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国家とはなにか
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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2005.6
  • 出版社: 以文社
  • サイズ:20cm/283p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-7531-0242-4
  • 国内送料無料

紙の本

国家とはなにか

著者 萱野 稔人 (著)

国家が存在し、活動する固有の原理とは何か。「国家は暴力に関わる一つの運動である」。この明解な視点から現代思想の蓄積をフルに動員し、国家概念に果敢に挑む。次世代を担う国家論...

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商品説明

国家が存在し、活動する固有の原理とは何か。「国家は暴力に関わる一つの運動である」。この明解な視点から現代思想の蓄積をフルに動員し、国家概念に果敢に挑む。次世代を担う国家論の展開。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

萱野 稔人

略歴
〈萱野稔人〉1970年生まれ。パリ第十大学大学院哲学科博士課程修了。現在、東京大学大学院総合文化研究科21世紀COE「共生のための国際哲学交流センター」研究拠点形成特任研究員等。

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みんなのレビュー18件

みんなの評価4.3

評価内訳

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紙の本

暴力から見た「国家」

2006/04/23 19:53

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:king - この投稿者のレビュー一覧を見る

国家とはなにか、を原理的に分析するきわめて理論的な本。よく整理されていてとてもわかりやすい。酒井隆史の「自由論」や「暴力の哲学」と併読することを著者自身が後書きで勧めている通り、この本は国家を暴力の運動として捉えるという視点を据え、一種の暴力論として書かれている。

まず著者はウェーバーの国家論から始める。

「国家とは、ある一定の領域の内部で——この「領域」という点が特徴なのだが——正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する人間共同体である」

「物理的暴力」を独占すること。つまり、それ以外の暴力を禁止することが、国家の大きな特徴の一つだとする。これは、法律や警察、軍隊を考えると納得できるだろう。ここから著者は必然的に導かれることとしてこう書く。

「つまり、自らの行使する暴力だけが正当であると実効的に主張しうるためには、国家は社会のなかでもっとも強大な暴力を行使できるのでなくてはならない」

なぜ暴力が重要なのか。著者は端的にこう論じる。力関係において優位にあるものは、その力をちらつかせることで、相手に命令を聞かせることができるからだ。暴力は命令が実行力を持つ根拠になる。「法の実効性は暴力によって支えられている」と著者が語るとおり、法に違反したときそのものには最終的には死刑という暴力を課すことができる。これが権力だ。

権力、暴力はでは、何のために用いられるのか。それは、自らにとって有益なものを獲得するため、つまり富の蓄積のためだ。

「国家を思考するためには、だから、人間本性が善なのか悪なのかと問う必要はなく、もっぱら、富の我有化を可能にする暴力の社会的機能を問うべきなのだ。富と暴力の結びつきは必然的なものである以上、人間の本性が善だろうが悪だろうが関係なく、暴力の蓄積運動は起こる」

国家が存在するのは、畢竟、暴力によって富を蓄積することが「現実的」に可能だからだ、というこの身も蓋もない指摘は、しかし非常に重要だろう。酒井隆史も「暴力の哲学」のなかで、サルトルの「受肉した存在であるわたしたちにとって、暴力は宿命である」という言葉を引用している。暴力や国家を、単になくすべき悪として描くことでは有効な批判たり得ず、いったんそれがわれわれにとって宿命的に持ってしまっているものとして受け入れることからはじめ、それを冷静にコントロールする方向へ持って行くこと。暴力論としての本書や「暴力の哲学」が繰り返すのはそのことだ。

また、富という観点から重要なのは租税の根拠だ。一般には、租税は国民の安全の保障のために使われるもので、住民は自らのために負担するというような見方がある。著者は、この思考は決して妥当ではないとする。これは結果と原因の取り違えなのだ、と。税を徴収することができるためには、まず暴力の優位性がなければならない。住民による合意形成があって、税が徴収されるのではなく、合意を強要できるほど暴力の優位性をもつものが、税を徴収できると指摘する。そこから、住民の安全のことも導かれる。

「国家が暴力を蓄積することでまもろうとするのは、住民の安全ではなく、みずからの保全である。国家にとって「軍事的保護」が意味するのは、他のエージェントによる攻撃からその土地におけるみずからの暴力の優位性と富の徴収の権利をまもること以外ではない。その点からみれば、税を徴収される住民の安全は副次的な問題にすぎない」

国家にとっての安全とそこに居住する住民にとっての安全は重なることはあっても決して同一ではない。

先にわたなべさんが評しているような欠点もあるけれど、全体にとても面白い。以下リンクでより詳しく紹介。
「壁の中」から

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紙の本

著者コメント

2005/06/17 10:32

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:萱野 稔人 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 国家は思想的にも政治的にもおおきな問題をなしている。
しかし多くの場合それは曖昧なしかたでしか論じられない。国家とはそもそも何なの
かということが問われることはきわめて稀だ。これに対して本書は、そうした根本的
な問いにまでさかのぼって、国家を統一的な視座から理論化することを目指してい
る。
 国家について、しばしば次のように問われてきた。それは実体なのか、それとも人
びとのあいだに打ち立てられる関係なのか、と。
 しかし国家は実体でもなければ関係でもない。では何なのか。さしあたってこう
言っておこう。国家はひとつの運動である。暴力にかかわる運動である、と。

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紙の本

新しい批評家の登場

2006/02/08 15:27

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:わたなべ - この投稿者のレビュー一覧を見る

平易な文章で書かれた理論書で、「国家」という概念の根底に暴力を見て、一種の力学的な構造を抉出していく手つきは極めて明快であり、かつ説得力に富んでいる。ひさしぶりに理論的な本を読んだという気がした。
ウェーバー、シュミット、ベンヤミン、フーコー、ホッブズ、スピノザ、アルチュセール、などの文章を引用しそれに批判を加えまた解釈を加えして展開する論はいかにもポストモダン以降の理論家といった風貌を見せていて、しかしいわゆるポストモダン的な「戯れ」とは無縁のぶっきらぼうな実践的態度が、新世代の批評家の誕生といった印象を与えてくれる。
もっとも、暴力論を基底にした首尾一貫した論理で「国家」という概念をキリキリ練り上げていく手腕は見事ではあるのだが、その原理性ゆえにどうも結論が先取りされて分析が組み立てられているように思われる箇所も見られ、それは国家の成り立ちについて歴史的に分析するところなどに多く現れているように思えた。
本書で対象とされている「国家」はやはり西欧に出自をもつ近代国家から遡行して抽象された「国家」であって、いわゆる「アジア的専制」や「アフリカ的段階」といった別の思考といかに交叉するのか、といった疑問を感じずにはいられなかった。

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紙の本

先だつもの

2008/12/18 19:58

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:半久 - この投稿者のレビュー一覧を見る

思想・哲学書のなかでも、(一部をのぞいて)ひじょうに読みやすい部類の本だ。理由は三つ。

一つは、他の評者さんもご指摘のように、論理展開がじつに理路整然とすすむこと。
二つめは、引用が多いが、それがただ提示されるのではなく、反芻されて著者の言葉として議論に組みこまれて進行するところ。おかげで、本文に比べややわかりにくいものもある引用文の内容が有機的に連動する。
三つめは、より主観的な見方だが、ひらがな率の高さである。漢字は名詞を中心とし、かなりの数の動詞・形容詞などをひらがなにしている(ただし、統一されていないところがある。意図的なのかどうかはわからない)。これで文面の密集感がなくなったこともあって、ソフトで読みやすくなった。この手法がつねによいわけではないのだろうが、お堅い本にはかなり効果があるやり方だと思う。

私事で恐縮だが、書評コーナーの1600字制限がとれたこともあって、私もすこしずつひらがなを増やすようにしている。が、どうしてもクセで変換してしまい、なかなか用法の統一ができない。むずかしいものだ。

《要するに、国家がまずあるのではなく、暴力の行使が国家に先行するのだ。あらかじめ存在する国家が、あらかじめ合法化された暴力を独占すると考えてはならない。そうではなく暴力のヘゲモニー争いに勝利しているという事態が国家を構成していると考えなくてはならない。》

本書を読み終えて思い浮かべるのは、山登りにたとえると何度も行ったことのあるお気に入りの縦走路で、いつも一方方向からの縦走だったが、ある日に逆走をこころみてみたときの印象だ。あるいは、いつも帰りは真っ暗になってからしか通ったことのない「通いなれた道」を、はじめて明るいうちに帰ってみたときのことでもいい。
ポイントポイントでは同じもののはずの勝手知ったるなじみの風景が、シーケンスを逆にたどることで違ったものに見えてくる、あのときの新鮮な印象。

・シュミットのいうように、敵がいるから富を手に入れて暴力を蓄えるのではない。先だつのは富を我有化しようとする欲望だ。そのために暴力は蓄積され、暴力を組織化するという循環運動がある。
・税の徴収は民の安寧をはかるためにされるというのは、原因と結果を取り違えている。暴力の格差が税の徴収に先だつ。
・マルクスのテーゼは逆転される。徴収が余剰に先だつ。
・資本主義の発展によって国家は退場しない。資本主義を崩壊させても国家は廃棄できない。

さて、本書については、「すでにさんざんやられた議論だ」といったような批判もなされたという。
たしかに、国家を考察するうえでウェーバーによる暴力を核とした国家の定義を出発点にすえるのは、目新しいことではない。アレントによる権力と暴力の関係性の把握のしかたには、弱点があるという著者の指摘もそうである。
だが、著者が「先だつもの」としての“暴力”や“欲望”を終始手放さず、徹頭徹尾つきつめていく議論類型にはあまりお目にかからなかったような気がする。
今回、読みかえしてみて「迷いのなさ」が気にはなったのだが、断定調が鼻につくというほどではなかった。

平易でありながら「凄み」が伝わってくる理論書である。

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2006/04/15 11:33

投稿元:ブクログ

国家を「暴力行為という手段によって定義する」、非常に刺激的な一冊。社会契約論的な国家観を明確に否定し、国家を形成する原動力である暴力の独占をいかに国家が正当化してきたかということを、資本主義との関係に留意しつつ、理論的に解明していく。そしてその理論は、国家の先にあるものを見据えようとしている。

この本のすごいところは、論理が明快なのはもちろんだが、文章が平易なところがすごい。理論書でありながら、卑近な例を駆使しつつ僕のような頭のよくない人間にもわりとわかった気にさせてくれる。これはすごい。

理論的な側面では太刀打ちできないのだけど、やはり気になるのは、歴史学の成果、あるいは歴史の問題が軽視されているのではないか?という点だ。歴史をやっている人間の贔屓目に過ぎないのかもしれないけれど。

具体的に言うと、この理論で日本における近世国家から近代国家への移行が説明できるのか?ということだ。4章以降は「国家が現在のようなあり方になってきた歴史的なメカニズムが考察される」(p7)。しかしそこで語られる「歴史的」とは、なんというか実態のないイメージの歴史で語られている印象を持ってしまう。

どういうことかというと、まず「脱団体化」(p174)に触れたくだりで考えてみる。

「こうした「脱団体化」は、近代日本において主権が確立されるプロセスのなかにも観察されるだろう。つまり、士農工商の身分制を廃止して、主権者としての天皇の身体に住民を直接的にむすびつけたプロセスである。そのむすびつきを制度的に体現したのが戸籍制度にほかならない」(p175)

戸籍制度が「天皇の身体に住民を直接的にむすびつけたプロセス」という理解は不勉強にして初めて聞いたのだけど、果してそうだろうか?明治4年の戸籍法制定以後も、「中間団体」として近世村の存在は無視できない(実質的な徴税単位としてもしばらく機能したし、地租改正の単位でもあった)。天皇との結びつきはともかく、「個」として制度的に住民があまねく平等になっていくのは、政治的平等を見るだけでも普選以降ということにならないだろうか。

あるいは政治的平等で語るのは不適切かもしれないので、本書の論に即して「富の徴収」という観点から考えて話を元に戻してみる。徴税単位として明治政府が個人を把握するのは、やはり地租改正以降ではないか。それまでは国家が唯一国民を徴税単位として把握できる国税である地租が存在しないのだから。まあそれは細かいところだ。

もうひとつ疑問なのは、日本における近世国家から近代国家への移行の問題だ。近世においては、各藩がもっている土地は藩あるいは藩主の私有ではないと考えられていたはずだ。その近世的国制は、本書が想定する「王や皇帝はすべての領土を一元的に支配しているわけではなく、ただ間接的にのみ、つまりある地域を支配している武力集団のリーダーをみずからのもとに従わせているという仕方によってのみ、支配しているにすぎない」(p167)とする前近代国家観とは異なるものだ。

先述したような日本の近世的国制が、暴力の独占が完全ではない明治4年までの段階(すくなくとも西南戦争までは、明���政府は暴力の独占がかなりの程度達成されていたとは思えない)で、廃藩置県と身分制の撤廃を一挙に遂行できた大きな要因になるというのが歴史学のひとつの成果(鈴木正幸『国民国家と天皇制)だ。少なくとも、暴力の独占のみが主権確立の唯一条件であるとする本書の想定では、日本における主権確立過程を説明できない気がするのだ。

しかしこの点は著者の日本近世史・近代史に対する理解の不足(というよりは、ヨーロッパ国制の一般化かもしれない)によって、等閑に付されている。おそらく、現在の一律な国家形態から、逆に国家の歴史を敷衍していくこの書の手法に原因があるのだろう。本書では「国民共同体が歴史をつらぬいて存続してきた実態として観念されること」(p138)を強く否定しているが、実は著者も、道筋は違うけれど、全ての国家が「暴力の独占」という同様の道筋を歩いて現在の国家になっていると考えている点で、批判している図式と同じ図式にあてはまっているような気がしてならないのだ。それは、歴史に対する軽視から生まれているのではないだろうか。著者が引用しているさまざまな人の多くは、歴史に対する造詣も深かった。アーレントにしろ、フーコーにしろ、ウェーバーにしろ。歴史の裏づけなしに、先達の引用を中心に国家論を構築されると、どうにも空中戦をやられているような感覚というか、雲をつかむような話をされているような気分になってしまうのだ。

と、歴史やっている人間の贔屓目からの批判を不十分に言ってみたのだけれど、そうは言ってもこの書が理論的に「国家とはなにか」ということを改めて考察しようとした点は非常に興味深いから色々考えることができるし、基本的には面白く読むことができた。最後に、少し疑問なのは、多くの引用によっている点で、国家論としてどこまでオリジナリティがあるかというところだ。残念ながら僕の力量外のことでよくわからないのだけど・・・。

2012/12/30 17:02

投稿元:ブクログ

国家とは暴力にかかわる運動であるという、著者の国家論。
暴力の組織化による国家の成立から、近年の資本主義と国家との関係まで、大変興味深く読めました。

2013/03/24 19:37

投稿元:ブクログ

「国家とは人びとの間にうちたてられる関係性である・・」という何となくアカデミックな前提に、正面から「それだけじゃないだろ」と問う。学会の権威に自分を合わせるのではなく、自分の頭で考えるというスタイルに非常な好感を覚えた。
どこまでも平易な説明のスタイル。愚直なまでの反復、応答、問いの再確認の連続なのに、飽きがこない文章力も見事。
意識してアカデミックなおごりを避けているのだろう。その点も異色な学者のデビュー作。

2011/06/20 22:30

投稿元:ブクログ

読み進めると、ふむふむ。ほーほー、なるほど、うーんという感じ。辞書引きながらでないと、知らない言葉が多かった。

2014/03/23 02:41

投稿元:ブクログ

国家論の本。ウェーバー、バリバール、ドゥルーズ、ベンヤミンなどを解きながら、国家にとって暴力装置の独占は不可欠であり、その国民国家としてのナショリズムもまた不可欠であるとする。主眼は、「グローバリゼーションによって国家はなくなる」「国民国家システムは消滅する」などという人々に対するアンチテーゼ。

2011/06/23 17:42

投稿元:ブクログ

国家論全体を暴力の哲学として理論的に、および主権から資本主義の関係として系譜論的に、捉えた画期的な1冊。体系だった記述、バランスの良い目配り、引用文献の良さ、さらに論理的展開など政治哲学の啓蒙書として文句ないレベルにあると思われる。すばらしいの一言。

2012/05/14 19:20

投稿元:ブクログ

図書館の社会学の棚にあったのだが哲学書だった。しかも予想外に面白かった。
著者はマックス・ウェーバーから出発し、国家とは暴力行使という手段によって定義される、と提示する。すなわち国家とは「暴力の組織化」である。
このテーゼは「死刑」や「戦争」が「国家」によってはじめて可能になることを思えば、半ば賛成できるものである。
しかしウェーバーはじめ、フーコー、ドゥルーズなどやたらに引用が多く、この引用の多さは日本人による現代思想書の悪しき特徴だ。それでも、オリジナルな思考がないわけではないので、興味深く読み通すことができた。
「国民国家」という近代の産物と、昔の西欧に見られた王権国家との断絶はどのようにして生じたのか、とか、「富の我有化」は国家誕生に際してそれほど重要なエレメントであったろうか、とか、読んでいて疑問を持ちつつも、それだけ自分の思考が刺激を受けたとも言える。
時間がたったらまた読み返してみたいと感じるくらい、意外に優れた本だったと思う。

2011/11/23 23:25

投稿元:ブクログ

ここ数年来密度の濃い議論を展開している萱野稔人の著作。この著作で提示される、国家は暴力にかかわる運動であるという定義は、国家に従うことを自明視している人々の心性を鋭く抉るだろう。

2011/10/08 22:02

投稿元:ブクログ

だいぶラディカル。フーコーとアーレントの暴力-権力論と後ろの千のプラトーの話が特に面白かった。わかりやすいし。

2011/12/22 18:09

投稿元:ブクログ

「国家とは暴力である」
これを命題に国家を解説する
いままでの国家に対する考えが先入観による誤りであったと気付く
良い一冊

2011/07/11 14:19

投稿元:ブクログ

国家の概念規定から始まり、その生成、主権成立や国民国家の形成、資本主義との関係を論じている。暴力が組織化され集団的に行使されることのひとつの帰結として国家は存在し、暴力に先んじて国家があるのではないとする。また、一般的に理解しやすい”国家を必要悪とみなす考え”や”住民の生命や財産を守るため租税を負担すべき”という考え方を妥当でないとし、国家は自らの利益(富の我有化)を追求することで結果的に治安の管理に向かうとしている(”保護する故に拘束する”のではなく”拘束する故に保護する”)。国家と資本主義の関係やその親和性を説いた部分や、グローバリゼーションが国家が住民の生存について”面倒をみる”役割を低減させる方向に作用するといった指摘は特に興味深い。とてもおもしろい1冊だったが、理解できてない部分もあると思うのでそのうち再読する予定(また、引用がウェーバー、フーコー、スピノザ、ドゥールーズ、ガタリ他広範囲に及ぶため本当はそれらの書籍なども読んでのほうがよいのだろうけど…)。