俗流若者論スタディーズVol.6〜もう疑似科学ですらなくなったのだなあ〜
2006/11/15 13:08
10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:後藤和智 - この投稿者のレビュー一覧を見る
実を言うとあたしは、本書を読んで、この著者の言っていることを疑似科学と呼ぶことをやめようと思った。だって本書の内容って、前著にあたる『考えないヒト』(中公新書)の使い回しばかりであるだけでなく、同書を引いて、「自体はさらに深刻化している」とか言っている箇所まであるんだから。確かに事態は深刻だな、ただし著者が。
前著の使い回しが認められる部分を簡単に説明しておく。例えば、45ページの「右脳人間」「左脳人間」。これに関しては、脳の右と左がそれぞれ別の役割を負っている、ということに対して有意な批判が出ているけれども(例えば、ロルフ・デーゲン『フロイト先生のウソ』文春文庫)、これは明らかに使い回しである。もう一つは、あたしも前著を批判する際に引いた「ギャル文字=言語という抽象的表記スタイルを捨て去った表現であり、コミュニケーションの退化を示す」論。正高はこれを相当気に入ったのか、本書でも119ページに引かれてるのよね。でも、前著第2章にもありましたから!残念!!
余談だけれども、「ギャル文字」に関して、あたしは嫌いなんだが、それでもあの「文字」を文字として読みこなすには相当な知識と文化的リソースなしにして成立し得ないことは認めざるを得ない。それに、ある程度元の文字の特徴も温存しているので、正高のような論理はどうしても無理がある。大体こういう論理って、ハングルや中国語の簡体文字、それどころか日本語以外の全言語に関して「言語という抽象的表記スタイルを捨て去った表現であり、コミュニケーションの退化を示す」と言ってるようなものでしょ。
統計の引用の仕方に関しても、前著よりもさらに劣化してる。何せ引いているのが、魚住絹代『いまどき中学生白書』(講談社)なる、統計学的には問題ばかり(種々のグラフにおいてN値が示されていない、「ネット族」「ゲーム族」などについて語っているのに、それが全体の内何パーセントであるかを全く示していない、など)の本だったりする。携帯電話によって犯罪が増えている、といっても、引用しているのはたった2件。明らかに十分な量ではない。しかしながら、本書の大部分を占めているのは、やはり著者自身の思いこみ。サルに詳しい自分がこういっているんだから今の若い奴らは退化しているんだ!っていう変な思いこみが全体に通底している。もはや疑似科学じゃないよ、これ。
そして衝撃(笑撃)を受けたのが、あとがきの括弧の中に書かれた以下の文。《筆者個人は基本的にサルの行動になじんだ研究者である。だから、もっともっとサル化した人間がそこら中に溢れるのをじっくり見てみたいものだと願っている》(156ページ)。ああ、この著者、進化していないのだなあ(笑)。少なくとも、あんたの青少年に対する偏ったイメージを持つことをやめてみてはどうだい。そのための本として、岩田考ほか『若者たちのコミュニケーション・サバイバル』(恒星社厚生閣)を薦めておく。
あと、前著の元になったNHK人間講座のテキスト、そして前著の帯においてはいしかわじゅん氏がイラストを担当し、本書では蛭子能収氏が担当している…もっと違うところに金をかけてくれ!
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正高さん、またこんなのだしちゃったんですか
2006/12/18 14:11
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者の「ケータイを持ったサル」2003では「思っていることを書いてくれた」と感じた。
「考えないヒト」2005では「あれだけでは言い足りなかったのだろう」と思った。
今回のこの「他人を許せないサル」では、「まだ言い続けなければならないのか」と悲しくなった。
「正高さん、またこんなのだしちゃったんですか」・・・。
著者は終始「なにかおかしい」「なにか言わねば」と現代人の心理状況について書き続けている。本書の内容は、前二冊とあまり変わっていない。タイトルからおおよそ推測できる内容である。危機感を抱いている「おかしい」状況そのものが変わっていないから書き続けるのだと言う著者の気持ちは伝わってくる。しかしなんだか、著者自身もその中に含まれるかのように感じられる今回のタイトルでもある。
「他人を許せないサル」というタイトルは、「誇大自己症候群」「他人を見下す若者たち」といった先行する既刊の新書をも思い出させる。思いはどれも同じ線上にあるということなのだろう。前掲2冊の著者の新書もそうだったが、言いたい思いが強すぎるあまりか、学問的な分析、解析は弱い。例えば著者はケータイ文化についてここ数年調査している、とプロローグに書いているが、その結果などはあまりでてこない。「日本型のケータイ文化は、共通文化的風土を背負っている韓国や中国、インドネシアといった東アジア一体をも汚染してしまうだろう。p35」と預言めいた言葉であるが、香港などでは日本でケータイが広まるより数年早く携帯電話を持ち歩く姿が話題になっていた。香港は今どうなっているだろうか。こんなことも調査すればわかることだと思う。ブルーバックスという「科学をポケットに」というコンセプトのシリーズで出版されるには、少々理論や検証、説明などから離れすぎているのではないだろうか。ブルーバックスのコンセプトも変わったのだろうか。
内容はあまり変わらなくても、形を変えて「新書」で出し続けるのはなぜだろう。前書きに著者自身が書いている「売れるものは、ほとんどが新書という形式で、お手軽に手に取れるものに限られる。・・ただし、すぐに忘れる。」を逆手にとっているのかもしれない。「すぐに忘れる」から・・・。
著者の憂えている気持ちは理解できる。書評にもときどき同じような感想をいだく書き方のものがある。でも「あなたもわたしも、みんなどこかバカ」じゃないのだろうか。
そう思いたい。
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それはつまり自分。
世間が消えたことで恥の感覚などが無くなり、モラルが低下していると言う考えを聞いたことがあるが、この本は逆にその世間を求める日本人のサガに言及している。
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〜1.他者と同化しやすい日本人。2.理由付けを求める現代人。3.IT世間の出現。4.他人を許せないサル。5.無責任なネット庶民。〜 まあね・・・じゃねえよ! お前は何だ,何者だ? 1954年生まれで,阪大を出て,京大霊長類研究所の教授?? 笑わせるねえ! そりゃ私も大学の時,出版された『裸のサル』(Naked Ape)を読んで,ヒントは得たけど,君は生涯の研究にしちゃったのだね。デスモンド・モリスという英国人が人を『裸のサル』と名付けた・・・やーめた,今や文庫本にもなっているんだから,みんな知っているよ。それをこうも大袈裟に云われてもねえ。自分の研究分野って多分,ニホンザルでしょ。それも学生の研究を横取りしている感じ,プンプン。Apeの訳語は確かに『サル』しかなかったでしょ。尾の長いサルって日本にはいなかったらね。在来種のMonkeyはいなかったのですからね。誤解を招く素だったよね。しっかし,彼の人を見下したような態度は許し難い。プロローグで,今はタイトルと装丁で売れそうな新書ばかりがベストセラーになると書いているが,この本は,その通りじゃない。プロローグと第1章で刺激的な内容を書いておいて彼の云う庶民に買わせて,儲けようとしているんだから,嫌な奴だ。★要らないと思うんですけど。
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携帯を持つサルなどで知られる著者の最新の本
携帯の話の続きと最近の若者についてかかれて書かれています
携帯を持たなければ落ち着かない日本人、電車でも携帯をいじりまくる日本人、誰かと繋がるために携帯を話さない若者
などの精神について分析している。
特に面白いと感じたのは、キリスト教徒のように、自分と他人との境界をしっかり区別しているにに対して(自分と神とを区別している。また個人を確立している)、日本人は自分と他人との区別が携帯によってさらに曖昧化していると分析している点。
講談社新書の『他人を見下す若者』とともにお勧めです。
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[ 内容 ]
ケータイやインターネットに四六時中つながれた現代人に異常事態発生!
いつもイライラ、他人に厳しく、無責任。
ネットでがんじがらめにつながった「IT世間」に群がる日本人の生態に、気鋭のサル学者がメスを入れた「新しい世間論」。
[ 目次 ]
プロローグ
第1章 他者と同化しやすい日本人
第2章 理由付けを求める現代人
第3章 IT世間の出現
第4章 他人を許せないサル
第5章 無責任なネット庶民
エピローグ―IT化する日本の行方
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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ITによって広がった世界は新たなメディアではなく
世間だというのに妙に納得感があった。
面白いけど実証的な内容ではないかなー。
サルの研究から得た知見って、どのくらい人間に応用できるんだろうか??
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「IT世間につながれた現代人」の思考やコミュニケーションを、「他者」、「世間」との関係に注目しながら分析し、いかに現代日本人が「サル化」しているかを述べたもの。日本人独特の他者との境界をあいまいにしたり、他者を意識してなるべく目立たないようにしたり、といった気質が、IT世界と結びつくことでどのような現象として現れているかといったことが話題となっている。
「『情報の共有』自体を共有することにコミュニケーションの重きが置かれている」(pp.36-7)など、おれの周囲にもそういう人たちがいる&いたなー、ということを実感させられる部分が少なくない。そういうおれも高校3年の時に、卒業する時にケータイがないと、メアドが交換できず、もう友だちと会えなくなるのではないかという不安感で、何とかバイトしてケータイを買って安心感を得たという、立派な「現代人」でした。さすがに今は、何日も誰からもメールが来ないからと言って不安だと思うことはありません。けど、確かにケータイのおかげで連絡せずともなんとなくいつも「つながっている」という感覚を持っているので、程度の問題はあれ、おれもサル化していると思う。ほとんどの人がケータイやネットをいじる世の中、もはやこの本で言われていることですらそんなに目新しいことや過激なことではなく、タイトルの割にやや新鮮味に欠ける印象を受けた。(10/07/22)
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入院していてヒマだったから通読したものの、正直言って駄作。
著者はサルの研究者とのことらしいが、サルのコミュニティと人間のコミュニティのありかたを強引に結びつけて論を進めるスタイルは、まったく共感できる部分がなかった。
ついでに、IT社会について申し訳程度に随所でふれているが、結局IT文化についていけないおじさんが愚痴っている範囲を超えていない。読むに値しない。
追記すると、筆者は自分の文章に酔うタイプのようだ。自分がこの企画を持ってこられても、ほぼ即断でリジェクトすると思う。
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目次からかなり興味を引く項目が並んでおり購入した。
フムフムとうなずくが、途中からはあまりに著者の独自論が展開されすぎていて、納得度にかける。
居酒屋で酔ったおじさんが、日常の愚痴や不満を、かなり論理的に筋が通して、話しているような本であった。
2006.9
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内容は人間の先祖がえりというか、サル化のお話。
結局日本人は世間からは逃げられない、というか世間を欲しているということ。
誰かと繋がっていたいのに、それがストレスで癒しを求めているという矛盾。
便利になった反面、いつでもつながっていて、独りになれない感覚。
興味深い内容でした。携帯依存は怖いよね。
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他人を許せないサル 何ていうか、突っ込みどころ満載な本だったような気がする。ただ、本当かどうかわからないけど、交通事故による死亡は損傷により死よりもショック死のほうが多いという話は面白かった。 http://is.gd/2bvpK
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06年の著書を13年に見直してみての感想。
ケータイからスマホ・タブレットに、メール・ブログからSNSに流行は変わったが、現代人がやってることは変わらないようだ。
現代人をITに振り回されるサルと揶揄こそしているが、よくある「昔は良かった」論にもっていかず、淡々と分析している印象。
まぁみんながなんとなく感じてる「あるある」を文章化しただけなのだが。
ただ、ショック死は「精神的ショックで死ぬ」ことでは無いのでそこはツッコミたい。
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著者の、子どもの言語習得に関する著作がよかったのでこの本も手に取ってみたが、サルの研究者であるという専門性はほとんどいかされず、全体を通して、“今の若者は…”という愚痴を聞いている気がした。残念。
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◆2006年に書かれた、IT時代の日本人(とくに若者)を強烈に批判する一冊です。(余談ですが、2006年といえばいま(2014年)から8年前、ワンセグが登場した年だというから、月日が経つのはなんとも早いですね)
◆ITで時間と空間を飛び越え、より広い、それこそ世界規模の社交を手にするのではないかというような楽観論が出回っていたなか、著者はそれを真っ向から否定します。著者によれば、むしろ、人びと(日本人。とくに若者)は、IT化のなかで自らの狭い人間関係や「世間」という生活共同体のなかに閉じこもり、依存するようになり、そのなかでがんじがらめになるだけだというのです。この過程を著者は「サル化」と呼んでいます。ニホンザルが「起きている間中、誰かとつながっていないと落ち着かないらしい (p. 100)」ことになぞらえているのです。
◆この本がブルーバックスから出たのに驚きました。ブルーバックスといえば、自然科学をテーマにしていて、あらゆる複雑怪奇な式が飛び交っているイメージが強かったのです。それだけに、レビューも否定的なものが多いですね。
◆ただし、本書の主張が部分的には当てはまっていることも確かでしょう。「つながり」への依存(スマホを触っていないと不安になるというのは、大人だけではなく子どもにまでみられる)や、それと反対に生じる「つながり疲れ」といった現象は、近年スマートフォンの定着とともにふたたび問題化しています。だからこそ、その点を掘り下げてほしかったのですが、そうすると、完全にインターネット・コミュニケーションなどの話になってしまって、「サル化」とは関係なくなってしまいます。
◆本書をあえておすすめするとすれば、まずこのタイトルの衝撃性でしょう。ケータイやスマートフォンをいじり続ける人間を、つながりに支配される人間を、サル学者が「サル」に例えてしまう。◆そして次に、見出しを読むだけで内容が大体想像できるという点もおすすめです。空想力と相応の知識がある人ならば、あっという間に読めるのではないでしょうか。(ただ、なにかのタメになるかは、分かりません・・・^^;)