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紙の本
夢と魅惑の全体主義 (文春新書)
著者 井上 章一 (著)
ヒトラー、ムソリーニ、スターリン…、独裁者たちは「建築」を通じて民衆へうったえかけ続けた。一方、「日本ファシズム」が生んだ風景はバラックの群れだった。建築が明らかにする全...
夢と魅惑の全体主義 (文春新書)
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商品説明
ヒトラー、ムソリーニ、スターリン…、独裁者たちは「建築」を通じて民衆へうったえかけ続けた。一方、「日本ファシズム」が生んだ風景はバラックの群れだった。建築が明らかにする全体主義の正体とは。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
井上 章一
- 略歴
- 〈井上章一〉1955年京都市生まれ。京都大学大学院修士課程修了。評論家。国際日本文化研究センター勤務。「南蛮幻想」で芸術選奨文部大臣賞、「つくられた桂離宮神話」でサントリー学芸賞を受賞。
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紙の本
バラックにたくす「日本ファシズム」
2006/09/28 22:51
7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:アルケー - この投稿者のレビュー一覧を見る
私は一度、井上章一の書評をして見たかった。
「バチカン市国をこしらえたのは、イタリアのファシストである、と」いう言葉をもって井上はこの本をはじめる。
まず、イタリアのファシズム、ドイツのナチズム、そして日本の戦時体制を取り上げ、これらはファシズムとして一括して取り扱われるが、建築を中心にすえた都市計画という点から見た場合には、そのように一括して語られるであろうかという視点に立って全体主義を考察していく。
日本の戦時体制はファシズムやナチズムと異なって、革命をへていない。新しい権力は生まれていない。ヨーロッパのファッショ政権はあかるい未来を提示し、大衆を動員しようとした。
ムッソリーニもヒトラーも、ともに権力の簒奪者であり、支配の正当性を保持していないので、それをおぎなうためににも、彼らは劇場型政治を志向した。その結果が彼らの主都の都市改造計画となって現われた。
古代ローマのコロッセオとローマの中心に位置するベネチア宮殿(ムッソリーニの政務館であると共に迎賓館)に接する東側のベネチア広場を、はばのひろいインペリアーリ通りで視覚的にむすびつけた。「あからさまに政治的な舞台空間をつくりあげたのである。」「広場に集まった群衆は、バルコニーのムッソリーニを見あげ」、「反対側をふりむけば、コロッセオが目にはいる。」
新時代のベルリンを象徴するポツダムの再開発地区の北方一キロのところに、連邦議会議事堂はある。ミース(ナショナル・ギャロリー)やシャロウン(国立図書館やベルリン・フィルハーモニー、俗にカラヤンのサーカス小屋)の建築作品も、この南北線からは、それほどはずれていない。そして、この南北線は、かつてヒトラーが構想した都市像と、かさなりあう。すでに東西にはウンター・デン・リンデンがとおっていた。
だが日本の戦時体制にはそのようなユートピア色はない。戦争のもたらすきびしい現実だけが強調される。1930年代末の体制は、「戦時体制として位置付けるべきである。」だから、「日本ファシズム」などという表現もひかえたほうがよい、と「人々は」いう。
イタリアでは、モダンデザインの新建築が、体制を宣伝する。ドイツでは、体制の新しさ、偉大さは、建築にたくして、表現されていた。
「日本ファシズム」は、そのような都市建築を、ほとんど生んでいない。生んだのは木造のバラック群であり、未完成のままにほうりだされた鉄筋コンクリートであった。それは「戦時リアリズムの建築であった」。その意味でも「日本ファシズム」は、戦時体制であった。これは近年の政治学などと同じ結論を建築史も共有している。
しかし、戦時リアリズムが都市をかえる。「『見栄や、体裁』にはかまうな。そう建築じたいをして表現せしめるいきおいに、私はファッショを感じる」と「日本ファシズム」に井上はこだわる。
建築は新しさや偉大さばかりでなく、「見てくれ」を否定する思想をも表現する。そんな禁欲精神に貫徹された社会も、「じゅうぶんユートピア的だと言えまいか」と井上はいう。
著者のこだわり、断定的に規定できない「日本ファシズム」に対する明確な評価が見事に表現されている。
ドイツは、1936、7年から戦時体制へ移行しているにもかかわらず、同時期にベルリンの美装事業はすすめられる。
一方、日本では1937年に、鉄鋼工作物築造許可規則が公布され、主都・東京の中枢ではバラックがぞくぞくと建設されだした。
見事な対比としか言いようがない。だが、イタリアが後景に移行してしまった。