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紙の本
ドナウよ、静かに流れよ (文春文庫)
著者 大崎 善生 (著)
ドナウ川で邦人男女が心中…その小さな新聞記事が頭から離れなくなった私は、二人の足跡を追ってウィーンへと向かった。もはやこの世にいない19歳の少女、日実は、異国の地でどんな...
ドナウよ、静かに流れよ (文春文庫)
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商品説明
ドナウ川で邦人男女が心中…その小さな新聞記事が頭から離れなくなった私は、二人の足跡を追ってウィーンへと向かった。もはやこの世にいない19歳の少女、日実は、異国の地でどんな恋をし、何を思い、そして何ゆえに追いつめられていったのか?悲劇的な愛の軌跡を辿る、哀切さにみちたノンフィクション。【「BOOK」データベースの商品解説】
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紙の本
ニアミスの果てに
2006/07/11 12:08
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:森村翔 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この心中事件の起きた直後に、私は、ヨーロッパ入りしていた。女性が、ウイーン近郊のドナウ川で発見されたのが、2001年8月14日、私のドイツ入国は、同月25日である。著者が、取材のために、EU入りした頃、私は、ドナウを、何度も訪れていた。
ドナウの源泉であるドナウエッシンゲンは、ドイツの黒い森にあり、私は、そんな黒い森の片隅の、デンツリンゲンという町で暮らしていたのだ。
私は当時、町の聖歌隊に入り、素晴らしいドイツ人指揮者の元、パリの楽団との合同コンサートにも参加出来た。しかし、著書にある、心中した19才の留学生の心中相手は、日本人の、自称指揮者だったという。留学生自身は、日実(かみ)という名の、ルーマニア人の母親を持つハーフだったが、内実は、普通の女子日本人学生に過ぎなかった。
これは、そんな、成人にも達していなかった、いたいけな女性の、最後は、愛に殉ずる、純粋で真摯な、愛の軌跡である。彼らが身を投じた川の、ドイツ側までは、迫ることが出来ていた巡り合わせを、ここに記す。日実ちゃん、私を、本屋さんに呼んでくれて、ありがとう。
紙の本
無償の愛の果てには
2007/02/25 11:00
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ゆう - この投稿者のレビュー一覧を見る
2001年8月、ドナウ川で邦人男女が自殺。
新聞記事を目にした著者は不思議な運命を感じながら事件を取材、男女が死に至るまでの軌跡を渾身の筆により綴ったノンフィクション。
著者は、亡くなった女性の両親の知人だった為もあり、取材内容は緻密でありながらも驚くほど判り安く、一つ一つの出来事が目に浮かぶように綴られていた。
そして、亡くなった男女への切ない思いや、二人に対しての愛情を持って綴られたであろう事が、文章の端々から読み取れた。
19歳という若さで自殺しなければならなかった女性の心境や、共に逝ってしまった男性に対する想いなど、想像でしか判らない部分さえもクリアに綴られていて、何度も泣きそうになりながら一気に読み上げてしまった。
“無償の愛”を貫いた女性は、こうして本となり世に出ることによって、ようやく鎮魂できたようにも思えた作品だった。
紙の本
ノンフィクションと「真実」
2006/06/10 16:10
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:吉田照彦 - この投稿者のレビュー一覧を見る
2001年8月14日、ウィーンのドナウ河畔で当時33歳の男性と19歳女性の邦人男女が水死体で見つかった。心中と報じられた新聞記事を読み、不思議に心かき乱された著者は、二人の死の真相に迫るべく、取材を開始する。
ルーマニア出身の母と日本人の父を持つ日実(かみ)という名の少女。18歳のとき、高校時代の同級生が暴走族の集団から暴行を受け、脳挫傷で死亡するという事件が起きる。この事件を契機に、少女は「私は十九歳で死ぬ」と、当時のボーイフレンドの前で繰り返すようになる。
小学校卒業後、彼女は母マリアが結婚前に亡命していたフランスへ、母とともにに移住、現地の中学校初等科に編入している。異国での生活に戸惑いながらも、新しい環境に適応しようと努力を重ねていた矢先、仕事のために日本に残っていた父正臣の浮気が発覚、彼女は留学を断念し、母とともに急遽帰国することになる。帰国後、毎日のように繰り返される夫婦喧嘩と、自分と母に対する父親の裏切りは少女の心を深く傷つけていた。
18歳の夏、少女にルーマニア留学の話が持ち上がる。両親からの強い勧めだったが、気の進まない少女はナーバスになっていた。ある日、当時つき合っていたボーイフレンドに、自分が留学中に彼が別の女性と結婚してしまう夢をみたという話をする。「その子、美人だった?」という彼の冗談半分の問いをきっかけにして、彼女の心は急速にボーイフレンドから離れていってしまう。同年9月、少女は母の親戚を頼って、単身、ルーマニア国立芸術大学の奨学生としてルーマニアへ飛んだ。
その年のクリスマス、滞在先のクルージュという街で、少女は千葉という一人の男と出会う。異国でのクリスマスを一人で過ごすことの寂しさを嫌った少女は、出会ったばかりのその千葉という男に交際を申し込む。「付き合うのならば結婚しなければ嫌だ」という千葉のいい分にも、少女はあっさりと同意し、男の作った結婚同意証明書にサインする。少女の人生の歯車は、それから急速に狂いだしていく。……
最近、よくノンフィクションというジャンルの作品を読むようになったからか、ノンフィクションとはいったい何だろうということをよく考える。著者は果たして一連の取材活動の中で、「事実」を掴み得たであろうか。愛した男を苦しみから救うため、少女は男とともにドナウの流れに身を投げたという著者の到達した結論は果たして事実なのであろうか。
“ 「事実」は本当のところ誰にもわからない。「事件」ではなく「心の物語」を描こうとすれば、「事実」を解き明かしてゆくことは不可能に近い。とすれば「事実」の取材を丹念に積み重ねた果てに、かすかに自分なりの「真実」を見るしかない。この作品が感動的なのは「事実」の先きに「真実」の光が見えてくるからである。(本書解説420頁)”
「事実」ではない「真実」をノン・フィクションと呼び得るのかどうか、僕には分からない。もし僕がこの少女の立場であったなら、自分の信頼する以外の人に、自らの「真実」について語ってほしくはないと思うだろう。いや、この言葉もまた僕という人間の「真実」に過ぎない。あとのことは自ら読み自ら感じていただくほかはないと思う。