紙の本
日本美術史の転換点
2017/10/22 13:39
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:想井兼人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
近世美術史の入門書と言える存在です。
伊藤若冲や曽我蕭白など、特別展を開催すると行列ができる絵師を紹介していますが、本書のもとになった単行本が刊行された当時はそれほど知られる存在ではなかったようです。
本書にはさまざまな絵師の作品だけではなく、その人となりや背景事情などを多角的に紹介してくれています。
特別展で絵画を鑑賞することとは異なった面白みがあります。
また、奇想の系譜が近世美術史の王道のような状況になった今ひもとく本書は、美術作品や絵師などに対する評価の曖昧さを教えてもくれました。
絵画鑑賞のこつもなんとなくとらえることができる本書。
これからの絵画鑑賞を楽しむためにもぜひ一読をお勧めしたい1冊です。
紙の本
刊行当時、美術界にセンセーションを巻き起こした一冊です!
2020/04/11 14:54
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、これまで絵画の世界では傍系と見做されてきた岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢蘆雪、歌川国芳といった、いわば表現主義的傾向をもった画家を「異端」ではなく、「主流」という仲で前衛と再評価を下した、伝統的な絵画史を一転させるだけの力をもった一冊です。同書によれば、上記の絵師たちの作品は、意表を突く構図、強烈な色、グロテスクなフォルムなど、伝統的なものとは全く異なっていたために、「エキセントリックで、ファンタスティックなイメージ」をもってはいるが、あくまで主系ではなく、傍系として考えられてきたということです。しかし、同書では、こうした絵画を「奇想」という言葉で定義して、主流として再評価しようと試みたもので、刊行当時は、美術界にセンセーションを巻き起こし、後に若冲らの大規模な再評価の火付け役にもなったと言われる名著です。同書には、図版も多数収録されていますので、彼らの絵画を目で楽しみながら、同書を読んでみてください。
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投稿者:七無齋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
これは自分の感性を養う本であって、他人の批評に惑わされるべきではないと説く。奇想の作品の解説をしているが自分なりの鑑賞法が大事だということ。
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岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢蘆雪、歌川国芳の作品紹介と評伝をまとめた本。1970年に、こうやって、このへんの画家をまとめて紹介したという功績は大きいだろうなと思う。俺が国芳とかを意識して見るようになった1982年くらいでも、まだ国芳の戯画のまとまった画集とかは無かったわけだし。若冲の入手しやすい画集なんて、未だに無いし、蕭白の画集も美術全集くらいしか見ない。しかし、この本に取り上げられている「奇想」の画家達に共通するのが、卓抜したテクニシャンであるというのが、何というか当たり前だけど面白い。「奇想」なんてものを形にするには、相当な技術が必要なのは当たり前というか前人未到に説得力を与えるのがテクニックというか、それを思い知らされる。日本画のイメージって、未だ固定的な気もするから、この本の役割はまだ終わってないのだと思う。
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あまりにも有名な辻惟雄による美術書。ほとんどの作家を事前に展覧会などで見てからこの本に行き着いたわけだけれど、面白い。なんだか、これを読んでて思ったんですけど、この人は写真家みたいですね。あくまで表現者は奇想の画家達なわけであって。けれど、こうゆう切り取り方をすると本当に面白いという。やっぱり、ある種の表現者なんじゃないかな。
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めくるめく江戸絵画ワールドへ人々を引きずりこみたくてたまらない辻先生の鼻息も荒い名著。でも実際、せっかく日本に生まれたのに元禄文化だの化政文化だのという言葉に騙されて蕭白や又兵衛を知らないのはやっぱり損してる。
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伊藤若冲他、ナンジャコリャア!!な日本美術を紹介しています。こんなにエキセントリックな絵を、江戸時代に描いていた人がいたとは思わなかった。
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(2006.03.05読了)(2006.02.28購入)
この本の初版は、1970年3月に美術出版社から出版され、その後、1988年6月にぺりかん社から刊行され、2004年に文庫として出版された。
近年、長沢芦雪、岩佐又兵衛、曾我蕭白の絵を見たのだけれど、活字人間としては、本で読まないと落ち着かない面があるので、「ニューヨーク・バーク・コレクション展」の会場で販売していたこの本を入手して、読みました。
取り上げられている画家は、岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若沖、曽我蕭白、長沢芦雪、歌川国芳の6名です。
図版も多数入っていますので、既に見たことのある人は、作品の確認になりますし、見たことのない人は、どんな絵を書いているのかを見ることができます。きっと本物を見てみたいと思うでしょう。
●岩佐又兵衛
岩佐又兵衛は、摂津伊丹城主荒木村重の子として1578年に生まれました。岩佐は、母方の姓です。
絵巻物「山中常盤」「堀江物語」「上瑠璃」について詳細な解説があります。
「山中常盤」は、現在MOA美術館に所蔵されているということですが、昭和3年にドイツ人の手に渡る寸前のところを、当時第一書房の長谷川巳之吉氏が、家を抵当にし、電話や浮世絵のコレクションなどを一切合財売り払って得た金で手に入れたということです。海外へ渡った作品もたくさんありますが、かろうじて日本に残ったものもあるということになります。
「山中常盤」の絵の凄さは、この文庫本の表紙をめくるとすぐカラーの図版が目に入りますので、是非本屋で見てください。きっと驚きのあまりすぐ本を閉じてしまうでしょう。心臓の弱い方は、この本を手に取る事は止めてください。危険です。
岩佐又兵衛は、千葉市美術館の展覧会で、絵巻物「山中常盤」「堀江物語」など、たくさん見せてもらいましたが、出光美術館などでも見ることができます。
●曾我蕭白
蕭白は、渋谷区松涛美術館で、「群仙図屏風」を見せてもらいました。日経「美の美」のコラムで見て以来、何年も本物を見てみたいと思い続けた屏風絵でした。一度見たら虜になってしまう絵です。「石橋図」は、今年、バーク・コレクション展で見ました。
北斎の富嶽百景もかなり大胆な構図を使いますが、これはもっと凄い。獅子の群れが崖を駆け上っている!絵の前であきれてしまいました。
●あとがき
日本のコレクター、専門家諸氏の大多数が、この本に出てくるような作品を、えげつないと袖にしている間に、それらがどんどん海外へ渡っているという現状であって、例えば、若冲、蕭白、芦雪、米山人など、魅力的な作品が古美術市場に現われると、アメリカの熱狂的なファンの手に帰してしまう。代表作を見たいのならどうぞアメリカへということになっても、やはり後々困りはしないかと思うのである。
著者 辻 惟雄(つじ のぶお)
1932年 名古屋市生まれ
1961年 東京大学大学院博士課程中退(美術史専攻)
MIHO MUSEUM館長
(「BOOK」データベースより)amazon
意表を突く構図、強烈な色、グロテスクなフォルム―近世絵画史において長く傍系とされてきた岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢蘆雪、歌川国芳ら表現主義��傾向の画家たち。本書は、奇矯(エキセントリック)で幻想的(ファンタスティック)なイメージの表出を特徴とする彼らを「奇想」という言葉で定義して、“異端”ではなく“主流”の中での前衛と再評価する。刊行時、絵画史を書き換える画期的著作としてセンセーションを巻き起こし、若冲らの大規模な再評価の火付け役ともなった名著、待望の文庫化。大胆で斬新、度肝を抜かれる奇想画家の世界へようこそ!図版多数。
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この本は歴史的な背景や位置づけをわかってないとホントの評価はできない。若冲などがすでに十分に再評価された現状においては、どの程度価値があるのか判断が難しい。
しかし解説を読むと、その価値は高そうだ。淡々と既知のことが書かれているように見えて、当時一般にはほとんど知られていなかったことであったりする。そこには著者と読者の知識に相当のギャップがあるのだろう。
自分には絵を見る目はないが、若冲の絵を見るにつけ、なぜかルソーを思い出していた。思いもかけず指摘された類似性に、案外的外れじゃなかったのかと嬉しくなったな。
あと、蕭白かっけぇ。
(2007/10/3)
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まさに、奇想。おとなしく収まるなんて考えもしない人たちなんだろうな。自由なんていう言葉のないような時代に生きた自由な人たちだと思った。日本画への考え方が変わった。
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歴史の闇に消えた絵師たちに、再び光をあてた名著。
時間がながれても、その奇想の世界は今も私たちに衝撃をあたえる。
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70年代にこの本を出したのは本当にすごいと思う。現在の若冲・蕭白ブームの立役者。(いいぞもっとやれ)
あっさりすっきり地味にこぎれいにまとまって侘び寂びであることが特徴のように思われてしまいがちな日本美術ではありますが、決してそんなことはない! と判りやすく面白く導いてくれる入門書。
そしてこれを読んだら、是非に是非に、近くの美術館へ出かけることを勧めたいのです。まったく違った世界がそこにはあるはずですから!
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いまひとつ体調がすぐれなかったり天気がグズついたりで、美術館へ足を運ぶのがなんとなく億劫な日に読むと、いいイベントを開催中の美術館へ行ったような気にさせてくれる近世日本画美術の傍流解説本です。
著者・辻さんご自身も文庫版あとがきで書いておられますが、まさか若冲なんぞがこんなメジャーになるとは、思いませんでした。
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-2006.04.03記
書の初版が刊行された1970(S45)年当時、衝撃的な異色作として迎えられたことだろう。
文庫版解説の服部幸雄の言を借りれば、「浮世絵以外の近世絵画の中にこれほど迫力があり、個性的かつ現代的な画家たちが存在していたとは、思ってもいなかった。そういうすぐれた画家たちがいたことを、私は多くの作品とともに、本書によって初めて教えられた。眼からうろこが落ちるとは、こういう時に使うべき表現であろう。」ということになり、「近世絵画史の殻を破った衝撃の書」と賞される。
初版は、1968(S43)年の美術手帖7月号から12月号にかけて連載された「奇想の系譜-江戸のアヴァンギャルド」を母体に、新しく長沢蘆雪の一章を加筆したのが70年「奇想の系譜」として美術出版社から出されたのだが、それは江戸時代における表現主義的傾向の画家たち-奇矯(エキセントリック)で幻想的(ファンタスティック)なイメージの表出を特色とする画家たちの系譜を辿ったものだが、美術手帖連載当時、部分的には私も眼にしていたものかどうか、40年も経ようという遠い彼方のこととて深い靄のなかだ。
ただその頃、厳密には少し前のことになるが、広末保らによる幕末の絵師「土佐の絵金」発見があり、そのグロテスクにして奇矯な色彩、劇的な動きと迫力に満ちた絵画世界が注目されていたことは、私の記憶のなかにも明らかにある。絵金の表現する頽廃とグロテスクな絵は、宗教的・呪術的なものに媒介された絢爛と野卑の庶民的な形態としての実現であったろうし、民衆の想像力として爆発するそのエネルギーに現代的な意義が見出されていたのだろう。
著者は「奇想の系譜」を、岩佐又兵衛(1578-1650)、狩野山雪(1590-1651)、伊藤若冲(1716-1800)、曽我蕭白(1730-1781)、長沢蘆雪(1754-1799)、歌川国芳(1797-1861)と6人の画家たちで辿ってみせる。彼らの作品は、常軌を逸するほどにエキセントリックだ。或いは刺激的にドラマティックだ。また意外なほどに幻想的で詩的な美しさと優しさに溢れていさえする。それらはシュルレアリスムに通底するような美意識を備えており、サイケデリックで鮮烈な色彩感覚に満ちていたりする。まさしく60年代、70年代のアヴァンギャルド芸術に通ずるものであったのだ。
著者はあとがきで言っている。「奇想」の中味は「陰」と「陽」の両面にまたがっている。陰の奇想とは、画家たちがそれぞれの内面に育てた奇矯なイメージ世界である。それは<延長された近代>としての江戸に芽生えた鋭敏な芸術家の自意識が、現実とのキシミを触媒として生み出したものである。血なまぐさい残虐表現もこれに含めてよいだろう。これに対し陽の奇想とは、エンタティメントとして演出された奇抜な身振り、趣向である。「見立て」すなわちパロディはその典型だ。この一面は日本美術が古来から持っている機智性や諧謔性-表現に見られる遊びの精神の伝統-と深くつながっている。さらにまた芸能の分野にも深くかかわっていた。奇想の系譜を、時代を超えた日本人の造形表現の大きな特徴としてとらえること、と。
辻惟雄の近著「日本美術の歴史」(東京大学出版会)では、これら奇想の系譜の画家たちが、美術史の本流のうちに確かな位置を占めている筈だ。
――2006.04.03 記す
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現在の奇想画家ブームの火付け役の本。
今や主流ではありますが。
美術史のように堅苦しいものではなく、画家本人についてのエピソードや絵の解説なので、少しでも興味のある方なら読みやすい本だと思います。
奇想画家がお好きな方は、是非一読をお勧めします。