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夜のピクニック
  • みんなの評価 5つ星のうち 4.2 700件
  • あなたの評価 評価して"My本棚"に追加 評価ありがとうございます。×
  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2004.7
  • 出版社: 新潮社
  • サイズ:20cm/342p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:978-4-10-397105-4
  • 国内送料無料

紙の本

夜のピクニック

著者 恩田 陸 (著)

【吉川英治文学新人賞(第26回)】【全国書店員が選んだいちばん!売りたい本本屋大賞(第2回)】高校最後のイベントに賭けた一つの願い。あの一夜の出来事は、紛れもない「奇跡」...

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夜のピクニック

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商品説明

【吉川英治文学新人賞(第26回)】【全国書店員が選んだいちばん!売りたい本本屋大賞(第2回)】高校最後のイベントに賭けた一つの願い。あの一夜の出来事は、紛れもない「奇跡」だった、とあたしは思う。ノスタルジーの魔術師が贈る、永遠普遍の青春小説。『小説新潮』隔月連載を単行本化。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

恩田 陸

略歴
〈恩田陸〉1964年宮城県生まれ。早稲田大学卒業。「六番目の小夜子」でデビュー。著書に「球形の季節」「三月は深き紅の淵を」「禁じられた楽園」「Q&A」など。

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みんなのレビュー700件

みんなの評価4.2

評価内訳

紙の本

著者コメント

2004/07/13 18:42

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:恩田陸 - この投稿者のレビュー一覧を見る

早いもので、来年でデビューして15年になります。この小説は、かなり前から考えていたもので、私の中では『六番目の小夜子』『球形の季節』に続く高校三部作の三作目になる予定でしたが、書き始めるまでにこんなに時間が経ってしまいました。今回は、ホラーでもミステリでもないのですが、長さの割に一息で読める話になっていると思いますので是非お手に取ってみてください。作者自身、これまでになくリラックスして書きました。私の母校の行事をモデルにしたのですが、書いていて当時のことを生々しく思い出したのに驚きました。書き終わった本人も後味のよい、とても気に入っている話です。どうか皆様にも楽しんでいただけますように。

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紙の本

みんなで、夜歩く。たったそれだけのことなのにどうしてこんなに面白いんだろう

2004/08/17 14:44

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:つきこ - この投稿者のレビュー一覧を見る

夜を徹して八十キロを歩き通すという、高校生活最後の一大イベント「歩行祭」。本書はその一夜に起こる出来ごとの物語。
『みんなで、夜歩く。どうして、それだけのことがこんなに特別なんだろうね』とは登場人物の一人のセリフだが、面白いにきまってんじゃん!! たくさんの同世代、しかもお年頃の男女が一緒に一晩過ごす!
そんな三十路を過ぎた女から見て楽し過ぎるシュチエーションに加え、過去に泣くほど辛いマラソン大会や遠泳大会の記憶を持つ人はあんな過酷な体験も、しといてよかったーと初めて思えるかもしれません。
高校生達のディティールがいいんですよ。また。誰と一緒に歩くとか、この際の告白タイムとか、保護者の炊き出し(?)のシーンとか。
そうそう、こんなことあったよね、とか。こういう奴いたよな、とか忘れていたような自身の記憶をオーバーラップさせながら読む。
もちろん、恩田陸のことですからノスタルジーを刺激するだけでなくちゃんと物語としての面白さも用意しています。
小出しにされる謎その1、謎その2、読み進むと最後にはあっ!という驚きが。こんなのありっ!?
「六番目の小夜子」のあのシーンにドキドキした人ならきっと楽しめます。
ただ歩くだけの話と馬鹿にしてはいけない。どうせノスタルジーなんでしょ、と斜に構えてもいけない。活字でこれだけのドキドキを体感させてくれるなんてめったにない経験です。あー読書って楽しいーと読み終わって心からそう思える本です。

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紙の本

何故こんなに書けるのか?

2004/08/30 00:48

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:yama-a - この投稿者のレビュー一覧を見る

 この本は到底僕には書けない。いや、読後感の話であって実際の話ではない。本を読んでも別に「この本は僕には書けない」と思わないケースも多いのだけれど、じゃあそういう本なら自分にも書けるかと言うと多分書けない。しかし、世の中にはそういう自問自答をすっとばして、いきなり「僕には到底書けない」と思わせる本がある。『未知との遭遇』で初めてスティーヴン・スピルバーグを知った時もそうだったが、あまりにレベルの高いものに出会うと、感動したり共感したりするのと同時に深い絶望感を味わうものだ。「僕はこいつには到底敵わない」という絶望感! この本はそれを与えてくれた。
 群像劇、と言うか主人公がグループの形で登場する構成は『黒と茶の幻想』を思い出させるが、『黒と…』のほうは社会人でこちらは高校生の物語であるだけに、こちらのほうが軽く明るく甘く切ない。そう、これは正調青春小説なのである。
 舞台はある高校の「歩行祭」。年に1回開催される、ただ歩くというだけのイベント。歩くったって朝からほとんど休みなく翌朝まで何十キロも。スタートとゴールはともに高校のグラウンドである。
 話はただその模様を描写しているだけ。しかし、風景の織り込み方、小道具の使い方がいつも通り驚異的に巧い。最初に建てたであろう設定が非常にしっかりしていて自然にストーリーが展開する。ミステリーでもないので別段何も起こらないが、いつも通りの思わせぶりを散りばめて、話はミステリックにうねって進む。文章が巧いし台詞回しも自然なので、読むものを疲れさせず一気に読める。
 ──なんてのは読み終わってからの分析。読んでいる時はただそこにどっぷりと浸かっていて、いつしか高校生に戻った自分がいた。年中行事があって受験があって出会いと別れがあって恋がある。高校生の思い出作りの話なんてと言いたいところだが、不覚にも自分の青かった時代が甘く切なく甦ってくる。
 この単純な枠組みでなんでこんなストーリーが展開できるのか? 何故こんなに書けるのか? こんなに巧い作家には滅多に会えるものではない。

by yama-a 賢い言葉のWeb

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紙の本

最後の…

2004/09/01 21:34

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ナカムラマサル - この投稿者のレビュー一覧を見る

北高の恒例行事「歩行祭」とは、朝の8時から翌朝の8時まで歩く、という体力の限界に挑戦するかのような行事。
最後の歩行祭に臨む三年生を中心に、この物語は進められる。

歩行祭の最中、生徒達はいろいろなことを考える。
何かしら「最後の○○」を経験したことのある人なら(もしくは「最後の春休み」という曲に涙したことのある人なら)、彼らの気持ちが痛いほど分かるだろう。
たとえば、「当たり前のようにやっていたことが、ある日を境に当たり前でなくなる。こんなふうにして、二度としない行為や、二度と足を踏み入れない場所が、いつのまにか自分の後ろに積み重なっていくのだ」−この考えに人生の縮図を感じたり、
「これからどれだけ『一生に一度』を繰り返していくのだろう。いったいどれだけ、二度と会うことのない人に出会うのだろう。なんだか空恐ろしい感じがした」−この思いに、大人になる前の不安を思い出したり…
彼らと自分の過去を重ねると、せつなさとか寂しさとかいったものの波に打ちのめされそうになる。
だが、「何かの終わりは、いつだって何かの始まり」という作者の思想が、読む者にそっと手をさしのべてくれる。荒波から救い出してくれるのだ。

人は、自分の今いる場所が愛しければ愛しいほど、このままでいたい、と思うものだ。
だが、生きている以上、一つの場所にずっと留まっていることは不可能だ。
「時間」という大きな力の前の無力な自分に気づいて、途方に暮れた迷子のように立ち尽くしたくなることもある。
そんなふうに自分を見失いそうになった時、何ができるか。
それは、ただただ「今」を感じて生きること。
今、見える景色、聞こえる音、感じる温度、手に触れた感触、胸に宿った思いを。
永遠と思える一瞬一瞬を確実に心の中に残していけるとしたら、変化していくことは悪いことじゃない。

「今は今なんだ。今を未来のためだけに使うべきじゃない」−このことに気づいた者だけが、世界の広さ、眩しさを感じることができる。
美しい生き方をこの本から教わった。

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紙の本

自覚してファンタジーに参加する、ということ

2004/09/13 18:34

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:UMI - この投稿者のレビュー一覧を見る

「絵のように美しい景色」も「栗のように美味しいカボチャ」も、いつも下らない例え方だな、と思っていた。どっちも美しいし、どっちも美味しいのに、なぜわざわざ他のものに例えられなければならないのだろう。何かに例えてわかったような気になるのは人の悪い癖だろうと思う。だからこの作品を読んで、『黒と茶の幻想』だな、と思った自分は少し下らない人間のように思えた。

 朝の八時から翌朝の朝八時まで歩き続けるという高校行事「夜間歩行祭」が、今回の舞台である。同じクラスになってしまった異母兄弟を軸に、物語は進んでいく。大きな事件が起こるわけではないが、歩くリズムと会話のリズムが心地よく、すいすいと読んでしまう。スパイスとして、ちょっとしたホラーとちょっとしたミステリーが加わっているあたりも恩田陸らしい。

 ただ歩くだけの行事なのに、彼らは「修学旅行よりいい」と言う。それは、夜になって隣で歩く親友の顔も見えなくなったときに、普段は言えないことも言えるという魔法がかかるからじゃないかと思う。本当はみんな、本音を語る機会をじっと待っている。今だから言っちゃうけどね、と口を開く機会を狙っている。
 大人には高校生活そのものがすでにファンタジーになってしまっているけれども、その中のイベントはさらにファンタジー色を強める。彼らはそれを自覚しながら非日常の世界を自分の足で歩いていく。昼と夜との境を、大人と子供の境目を、危ういバランスで彼らは歩く。
 
 ただ歩くだけの行事で、どうしてここまで高校生の頼りない清々しさを見事に描ききってしまえるのだろう。たった一晩の出来事を描くだけで、読む者の心をこんなにも簡単に過去へ連れ出してくれるというのは、一体どういうことなのだろう。
 恩田陸に限っては、例えるものがまるで思い浮かばない。

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紙の本

人生も長〜い“ピクニック”のようだ。少しでもリラックスして乗り切るお供に恩田作品って最適かもしれない。

2004/09/30 20:14

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:トラキチ - この投稿者のレビュー一覧を見る

やっぱり恩田陸は凄かった。
近年、いろんなジャンルの作品を書いて、ますます成長振りを読者に披露してくれている恩田さんであるが、ズバリ本作のような青春小説が一番彼女によく似合う。
並の作家であればただ単にああ懐かしいなあと思うだけかもしれない。
しかしながら恩田陸が描くと1ランク上の世界に読者を引きずり込んでくれる。
読者も自分の実年齢を忘れて読み耽る必要があるのである(笑)
物語はいたって単純である。高校生活最後の一大イベント“歩行祭”…たった一晩だけの話である。高校生の男女の主人公2人を機軸として展開している。
主人公の名は融と貴子。
ところがこの2人がとっても読者のハートを射止めてくれるのであるから恐れ入ったものだ。
2人の関係は異母兄弟にあたる。それも同じ年である。
とっても繊細で多感な時期に直面している2人。
はたしてお互いの気持ちは分かり合えるのであろうか…

人間って“年を取る事だけが平等かな”と思うときもある。
でも恩田さんの作品を読めば本当に読者が主人公(男性読者であれば融、女性読者であれば貴子)になりきれるから凄いものだ。
凄く貴重な体験をさせてもらった。

あの頃が懐かしいとかそういうレベルではなく、まさしくというか年甲斐もなく理想の少年像(少女像)を主人公の2人に見出している自分がいるのである。
融(貴子)の足が痛めば自分の足が痛んだかのごとく感じられるのである。
きっと主人公2人に年甲斐もなく教えられる点がかなり多かったと思うのは私だけであろうか。

歩行祭が終わる。
マラソンの授業も、お揃いのハチマキも、マメだらけの足も、海の日没も、缶コーヒーでの乾杯も、草もちも、梨香のお芝居も、千秋の片思いも、誰かの従姉妹も、別れちゃった美和子も、忍の誤解も、融の視線も、何もかもみんな過去のこと。
何かが終わる。みんな終わる。
頭の中で、ぐるぐるいろんな場面がいっぱい回っているが、混乱して言葉にならない。
だけど、と貴子は呟く。
何かの終わりは、いつだって何かの始まりなのだ。


本作を読めば否応なしに“あの頃の彼(彼女)はどうしてるのだろう?”“元気でやってるのかな?”と遠い自分の過去を振り返ってしまう。
自分の学生時代の友達を忍や美和子に見出してる方もいらっしゃるだろう。

いずれにしても、真っ直ぐに物事を捉えて見据えることの重要さを教えてくれたな。
恩田さんに感謝したく思う。

彼女の作品はある時は湿布薬の役目もある時は缶コーヒーの役目も出来る事請け合いであろう…

トラキチのブックレビュー

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紙の本

歩く、歩く、歩く……いつか、読み手も一緒になって。

2004/10/16 00:33

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:山村まひろ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 みんなで、夜歩く。たったそれだけのことなのにね。
 どうして、それだけのことが、こんなに特別なんだろうね。 

 甲田貴子と西脇融(とおる)は、異母きょうだい。遠く離れて暮らしていたはずの2人は、同じ高校に入学し、3年で同じクラスになってしまう。 
 
 北高では、修学旅行代わりの鍛錬歩行祭が毎年ある。
 1200人の全校生徒が、80キロの行程を朝の8時から翌朝の8時まで、夜中に数時間の仮眠をはさんで、一日がかりで歩きとおすというものだ。
 前半はクラス毎に、そして後半は自由歩行になっているため、仲の良い者どうしで語らいながら、高校時代の思い出創りに励む。

 今年も、また夜間歩行の日がやってきた。
 貴子と融にとって、高校生活最後の夜間歩行。
 きょうだいがいると知って嬉しかったという貴子。一方、悪びれもせず、好き勝手している甲田母娘に憎しみを覚える融。
 同じクラスになりながら、ひとことも言葉を交わしたことがない2人は、行き違う心を抱えたまま、何も知らないクラスメートたちに囲まれて、歩く。歩く。歩く。

 静かで落ち着いている戸田忍。
 老舗の和菓子屋の娘で和風美人の遊佐美和子。
 クリティカルな毒舌女、後藤梨香。
 ひょうひょうとした梶谷千秋。
 お調子者の高見光一郎。
 融にアタック中の内堀亮子。
 そして、半年前両親とともにアメリカへ渡ったため、歩行祭に参加できなかった榊杏奈。

 歩き続けるクラスメートたちを、ただただ丁寧に描いた物語。
 「いまどきの高校生」という言葉がもたらすイメージとは違う、ある意味、古いタイプの十代の雰囲気が、なんだかせつなくて、読んでいると胸がいっぱいになる。
 私にもあったっけか…こんな学生生活?

 いつの間にか、登場人物のひとりになって、一緒に歩いている気分になってくる。
 足にマメをつくり、片足をひきずりながら…。

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紙の本

絶賛の嵐の中、ケチをつける気はないけれど、ちっともリアリティないじゃん。恩田陸って、もっと書けるんだぞ

2004/10/28 23:07

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

一見、瞽女を描ことで有名な画家斉藤真一を、或は創画会の重鎮稗田一穂の色を思わせる装画・挿画は唐仁原教久。装幀はさらりとながして、話に入る。

まず主要な人物を男子生徒から紹介しよう。西脇融、戸田忍という進学校である北高の三年生が、話の中心にいる。その二人が迎えようとしているのが、年に一度、修学旅行に代わって行われる行事 歩行祭である。朝の八時から翌朝の八時の24時間、僅かなの仮眠を入れて80キロを歩く。前半が団体歩行、後半が自由歩行で、走る、歩くは自由。脇役として夜になると元気になるお調子者の高見光一郎がいる。

対する女子生徒。中心は、バツいちの母と暮らす私立文系希望の甲田貴子である。それに老舗の和菓子屋の娘で農学系の学校でバイオテクノロジー研究志望の大和撫子の遊佐美和子、毒舌女で早稲田で芝居をやりたい後藤梨香、慶応文学部に行くと決めている飄々とした梶谷千秋がいる。こちらの脇役は、両親が化学者でアメリカに行ってしまった榊杏奈。近所の女子校の二年生の父親探しをする従姉の古川悦子だろうか。

そして、彼らが参加することになった行事には、謎がある。去年、歩行の最中に幽霊が現れたというのだが…。

でだ、書評氏の絶賛を集める話の構成は極めてシンプルである。貴子を核に据えた部分と、融を軸にした部分。それが、80キロを歩く経過の中で交互に入れ替わりながら、高校生の人間関係を浮き彫りにする、とまあこういったことだろう。そして、書評氏は共通して、その単純な展開と流れていく周辺の描写を、自分たちの過去の思い出というか後悔を混ぜながら絶賛する。

ここでの恩田の試みは、私には『Q&A』と同質のものに思われる。単純な話を、いかに語り口で読ませるか。作家としての力技での挑戦。そして、恩田が得意としてきた地方の、学校という閉じられた環境での、ある意味熟しきったような人間関係。その切り離された設定に、例えば早稲田大学、慶応の文学部といった実名が登場すると、私は異物をかじった時のような違和感を覚える。

そして、80キロの歩行祭というものに、全くリアリティを感じなくなってしまうのだ。それは私が東京生まれの東京育ちであるのかもしれない。しかしだ、男女共学の高校生たちが、海などを見ながら一日で80キロを走り、或は歩く。仮眠を取りながらとはいえ、深夜の田んぼの中も、ということになると、その設定だけで???となるのだ。

もしかすると、地方にはそのような行事をする学校が本当にあるのかもしれない。しかしだ、修学旅行で不祥事があって、それに代わるものとして考えられ、恒例の行事となった、と考えると、おかしい、と誰だって思うだろう。女の足元を見ただけで発情してしまような年頃の男たちと、フェロモンむんむんの女子高生が何百人も深夜の人もいない道を歩く。これで不祥事が起きないほうがおかしい。修学旅行の危うさと次元が違うだろう。

それから、ここに描かれる頭でっかちの高校生、本当なら考えるより先に下半身が動き出す彼らが、なんでこんなにもイジイジとしなければならない? それを思い悩む? 動くだろう、まして地方の学生だろう。いや、それこそ若さ、とその苦悩に自分の過去をダブらせ、共感し、青春て美しいという人がいることを認めた上で、あえて言う。

あんたら、そんなに過去を引き摺って生きてて楽しいか? 前を見ろよ、てめえの足で歩けよ、拒めよ、捨てろよ、自分でつかめよ。こんな暗い青春もの読んで、文学!なんて言ってるから読書離れが起きるんだ、もっと明るいんだぜ、若さって。馬鹿なんだぜ、高校生って。だから、あほでもドラキュラ男の高見光一郎が、最後に凄くいい奴に見えてくるんだ。

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紙の本

懐かしさとさわやかさ。

2004/11/11 13:04

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:nob - この投稿者のレビュー一覧を見る

実は僕もこの高校の卒業生です。
しかも実行委員という隊列をまとめたり、みなを元気つけたりする役目についていました。実行委員長だったやつとも話したのですが、とにかくいい本だったなと。

約2時間ほどかな、結構長いけど、一気に読めました。白ジャージの秘密とか、かつて修学旅行で悪さして、行事自体がなくなったとか、知る人ぞ知るエピソードが満載で、なかなか面白かった。

題材が歩く会(本家はこう呼ぶ)にしただけに、さわやかにまとめられてはいるが、主人公が愛人の子であり、本妻の子と会い見え、本音をぶつけと言うのは、昼ドラにでもできそうな設定である。今流行の韓流ドラマのような急展開はないが、場面設定がいっていなだけに、演劇にしてみると面白いかなと少し思った。

それにしても、自然の描写と、心理表現が見事。やはり女性の感性は細やかですね。ミステリーで名を打った人とは思えないね。

高校生の恋愛話とかではなく、さわやかで心温まる話です。

今年も事故無く無事行事は行われたそうです。
毎年地元の新聞で取り上げられるんですよ。

学校にかかる橋を追い上げ委員(最後尾からみなを励ましながら歩く委員)全員で肩を組んでゴールし、胴上げされた時は、涙がこみ上げてきた。

現存するのが不思議なぐらいのクラシックな行事でした。



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紙の本

一瞬だって同じ景色はない

2004/11/11 20:53

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:たびと - この投稿者のレビュー一覧を見る

長い時間歩いているとわかるのだが、歩き続けている限り、目に入ってくる景色に一瞬とて同じ景色はない。そのことに気がついたのは実は最近のことだ。

高校生たちがただ長い時間歩いているだけの小説だ。要約するとそうなる。事件らしい事件も、謎らしい謎も、何も起こらない。こういう何も起こらない小説をずっと読ませていくのは難しいのだが、そこは恩田陸、一瞬も気を抜かせることなく、淡々と緊張感を保ち続ける。
異母兄弟のクラスメイト同士の感情の対立が物語の軸だ。みんなが彼らを気遣い、気にし、お互いをいたわりながら生きている。彼らが長い行軍の末に、「普通の関係」になるまでを、突き放しているくせにどこかやさしい視点で描いている。
しかし、登場人物がみんなどことなく知的過ぎるのが気になる。イヤなことだってたくさんあるはずなのになぁ。こんなに他人を慮れたりはしませんでしたよ…と思いながら、はたと思い当たった。この小説は、未来の自分から過去の自分に当てたラブレターなのだろう。だってあの頃は、一瞬だって同じ光景はなかったものな。
だけど、そのことに気がついたのは、実は最近のことだ。
高校生や中学生が読む本ではない。たぶん25よりも上の男や女が、仕事帰りの電車で読む本なのだろう。おれははまりましたよ。ええ、はまりました。

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紙の本

貴子・起こり得た奇蹟。

2005/01/13 00:23

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:花の舟 - この投稿者のレビュー一覧を見る


 ともすれば吹き上がってきそうになる想いを、抑え抑えしながら読了しました。

 甲田貴子と西脇融を中心に描かれた青春群像に、自分のその時代とは何の接点もないはずなのに、どうしようもなく重なってしまう友人たちの顔、顔、顔。
 夜を徹して80キロをただただ歩く、北高の「歩行祭」で、貴子の胸に秘めた一つの賭けが、どう展開するのかもさることながら、恩田さんが鮮やかに描き分ける、高校3年生たちのどの人物にも、自分の過去の友達が重なってきて胸に迫るものがありすぎました。
 必死で歩く彼らが、苦痛を紛らわせるために話すおもしろいこと、楽しいこと、恋の打ち明け話、将来のこと。
 気の合う大事な友人としてお互いに選び合って、最後の行事をともに過ごすことの意味。 お互いを理解しあうためのぎこちないとも言える手続きが、今の私には眩しく思えました。友情だけは、差し替えがきかないものだと、つくづく思うからです。

 思い切ってやってみることで、つかむことができるものは、恋や勉強だけじゃない。
 貴子は、融との関係を、自分の人生に深く関わるものと捉えたからこそ、自分の賭けを行動に移せたのです。もちろん、後押ししてくれた友人たちの気持ちもちゃんと理解しながら。
 貴子と融における関係は、確か『まひるの月を追いかけて』で使われていたモチーフだったと思うのですが、それがこのような学園ものの青春小説でどう展開するのか、興味津々でしたが、実に鮮やかに恩田さんは、味付けを変えて差し出してくれました。「ノスタルジーの魔術師」の術中に見事に 嵌められました。
 起こり得た奇蹟は、ちゃんと私の胸に納まっています。

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紙の本

世界に包まれるということ

2005/02/01 09:17

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ゐ氏 - この投稿者のレビュー一覧を見る

ぼくにしては珍しく、この本を、もう、ずいぶん前に読みました。
(ぼくには、ベストセラー回避症というヘンなくせがあるんですが…)
で、読み終えて、いいな、と思いました。
マンガぐらいは読むけど、あんまりすすんで小説(字の本)は読まない子。
でも、なんか読んでみたいな、と、なんとなく思ってる子。
そういう、まだ好みや志向が固まってなくて、ふわふわしたところにある中学・高校生くらいの子がいたら、
「これ、よかったら読んでみたら?」
といってみたくなる、そんな感じです。

歩き続けた果てに生じる不思議な感覚は、それを体験した者にとっては、リアリティのあるものです。
作者の着想の根にも、実体験があるのでは?
ただ、体験があることと、それを虚構の作品としての力をもたせることは当然別です。
かなりの人びとに読ませた、ということは作家の技量の証でしょう。

しかし、ここには確かに、どこか自閉した感覚もなくはありません。
地方の進学校の伝統行事にこめられた人間関係。
それに違和感を覚えてしまったら、
この世界に入りにくくなるでしょうね。

でも、ぼくは、いいな、と思いました。
読んでみたら? といいたくなりました。
どこを読むといい、と思ったのか?
…たぶん、だれにもある〈うじうじ〉した心のエネルギーの空費を経てやってくる、
なんともいえない解き放たれた感じ。

たとえば、「融」が、
「『—もっと、ちゃんと高校生やっとくんだったな』(327頁)」
と漏らしたりするのは、
これがある意味で気楽でばかげた特別の時空で起きた一昼夜の出来事だと俯瞰してみると、
なんとも、ごく自然に受けとめられます。
ものすごいことばをあえて使わせてもらうと、ここにあるのは、
「愛」と「勇気」ですが、
見えてくる風景は、
まるで宮崎駿のアニメーションのように、
崖っぷちから視界が開いていって、空と海と地平線が生き物のように伸びていく、そして、そこへ向かって空中へ一歩踏み出す、そんな感覚です。
この小説が面白かったというひとは、
きっとそこに何かの歌を聞いているのでしょう。

「—もっと、ちゃんと○○やっとくんだったな」
という感慨は、年齢にかかわらず、ぼくら〈現存在〉を襲うし、
ぼくらの未来にたいしては、
ちゃんと○○をやる、という
ある種の希望を、生きた感覚で送り届けてきます。
これは、過去への声というだけでなく、
未来からの声のように聞こえます。
高校三年生の気楽でばかげた世界を触媒とした物語を
生き生きとした印象のままに読み終えたいなら、
懐古の感傷ではなく、
崖っぷちから開かれた視界を残像とするべきでしょう。

で、また、読み終わって抱く感想のひとつは、
必要なのは、「世界に包まれている」感覚だ、
という思いです。
ぼくらは、どこか「包まれていない」世界にいる。
自閉でなく、利己主義でなく、懐古でなく、でも、包まれている、という感覚は、
苦しくつらい世界を切り開いていく勇気の根っことして、なくてはならない。
それは、
進学校の高校生だけのものであるはずはない。
気楽でばかげていて安心できる世界は、必ずあるし、必ず要る。
絶対に肯定されるべき世界。
では、それはどこに?
いや、それはどうやって創られるか?
…それが、終わりにやってきたぼくの問題意識です。

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紙の本

ただ歩くだけ。それだけでこんなドラマが…

2005/02/22 00:58

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:いわさち - この投稿者のレビュー一覧を見る

現役高校3年生です。一応受験生でした。
受験戦争真っ只中にこの本を学校の先生に進められて読みました。
なんでこんな時期にと思ったけれど読んでよかった。
このはなし同じクラスにいる異母兄弟の話が軸になっている。
そこに彼らの友人たちとの友情や恋愛が絡んでいるいわゆる青春小説。
たった一晩のことなのに終わった後には世界が変わっている。
みんなと一緒に歩くだけ、ただそれだけで分かり合えたりする。
迷いが消えたりする。それってすばらしいな。

作者はどこかホラーのイメージがあって読もうという気がしなかったんですが、この作品でどっぷりとはまってしまいました。
この作品を勧めてくれた先生に感謝しています。
中高生にぜひお勧めしたい作品です。

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紙の本

高校生活が凝縮された2日間

2005/04/06 11:12

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:akira - この投稿者のレビュー一覧を見る

全校生徒が参加して夜を徹して80Kmの道のりを歩く「歩行祭」。高校3年の秋にその行事に参加する高校生たちの姿を描いた作品です。
この物語では、登場人物たちのすることのほとんどは「歩くこと」と「話すこと」であるわけですが、僕は「見る」という部分が印象に残りました。「見る」という行為は、何かに働きかけて、物理的な変化をもたらすものではありません。むやみに他人の領域(心理的および物理的な)に踏み込むことができずに、自分の中に抱え込んでしまっている状態が、「見る」という行為なのではないでしょうか。そして、他人に踏み込むことのできない遠慮、不安、焦燥の中で、自分の感情をさらにふくれあがらせてしまう部分もあると思います。
学校生活の中で感じていた、さまざまな級友たちへの感情の発露がこの物語には散りばめられています。そして、自分が相手にどんな感情をぶつけているのかを自覚することは、自分自身を発見することへもつながるのです。そして、「話す」ということは、そんな自分自身を相手に差し出すことであり、相手の話を聞くことは、相手を発見することにつながるのです。
もちろん、高校生の彼らが自分たちの関係性をこんなに冷静に分析できるというのはあまり現実的ではないので、これはやはり青春時代を後から振り返って読む小説なのではないかな、とも思うわけですが。

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紙の本

女性の1番弱い人と男性の1番強い人が、同じ位の強さである。

2005/08/11 15:56

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ひろし - この投稿者のレビュー一覧を見る

まずタイトルに惹かれた。まぁ、通常ピクニックは昼だ。だが、夜のピクニックが「アリ」か「ナシ」かといえば、別にあったっていいだろう。んじゃ実際それは一体どのような物なんだろか?と興味を惹かれてしまう。また表装がいい。田舎道を、まるで宗教団体のような白装束の少年少女が歩いている。遠く山の上には月が輝き、その違和感にまた惹かれてしまう。そしてさらに、「本屋大賞」受賞作品なのだと言われれば、期待度120%で突入した。
なるほどいわゆるピクニックではなく、とある高校で毎年行われる「歩行祭」が話の舞台となる。この歩行祭、ピクニックとはまるでかけ離れた催しで、一昼夜二日間に渡って全校生徒で80キロを歩きぬくと言ったものだ。だが生徒達はこの歩行祭に並々ならぬ思い入れを持って望む。途中棄権だけはしたくない。友達と一緒にまた校門を一緒にくぐる。それを夢見て必死に歩き続けるのだ。特に3年生は、高校生活の締めくくりとして、1番仲の良かった友達とゴールを目指す。
深夜に友達と一緒にいる非日常。そして極限まで達する疲労。そして、高校生活ももう終わりなのだという想いが重なって、普段口には出来ないような言葉が交わされる。
恋愛の悩み、複雑な家庭環境。進路や夢。今までどうしても言えなかった言葉が、するりと舌の上を滑った時、今まで凍てついて動かなかった、心が動く。そして心と心が同じ暖かいもので包まれた時、本当の友情が芽生える。
読みやすい文体ですらすらと読み進めた。が、この作品の何を持って「面白い!」と思えるか、だ。徹頭徹尾登場人物は高校生に絞られ、彼らの悩みが歩行祭の中で打ち解けていくのだが、それは、特に珍しくも無い恋愛の悩みや、ちょっと複雑な家庭環境の事。読み手がそれほどのめり込める物では無いように思えた。では自分の高校生時代へのノスタルジーが掻き立てられるかというと、これもまた大きな問題がある。登場人物の高校生が、えらくクヴァなのだ。ちょっとした言いまわしや表現の方法、考え方、目に映るものの捉え方など。何だか大人顔負けの表現をする。進学校、という設定になっているけど、やっぱりなんか、らしくない。高校生、もっと青くさくて元気一杯、良い意味で馬鹿なイメージを持ちたい。

ただ表題にも書いたが、男性よりも女性の方がずうううっと強い、というのが良く分かる一冊だったりした。

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