電子書籍
クジラについての解説書でもあります
2019/01/27 18:45
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
グレゴリーペック主演の「白鯨」をテレビで初めて見たのは、遠く中学生のころだったか、ひょっとしたら小学生高学年だったかもしれない。とにかく乗組員の迷惑顧みずただひたすら白鯨に復讐を誓っている男の汗臭い映画だったと記憶している。この小説は上中下3冊に別れている長編で、「わあ、延々と執念深いエイハブ船長とお付き合いしていかねばならないのか」と覚悟をしていたのだが、中にクジラの豆知識コーナーに留まらないクジラの生態から処理方法、甲板の掃除のことまで網羅されている捕鯨のあらゆる知識が挿入されていて、船長の汗臭さを中和してくれている。また日本の開国まで予想しているメルヴィルの博識に脱帽する
紙の本
日本が幕末のころ、アメリカ人が見ていた世界。捕鯨民族史としても面白い。
2008/12/22 11:44
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本をきちんと読んでみようか、と思った動機をまず書いておきたい。たいしたことではない、大河ドラマで「幕末」を扱っていたから、である。どなたかも書評に書いておられたが、「歴史に興味を持つきっかけ」としてはなかなか役立ってくれたのではないだろうか。そのころ世界は、ということでこの本を読む気になった。
日本があのようにざわついていた頃、アメリカではこの「白鯨」が書かれていた。ほんの数行だが、「日本ももうじき開国するだろう」というようなことに触れている部分もある。捕鯨船は随分日本の近くまで来ていたのだ。
恥ずかしながら、いつの間にか子供の頃に読んだピーターパンのフック船長とエイハブ船長が融合してしまっていた「白鯨」のイメージは、読んでみると随分違ったものだった。
とりあえず岩波文庫で読んだのだが深い理由はない。わりに最近の訳であることと、航路や船の構造図などが載っていること、掲載されている挿絵の不気味さが想像力を引きつけたからという程度である。
文庫3冊を積み上げれば5,6センチにはなる長い物語ではあるが、記憶にあるようなストーリーはところどころに挟まっているような感じで、白鯨との実際の戦いは最後の3章分、10%にも満たないのではないだろうか。よく引用される、「私のことはイシュマエルと呼んでくれ」という、唯一人生還した乗組員の語り始めの言葉の前にも、数十ページ「鯨関係の句集」みたいなものがあるし、途中にも「鯨学」なる分類的な章、挿話などが沢山ある。鯨を見つけ、追いかけ、解体し油をとる作業なども詳しく書かれている。著者自身も捕鯨船に乗った事があるとのことだから、この時代の捕鯨事情として読むのもなかなか面白かった。
ピークォッド号には、さまざまな人種が乗り込んでいる。「蛮人」とかの差別語もぽんぽん出てくる一方、語り手はそんな蛮人にも高貴なものを感じる、などという。差別なく皆雑多に混じっている、という「アメリカ的」を象徴している、というのはごく一般的なこの本の読み取り方であるらしい。( そういえば、9.11の後、アメリカ大統領がなにやら「白鯨」を引用していたらしいのだが、小説では最後にピークォッド号が沈んでしまうのはどう解釈していたのだろうか。)途中で出会う船もさまざまな国民性のカリカチュアのようだ。エイハブ船長がこっそり連れてきた自分専用の「こぎ手」である怪しげな「異教徒」が、オリエンタル、と評しているが「しわくちゃの黒木綿のシナ服にだぶだぶズホン。白いターバン」と、その頃の「オリエンタル」のイメージはそんなものか、と思わせる部分もある。
記載的な文章や、戯曲風の部分もあり、全体像がわかりにくい作品ではある。いったい著者は何を書きたかったのか。ひとそれぞれ、の読み方ができるので、さまざまな議論も時代を経て続いているのもうなづける気がする。
最初に書いた「読んだ動機」に戻っておこう。日本の中が「攘夷」だ、「開国」だと騒いでいた頃、アメリカ人はこんな風に世界を見ていたかもと思って読むのも一興、の作品である。世界の流れと日本の流れをこうやって「同時期」という視点でみてみるのも、いろいろと新しい考えを触発してくれるのではないだろうか。
紙の本
歯応えのある本の代表格
2023/06/01 13:40
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投稿者:あき - この投稿者のレビュー一覧を見る
歯応えのある本で、挫折者多数の本と知りながら気合を入れて読み始めた。
ネット上の情報によると、上巻を読む前に下巻の翻訳者解説を読んだ方が挫折しにくいとのことだったので、下巻の解説を読んでから読み始めた。
描写が非常に細かく、読んでも読んでも先に進まない、、読みながら、「いったいいつになったらこいつは捕鯨船に乗るのだろうか?」と何度も思った。そして、いつまでたっても、船は出航しない。
でも不思議なことに読んでいることに苦痛を感じないし、むしろ、どんどん引き込まれる。
読んで価値のある本ですので、ぜひ勇気を出して読んでみてほしいです。
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パトスとロゴスごたまぜで、たっぷり大盛りいっちょうあがり! キャラ立ちすごい。流れだけでなくうんちくも面白い。
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・鯨骨の義足をがつがつならして白鯨モービーに気持ち悪いまでの執念を燃やす船長とそんな船長に内心ドン引きしながらもなんとなく逆らえない仲間たちの話。・STARBUCKSCOFEEのスターバックスはこの作中の登場人物、コーヒーだいすき一等航海士スターバック副船長にちなまれている(スタバのマークのモチーフは、船の舳先についているセイレーン像。店内も航海モチーフ)・数ある白鯨の日本語版では、このカバーが雰囲気でてる、すき
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この作品は語り手、イシュメールによる物語の部分と、鯨学など学術的な部分、そして劇の部分に分かれています。それが見事に融合して、白鯨という得体の知れない海の怪物を追う者たちの姿が見事に描かれているのです。白鯨への復讐に全身全霊をこめるエイハブ船長、それを引き止めようとするスターバック(スターバックスコーヒーは彼の名前からきています) 荒くれ者だけどロマンチストな面もあるスタッブ、勇敢で心優しい人食い人種のクイークェグ。あらゆるキャラクターが一つの船に乗っていて楽しい。
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この巻は丸々導入部。主要人物の説明と目的と目標が語られる。
ボーの影響とシェイクスピアの影響がある。唾棄すべきとか名状し難いなどはラヴクラフトを読んでるよう。主人公と高貴なる野蛮人クゥイークェグの関係はファーマーのリバーワールドにおけるクレメンズとカズのようだ。
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重量感たっぷりの外国の小説を読むのは久しぶりです。まだモービィ・ディックは姿を現さない。それはエイハブ船長や航海士、銛打ち、船員たちの妄想や噂のなかで生きている。さあ、これからどのような怪物ぶりを見せてくれるか、船長たちはどのように立ち向かって行くのか、そしてどのようなフィナーレを迎えるのかじっくり味わうことにしよう。
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岩波文庫の訳は阿部知二訳と八木敏雄訳のものがある。最近のは八木訳であり、阿部訳は絶版で、入手するには古本屋を探すか、amazonのマーケットプレイスで探すしかない。
八木訳は捕鯨船の図解や、捕鯨の専門用語にルビが丁寧にふってあり、親切で読み易いが、古めかしい独特の言い回しが特徴の阿部氏の訳の方が個人的には好きだった。
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言わずと知れた世界文学史上に残る名作、その新訳。
いやはや、面白いです。上巻は語り部・イシュメールの自己紹介に始まり白鯨・モービィ・ディックについての叙述で終わる、いわば導入編ですが一気に読み進めてしまいました。
とにかく登場人物がいい。主人公、というよりもどこまでも諦観的な語り部であるイシュメール、その親友となる「高貴なる野蛮人」クィークエグ、そして何より狂熱と知性を併せ持つ復讐の鬼・エイハブ。衒学的、かつ時に冗長ですらある語り口が、かえって彼らの個性を際立たせています。「主要登場人物」に記載された以外の人物――元船乗りのマップル牧師、不吉な預言を残す謎めいた男・エライジャなどなど、彼らも出番は少ないながら鮮烈な印象を残します。
先に述べたように物語としては完全に導入部、それでありながら一気に読み進めることが出来るのは文章の力ゆえでしょう。戯曲のように記された章があるなど、文体の工夫という意味でも興味深いです。
新訳ということもあり非常に読みやすい。様々な研究を踏まえた注釈も充実しており、快適に読み進めることが出来ます。お勧めです。
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再読。ちまちま読んでたら3ヶ月もかかったが、この規格外のスケール感を味わうにはそれくらい必要かもしれない。
捕鯨船船長エイハブが宿敵である白鯨を仕留めるため航海に出る、という一応の筋はあるものの、そこに収まることなく脱線に脱線を重ねる。本筋は一向に進まず脱線が主役になるが、その脱線こそが作品の面白さでもある。
鯨の分類に一章を費やし、捕鯨道具の説明が延々と続く。鯨に関わることなら全てを書き記す勢いで、言ってみれば鯨を中心にした、あるいは鯨を通した世界の記述。ここでは世界の中心は鯨であり、鯨を中心に世界は動く。
この世界観の大きさがとにかく尋常でない。物語はともかく、膨大な蘊蓄と雑学と逸話で彩られた鯨中心の世界にどっぷり浸かる快楽は、ほかに似たもののない唯一無二の作品だと思う。
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内容(「BOOK」データベースより)
「モービィ・ディック」と呼ばれる巨大な白い鯨をめぐって繰り広げられる、メルヴィル(一八一九‐一八九一)の最高傑作。海洋冒険小説の枠組みに納まりきらない法外なスケールと独自のスタイルを誇る、象徴性に満ちた「知的ごった煮」。
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大学の時レポートのために読まされた笑。
教授が解説してくれたけど、ぜんぜん理解できなかった。
私には難しすぎる世界・・・学部選びを間違えたなと思った瞬間。
そのせいかなぜか強く印象に残ってる作品。。。
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児童用の簡易訳は読んだ。グレゴリー・ペックの映画も観た。「スナック モビー・ディック」と「スターバックスコーヒー」が向かいに建っていてどっちが勝つんだとか思ったこともある。(「モビー・ディック」が先に閉店した)
しかし今まで手を出せなかったのは、
この作品は小説でなくて捕鯨の論文だとか、
いや小説や論文といったジャンルですらなく「白鯨」というジャンルだ、とか、
キリスト教の隠喩が多いとか、
難解だ~、
などという噂ばかりを聞いてちょっと手を出しづらくて。
しかしいつまでも恐れていてもしょうがない、今こそついにと手を出してみた。
冒頭は主要人物紹介で誰がどうやって死ぬとかネタバレ状態、その次は航路や捕鯨船の船体説明、本編が始まったら鯨についての多くの資料からの引用集。
これは確かに特殊な小説形式だと思っていましたが話が始まってみたら、私が比喩隠喩論文を理解していないだけかもしれませんが、小説部分はごく普通に楽しめる、そんなに身構えずに素直に読書体験を楽しめる一品でした。
なお本文中では鯨を旧約聖書に登場する悪魔的な海の怪物”レヴィヤタン(Leviathan)”と訳されていることが多い。
これは英語の”WHALE”で感じるようなただ大きな海の生物というだけでなく、もっと強い力を感じる生物として人間がどのように捉えてきたか…という象徴でもあるのか。
===
私を「イシュメール」と呼んでもらおう。
語り手は、陸の生活が嫌になると海に出る生活を送るという若者。数年前に捕鯨船に乗った時の体験を語る。読んでゆくうちにイシュメールの乗った捕鯨船は、彼以外の乗組員と共に沈んだのだと分かる。
イシュメールは海に出る前に、南太平洋の”人喰い人種”クイークェグと知り合った。
クイークェグは南海の島(ポリネシア?)の大酋長の息子で世界を見るためにキリスト教徒の国で暮らしている。イシュメールは、全身の入れ墨を施し、干し首を売って歩き、先祖代々祀ってきた神に祈りを捧げるこの異教徒の中に、高貴なる野蛮人の姿を見出し好意を持つ。そして彼らは真の友情を誓い合う。
…えーーーっとね、船乗りにとってはよくある友情表現なんなのかどうなのか、このイシュメールとクイークェグとの友情表記が
「額をくっつけ合って『これで私達は夫婦だ』と儀式を行った。夫婦と言っても心の友という意味であり、必要とも有らば相手のために喜んで死ぬという関係」
「同じベットで和み愛し合うペアーとして心の蜜月を過ごした」
「ベッドの中ほど心を打ち解けて話せる場所はない」
「クイークェグは彼の足を私の足に絡ませたり…」
「白人(イシュメール)と野蛮人(クィークエグ)が並んで仲良く歩くのは珍しがられたが私は気にしなかった」
「クイークェグの勇敢な姿を見た私は、フジツボのように彼から離れなかった。…彼が海に沈むまで」
などという記述が続くんですが、これは死と隣り合わせの船員なら当たり前の友情の示し方なのか…(--?)
この実に濃い友情表現のため、私が読む前に勝手に敬遠していたこの作品へのハードルは一気に下がった(笑)
さて、彼らが乗ることにした船は、エイハブ船長の指揮するピークオッド号。乗船前に浮浪者といった態のエライジャという男が現れて不吉な予言をよこす。
船長のエイハブは片足を義足として船板の孔に固定して命令を下すような初老の男。エイハブの片足を奪ったのは、捕鯨船の船員たちにとっても象徴的な存在であり”モビー・ディック”という固有名(洗礼名)を付けられた巨大な白い鯨だった。話が進むにつれ、エイハブが白鯨モビー・ディックに寄せる偏狭的な復讐心が明かされてゆく。
巻末の解説によると、そもそも旧約聖書における「イシュメール」という名前は、歯向かう者、追放者などの意味があり、純粋なキリスト教徒に名付けられたり自ら名乗ったりする名前ではない…ということ。
また「エイハブ船長」などの人名や「ピークオッド号」という名称は聖書やアメリカの歴史からつけられたもので、不吉な名前であったり何かを引喩していたりするとのこと。
そんな不吉さを纏って捕鯨船ピークオッド号は出港し、船乗りたちそれぞれの想いが語られる。
一等航海士のスターバックは、家族も捕鯨船員で敬虔なクエーカー教徒。真面目で冷静な部分もあるが狂信的で向こう見ずな面も持つ。彼を生き延びさせたのは鯨を恐れる気持ちがあるからであり、それは正しい恐れ方だった。
二等航海士は陽気なスタッブ。いつも手放さないパイプは最早体の一部だ。
三等航海士のフラスクは小柄で頑丈で現実的。
彼ら航海士達が指揮を取る鯨獲りのボートには、それぞれ銛打ちと船員たちが乗る。
スターバックの船の銛打ちはクイークェグで、となると当然語り手イシュメールもこの船に乗っかっている。
スタッブの銛打ちは、インディアンのタシュテーゴ。
フラスクの銛打ちは、アフリカ人のダグー。(巨大なダグーと小柄なフラスクの取り合わせ)
ピークオッド号が航海中に起きたことの小説としての書き方がなかなか面白い。
船員たちが甲板で陽気にそれぞれの仕事を行う様子はミュージカル調に書かれ、
船長室に閉じこもり思いを巡らすエイハブ船長と、エイハブの狂気に対するスターバックの憂いは演劇調に描かれる。
”わたし”という一人称で語られる割には目線は実に自由奔放。
さらにピークオッド号の”物語”と同時に語られるのは膨大な鯨薀蓄と鯨考察。捕鯨の歴史、鯨の習性、鯨の種別など。
この「白鯨」では鯨の種別は大きさで分けていて、イルカは一番小さな鯨としている。そして鯨は魚に分類されています。鯨とはなんぞや、とは、作者メルヴィルの時代にもかなり論争されていたようですね。
そして捕鯨者たちには有名な白い凶暴な鯨、”モビー・ディック”について語られて、上巻は終わる。
===
「白鯨」の話は二つの流れが混じりあいます。
①イシュメールの乗った捕鯨船ピークオッド号の物語。
⇒巨大な白鯨モビー・ディック、エイハブ船長の妄執、乗組員たち、航海中に出会った他の捕鯨船の話。
一人称”わたし”で基本的にイシュメール目線だが、イシュメールがいない場面��書かれる。
②鯨談義
⇒鯨と人間についての色々。
一人称”わたし”だが、作者のメルヴィル自身がイシュメールに交じってるような状態。(「ピークオッド号から数年後のイシュメール」という可能性もあるが)
①の物語は、登場人物たちがそれぞれ個性的で楽しく、
②の論文のほうは学術的に正しいのかどうかは全く不明ですが、論文とも小説とも言い切れず、「話の面白い人に、その人が拘っていることをひたすらしゃべらせた」みたいな感じで理解はできていないが文章として面白い。
後書の解説はかなり丁寧。後書と言うか調査研究。
聖書などの隠喩、捕鯨に対する歴史解説、出てきた名前の意味、作者のメルヴィルの状況などなど。
このピークオッド号が沈むことはイシュメールの語りや不吉な予言や隠喩により示唆されているが、
作者は語り手を通して「人間は醜い面や弱い面を見せることもあるけれど、本来は高貴な面も持っている。だから自分はその高貴な面を語りたい」と書いている。そのためか散々不吉不吉~と仄めかしてる割には流れは決して暗くはない。
本格的に捕鯨が始まるであろう中巻に続く~~。