておきたい。
いくつかとりとめない抜き書き
p300
もちろんエドガー・アラン・ポーが『アッシャー家の崩壊』をかいたのは、耳の幻覚に「なやんでいた」からだ、といつになっても断言することができよう。だが「なやむこと」は「創造すること」とは逆なのである。ポーは「なやんでいる」あいだはたしかにこの物語をかきはしなかったのだ。この物語ではさまざまなイメージが天才的にむすびつけられている。[...]
このような世界の物音のミニアチュールに直面しては、現象学者は知覚可能なものの秩序をこえるものを、組織的に指摘しなければならない、しかも有機的かつ客観的に。それは耳鳴りのする耳でもなく、大きくひびわれてゆく壁の亀裂でもない。[...]背後の世界には太古の記憶がはたらいている。夢、思想、思い出がただ一つの織物をおりなす。たましいは夢想し、かんがえ、そして空想する。詩人はわれわれを限界状況にみちびいた。それは狂気と理性、生者と死者とのあいだにあって、われわれがのりこえることをおそれる境界である。[...]われわれは予感の存在論をおしえられる。われわれは聴覚以前の緊張状態におかれる。[...]この限界コスモスにおいては、現象となるまえは、一切が指標なのである。その指標が弱ければ弱いほど、それには意味がある。なぜならばそれは根源を指示するからである。
[ぜんぜん消化できていない]
p315
もしわれわれが、この無限性の印象や、無限性のイメージや、あるいは無限性があるイメージにもたらすものを分析することができるとしたならば、たちまちわれわれはもっとも純粋な現象学の領域にはいることができよう――これは現象のない現象学であり、あるいは少し逆説をさけていえば、イメージをうみだす潮をしるには、想像力の諸現象が構成され、完全なイメージとして定着するまでまつにはおよばない現象学である。別のことばでいえば、宏大無限なものは客体ではないから、宏大無限なものの現象学は直接われわれをわれわれの想像する意識にさしむけることであろう。無限性のイメージを分析すると、われわれは自分のうちに純粋想像力の純粋存在を実現することになろう。そうすれば芸術作品は想像者のこの実存主義の副産物であることが明らかになろう。この無限性の夢想のすすむ道では、真の産物は拡大の意識である。われわれは自分が驚嘆する存在の高みにまでたかめられたことを感じる。
それゆえこの瞑想においては、われわれは「世界のなかへなげだされ」てはいない。なぜならばわれわれは現在みられているありのままの世界、あるいはわれわれが夢みるまえに、過去においてみられた、ありのままの世界を超越することによって、いわば世界をひらくからである。われわれは自分のみすぼらしい存在を意識しているが――狂暴な弁証法の作用によって――われわれは壮大を意識する。そのときわれわれはわれわれの無限に拡大する存在の自然な活動にもどってゆく。
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独特な文章。別言すると難解。
詩という非合理的なものを文章という合理に落とし込むという困難さゆえかも。
科学哲学経由でこちらの世界に逢着した著者。
理論的であろうとし過ぎて、真逆とも言える情緒やオカルト的な方面に切り返す事例は散見できる。ウィトゲンシュタインも?
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[ 内容 ]
家、宇宙、貝殻、ミニアチュール―人間をとりまくさまざまな空間は、どのような詩的イメージを喚起させるのか?
物質的想像力の概念を導入して詩論の新しい地平を切りひらいてきたバシュラールは、この「科学的客観的態度」に疑義を呈するところから、本書を始める。
人間の夢想を物質的相からとらえる態度は、「イメージの直接的な力に服従することを拒否することではないか」と。
本書では、詩的イメージの根源の価値を明らかにするために、詩的イメージとイメージを創造する意識の行為を結合する、新たなる想像力の現象学を提唱する。
バシュラール詩学の頂点をなす最晩年の書。
[ 目次 ]
第1章 家・地下室から屋根裏部屋まで・小屋の意味
第2章 家と宇宙
第3章 抽出・箱・および戸棚
第4章 巣
第5章 貝殻
第6章 片隅
第7章 ミニアチュール
第8章 内密の無限性
第9章 外部と内部の弁証法
第10章 円の現象学
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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文学上の「イメージ」をめぐる現象学という前提で書かれた本書はなかなかに異様なものであり、たいへん興味深い。
主に詩において言及される「家/巣」「抽出」「貝殻」といったイメージを普遍的なものとして捉え、詩的な人間心理の現象として分析する。
もともと科学哲学の著作家であったはずのバシュラールは、ここでは完全に文学的な文体を駆使する者であり、自身が詩人と化している。この「現象学」を語るためには、記述者じたいも現象=イメージ界のさなかに身を委ねなければならない、とバシュラールは言いたいようだ。
かなりの程度の普遍性をもったイメージの分析という、本書のテーマ自体が面白く、さらに深めていくことも出来そうな気がする。
そういえば芸術音楽というのも、自らの音的なイメージの現象学をやっているようなところがあるが、こちらの現象学については、決して言語では記述しきれないだろう。