読書遍歴とエッセイを絡めた読書日記
2010/12/13 10:23
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ぱやぴす - この投稿者のレビュー一覧を見る
読書遍歴を通して著者の感性を垣間見る様。
子供のときから本が好きで、そのまま大学の文学部に入って、人気作家になる。なんていうか王道ってやつですか。息子さんとのキャッチボールも犬のラブもいいですねえ
2007/11/02 23:14
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
最近、立て続けに作家の読書論というか読書体験、書評を読む機会があって、プロって言うのは凄いな、って思うんですね。昔読んだ山田風太郎の日記もですが、先日読んだ『桜庭一樹読書日記』なんかは、その読書量にただただ圧倒される。小川洋子ではつい半年前くらいに『物語の役割』に感心したばかりだし。だから記事にダブリがあるだろうな、って思う。
でも、小川の本に「博士」っていう言葉を見ると、手が伸びます。『博士の愛した数式』で初めて小川の作品に出会った私にとって、それは呪文みたいなものです。で、感想ですが、ここまで未読の本を魅力的に紹介してくれた文章は、私にとっては大昔に読んだ都筑道夫、昔読んだ北上次郎、いまも読んでいる椎名誠以来のものといっていいかもしれません。
まず目次を写しましょう。
1 図書室の本棚 子供の本と外国文学
・金曜日の夜、読みたい本
・空想倶楽部結成
・小さな果てのない世界を作る才能 など
2 博士の本棚 数式と数学の魅力
3 ちょっと散歩へ 犬と野球と古い家
4 書斎の本棚 物語と小説
あとがき
初出一覧
ともかく読んでいない本が沢山出てくるので、オロオロしてしまいますが、第一章では項目のタイトルをあげた三篇、私も大好きなクラフト・エヴィング商會についての文が特に好きです。装幀家としてだけでなく、小説家、いや中に挿入される写真やオブジェまで含めた総合的なものとして本というものを提示してくれるアーティストとしての彼らに小川さんが注目していたとは、嬉しいの一語につきます。
他にも読みたい本として、フランク・コットレル・ボイス『ミリオンズ』、吉田篤弘『針がとぶ』、クラフト・エヴィング商會?『らくだこぶ書房』『テーブルの上のファーブル』、エリザベス・ギルバート『デニー・ブラウンの知らなかったこと』、ジュリー・サラモン『クリスマスの木』など全く知らなかったものがあげられます。
私の見方を変えたのが、手塚治虫『手塚治虫悲恋短篇集』について書いた「科学と物語の親しさ」、「斎藤真一の『星になった瞽女』」です。全集がありながら殆ど積読状態にある手塚作品もですが、ああ、と思ったには斎藤真一の絵画についての文です。斎藤真一、小説家ではありません。画家さんです。既にお亡くなりになっていますが、斎藤の作品自体は案外容易に見ることが出来ます。
日本の洋画家としては有名な方なので、デパートの絵画祭りや銀座の画廊に行けば、小品の一点くらいは必ず展示されています。決して上手さを見せつける画風ではありません。稚拙、というかヘタウマというか。暗い画面に描かれるのは、殆どが瞽女です。私などはそのワンパターンぶりに敬遠していたわけですが、この本で知った『星になった瞽女』を見て、初めて斎藤作品の本質に触れた気がします。
それは過去に私が見てきた斎藤作品と大きく変わるわけではありません。画布の中央に一人の瞽女。今までであれば、そこに溢れる地方性にウンザリしたはずですが、今日ばかりは素直に、静けさ、哀しさに身を委ねることが出来ます。今まで何気なく見すごしていたものに、独自の光をあてその本質を浮かび上がらせる。文の力は偉大なり、です。
再確認したのが、小川の読書暦の長さでしょうか。小学生の時から筋金入りの文学少女。そういう人がそのまま大学の文学部に進学して、作家になり、出す本がかならず話題になって人に愛される。文学者冥利に尽きるって言ってもいいでしょう。他の本でも触れていましたが、犬のラブを飼ったことについての文から伝わる愛情、数学への深い理解力、自然と頭が下がります。
装画 戸田ノブコ
装幀 新潮社装幀室
投稿元:
レビューを見る
不勉強なもので、博士の数式シリーズと思ってたので、読み出して書評を中心としたエッセイと知って少しだけがっかりしました。
その上、取り上げる本が翻訳物が多く、翻訳物があまり好きでない(読まず嫌いですが)ので、ただなんとなく読み進めていました。
これまでのエッセイをまとめたものなので時間軸は前後したりもするのですが、読み進めるにつれ、小川洋子さんの本に対する静かな、そして熱い気持ちが全体に感じられ、読んでよかったと思いました。
このエッセイを読むことで、ぜひ小説も読んでみたいと確信めいた気持ちになりました。
ありふれた言葉で申し訳ないですが、珠玉のエッセイ集といえるのではないでしょうか。
特に印象的だったのは、学生時代の恩師の追悼随筆「先生と出会えた幸運」。残念だとか哀しいという言葉が一つもないのに、恩師への気持ちがとても伝わってきて哀しくなりました。
投稿元:
レビューを見る
小川さんのエッセイ
朝の読書にオススメ
小さなできごと、大きなできごと
彼女の目を通すとこのように見えるのかと感動を覚える
相も変わらず、私を言葉の海に溺れさせる危険な一冊
投稿元:
レビューを見る
あまり賢くない犬の話は、うちのゆずと一緒と笑えた。
小川さんの読んだ本の記述は、さすが小説家とうなった。
投稿元:
レビューを見る
兄弟をキーワードにして作品をジャンル分けし、論じてみたらおもしろいと思う。血のつながりに親子ほど惑わされることなく、恋人同志のように肉体的なつながりで何かを解決できるほど単純でもない。残酷に切り捨てようとしても、互いの存在の記憶は遺伝子に刻み込まれ、消しようがない。
(P.19)
投稿元:
レビューを見る
書評は一番始めの児童書のところしかわかりませんでした。
図書館の先生かっこいいv
10万円分の図書カードがあったら、私なら何を買うだろう。
内田百?の全集は絶対欲しい。
それと「原色牧野植物大図鑑」。
ハードカバーの「モモ」とドリトル先生シリーズも。
(09.05.08)
---------------------------------
図書館。返却されたばかりの本を置いてある場所にあって、タイトルと装幀にひかれました。(09.04.27)
投稿元:
レビューを見る
このところ、小川洋子さんのエッセイを続けて読んでいます。
これは題名の通り、「博士の愛した数式」以後のエッセイ集で、本に関するものが多く収められています。
「風の歌を聴く公園」
小川洋子さんは、岡山在住でしたが、2002年に芦屋に越しています。
村上春樹さんの「風の歌を聴け」に出てくる公園が近くにあるそうです。
「海から山に向かって伸びた惨めなほど細長い街」と作品の中で記してあるそうです。
村上作品特有の、じめじめしていない風の感触、どこからともなく流れてくる海の匂いを芦屋に住んで実感しているとのことです。
「日記帳の贈り主」
小川洋子さんにも13歳の時に書き始めた「初めての日記帳」がありますが、どうして手に入れたのか記憶が欠落していたそうです。
それを誕生日プレゼントとしてくれたのは、中学、高校、大学と同級生だったH君だということをふと思い出します。
小川さんの人生の中で、H君はある場面にふっと現れ、何か大事なものを残して去っていく存在のようです。
芥川賞をもらったときに一番にお祝いの電話をかけたり、失意のときに慰めてくれたりします。
そういう異性の友達を持ちっているというのはうらやましいことだと思いました。
「パリの五日間」
小川洋子さんの作品はフランス語に翻訳されて読まれています。
小川さんはパリへ行き、翻訳してくれているフランス人の方に初めて会います。
それまで会ったことはなかったのですが、空港で一瞬のうちに相手を認め合い、すぐにうち解け、懐かしい友人と再会したような気分になったといいます。
実際に会わなくても小説が二人の心をつなぎ合わせていたからだろうということです。
このときに「小川作品に対する自分の翻訳態度が間違っていないと確信できたわ」と言ってくれて幸せだったと小川さんは述懐しています。
これはミクシイでの出会いにも似ています。
日記やコミュニティなどで交流を深めたあとで、リアルに対面すると、会うのは初めてなのに、古くからの友人のようにお話しができたりもします。
ただその際は核になるつながりが何かないといけないような気がします。
私は作家ではないので、何か関心を共有しているとか、好きな作家が一致するとかということです。
投稿元:
レビューを見る
100307byWIngsKyoto
1 図書室の本棚―子供の本と外国文学(図書室とコッペパン
秘密の花園・小公子・小公女 ほか)
2 博士の本棚―数式と数学の魅力(三角形の内角の和は
完全数を背負う投手 ほか)
3 ちょっと散歩へ―犬と野球と古い家(気が付けば老犬…
わずか十分の辛抱 ほか)
4 書斎の本棚―物語と小説(葬儀の日の台所
アウシュヴィッツからウィーンへ、墨色の旅 ほか)
投稿元:
レビューを見る
2010.05.05. 再読。やはり、小川さんのエッセイはいい。優しいまなざしと、真摯な気持ちが感じられて、読んでいてホッとする。初めて読んだ時、読みたい本をリストアップして今までにいくつかを読んだ。また今回も、リストを新しくして、小川さんオススメの本を読もう。
投稿元:
レビューを見る
昔からあまり小川洋子の文章は得意じゃない。淡々としすぎていて。本の趣味もやはりあまり合わなかった。わたしが洋書に手を伸ばしていないのもあるけれど。でもこの淡々とした文体が眠れない夜にはよかったりもする。
投稿元:
レビューを見る
小川洋子さんの本、読める時と全然だめな時とあるのはなぜだろう。
今回はう~ん、なんか進まなかった。
犬についてのエッセイは楽しく読めたんだけど…結構ナナメ読みで済ませてしまった。
と、ここまで書いておきながら、なんかもったいなくていくつか拾い読み。
「細分化」のなかで、杉浦日向子さんの言葉「江戸時代は爪楊枝だけを商いしていても生活できたんですよ」をひき、小さな専門店、というかごくごく小さな商店について書いている。(最近ちょこちょこ読んでいる、江戸時代から明治初期にかけての日本の庶民の暮らしをつづった本をいくつか思いだすなあ)
ウィーンで見かけたという、地図屋だの標本屋だの古絵葉書屋だのといった、ほとんど縁のなさそうな商店たちに、愛おしげに思いをはせるその言葉が、とても素敵だった。
小川洋子さんのエッセイは、時間をもてあました休日の午後に、ゆったりした気持ちで読むのがいいのかもしれない。
投稿元:
レビューを見る
小川洋子さんは、凄く凄く謙虚に慎ましく毎日を過ごしているんだなぁ。
私には良くも悪くも、小川さんみたいな生き方は無理だなー。
これからも、小川さんが幸せな毎日を過ごせますように!
投稿元:
レビューを見る
(2011.05.23読了)(購入時期・不明)
本についての思い出、好きな本について、書評、等についてのエッセイを1冊にまとめたものです。「博士の愛した数式」の著者による本に関するエッセイ集に「博士の本棚」と名付けるとは何とも絶妙です。
沢山の本を紹介してくれているのですが、小川さんに紹介されるとどれも読んでみたくなるのですが、小川さんのような感受性はないので、小川さんが感じたようには読みとれないだろうという気はあります。もし、小川さんが紹介していた本を読む機会があれば、その際は、小川さんの書評を読み返してみたいと思います。
小川さんが、繰り返し言及している本がいくつかありますが、その中で印象に残ったのは、以下の三冊です。どれもまだ読んでいません。
「アンネの日記」アンネ・フランク著
「中国行きのスロウ・ボート」村上春樹著
「富士日記」武田百合子著
章立ては以下のようになっています。
1、図書室の本棚 子供の本と外国文学
2、博士の本棚 数式と数学の魅力
3、ちょっと散歩へ 犬と野球と古い家
4、書斎の本棚 物語と小説
●文学とは(103頁)
もはや名前もわからなくなった人々を死者の世界に探しに行くこと、文学とはこれに尽きるのかもしれない(フランス人作家パトリック・モディアノ)
●小川さんの小説作法(103頁)
これまで私が描いてきた人物たちには、ほとんどモデルはいない。一行目を書きつけ、実際に小説世界が動き始めるまで、彼らは名前もなく、輪郭もない存在として私の中を浮遊している。彼らがどこからやって来たのか、自分でもうまく説明できない。
ただ、一個一個石を積み上げるようにして言葉を連ねて行くうち、次第に彼らは姿を鮮明に表わして来る。
●小学校の健康診断(116頁)
私が本当に恐れたのは、保健室の先生ではなく、検査結果だった。もし座高がクラスで一番高かったら困る。きっと男子に笑われる。もし私の肺だけに何か妙なものが写っていたら?聴力検査のヘッドホンから、死んだ人の声が聞こえてきた場合、どうしたらいいのだろう。果たしてボタンを押しても構わないのだろうか。
あるいは、私が台に上がった途端、機械が故障して、何千倍もの放射能が発射されるかもしれない。あるいは、歯医者さんがうっかり、私の喉の奥に、丸いミラー付きの棒を落とすかもしれない。
次々と心配ごとがわき上がってくる。
(こういう想像力が作家の資質なのでしょうか)
●棺に弁当(189頁)
棺に納めるお弁当を作ることになった。死んだ人にお弁当を持たせるのは、聞いたことのない習慣だったが、考えてみればこれから長い旅に出発する人を見送るのだから、残ったものたちがお腹の心配をするのは当然のことだった。
●エゴン・シーレ(197頁)
シーレはその時の私の心にすんなりと入りこんできた。特に人物画に引きつけられた。彼は数多くの自画像を残している。ほとんどが裸体だ。計算されつくした構図でありながら、装飾は一切はぎ取られている。しかも、愛する自己を他人にさらすことで完結する自画像ではない。拒絶の混じった目で自己を徹底的に分解し、その果てにあるものを引きずりだそうとす��ような裸体なのだ。
●「アンネの日記」(235頁)
この日記が世界中で読み継がれてきた理由は、歴史的背景の意味を超える、すぐれた文学性にあると思う。思春期の少女の内面をこれほどまでに生き生きと描いた文学を、私は他に知らない。
キティーという架空の友人に語りかけるスタイルを取ったことからもわかるように、アンネはただの一人よがりなつぶやきを書き記したのではなく、自分の世界を言葉で構築して他者に伝えようとした。十代はじめですでに彼女は、冷静さとユーモアを持った視点、個性的な観察力、言葉の豊かさなど、驚くべき資質を備えていた。
☆小川洋子のエッセイ(既読)
「深き心の底より」小川洋子著、PHP文庫、2006.10.18(1999.07.)
「犬のしっぽを撫でながら」小川洋子著、集英社、2006.04.10
「物語の役割」小川洋子著、ちくまプリマー新書、2007.02.10
「博士の本棚」小川洋子著、新潮社、2007.07.25
「妄想気分」小川洋子著、集英社、2011.01.31
(2011年5月26日・記)
投稿元:
レビューを見る
これまで、さまざまな媒体に発表されてきたエッセイをまとめた本だが、読書レビューを主体とした部分の編集が光る。全体で4つのパートに分けられているが、タイトルとして取られている第2部の「博士の本棚」よりは、子供の本と外国文学について書かれた第1部の「図書室の本棚」が秀逸だと思う。(新潮社としても部数を伸ばすためには、どうしても売れた本の名前をつけたかったのだろうが、、、) 小川洋子さんは部類の読書家で、そのレビューもなかなか素晴らしく、これまでも何冊か目にしてきた。個人的には良くあることなのだけれど、今回も幾人かのお馴染み作家や翻訳家の名前が次から次へと「待ち伏せ」でもしていたかのように登場してきて、思わず笑みがこぼれてしまうようだった。結局のところ、読みたい本の嗜好が似ているということなのかもしれない。